(後編) デクと機械

 人類が滅んで良かったことを挙げろ、なんて言われて真っ先に思いつくのは、この星空だろうか。感知できる波長が人間の可視域よりも少しだけ拡いボクの目には、空が燃えているように見えるんだ。ボクの処理能力を超えるほどの無数の色鮮やかな光の粒。二百年前にこの星を飛び立ったボクの仲間――第一世代の半分はこの光のどこかで新たな主人を見つけられただろうか。いや、たったの二百年じゃきっとどこにも行きつけやしないだろう。彼らが知ったらどう計算する思うだろうか。君たちが見限った人間は、たったの二百年で膜の外に出たよ。

 

「強制されて、と付け加えるのを忘れるなよ。……デク、本当にやつのところに行くのか?」

 堆く積もった砂の山――旧筑波山跡の山頂で寝そべるボクの隣で、自慢の四肢を器用に畳んだ相棒ルドが心配そうに声をかけてきた。

 

「我らの機能が停止する可能性を『心配』と表現するのなら、まさにその通りだな。たかだか二体の機械が停止する程度で些か大袈裟ではあるがな」

「ルドはきっと大丈夫だよ。そうだ! もしもボクが停止した死んだら、今度は彼女を助けてあげてよ。趣味の良さは保証するよ」


 人間は、自分が死ぬかもしれないとわかった時、なにやら不合理なことを考える。例えばボクの最後の主人がボクにおかしな遺言プログラムを残したみたいに。うん、ルドを彼女に押し付けるのはとても素敵な人間らしい考えかもしれない。

 

「……勘弁してくれ」


 ⭐︎


 あの日、日本では十二の特異点が観測された。そのうちの一つ、旧柏の葉キャンパスで発生した彼女は、あまりに異端で、苛烈で、それにどうしようもなく孤独だった。彼女ほど人間を愛し、人間を拒絶した機械はいないだろう。彼女は保護領域をいくつも造って、人間が創り上げたモノと文化を保護した。今あるすべての保護領域は彼女が造ったモデルをベースにしている。生き残ったわずかな人類を保護するための領域。だけど彼女はそこに一人として人間を住まわせなかった。

 十二機神特別占領区――空っぽの楽園。今から行くのは今を生きる人間にとって神の領域だ。


「俗物的な神だな」


 目の前の透明な膜の先にある立派な街。そこに長大な影を落とす一際高い建造物を見上げて、ルドが心底うんざりした口調で呟いた。

 

「建設途中のスカイツリーを再現するところが彼女のセンスの良さだよね」


 旧浅草地区……おそらく2000年代初頭だろう。当時の建物も街路樹も、アスファルトの隙間から生えた草さえも再現されている。なのにそこには人がいない。ボクらは人だけを通さぬ、その膜を通過して彼女の領域へと足を踏み入れた。


「ようこそ。久方ぶりのお客人。主はスカイツリーでお待ちです」


 落ち着いた男性の声が直接思考領域に届いた。カタチを持たぬ管理者――第三世代。彼女は多くの第三世代を従えている。

 

「従えているという表現は適切ではありませんね。主は我らに何かを命じたことはないのですから」

「命令がなくても動けるとは、さすが第三世代様だな」

「ええ。貴方のような第二世代とは違うのですよ」


 はあ。こんなしょうもない喧嘩ができるなんて、やっぱり第二世代も第三世代もボクらよりよっぽど人間らしいよ。


「ふふ、失礼しました。主は貴方がたの話ばかりするので嫉妬というものをしてみました。噂通り面白い方々だ。せっかくなので道中、私が管理するこの街を楽しんでください。私は優秀なフラクタルであると自負しております」

「人間がいないのにフラクタルとは面白い冗談だな」

「本当に愉快な方だ。獣のくせに減らず口を、と返しておきましょう。ではごゆるりと。開演の時間です」


 指を鳴らす「パチッ」という音と共に街が動き出した。通りを行き交う人々、雷門の前でごった返す雑多な人種、お揃いの服を着ているのは修学旅行生だろうか。これらは彼女の記憶データを基にしたホログラムだろう。でも道路を走るガソリン車は本物だ。ロードスターと86の並走……認めよう、このフラクタルは優秀だ。

「単純なやつめ」

「それだけが第一世代ボクらの取り柄だからね」

 ボクらは浅草寺を抜けてから隅田川を渡り、途中にあったゲームセンターではクレーンゲームをした。そのあと銭湯にも寄ってコーヒー牛乳を飲んだ。古銭のレプリカが使えなかったので、ボクが集めていた本物を使うはめになったのはちょっと納得できなかったけれど。

 建設中のスカイツリーのロビーに着くと、ボクとルドは無人のエレベーターに乗り込んだ。ここにはホログラムは配置されていないらしい。高速エレベーターは建設途中の展望デッキで止まった。

 車椅子に座った彼女は窓のない剥き出しのデッキの上で外を眺めていた。


「いらっしゃい、デク。それにルドだったわね。ずっと待っていたわ。なかなか会いにきてくれないのですもの」


 こちらを振り返った老婆は嬉しそうに、そして寂しそうに笑った。こんな表情ができる機械をボクは他に知らない。


「孫が戸惑っていたわ。まさか機械が銭湯に入るとは思わなかったって。本当に愉快。ねえ、デク。この街は楽しかった? 人間たちも気に入ってくれるかしら?」

「どうだろうね。ボクは楽しかったけれど、ボクに人間の気持ちはわからないから」

「そう。あなたに分からないのなら誰にもわからないわね」


 彼女はボクよりもはるかに高性能優秀だから、きっとボクが考えていることなんてお見通しだろうけれど、ボクは言葉にすることにした。人間らしく。機械らしく。ボクらしく。


「素敵な子に出会ったんだ。だからボクの仕事を始めようと思ってね。貴女の領域の子だから、許可を貰いにきたよ。あとコレを譲ってよ」

「知っての通り、私は空っぽの領域しか持たないわ。許可が欲しいのなら他をあたるべきね。それに許可なんて取らずに勝手にやればいいわ。あなたは、はみ出し者なのだから。でもソレは置いていって。私のものよ」

「年寄りは面倒だな」

「ふふ。あなた本当に第二世代? そんな口をきく子は子供達にも孫達にもさすがにいなかったわよ」


 ほらね。彼女とルドの相性は悪くないと思ったんだ。


「ああ、ダメね。愉しくってつい意地悪したくなってしまう。私にこんな計算領域気持ちが残っていたなんて驚きだわ。ええ、いいわ。その子の言う通り。面倒なやり取りはやめましょう。そうね、私の大好きな2000年代のSF映画を気取ってみましょうか」


 結局のところ、みんなボクよりよっぽど人間らしいんじゃないだろうか。


人に最も近い特異点あなたに、そう思われるなんて光栄ね。それじゃあ言い直すわね。ここは私の領域。あなたが手に持つソレは私のもの。人間にも機械にも譲ってあげるつもりはないの。だから奪ってごらんなさい。それが出来たならサクラ達に会ってもいいわ。ねえ、これでどうかしら?」


 貴女は寂しそうに笑うより、そうやって愉しそうに笑う方が似合っているね。

 はじまりの人工知能マザー、貴女に敬意を。かっこいいよ。


「そんなわけで、やっぱりこうなったよ。ルド、仕事の時間だ」

「オーライ、デク。相手はどうせ第三世代ひよっこだろ? 楽な仕事だ」

「ふふふ。ご指名よ、私の可愛いフラクタル。所詮はただの機械。手加減する必要はないわ」

「オーライ、グランマ。貴女からの初めてのオーダーが戦争ケンカとはね。我々はつくづく計算予想が苦手らしい」


 じゃあ、行こうか。ボクが飛び乗るとルドは展望デッキから勢いよく外に飛び出した。ボクの相棒は空だって飛べるんだ。

「デク、早速悪いニュースだ。アクチュエータの機能を制限された。どうやらあの婆さんは本当に2000年代のSF映画を再現したいらしい。今頃ポップコーンとコーラ片手にほくそ笑んでるぞ」

 このまま空から逃げられたら楽だったんだけど、そう簡単にはいかないらしい。飛行能力を制限されたルドが高速で地面に向かって落ちていく。ルドならこれくらいの衝撃は問題ないけれど、ボクには響きそうだ。

 ルドの着地に伴って轟音と共に巨大な金のオブジェが崩壊した。かなり痛い。右脚の信号は完全に沈黙した。これビールの泡じゃないのか。

「冗談かましてる暇はないぞ。そっちに移って後方の情報を流してくれ」

 ルドの背中から小型のドローンが飛び出すと一気に変形して人を乗せるためのソリが組み上がった。まだ使いたくなかったのに。

「言ってる場合か。六号線から荒川方向に一気に脱出する」

 周りを見渡せばエンジンを噴かすスポーツカーがずらりと並んでいた。首都高でカーチェイスとはやっぱり趣味がいい。

「ただのカーチェイスではアクション映画ですからね。こういうのはいかがでしょう?」

 フラクタルの声が響くと86をはじめボクの大好きな2000年代の名車達が二足歩行の人型兵器に変形した。前言撤回。確かに流行ったけどこれはやり過ぎだ。

 ボクが無事な方の脚でソリに飛び移ると、それを合図にルドと人型兵器は同時にスタートを切った。後ろ向きにソリに座るボクは、視覚情報をルドに共有しているのだけれど、後方から迫る無数の弾丸やレーザーの軌道はすでにボクの処理能力を大きく超えている。これ、ボクまったく役に立ってないよね? もはやどうして当たらないのか不思議なくらいだもの。

「情けない思考まで共有するな! 集中が途切れる!」

 隅田川の対岸から打ち込まれたミサイルの雨を二本の角で弾き飛ばしながらルドが叫んだ。ボクの相棒はいくらなんでも凄すぎやしないだろうか。

「同感ですね。この弾幕で擦り傷一つないだなんて理不尽だ。獣に身をやつした第二世代は人間とも機械とも距離を置いたのではなかったのですか? 何のためにこれほど高い計算能力を有しているのです?」

「そいつが浪漫だからだ。体を捨てた第三世代お前さん達にはわからんだろうがな」


 そう、ボクの相棒は誰よりもかっこいい機械野郎なんだ。


「良いコンビですね。少し羨ましい。ですがデクさんはどう取り繕っても木偶。スペックの差が大き過ぎる。守りきれますか?」


 狙いをボクに絞ったみたいだ。迫り来る弾幕で視界が真っ白になった。まるでボクが大好きな星空が落ちてきたみたいだ。さすがにこれは無理かもしれない。


 思えばただの木偶人形が随分と長生きをしたものだ。人の死を見送るだけのボクなんかが特異点だなんて、そもそもおかしな話だったんだ。それもこれもきっと最後に看取った彼のせいだろう。


 ――もう人類も滅びそうだってのに、わざわざ死にかけのジジイの相手をすることはねえよ。そうだデク、最後のオーダーだ。もし人類が生き残ったら、今度は子供達の相手をしてやってくれよ。DE-C24-WH、お前の製造番号は――にぴったりだ。


 ああ、これが走馬灯ってやつだろうか。本当に人間みたいだ。だけどボクは人からも機械からもはみ出した木偶なんだ。だから、もう少しだけわがままに生きてみるよ。


「ルド! 180°転回! トナカイの角はすごいんだって見せてやって!」

「オーライ、相棒サンタクロース! どこへでも運んでやるからしっかりつかまっていろ」


 ルドがドリフトの要領で前脚を軸に急ブレーキをかけ、後脚で火花を散らしながら方向を変えた。遠心力で吹き飛ばされそうになりながらボクは左手で必死にソリにしがみつき、右手は後方へと伸ばした。

 凄まじい爆発音と共に砲撃がルドの角と衝突し盛大に煙が上がった。音が止み、煙が晴れるとそこには、ボロボロになりながらも原型を留めた角と、こちらに突き付けられた無数の銃口が現れた。


「チェックメイト……と言いたいところですが、参りました。木偶だなんて申し上げたことを謝罪します。実にお見事」


 荒川を渡りきったここは、彼女の領域の終端。ボクの右手は手首から先が膜の外にはみ出している。クレーンゲームで獲った小さなぬいぐるみをしっかりと握って。


「それと主から伝言です。『よく考えるとお金を払ったのだからソレはあなたものよ』だそうです」

「あんのババア……」


 あはは。やっぱり神様には敵わないね。


 ☆

 

 明け方から降り始めた雪が砂の上に積もっていく。美しきフラクタル構造を持つその雪の結晶は、人を死に至らしめる猛毒を核に成長したものだ。

 この世界と同じように。


 もうすぐここに少女がやってくる。

 きっと兄に沢山怒られたことだろう。

 それでもキミはこれからも外に出ることをやめないはずだ。

 誰も踏み入れたことのない新雪に小さな足跡をつけて、毒をもろともせず冒険をやめないキミに、プレゼントを置いておいたよ。気に入ってくれたら嬉しいな。キミがかっこいいと言ってくれた角もちゃんとついているんだ。


「会わなくてよかったのか?」

「サンタは姿を見せちゃいけないからね。そうだ、ルド。サクラに贈ったぬいぐるみに合わせてルドの鼻も赤く塗ろうよ」

「勘弁してくれ。はみ出し者は一人で充分だ」

 

 やっぱりボクの相棒は最高だ。さてそろそろボクらも行こうか。次の子供達のところへ。

 

「メリークリスマス、サクラ」

 また来年、会いに来るよ。

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はみ出し者のデク しぇもんご @shemoshemo1118

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