九つの塔。救世の勇者。おまけに悪役面おじさん。
嶋野夕陽
第1話
「しーっ、目を合わせるな。あいつは新人つぶしが趣味なんだ……!」
顏も含めて全身傷だらけの男は、じろりと声の主に鋭い視線を向けた。
そんな悪趣味ではないのだが、結果的にそう噂されるようなことをしている自覚はある。
男にしてみれば自分をダシにすることによって、有望な新人の中に潜り込み、甘い汁を吸っているあの男の方がよっぽど悪人である。
少々腕がたつ新人冒険者は、眉をひそめてなるほどと頷いているけれど、彼らの関係が一月後にどうなっているかは想像に難くない。命を落とすほどのことにはならないだろうから、それもまた一つの社会勉強でもあるだろう。
とはいえ新人たちを哀れに思った男は、そちらをなんとなく眺めながらいつもの受付の列へ並ぶ。それが新人たちを睨みつけているように見え、なお悪い評判が広まるであろうことなどは当然意識していない。
「いつも通りに」
自分の番が来たのでカウンターにごとりと重たい布袋を置き、ようやく前を向いたところで、男は自分の失態を悟った。
先ほどまで知った顔がいたはずなのに、目の前にはなぜか、はじめましての受付嬢がひきつった笑顔を浮かべている。
「も、申し訳ありません。いつも通りというのが分からず。ご説明いただけると……」
余計なことに気を取られたのが悪かった。
自省の気持ちから眉間にしわを寄せると、受付嬢はびくりと体をはねさせて涙目になる。こうなってしまうと今度は何をしゃべったらいいのかがわからない。
端的に目的を告げればいいだけなのだが、男はその前に気の利いたことの一つでも言って誤解を解こうと考える。
コミュニケーションに器用でないのだから、それが余計に気まずい時間が継続させていることに早く気付くべきだ。
「ジーク、新人を威圧するのやめてもらえる?」
糸目の受付嬢は強面の男、ジークに遠慮することなく気安い口調で注意する。
「せ、先輩!」
新人受付嬢の口から漏れ出した言葉は、救いの手が下りてきたという安心感と、そんなことを言って大丈夫なのかという心配が入り混じっていた。ピンチに人の心配をできる辺り根の優しい子である。
「はいはい、ごめんね。ちょっと代わってもらっただけなのに、変なおじさんが来て怖かったわね。後は私がやるからあっち行ってなさい」
新人の受付嬢はジークと先輩受付嬢の顔を交互に見てから「手際が悪くて申し訳ありません」ときちんと頭を下げる。
それから野生の肉食獣でも前にしたかのように、後ずさりでそろりそろりとその場を去っていった。最後まで仕事をまっとうしようとするところに、ジークとしては好感を持ったけれど、新人受付嬢の方はそれを知ったところで大して嬉しくないだろう。
「それで? ついに新人受付嬢つぶしまで始めたの?」
返答はじろりと向けた視線。
上背のあるよく鍛えられた体と、やや吊り上がった灰褐色の目はそれだけで嫌な威圧感を相手に与える。
ジークが不器用なだけの男であると知っている受付嬢は肩を竦めると、手を伸ばしてカウンターの上に乗った袋を回収した。
「冗談よ。これ、いつも通りね」
「頼む」
「はいはい」
慣れた相手というのはそれだけで安心するものだ。
説明する手間も省けるから、多少きつめの冗談を投げられたところで、ジークの頭には彼女との付き合いをやめようという選択肢は出てこない。
「また塔に登るの?」
袋をカウンターの下にしまいながら受付嬢が尋ねる。
ジークは頷いて答えたが、戻ってきた受付嬢はジークの返答を待っている。
カウンターの下をのぞいていたのだから頷いたところで分かるはずがない。
タイミングがずれてしまったことで、ジークは仕方なく言葉を発した。
「そうだ」
「次はいつ帰ってくる?」
「三日より長く、十日以内には」
「それ、いつだかわからないって言ってるのと一緒だからね。月の半分以上塔の中で過ごすなんて異常よ? 十分に稼いでるんだから、もっと地に足をつけた生活しなさいよ」
地に足をつけたとはうまい言い回しだ。
塔に登って高い場所にばかりいるジークにはぴったりのお説教文句だった。
ジークはたまにこの受付嬢からは小言を貰うが、それはジークの身を案じてのものが多い。たまに小言の多い親類のようだと思うけれど、身内が誰もいなくなってしまったジークにとっては悪いものでもなかった。
だからといってそれに従うかどうかはジークが決めることだけれど。
受付嬢の心配はもっともなことで、一般的な探索者はそんなに長い期間を塔で過ごしたりしない。
探索者のトレジャーハントは命懸けなのだ。
月に数日潜れば後は悠々自適に暮らせるのが探索者のよいところであって、月に半分も命の保証のない場所に滞在し続けていたら、精神的に参ってしまうのが普通だ。
もはやそれを二桁年以上続けているジークは、傍から見れば異常者である。
極めつけは、普通パーティを組んで挑むべきところを、ジークはたった一人で平気な顔をして塔へ登っていく。
多少気心の知れた相手が、しつこく心配して声をかけてくるのも当然のことであった。
ろくに返事もしないで回れ右をしたジークの背中に、ため息が一つ飛んでくる。
無視したのではなく、肯定の意思を示せないからと気まずくなって逃げたのだ。受付嬢もそれがわかっているからこその呆れのため息である。
振り返ると、ジークの背中に刺さっていた警戒やら観察の視線が一斉に外されて、一部挑戦的な目を向ける若者の視線だけが残った。別の街からやってきて最近売り出し中の、調子がいい探索者だ。
調子がいい時ほど落とし穴にはまりがちになる。
彼らの実力を考えれば、そろそろ一度話をした方がいいかもしれないと見返すと、あちらも負けじと睨み返してくる。別に喧嘩をしようというわけではないのだが、こうなると目を逸らしづらい。
怖がって目を逸らしたと言われるのは流石のジークもちょっと嫌なのだ。
結局視線を交わしたままギルドを出たジークは、すぐに思考を切り替えて翌日からの探索について考えを巡らせるのであった。
受付嬢に宣言した通り、ジークが次にギルドに顔を見せたのは七日後の夕暮れのことだった。明日は一日休もうと、薄汚れた格好のまま拾得物の換金にやってきたのだ。
換金所に持ってきたものを渡して待っている間、ジークは目を閉じて耳を澄ませる。
そんなジークの耳に飛び込んできたのは、塔へ登る前に睨みつけてきた探索者の言葉だった。酒が入って気が大きくなっているのか、ジークがやってきてからさらに声のボリュームも上がった。
「四十階層なんて大したことねぇよ。なんなら調子が良かったら五十階でも六十階でもいって、塔の制覇しちゃおうぜ!」
ジークにとってそれはあまりに聞き捨てならない言葉だった。
世間では、塔が未だに何階まであるのかが明らかにされていない。
外から見れば凡そはわかりそうなものだが、内部の空間はどういった手段でか拡張されていて、何階まであるのかわからないのだ。
因みに一階から十階まで何も問題なくスムーズに登ったとしても、階段から階段の距離は遠く、歩くだけで丸一日は必要となる。
ではどうして探索者たちが月に数日しか塔に入らないでもやっていけるのかというと、入り口と十階ごとにある階段の途中の小部屋に、台座に乗った転移の宝玉が用意されているからだ。
探索者は自分の実力に見合った階層で、宝物を探し、生活の糧を得る。
不思議なことに宝物は昨日なかった場所にこつ然と現れたりするもので、探索者には運も必要だとはよく言われることだ。
そんな塔の話はともかく、とにかくジークはゆらりと立ち上がると、顔を赤らめて喚いている若者の下へ歩み寄った。若者は座ったままじろりとジークを睨んだが、それもまたよくなかった。
喧嘩を売ってくるかもしれない相手が近づいてきているのに、立ち上がりすらしない。
調子に乗って気が大きくなっている証拠であるとジークは判断する。
探索者はそういう時に命を落としがちなのだ。
「なんだよ、おっさん」
「実力不足だ。四十階層でもう少し鍛えろ」
若者はジョッキをテーブルにたたきつけるように置いて立ち上がり、ジークに顔を寄せてアルコール臭い息を吐きだした。
「おっさん。偉そうにしてるけどあんた、俺がこの街に来た頃、二十階層でうろついてるの見たことあるぜ。楽な階層でふらふらしてるだけの癖に偉そうな口きいてるんじゃねぇよ。俺とあんたじゃ志が違うんだよ!」
若者の仲間たちは、ジークの強面にやや怯みながらも同意するように頷いて立ち上がり、あっという間に四対一の構図が出来上がった。
「俺のことは関係ない。単純にお前たちが実力不足だと言っている。無茶をして仲間を減らしても後悔するだけだぞ」
「は? 俺たちの誰かが死ぬって言うのかよ?」
「そういう未来もあり得ると言っている」
若者の頭にそのイメージがよぎり、一瞬背筋が冷える。
しかし言っている相手は所詮二十階層でうろついている見た目だけいかついおっさんだ。
格上の自分たちが話を聞く理由なんてなかった。
どうせ若い自分たちが出世していくのを僻んで足を引っ張っているだけだと決めつける。
「……なら試してみろよ。俺はあんたみたいな口だけのやつが大嫌いなんだよ」
「せめて酒精を抜いてからにしろ」
「来いよ。見た目だけのおっさんなんて酒が入ってても十分だ」
「場所を移すぞ。ここじゃギルドに迷惑がかかる」
「望むところだ!」
五人がギルドから出ていくのを、こっそりと追いかけようとする数人の若者。
それに古株の探索者が声をかけて止める。
「やめとけやめとけ。どうせ途中でばれてジークのやつに睨まれるだけだぞ」
「や、でも気になるじゃないすか。新人つぶしが何をするかって。しかも今回の相手は新人って言っても、他の街からの移籍組ですよ? もしかしたらあいつが負けるなんてことも」
新人たちの間ではジークの評判はすこぶる悪い。
あいつ呼ばわりされている辺りそれがはっきりとうかがえるだろう。
「……いいからやめとけって。先輩の言うことは素直に聞いておくもんだぜ」
探索者は実力主義の世界だ。
新人は面倒くさそうな顔をしながらも、渋々言うことを聞くのであった。
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