第3話 

 ジークは翌朝嫌な夢を見て目を覚ました。

 まだジークが昨晩の若者たちよりもずっと若かったころの夢だ。

 自分に自信があって、周りにそれを尊重してくれる優しい大人たちがいて、ともにどこまでも歩んでいけると信じて切っていた頃の自分の夢だ。

 概ね平和な夢であったし、目が覚める直前までジークは幸せに過ごしていた。

 だからこそ余計に、目を覚ました時の気分は最悪だったけれど。

 ジークはあの夢の続きがろくでもないことになると知っている。

 すべてをぶち壊した自分が、いまだに夢に出るくらいのあの頃の幸せな日常を求めているのだと考えると、いつもよりも余分に自分のことが嫌いになった。


 ベッドの上に胡坐をかいて、なんであんな夢を見てしまったのだろうと、部屋を見回しながら考える。

 四畳半程度の部屋にはベッドとささやかなサイドボードがあるくらいだ。

 窓は小さいものが一つ。

 隙間風と一緒に朝日が差し込んでくる部屋は格安で、見ているだけなら風情があるが、住むには少々お粗末すぎる。ちょっと体が弱った老人なんかが冬に一晩過ごそうものなら、そのままご臨終しかねない。

 そんな安宿に長く暮らしているジークは、なぜか雨漏りだけはしない天井を睨みながらしばし考えて、「あぁ」と声を漏らして納得した。

 昨晩であった少女に既視感があると思っていたら、かつてジークに優しくしてくれた大人たちによく似た人がいたのだ。

 どうやらそこから連想して嫌な夢を見てしまったのだと気づいたジークは、できればもうあの少女には会いたくないなという結論を出してベッドから立ち上がった。


「今朝も寒いな」


 ジークは白い息とともに言葉を吐き出して、ズボンにベルトを通す。

 ジークがこんな場所で寝泊まりできるのは、冬用の外着を着たまま休んでいるからだ。塔の中は不思議なことに、上階へ行くほどわけのわからない環境に放り込まれることがあるので、その辺りの防寒対策は普段からしっかりしている。

 準備ともいえないような準備を終えると、床に放り投げてあったごみと紙一重の見た目をしている荷物を拾い、よく軋む扉を押し開けて廊下へ出ていく。鍵なんて気の利いたものはないけれど、代わりにこんな安宿に押し込み強盗する馬鹿もいない。

 ある意味セキュリティはしっかりしているのかもしれない。

 無人のロビーを通り抜けて外へ出ると、宿の主人が枯葉を掃いて集めたものに火をつけていた。こんな乾燥した日に、木造建築の横でよくやるものである。


「宿まで燃やすなよ」


 ジークが渋面を作って声をかけると、振り返った宿の主人は同じく仏頂面で答える。


「ぼろい建物がなきゃ、もうちょっと土地が高く売れるかもしれん」

「周りに燃え移ってつるし首になるぞ」

「燃え移る前にぼろ屋が崩れて無くなるさ」


 長い付き合いだ。

 互いに渋い顔をしながらもしょうもない会話を楽しんでいる。

 二人そろってふんと鼻を鳴らして笑ったところで、ジークはその場を離れた。

 確かにこの宿の立地は悪くないのだ。

 少々奥まったところにあるが、大通りからそれほど遠くない。

 ただし壊したところで新たに宿として立て直すほどの広さはないから、あのぼろ屋が崩れたらそこまでの宿営業だろう。

 

 ジークは適当に街をぶらつき、塔で過ごすために必要な備品を買い足していく。

 塔の中でも肉は手に入ることがあるが、臭み消しやら調味料やらは準備しておいた方がいい。

 食べられるものがないことだってあるので、そんな場所に長くとどまらなければならなくなった時のことを考えれば、保存食だって用意しておきたい。

 ジークは塔に入ることに関してはいつだって真剣だ。

 

 街には人通りが多い。

 避けなくても勝手に道は開けていくけれど、一応ぶつかりそうになれば避けようという気持ちは持っている。

 昼頃まで買い物を続けたジークは、外で満足いくまで食事をとって、何の気なしにギルドへ向かう。ちなみに昼食のお代は宿代よりもよっぽど高い。


 ジークは街にいる間のほとんどの時間をギルドで過ごしている。

 ではギルドが大好きな勤勉な人間かと言うとそうではなく、ただ友人も恋人もいないので、時間を潰す場所が他にないだけである。博打もしなければ女も買わない。この見てくれで酒すら飲まないのだから、そりゃあ時間の潰しようもない。

 ジークの実情を知る人間がいたら、何が楽しくて生きてるんだと聞くことだろう。  

 実際顔を合わすたびに小言をぶつけてくる稀有な人間もいるにはいる。


 ジークがギルドに足を踏み入れるとしばらく場がざわつくが、端に置いてある椅子に腰を下ろして黙っていればやがて収まる。ギルドには次々と新しい話題が飛び込んでくるので、いつまでもジークばかりにかかずらっている暇はないのだ。

 あまりに存在感を消して待機しているので、時折近くを通りかかった新人なんかがぎょっとした顔をして離れていくけれど、特に害はないので後で笑い話になるくらいだ。


 目を閉じて耳を傾けているジークの耳には様々な噂が飛び込んでくる。

 その中から昨晩のものらしいものを情報として集めていく。

 どうやら彼らは今日の午前中に、あの少女と一緒にギルドへやって来たらしい。

 意気消沈した様子で、不満そうでありながらも、五十階への挑戦は後回しにすると言っていたようだ。

 ジークから見て彼らはもう少し四十階で頑張れば、五十階へ行っても仲間を失うようなことなくやっていけるはずだ。感謝してほしくてやっているわけではないので、その事実が知れただけでジークは満足である。


 続けて噂を聞いていると、昨晩の少女の噂が色々と飛び交っていることに気が付いた。

 どうやら別の街からやってきた探索者らしく、ギルドのお偉いさんと面会しているらしい。来て早々のVIP待遇ということは、その街では余程実力のある探索者であったことがうかがえた。

 これはあまり知られていないことだが、塔の七十階より上へ行くと、出てくる敵が特殊になってくる。どこかの塔でいくら高層階になれていようと、新しい塔に挑戦する場合は、初めてくらいの気持ちで準備していかないと足をすくわれることになる。

 五十階層あたりの探索者は、仲間を失って他の街で再チャレンジすることはよくあるのだが、高層階に登る探索者が他の街へ移動するのは珍しい。

 そんな探索者には何か明確な目的があると決まっている。

 

 昔の仲間に似た少女が何を目的にやってきたのか少しだけ気になったジークは、眉間の皺を一層深くして立ち上がりギルドを後にすることにした。

 このままギルドで噂を集めていると、今日の夜もまた嫌な夢を見てしまいそうだ。

 お腹いっぱい食事をして、早めに休み、目が覚め次第塔へ行って、少女のことを忘れてしまおうと思ったのだ。


「ジーク、時間をくれ」


 立ち上がって受付の前を通過したところで、珍しくジークを呼び止める者がいた。

 地を這うように低く、地獄の番人のようにガラガラとした声の持ち主は、高身長のジークよりもさらに頭一つ大きな男だった。

 顎が長く大きく、眉は力強く太く、ジークとはまた違った強面をしている。

 赤に白髪が混ざった髪の毛は、後ろで一つに束ねられていて、わざわざその大きく怖い顔面の全てを晒している。

 もちろんこれはわざとだ。

 副ギルド長をしているウームというこの男は、実力と強面を全力で前に押し出し、癖の強い探索者たちの統括に役立てている。


「用は何だよ」

「ここで言えることなら言っている。いいから来い」


 街の塔に入っている以上、その管理を任されているギルドのお偉方に逆らうのは賢くない。いざとなれば別の街へ行けばいい話なのだが、この街と塔に愛着がないでもない。

 互いにぴりついているわけでもないのに、勝手に周りが緊張をはらんでいるのを確認して、ジークは短く「分かった」と返事をして、ウームの後に続くことにしたのだった。


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2024年12月13日 00:00

九つの塔。救世の勇者。おまけに悪役面おじさん。 嶋野夕陽 @simanokogomizu

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