第8話 鍛冶師・十子

 とんてん、鉄を打つ音が鳴り響く。


 宗田そうだ千尋ちひろは音と熱気の中で、汗を流して鋼を打つ女を見た。


 話によれば、あの女こそが当代岩斬いわきり天野あまのの里の十子とおこ


 伝統ある天野の里の、岩斬の名を継ぐ当代随一の刀鍛冶。

 しかし変わり者で、人里離れた場所に一人でいおりを構えてひたすら鋼を打ち、所持した者を殺し合いの螺旋らせんへといざなう、異形の刀ばかり打つという。


 噂から判断する十子は、狂った女であった。


 殺人のための刀を打ち、その可能性を探求するのに余念のない、何かに憑かれたような者。

 その探求の果てに人の命がどうなろうとも興味など示さない、気の触れた狂気の刀鍛冶。


 だが、今、そこで鋼を打つ女は、噂とは違っていた。


 苦しんでいる。

 悩んでいる。


 噂話から千尋が想像した十子は、もっと楽しそうに刀を打つ女だった。

 だが、実際の十子はどう見ても苦痛を覚えている。刀を打つことなんかしたくない、つちのひと振りごとに己の腹でも打つかのように苦悶の唸りを上げ、熱気のせいでかいている汗は痛みに耐えかねてこぼれる脂汗のように見えた。


 背は低い。

 この世界の女は大きい──というより、背丈は千尋が以前までいた世界とそう変わらないのだが、男が華奢で小さいので、対比すると大きく見える。

 だが、十子は今の千尋から見ても小さかった。小さく、職人特有の分厚さがある。


 さらしだけ巻いた上半身、ゆったりとふくらんだ足首あたりを紐で閉じた袴。

 丈夫そうななめし革の前掛けをかけ、左手にヤットコ、右手に鎚を持ち、火花を上げながら鋼を叩き続けている。


 金床の上で赤熱した鋼は引き延ばされている最中で、これからどのような形になるのか、千尋からはわからない。

 だが十子の動きには『確信』があった。恐らく熱する前の鋼を見た段階で、彼女には完成形が見えているのだろう。


「剣を打っていただきたいのですが!」


 鋼を打つ音に負けぬよう、千尋は叫んだ。

 だが、十子は見向きもしない。『出ていけ』と怒鳴ることもなければ、邪魔そうにこちらを一瞥するようなこともない。ただ一心に鋼を叩き続けていた。


 途切れぬ音の中、千尋はさらに、叫んだ。


「女を斬る剣を、所望したい!」


 音が、止まった。


 十子はそこでようやく、千尋の方へ視線を向けた。


 値踏みするような視線。

 この世界の女たちが『男』に向けるものとは少し違う視線だ。


 その視線に促されているように感じて、千尋は言葉を続けた。


「斬りたい女がおります。連れ去られた弟を取り戻すために」


 鍛冶師十子の視線はまだ先を問いかけている。

 赤熱した鋼の色が宿っただいだい色の目は、千尋の内心を見通すようだった。


 千尋は、無言のままの十子の目から、こう問われているように感じた。


『そうじゃねえだろ』

『そんな大義名分は聞いてない』

『お前が刀を求める本当の理由を、聴かせろ』


 耳触りのいいお題目で、この鍛冶師を説得することは不可能だ。

 千尋は覚悟を決めて、息を吸い込み、口を開いた。


「斬りたい理由があります。この世界で、私の剣が最強であると証明したい」


 かん、と最後に一つ打って……

 刀鍛冶の十子は、赤熱し、成形を待つ鋼から完全に視線を切り、作業を止めて千尋へと向き直った。


「面白れぇ。お前の剣を打ってやる」


 口調は職人特有の荒っぽさがある。

 だが、声は高く、甘く……乾きによってかすれてはいたけれど、確かに年若い少女のものだった。


 鍛冶師十子は、橙色の目で千尋を見て、同じ色の癖毛をまとめていた紐を解き、こう述べた。


「斬りたい女のことを教えろ。男のお前が・・・・・女を斬りたがる。その事情に興味がある」



 千尋は自分が遭った憂き目について語った。


 金床の横、未だ高い温度を維持する炉のそば、床にどっかりと腰掛けての身の上話だ。

 千尋の目の前には、欠けた陶器に入れられた水が一杯あった。同様の物は鍛冶師十子の目の前にもあり、先ほどまで鍛冶をしていた彼女の器はとうに空になっていた。


 長い話をするつもりはなかった。


 だが、十子が細かく細かく事情を求めたので、結果として思い出せる限り詳細に語ることになり、千尋が身の上と、村を出て鍛冶師を求めてしていた旅の模様を語り終えるころには、赤熱していた鋼が冷め、なんらかの刀になるはずだったそれは、何でもない黒い金属屑へと変わり果てていた。


 ひとしきり話を聞いて、十子は──


 笑っていた。


「……くくく……そうか、そうか。……いるのかもなぁ、『刀の神様』ってやつぁ」


 千尋にはその笑いの意味がわからない。

 どういう意味で笑ったのかをたずねようとしたところで、十子の視線が千尋を射貫く。


 この刀鍛冶、小柄でまるまるした体型をし、かわいらしい声をしているが……

 視線が強い。その殺意と呼びたくなる何かを秘めた目を、千尋はとても好ましく思った。


「いいぜ、宗田千尋──お前の剣を打つ。お前が乖離かいりを殺すってんなら、そのお前のために剣を打つのは、あたしの使命なんだろう」

「……乖離と何か、関係が?」

「まぁな。隠すほどのモンでもねぇ。あたしは乖離に刀を打った……いや、乖離を・・・打った・・・。だから、あいつをぶち壊さなきゃならん。そういう関係さ」


 その表現は端的すぎて、裏になんらかのもっと複雑な話があるのだろうと千尋に想像させた。

 鍛冶師十子と乖離との関係性について興味はあるが、それ以上に千尋の興味を惹くものは、もちろん……


「俺に、どのような刀を打っていただけるのか」

「……さぁて、そいつをあたしも探してるところさ。乖離はあたしの最高傑作だ。あれをぶち壊すとなりゃあ、並大抵じゃあいけない。が、具体的にどうするかってのが、数年かけても出て来やしねぇ。そこで、お前だ」

「……」

「お前の来訪で、運命が動く……と、思うことにした。手詰まりでな。そうとでも思わなきゃやってられん。が、あたしはお前の実力がわからん。そこで……」


 そこで。


 千尋が立ち上がり、ほぼ同時、いおりの扉が開かれる。


 来客だ。

 しかも、剣呑な気配を振りまく、恐らくは招かれざる来客だ。


 来客は……


「こぉんにちはぁ。十子さん、いらはる? ボクの刀を打って欲しいんやけど」


 ぬるりと背が高い、糸目の女。


 そいつを見る千尋の後ろから、声がかけられる。


「最近よくお越しの『厄介なお客さん』がいてな。お前、そいつをあしらってみろ。それで実力を見てやるよ」


 ──実力を示せ、と刀鍛冶は言う。


 千尋は、笑っていた。


 男であるというだけで力を示す機会さえ与えてもらえない日々があったから。

 それに……


『厄介なお客さん』。


 間違いなく手練れの剣士。

 それを相手に実力を示していい──戦っていい。


 剣士同士の戦いとは、紛れもなく殺し合いである。


 その予感に、千尋は笑った。

 どうしようもなく、笑顔を堪えることができなかったのだ。

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