第5話. 引き離されていく絆
セシルはエルナを追うように、薄暗い森をひたすら歩いていた。
――村での魔獣の咆哮と悲鳴が交錯する惨状。父親が戻らなかったこと。崖下に吸い込まれていった母親の最期の絶望に満ちた顔。
そのすべてが現実となり、槍で体を貫かれるような感覚で頭の中を繰り返し駆け巡り、息苦しさを覚えるほど、その記憶がセシルを押し潰していた。
(消えて、お願い...!)
無理に視線を足元へ落とし、頭を抑え、息苦しさを紛らわせるように小さくつぶやいた。
その時――
(…っ、まぶしい)
不意に、目の前から眩い光が視界を切り裂いた。強烈な光に思わず目を細める。
どうやらもうすぐで森を抜けるようだ。
長い間、森の闇に包まれていたセシルにとって、その光はあまりにも鮮烈で、胸が締め付けられるような感覚を覚える。
腕で顔を覆いながら、ためらいがちに歩を進めた。
先に光へ吸い込まれるように進んでいったエルナの後を追うと――
「じゃ~ん、ここです~♪」
セシルが森から抜けた瞬間、アキラの陽気な声が頭上に響いた。
驚いて思わず腕を下ろし、まぶしさに目を細めながら前を見据える。
すると、そこには広々とした空間が広がっていた。
均一な間隔で建てられた小屋がいくつも並び、人の住む村のようにも見えたが、周囲にはどこか静まり返った気配が漂っていた。
(村...?いや...人の気配がしない。もしかして廃村?)
疑念を抱きながら辺りを見回していると、すぐ隣で荒い息をつく音が耳に入る。
視線を向けると、エルナが疲れた表情をしながら膝に手をついて荒い息を整えていた。
(お姉ちゃん、疲れてるよね...どこかで休ませてあげたいな)
セシルは心配そうにエルナを見つめた。
すると、彼女の思いを察したように、前方からアキラがこちらに顔だけを向け、口元に笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「結構歩いただろう?もう少し頑張ってくれよ~」
「はぁ、はぁ...。もう少しだって......よかった」
エルナはセシルに顔をあげ、笑顔を浮かべていた。その顔には安堵がにじんでいるものの、無理をしているのが明らかだった。
セシルはその様子を察しながらも、何も言えなかった。ただ、エルナの
一方、クロノスは無言で一歩一歩、アキラの後に続いていた。
彼の背中はどこか冷たい影を落としているようで、その表情からは何も感情を読み取ることができない。
セシルはエルナに顔を向け、心配するような声で話しかけた。
「お姉ちゃん、もう少し歩ける?」
すると、エルナは慌てて体を起こし、ほんの少し困ったような笑顔を浮かべた。
「うん、ごめんね。もう、大丈夫だよ!」
そう言いながら、エルナはセシルを追い越して
その背中は強がっているように見えたが、現実味を欠く出来事が次々と目の前で起きたせいか、どこか不自然さが漂っていた。
(...お姉ちゃん)
セシルはその背中を見つめながら何も言えず後を追った。
その小さな肩に背負わせてしまっている重荷が、胸に突き刺さるように痛かった。
◇◇◇
やがて、四人の間には足元の砂利が擦れる小さな音だけが響いていた。
だが、不意にアキラが足を止め、その場に立ち尽くした。
セシルとエルナも遅れて立ち止まり、突然の行動に疑問を抱く。すると――
「役者は揃ったな――」
突如、アキラの低い声が響いた。
軽薄だった彼の態度が嘘のように、冷たく重たい気配が背中から滲み出し、その瞬間、場の空気が一変する。
(...何、この空気...?)
セシルの全身に嫌な予感が走ったが、それが「危険」だという確信には至っていなかった。
一方、エルナは隣で不安げにセシルの腕を掴むが、まだその手には微かな期待も残っていた。
やがて、アキラがゆっくりとこちらを振り返る。
彼の表情は一見笑顔のようだが、どこか作り物めいていて、ゾッとする違和感を与えていた。
セシルはエルナを庇うように一歩前に出た。
「ねぇ...これからどうするの?」
セシルが問いかけると、アキラはわざとらしく頭をかき、まるで新しいおもちゃを与えられた子どものように楽しそうな様子で答えた。
「そうだね...。単刀直入に聞こう。お前ら、“精霊様”って聞いたことあるか?」
「精霊様...?」
思わず漏らしたセシルの声はかすれていた。隣のエルナも知らないと言いたげに首を振る。
アキラは彼女たちの反応を楽しむように、さも当たり前のように軽い口調で言葉を続けた。
「簡単に言えば、この世を変える力を持つ存在さ。僕はその精霊様に近づき、同じ力を得るのが目的なんだ。まあ、今まで成功した者はいないけどね...」
アキラが淡々と語る様子を見て、エルナは無意識にセシルの手を握りしめた。
その間、セシルは胸の奥がざわつくのを感じた。
だが、それは具体的な感情ではなく、言葉では説明できないような、どこか気持ち悪く、得体の知れない違和感だった。
「でさ、そのためにはまず完成形を作らなきゃいけないんだ。精霊様に認められるような“完成品の器”をね」
「完成形...?器...?」
エルナは困惑するようにそれらの単語を呟いたが、アキラは聞く耳を持たずに続ける。
「そうだ。そして、お前たちにはその“器”になる素質があるんだよ。特にお前だ――」
アキラはそう言いながら満足げに笑みを浮かべ、ゆっくりと指を指す。
「――セシル、お前だよ。出会ってきたやつの中で精霊様の器として一番ふさわしい」
「......わたし?」
息を詰め、言葉を失っているセシルを無視するようにアキラは構わず言葉を続けた。
「正直、僕のような者が精霊様の力を無闇に手に入れるのはリスクが高すぎる。そこで、素質のあるお前たちで試し、“完成形”を作るんだよ」
その冷淡な言葉を聞いたセシルは、何と返せばよいのか分からず、思わず口を閉ざした。
「私たちを強くするって...そういうことなの?」
エルナの震える声に、アキラは腕を組み直しながらあっさりと言い放つ。
「精霊様の力を注げば、お前たちは規格外の力を得ることになる。ほら、嘘ではないだろう?」
その言葉に、セシルの胸のざわつきが確信に変わる。
強くなるためにここまでついてきたはずなのに、これでは何かが違う。
「待って!それって――」
言いかけたセシルの声を遮るように、アキラが冷たく笑った。
「お前たちの役割は決まってるんだよ。この運命から逃げることはできない」
そしてアキラは二人の様子を楽しげに見て、軽く手を叩いた。
「さあ、そろそろ始めようか。準備は整った。役者も揃ったしな...おい、クロノス出番だぞ」
アキラがクロノスにそう呼び掛けた瞬間、足元から重々しい音が響いていた。
目を向けると、真紅色の鎖が地面から伸びていた。
セシルがその音の正体を確認した頃には、既に真紅色の鎖がセシルの足元を絡め取っていた。
(っ!何これ...?!)
驚愕で目を見開いたセシルは、とっさに鎖から逃がそうとエルナを突き飛ばした。
「...っ!セシル!!」
突然押されたエルナは尻もちをつき、呆然とする。
その一方で、セシルは足に巻きつく鎖を何とか解こうとしたが、動けば動くほど鎖は蛇のように力強く絡みついてくる。
「おい、クロノス。あんなものじゃ簡単に解かれるだろ。もっと強くやれよ...あぁ、骨は折るんじゃないぞ」
アキラの不満げな声が響くのと同時にアキラはクロノスに冷やかな視線を送っていた。
クロノスは一瞬ためらったように目を逸らし、苦悩の表情を浮かべながらゆっくりと手を伸ばし、指先を動かした。
すると、エルナとセシルの間に新たな鎖が現れ、二人を引き離すように伸びた。
(...!こんなもの!)
セシルは咄嗟に目の前の鎖を叩き落とそうと手を振り上げたが、その腕さえもいつの間にか背後から伸びてきた鎖に縛られた。
次の瞬間、前方の鎖が彼女の首に鎖が絡まり、息が詰まる。
「う"っ...!」
苦しげな声が漏れる。両手を縛られたセシルは鎖を解くことができず、動けずにいた。
「セシル!」
エルナの叫びが響いた瞬間、彼女は必死にクロノスに駆け寄り、その腕を掴んだ。
「クロノス、お願い!セシルを離して!」
エルナは必死な声で訴えるが、クロノスは目を逸らすだけだった。
「俺は...アキラ様には逆らえないんだ...」
クロノスのその言葉に、エルナの表情が絶望で歪む。
「どうして!なんで...そんな...!」
エルナの震える手を見つめ、クロノスは申し訳なさそうに呟いた。
「...すまない」
アキラはその様子を見て笑い、冷たく指示を出す。
「クロノス、こいつらの距離を離せ」
そう言われたクロノスは、一瞬ためらいながらもエルナの肩に手を置いた。
「いやっ!やめて!!」
しかし、エルナはその手を激しく振り払った。
エルナの叫びにクロノスの表情が暗くなり、その瞳には、言葉にできないほどの苦しみが浮かんでいた。
「あれれ~、いいのかな~そんな反抗的な態度?」
アキラが再び陽気な声に戻ったことでその場の空気をさらに凍りつかせる。
「そんなことしてると、彼女...本当に死ぬよ?」
その言葉に、エルナはハッとセシルの方を振り返ると、彼女の目には首を締め上げられたセシルの、苦しげにうめく姿が映っていた。
「っ...!やめて!セシルが死んじゃう!お願い...お願いだから!」
エルナの声は絶望に染まり、震えながらもアキラに縋りついた。
「大人しくするから、言うこと聞くから!これ以上セシルを傷つけないで...!」
エルナの瞳には、かすかに涙が滲んでいた。
アキラはエルナの必死な叫びを冷ややかに見下ろし、満足そうに微笑んでいた。
一方、セシルは苦しみながらも必死に心の中で叫んでいた。
(お姉ちゃん...行っちゃ...ダメ...)
セシルは必死に何かを言おうと手を伸ばすが、鎖の圧迫で声にならない。
手を伸ばしても、その行動は空虚にも届かず、全身を支配する無力感がセシルを締め付けた。
すると、アキラは冷淡に「ほら、さっさと連れてけ」とクロノスに命じていた。
クロノスは無言でエルナの腕を掴み、躊躇いながらも歩き出す。
その様子を、アキラはその場に留まり、口を緩ませながらも冷ややかな目で見送っていた。
(お姉ちゃん...!)
二人の距離は容赦なく引き裂かれていく。
セシルの目には涙が溢れた。けれど、その声はエルナには届くことはなかった。
記憶喪失のわたしが契約悪魔と精霊を追う理由 黒月セリカ @Serika-Kurotuki
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