スシ食いねぇ!

夏至肉

第1話

 たまの贅沢に寿司でも食おう。俺はそう思い、寿司屋の暖簾をくぐった。


「らっしゃい」威勢のいい大将が俺に愛想を浮かべてカウンター席へと誘導する。


 店には俺と大将しかいない。

 俺は店内を見渡す。大将と俺はネタの入ったショーケースを挟んで対面しており、大将の背後にはいくつもの寿司の名前が木の札に書かれていた。寿司の名前は書かれているが値段は書かれていない。そういう寿司屋なのである。


 勘違いしてほしくないが、俺はあまりこういった類の店には足を運ばない。現に俺は今、ちょっとした不安を抱えていた。

 それは、寿司を食べる順番をどうすれば良いかだ。

 普段回転寿司に通う俺は自由気儘に寿司を貪り喰らうのだが、ここはそうはいかない。たしか、イカや白身魚と言った軽いものから始まり、徐々に赤身にシフトしていくのが定石だとか。


「なに握りましょうか」大将は威勢よくそして満面の笑みを浮かべ聞いてくる。

 にわか知識しかない俺はすかさず、スマホで、『寿司食べる順番』で検索しようと考えた。けれど、なにを握るのか聞かれている所でスマホを出すのはマナー違反だろう。

 茶を飲んで、なんとかこの時間を誤魔化す。ズズっと熱い茶を啜る。しっかりしたお店はお茶の味も格別だ。

 お茶を呑み込んだのを見計らう様に大将は「いいネタ入ってますからね」と注文を煽る。


 どうしたものか。と、考えていた時俺は閃いた。


「それじゃ、大将お任せで」それを聞いて大将は「あいよ」と返事して酢水で手を湿らせた。

 我ながら上手く行ったと思う。頼む順番が分からないのなら分かる人に順番通り出して貰えばいいのである。

 大将の寿司を握る姿はとても綺麗だった。無駄のない動きに流れる様な所作。その動きは職人のそれだった。

 大将は左手でシャリ玉を握る。空を握るように優しく繊細な動き。そして右手でシャリ玉をネタで覆うようにして包み込む。シャリ玉とネタが一つに融合していく。まさに酢飯とネタが寿司へと昇華していく様だった。

 俺は大将の姿に惚れ惚れしていると、「お客さん手出して」と大将は俺に促した。

 聞いた話しだが、どうやら高級な寿司屋なんかでは寿司を大将の手から直接受け取って食べるのだという。寿司は繊細で崩れやすいから。なんて話だ。


 俺は大将に言われるがまま、手を差し出した。

 大将の手が俺の手を覆う。そして、俺はすぐさま違和感を覚えた。寿司が大将から受け渡されたのだ。それなりに重さを感じる筈なのだが、それを感じない。寿司は空気を含ませて握るという。口に入れるとシャリがホロリとほどけるなんて表現があるくらいだ。目の前の大将は重さを感じさせない寿司を握ったのかもしれない。


 大将は手を戻す。どんな寿司を握ったのか気になり期待に胸膨らませ、寿司が置かれた手をまじまじと見ると俺は目を丸くしてしまった。そこにはある筈の寿司が無かったのだ。「あれ?」と疑問をあげる前に更に違和感があった。

 卵が腐った様な臭いが鼻腔を刺激する。少しでも良い様にいうのなら、硫黄の香りがした。独特な臭いだったのだ。


 すかさず大将は「握りっ屁、お待ち」そう言った。

 どうやら大将は目の前で屁を握っていたのである。

 恐れいった。まさか屁を握っていたとは。感服した。屁を握りながらも大将の動きはシャリ玉を持っている様にしか見えず、ネタもまた見えた。それらが全て屁を握っていたなんて。俺は大将の華麗な職人技に舌鼓を打つ。


「次、握りますよ」

 そういって、大将はまたも酢水で手を濡らしシャリ玉を準備した。俺は今度こそ、大将はシャリ玉を握っていると確認する。そして右手にネタを持っていることも確認する。

 それにしても大将の寿司を握る姿は素晴らしい。

 15秒程して大将が「お客さんそのままお待ちください」そういって足早に外へと続く扉へ向かった。扉はスライド式になっておりそのまま一直線に大将は突き進んだ。

 およそ20メートル程、大将と距離が出来た。


 20メートル先にいる大将は両手を上にあげ、左足を浮かせ右足だけで立って見せた。フラミンゴの様に綺麗な片足立ちだなと思った矢先、大将は右手をブンっと振った。

 俺の目の前に何か白い物が胸元を抉るように凄い速さで通る。


 大将が投げた物が後ろの壁にぶつかり跳ね返って来た。

 俺は一体なにが投げられたのか確認しようと跳ね返った物に視線を落とした。

「硬球?」それは白いボールだった。


 大将はいつの間にか店内に戻り、ショーケースを挟んで対面していた。俺は「今のは一体?」と、恐る恐る聞くと、大将は「カーブの握りです」と応える。

 なんて切れたカーブなんだ。俺の率直な感想だった。正に職人技の一言に尽きる。今度こそ大将がシャリ玉を握っていると思ったが、またも俺の見間違いだった。大将の職人技に脱帽する他なかった。


「次、握りやす」大将は言ってまた寿司を握る所作に入った。

 やはりその姿に惚れ惚れとしてしまう。

 今度は一体何を握ってくれるのだろうかと予想していると、大将はおもむろに、備え付けのテレビのスイッチを入れた。


 なんだ?何か見たい番組でもあるのだろうか?大将と一緒になって俺もテレビを覗く。ニュース番組だった。番組では、ここ最近巷を騒がす詐欺事件にまつわる話題が取り上げられていた。被害総額720万円。老人ばかりを狙った詐欺である。と解説を交えながら話が進んでいく。


 俺が番組に夢中になっていると、大将は突然口を開いた。「私ね、知ってるんですよ。この事件の真相……」そう言った。

 俺は興味本意で、「もしよければ教えてもらえますか?」と聞くと大将は「お客さん、手出して」と言ってきた。俺は言われるがまま、大将に手を出す。すると大将はそのまま流れるように何かを俺の手にのせた。

 俺の手には一つの紙切れが置かれていた。

『犯人は複数犯で10代によるもの 更に詳しく知りたければ下の番号に連絡してみること』そう書かれていた。

 俺は突然の内容に「えっ?」と聞き返したが、大将は「忘れてください」という。俺はなんで、寿司屋の大将がこの事件について知っているんだろうと首を傾げようとしたとき、ふと気付いた。握っていたのだ。大将は握っていたのだ。この事件の真相を。そう、大将は事件の真相を握っていた。グルメ番組でときたま聞く台詞、「気づいた時には口の中で溶けてしまいました」を、この大将は地でいったのである。気づいた時にはもう目の前にない。しかし確かにそこに握りはあった。天晴れ。その一言に尽きる。


「まだまだ、握りやすよ」大将は得意気に言う。


 俺は数々の握りを見てきたが、そろそろしっかりとした寿司を食いたい気持ちになってきたので、「そろそろ、ちゃんとした寿司も食いたいんだけど、サーモン握って貰えませんか?」そう言った。店に入った当初、寿司の食べる順番に悩んだが腹が極限まで空いた今、食べたい物を頼んでみた。これも何かで見た知識だが結局の所、高級な寿司屋でも好きな物を好きな様に食べるのが良いのだと聞いた事を今思い出したのだ。


 すると先程まで愛想一杯だった大将の目つきが変わる。

ギロリとこちらを睨みつけ、「お客さん、ウチは江戸前寿司でやってるんだ。サーモン、なんてノルウェーなんかで取れる生ぬるい洋物の魚置いてないんですわ」そう言った。


 おっと、俺は虎の尾を踏んでしまったようだ。

「大将、申し訳ない。気を悪くしたなら謝るよ。俺、寿司には疎くてね。最初にお任せでお願いしたんだ。そのまま、大将のおまかせで握ってくれないかい?」俺は謝罪しつつ、大将を立てるように言った。


「……話の分かるお客さんで助かるよ。うちも堅っ苦しい事言いたい訳じゃないんだ。どれ、待ってろよ」

 謝罪のおかげか、大将の機嫌はすぐ直ったようで、寿司を握りにかかった。


 美しい握りの動作から15秒程度して、「あいよ」そう言って大将は俺の額に銃口を突き付けた。

 俺は突然のことに「えっ……」と口をポカンと開けて間の抜けた顔で聞いた。

「お客さん、気付かないのかい?」

 大将の質問に俺は理解が及ばず「何に?」と、またも間の抜けた顔で聞いた。もしや、さっきサーモンを頼んだ事が余程気に食わなかったのだろうか。

「俺は今、握ってるんだよ」

「な、なにを?」

「俺は今、握ってるのさ、お客さん、アンタの命を」


 俺はその言葉を聞いて、感動のあまり涙を流した。

 まさか、客の俺までも大将は握るというのか。

 おまかせを頼んだときから。いや、この店に入った時から俺は大将の掌の上だったのだ。


 大将から「おまかせは以上になります」と声がかかる。

俺はそれを聞いて、一旦口直しに玉露を啜る。

 回転寿司では味わえない非日常を味わい満足した俺は、大将へ「ご馳走様」と一言告げて勘定を済ませ店を後にした。

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スシ食いねぇ! 夏至肉 @hiirgi07

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