第2話

 怒りに燃える若者たちも、流石に街で人間相手に武器を使うほど理性を失っていなかったらしい。もちろん、劣勢なはずのジークが、一切武器に手をかけるようなそぶりを見せなかったおかげでもあるねだが。

 若者たちは、素手のままじりじりと囲むような陣形に移行して、一斉にジークへ襲い掛かる。

 酔っぱらっていてかつ、相談もない状態でそれだけのことが出来るのだから、なるほど連携は取れているし冷静な判断力もあるのだろう。

 しかしジークは知っている。

 塔の上層階は、それだけでは生き残れない世界だ。

 五十階層を越える場所では、これまでの階層で彷徨っていたいたような一匹狼のボス級モンスターが、徒党を組んで襲ってくる。

 余裕をもって1対1をする環境を作ることが出来る四十階層で十分に鍛えて、自信をもって勝利できるようになってから臨むべき場所なのだ。


「俺に負けたらまだしばらく四十階層で鍛えるんだぞ」


 夜風にあたって酔いも幾分か冷めていた若者たちだったが、うだつの上がらない(ように見える)おっさんの一言が再び怒りの火を燃え上がらせた。人の目がないところに来てなお、謝るどころか主張を貫き通してきたことに、馬鹿にされていると感じたのだ。


 喧嘩は静かに始まった。

 戦い慣れている者は、わざわざ挙動の始まりを知らせるような雄たけびを上げたりしない。

 ほぼ同じタイミングで襲い掛かってきた若者に対して、ジークは同じように前へ飛び出した。

 多対一というのは、全員を一斉に相手どろうとするから面倒なのだ。

 面食らった正面の若者が慌てて前蹴りを繰り出してきたところで、足を掴みがっちりとホールド。そのまま右回しに振り回して一人を怯ませ、ぐるりと回ったところで後方の若者に投げつける。

 すると次にジークに接敵するのは左からやってきた若者だ。

 動揺からか大きく振りかぶられた拳をくぐり、顎に鋭い一撃。倒れたところで振り返り、不意をつこうと他の若者にも同様の一撃。

 投げつけられた若者と受け止めた若者がようやく手をついて立ち上がろうとしたところに駆け寄り、同じく脳を揺さぶるような蹴りを一発でノックアウト。

 何とか体制を立て直した最後の一人の拳を左手で受け止め、空いた右手による掌底で、ジークはこれまたきれいに相手の意識を刈り取った。


 終わってみれば一瞬の戦い。

 四人が地面に倒れているのを見て、また恨まれるのだろうなと思いつつ、ジークは手際よく若者たちを引きずって道の端に並べていく。

 一応手加減してあるから、後遺症が残るようなことはないはずだ。

 今夜は風が冷たい。風邪を引いては良くないから、どれ、どこかでぼろきれでも調達してかけてやろうか、などと思いながら三人目を運んでいたところで、路地の向こうに人影が現れた。


「あなた、何してるんですか?」


 少年を思わせるような低めの静かな女性の声。

 月明かりを背中に受けて姿を現したのは、金色の髪を長く伸ばした凛々しい顔の少女だった。

 背中には剣を背負っており、戦いを生業にしているのだと一目でわかる。

 やや鋭い目つきと整った目鼻立ちに、ジークはなんとなく既視感を覚えて、不覚にも少しの間ぼんやりと観察をしてしまった。


「その人を放しなさい。気絶している人をどこへ連れていくつもりですか」


 ジークは少しだけ考えてから、何を説明したところで言い訳のしようもないと考え、最悪の一言を返す。意図的ではない。ただジークが口下手で人づきあいが下手であるが故の返答だ。


「お前には関係ないだろ」

「……人攫いならば、後悔する前にその手を止めてどこかへ消えなさい」


 まだ剣に手をかけていないが、彼女からはすでに抜き身の剣を持ったような威圧感が漏れ出している。

 まだまだ年若いのに随分な使い手だぞと気づいたジークは、それでも冷静に受け答えを続けた。


「用も済んだから寝かしてやるだけだ。少しはやるようだが、あまり余計なことに首を突っ込まないほうが身のためだぞ」


 事実の陳列と、善意からの忠告。

 いくら腕に自信があったところで、世界には強者がごろごろと転がっているのだ。

 正義感で首を突っ込んで酷い目に合う女子供なんてこの世界には腐るほどいる。特に見目の整った気の強い少女など、悪い奴に捕まってしまってはどんな目にあわされるかわかったものじゃない。

 真っ当な思考。

 ただし言葉というのは相手に正しく意図が伝わらなければ意味がない。


 顔に傷のある目つきの悪い大男が今のセリフを吐けば、残念なことに悪人が少女を脅しているようにしか聞こえないのだった。


「……引かないのですね」


 こうなってしまうと何を言っても無駄だ。

 仕方ないから少女に若者たちを任せて立ち去ろうと、ジークはため息をついて、少女の方へ歩き出す。

 この路地はどん詰まりで抜け出せなくなっているから仕方のないことなのだが、少女からしてみれば目つきの悪い大男がついに攻撃を仕掛けてくるのだとしか思えない。

 気負いなく無造作に距離を詰めていくのは、ジークに戦う意思がないからなのだが、少女からしてみれば強者による余裕にしか見えない。

 あと一歩進めば剣が届く距離まで近づいたとき、ジークはため息をついて足を止める。

 少女が戦闘態勢を解いておらず、これ以上近付くと剣を抜く恐れがあることを見抜いてのことだ。


「道を開けろ。むやみやたらに人と戦う趣味はない」

「そうやって油断させるつもりですか?」

「……お前が引けと言うから引いてやろうとしているんだろう。この路地の先は行き止まりだ。お前がどかなければ俺は立ち去れない」

「……本当ですか?」

「噓だと思うのなら覗いてみろ」


 ジークは態々体を開いて奥が見えるようにしてやったが、警戒した少女はじりじりと後ずさりをしていく。どうやらとことんジークのことを疑っている。

 これだけ警戒心が高いのならば、多少正義感が強くても、よほど運が悪くなければやっていけそうだ。

 ジークは少しだけ愉快になって、左の唇だけに弧を作って笑った。

 別にニヒルな笑いをしようとしているわけではなく、右頬に大きな古傷があってうまく笑えないだけの話だ。

 笑ったことにより悪人面が当社比三倍ほど強化されたおかげで、少女はさらに警戒を強めて後ずさる。こんな反応には慣れたものと思っていたが、ジークはなんとなく胸の奥がしくりと痛んだ。

 数歩進んでから、そうだと思いだしてジークは足を止めて振り返る。


「俺をどけさせたんだから、お前が代わりに布でもかけといてやれ。探索者が風邪ひいて塔でしくじったなんて、笑い話にもならないからな」


 ジークに負けたことに懲りていれば彼らは再びがむしゃらに四十階層に挑むことになるだろう。そうでなければ五十階層に乗り込んで、生存と成功が五分五分の賭けに出ることになる。

 どちらにせよ、今日のことで体調を崩していた、なんて後で言われたらジークだって責任を感じてしまう。最も、もし五十階層に乗り込みそうな気配があれば、こっそりのぞきに行くつもりではあるけれど。

 少女からの返事はないが、それはジークの言葉の意図をはかりかねていたためだ。

 自分で伸した相手の体の心配をする意味が少女には分からない。

 

 少女は取り合えず、考えても分からそうなことを後回しにして路地裏へ入り、転がっている若者たちの傷を確認する。少女が物音に気付いたのは喧嘩の物音がしてからのことだったから、実際どんな戦いをしたのかを見たわけではない。

 しかし、しゃがみこんで怪我の確認をしていくうちに、少女はそこに転がる誰もが大した傷を負っていないことに気が付いた。少しばかりアルコールの匂いがすることから、下手をすれば酔っぱらって冬空の下で眠っていただけのようにも思える。


 もしかしたら自分は何か勘違いをしていたのではないか。少女がそんな思考にいたったのは、ジークの姿がどこかへ消えたからずいぶん後のことだった。

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