第9話 同好の士

 ぬるりと背の高い女だった。


 目が細く、扉をくぐる動きなどが、なんとなくおかしい。

 関節がぐねぐねしているというのか、骨の存在を感じ取れないというのか。一見してバランスが悪いようにも見えるものの、宗田そうだ千尋ちひろの見立てでは、こういう評価になる。


(厄介そうな女だ)


 もちろん、剣の腕前の話。千尋の思考はすでに、あの女との殺し合いに至っている。


 以前斬り結び、敗北した乖離かいりなどは、前世の男と比較しても比肩しうる立派な体格をしていた。

 目の前の女も、背は高い。だが、その高さはせいぜいが五尺150cm五寸15cmを足した程度。『女性にしては長身』に留まる。


 一方で千尋の側はその上背うわぜいが五尺もない。身長差、間合い差、筋力量差はどう考えても向こうが上だった。


 そして、あの動き。


(関節が柔らかい。女の体・・・だ)


 前世でもそうだったが、この世界でも、関節の可動域は男性より女性の方が広い。

 もちろん男でも鍛錬によってある程度の柔軟性を身に着けることはできた。だが、同じぐらいの鍛錬を積むと、どうしても女性の方が最終的に柔らかさで上回る。


 関節が柔らかいとどういう利点があるか?


 まず、可動域が広くなる。可動域が広いということは、威力と速度が上がるということだ。

 さらに剣の自在度が上がる。並大抵の者が体の故障覚悟で振らねばならない剣筋を、悠々と振ってくる。それゆえに剣の軌道を読むのが難しくなる。

 

 そして、女の持っている──否、背負っている、刀。


 女の身の丈を上回る長さに、女の背をすっぽり隠してしまう身幅の太さ。

 鞘込めされているが、それでもわかる分厚さ。

 切れ味の方も悪いという雰囲気はない。こればかりは実際に抜いて刃を見せてもらわないと断言はできないが、斬れる刃となまくらだと、鞘に納まっていてもなんとなく雰囲気に違いが出る。百戦錬磨の千尋が見るに、あれは『斬れる刃』に見えた。


 女は、語る。


「あらぁ、十子とおこさん、どないしたの、お客さん?」


 女の細い目が千尋を捉えた。

 なんとも言えぬ怖気立つような視線。どこか、爬虫類めいた無機質さを感じる。


(観察されている)


 剣を嗜む者の癖として、そこにいる者の力量をとりあえず測ってしまうというのがある。

 女から千尋に向けられる視線はそういうものだった。だが、それだけではなかった。


(殺人者の目だ。『人を斬る』という行為に快楽を見出す者の目……『こいつは斬ったらどういう感触なんだろう』というのを見る目だ)


 なるほど、十子が『厄介なお客さん』と言う理由がわかった。


 この女、斬るために斬る類の刀使いであろう。


 もしも十子が風聞通りの『気に入った者に妖刀を打って殺し合いの螺旋らせんに引きずり込むのを趣味とする刀匠』であれば、こういった女こそが上客なのだろうが……

 やはり、十子は風聞とは違う。彼女は殺人に狂った刀鍛冶ではないのだろう。


 しばらく女は千尋をながめていたが──


 フッと不意に視線を外した。


 ぬるりと背の高い女は、十子に近付いて行く。


「十子さん、ええ加減、ボクの刀を打ってくれへんか?」

「てめぇの背中に、もうあたしの刀があるだろうが。勝手に銘までつける気に入りっぷりじゃあねぇのかよ」

「ああ、こいつ?」女は背負った剣に視線をやった。「『風車かざぐるま』はなあ、確かに気に入っとるんよ? でもなあ、今のボクには、もう軽くてかなわんわ。もっと重い、ボクのための刀を、打ってほしいんよ」


 あの異形刀、その銘を風車と称するらしい。

 馬鹿みたいな長さの、馬鹿みたいな太さの、馬鹿みたいな厚さの刀にしては、やけに涼やかで軽い名前だ。

 その馬鹿みたいな巨大刀をして『もう軽くてかなわない』。……見た目上、ぬるりと背が高いあの女は、細身だ。骨が細い。肉が細い。あんな巨大刀、そもそも持ち上げることさえできない体格に見える。

 だが、強がりでもなんでもなく、実際に『軽い』のだろう。

 それこそが、女だけが許された妖魔鬼神の力──神力しんりきと呼ばれるものの力である。


 十子は「ふん」と鼻を鳴らし、腕を組む。


「何度乞われても変わらねぇよ。最初に言っただろうが。──快楽殺人者に打つ刀はねぇ」


 十子の橙色の視線が、強く相手を射貫く。


 しかし、ぬるりと背の高い女は、視線にさえも柔軟に対応してみせた。


「うーん、でもなぁ。人斬りは、人斬りやろ? 理由が快楽か、使命か、それとも仕方なくか。お題目で剣の切れ味は変わらへんよ」

「てめぇが刀そのものなら、その言い訳も通ったろうよ。だが、てめぇは人だ。武器で人を殺す罪は使い手が負うもんだろうが。その使い手が無責任なのが許せねぇっつってんだよ」

「責任ねぇ。ボクにはようわからん話やわ。そしたら、キミはなんで殺人刀を打ってはるの? 正義の味方ごっこがしたいなら、人殺しの道具なんか打ったらあかんよ」

「ああ、まったくその通りだ。だから、あたしは責任をとるために刀を打ってんだよ。あたしのせいで人斬りに魅入られた化け物を殺す刀をずっと探してる」

「ふうん。ま、ええわ。で? ボクの刀は打ってくれひんの?」

「先客がいる」

「ああ……」


 そこで、女の細い目が千尋に戻った。


 女は千尋を見たまま、十子に言葉をかける。


「酷いわぁ。ボクには打ってくれへんのに、あちらさんの刀は打つつもりなん?」

「そのつもりだ」

「へぇ」

「……なんだよ」

「いやァ……これ、言ったってもええんかなぁ。あんなぁ、十子さん」


 目の細い女が、肩を揺らして笑う。


「そこの子、ボクなんかよりずっとずっと、人を斬っとるよ」


 千尋は、笑う。


(この体に生まれ変わって、まだ一人も斬っていない)


 道中、旅の中で乱暴な目に遭うこともあった。

 当然、対応もした。

 だが、斬っていない。正しくは、誰一人として斬り殺すことができていない。


 男の振るう、神力の宿らぬ刃では、女の肉に突き刺さっても、女の命に届かないのだ。

 神力のこもったなまくらと、神力のこもっていない業物わざものでは、圧倒的に前者が強い・・・・・

 それがこの『神力』というものが実在する世界のことわりであった。


 だというのに、あの女は千尋が殺人者であると見抜いた。

 すなわち……


(返り血はこころにこびりつくもの、か)


 前世の雰囲気を見られた、ということ。


 相手の力量、経験、すなわち殺人遍歴・・・・を見抜く眼力。

 間違いない。疑いようもなく、手練れ。


 千尋が笑う。

 女も、笑っていた。


「ほれ見ぃ。人殺しの数限りなし、殺し合いが大好きって目ぇしとるわ。……ああ、たまらんなぁ。あんなカワイイ顔されたら、なぁ? ……ねぇキミ、名前、聞いてもええか?」


「宗田千尋」


「なんや、男の子か」


 千尋の知らぬこの世界の常識であるが、この世界、苗字を名乗っていい身分が限られている。

 天女教の上級神官、各領地を治める領主とその一党、あとは十子のようにかつて天女教の天女より苗字を賜った一族。


 そして、男。


 そもそも千尋を外に出すつもりがなかった故郷も、旅の中で千尋に会った者も、『この世界で平民にして苗字を名乗ることが許されているのは男だけだよ』だなんて常識はいちいち教えてくれない。

 むしろ、男が自己紹介で『男です』と名乗るも同然のこの常識の欠落、女からすれば歓迎こそすれ咎めるものではない。

 ゆえに、千尋は『平民のなりで苗字を名乗るのは、男だと告白しているも同然だ』という常識を知らずにここまで来た。


 そう、常識だ。

 苗字を名乗るのは、一部の偉い者か、男。

 どちらもこの世界において刃を向ける相手ではない。常識が、倫理が、社会が、許さない。


 だが……


「千尋くん、キミ、人を斬るの好きやろ?」

「さて、人斬りそのものを好いているつもりはないが」

「ええよ、ええよ、隠さんでも。あんな、こっそり教えたる」


 女が、背中の刀を抜く。

 ゆっくり、ゆっくり、片腕で、身の丈より長く、体より太く、鎚のように分厚い刃が抜かれていく。

 異常な肩と肘、手首の稼働によりぐにゃりと抜刀された鈍い輝きの刃物を大上段に構えながら……


「ボクはな、人を斬るのが好きやねん。スイ。これ、ボクの名前な。冥途の土産に覚えたって?」


 目の細い女が、凶悪に笑む。


 殺人行為に移るまで一瞬の逡巡もない。

 会話や食事と同列に『人殺し』という選択肢がある、人を斬ることが身に着いた魔性。


 その凄味のある笑みを向けられて……


 千尋もまた、笑みを止めることができなかった。

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2024年12月12日 11:00
2024年12月12日 18:00
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貞操観念あべこべ世界女装男子剣豪譚 稲荷竜 @Ryu_Inari

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