二
「これに触れたのは道長さんだけですか?」
宮川は受付の道長から、「手首」が入っているという梱包を受け取り、それに触れた人間が婦警の道長だけであることを確認した。
「えぇ……まさか、こんなものとは……」
警視庁に直接荷物を送りつけてくるということはそれなりに事件性を疑ったのだろう。
しっかりと手袋をした状態で指紋を残さずに荷物を確認していた。
だとしても、中身がまさか「手首」だとは思う人間はいまい。
曰く、その荷物は「霞が関入口の脇においてあった」とのことで、それを見て不審に思った道長が梱包を回収して中身を確認したようだ。
「一応不審物なので、以後は開封前に誰かを呼ぶようお願いします。後のことはやっておきますので」
万が一この梱包物の中身が、爆弾かなにかだったら既に辺り一帯は消し炭になっていたかもしれない。
そのことだけ指摘をしつつ、宮川は答えを待たず、さっさと荷物を持って捜査一課まで踵を返した。
当然、一連の出来事の報告と事後についてはこちらですることを約束したうえで、である。
宮川は梱包の外装を確認しながらそれをスマホで写真撮影しつつ、内線を使って鑑識課へと電話を繋ぐ。
本来であればいち早く鑑識課へと引き継ぎを行い、捜査一課では事件性の有無を確認しての行動となる。
だが宮川は、先ほど新人から投げられた言葉に浮かされているのか、いつにもまして主導的な行動を取っていることに、宮川自身驚かされていた。
「捜査一課の宮川です。大江鑑識官をお願いします」
内線の保留音の後、すぐに電話口に現れた大江は、呆れた調子で「どういう了見だ?」と怪訝さを前に出して宮川の電話に出る。
大江は宮川と同期の鑑識官であり、過去は同じ刑事部で研鑽を積んだ仲である。
当然、捜査一課での宮川の現状と立場はよく知っていた。だからこそ久方ぶりの業務連絡に、半ばの呆れと訝しさが先行したのだろう。そんな大江に対して宮川は、「厄介な荷物が届いてな」と、霞が関入口に届けられた「手首」について語りだす。
「さっき受付の道長さんが、丁寧に梱包された手首を発見した。場所は霞が関入口の植木の側だったらしい。見る限り消印付きの伝票がついているが、恐らく別に送られた荷物のものを剥ぎ取って付け替えられてるな。計画的に送られてる」
「待ってろ、付近の監視カメラを洗っておく。ていうかお前、梱包、開けてんじゃねーだろうな?」
「御生憎様、道長さんがご開封済みさ」
その話を聞いた大江は「はぁ~」と大きくため息をつく。
その軽率さに苛立つ態度を見せるていものの、宮川は特段何も話すことはなく、手に触れずにスマホを構え、目視で確認できる範囲の「手首」の情報を並べる。
「中央に人の左手首が丁寧に梱包されているな。それが動かないように透明な箱に入っている。ガラスケースの頑丈なやつだ。手首は綺麗で、全体が残るように腕から切り落とされている。断面は比較的滑らか……目視するだけじゃわからないが、ノコギリみたいな刃物じゃない」
「左手首だけか? それ以外の部位は?」
「左手首だけだ。手の付け根から前腕に向けて一センチほど距離を取って切り落とされてる。手首以外には人差し指、中指、親指が切り落とされていて、こっちも断面から同じようなもんだな」
「ヤクザの抗争か? にしては随分と派手にやったもんだな」
「いや、ヤクザの抗争なら警察に送りつけるなんて馬鹿な真似はしないさ。それにこのやり方だ。落とし前としてってのも考えられるが、断続的に切り落とされた可能性だってある。わざわざこんなやり方をしている時点で詰められた可能性は薄いだろう。そこを考えれば、これはどちらかというと、拷問に近い」
「だとすれば随分陰険なやり口だ。指の次はそのまま手首を落とすなんて」
「目視で確認できるのはこのくらいだ。後はこれをそのまま、鑑識に持っていく。そっちはそれまでの間に当該時間の監視カメラの確認と、この手首が誰のものなのかを調べる算段を立てておいてくれ」
宮川の強引なやり口に対して、大江は「片手間だぞ」と釘を差して内線を切る。
一方の宮川はそんな話を聞いてか聞かずか、一通り撮影を終えて、早速パソコンの前に座って一連の報告書を仕上げる。
この事件に対して自らが着手できるようにお膳立てを始め、ものの数分程度で事件概要をまとめた資料をプリントし、梱包物を持ち上げる。
同時にスマホで捜査一課長である新井へと連絡を取る。
「新井捜査一課長、宮川です」いつになく丁寧な応対を行いながらエレベーターのボタンを押し、重苦しく扉が開け放たれると、そこには偶然のようにスマホを耳に当てる新井が立ち尽くしていた。
「ご挨拶だな。宮川警部補。資料作りは終わったか?」
新井が表情を一切変えずにそう尋ね、持っていたスマホの電話を切り、胸ポケットへ滑り込ませる。
それを見て宮川も同じようにスマホを耳から下ろして、持っていた資料を手渡してエレベーターへ乗り込む。
「これは偶然ですね。実は先程、警視庁宛に手首の荷物が届きまして、事件性を感じた次第、宮川が対応させていただきました」
あまりの非日常的な会話にも関わらず、新井は一切表情を変えず、黙ったまま資料と、宮川が持っている梱包物を確認すれば「そいつが?」と話を進める。
「えぇ。これが手首です。誰のものかもわかりませんが、今鑑識官の大江と状況の整理および確認に努めています」
「……捜査で多くの者が出払っている。詳しい状況の確認から始め、事件性と切迫性が確認出来次第、再度報告しろ。手数は、お前一人で事足りるな?」
「恐縮です。誰の手首かも、調べたうえで、ご報告させていただきます」
わざとらしい口調でそう続けた宮川は、点滅で進行を知らせるエレベーターの階層表を眺めた。久方ぶりの捜査に体を慣らすように僧帽筋を軽く浮かせる。
そんな様を隣で見ていた新井は、忠告と言わんばかりに言葉を投げる。
「宮川。その事件をきっかけに、しっかりと働いてくれることを願うぞ」
「どういうことです?」
「言葉通りだ。捜査一課に資料整理などいらん。貴様にそう安くない人件費を突っ込んでいるのは、貴様が優秀だからだ。使えるものは全部使うこのご時世で、飼い殺しにしてやるほど、警察組織は甘くないぞ」
「……それは脅しと解釈しても?」
「捉え方は自由だ。だが貴様がそれを、そう思うのならとっとと霞が関から去ることだ。尤も、貴様がそんなことを望むタマだとは、毛頭思えんがね」
新井が不敵な笑みを浮かべたところで、エレベーターは鑑識のある階へと到着する。
アナウンスから扉が開くまでの間、宮川は「そういうの、同期の馴れ合いっていうんだよ」と、あえて砕けた調子で言葉を返し、振り向くことなくそのまま鑑識へと駆けていく。
新井はそれに対して、何一つ反応することなくただ黙して宮川を見送るばかりだった。
鑑識に到着した宮川は、早速手首の梱包を大江の机に丁寧に置いて、「監視カメラは?」と間髪入れずに尋ねた。
本来であれば「検体」となるその梱包物をあえて大江の事務机におくのはありえない。要するに「早く調べろ」という意図を伝えるためだ。
それに対して大江は、ディスプレイに監視カメラの映像を出力させつつ、「そこに置くな」と顔を顰める。
同時に手袋をはめ、机の梱包物の撮影を始め、監視カメラの映像をディスプレイへ出力した。
「西側の通路からエントランスの監視カメラだ。同じくらいの梱包物を持った配達員がいて、こいつがどういうわけか一般エントランスの脇の見つけにくいところに荷物をおいている。恐らくこいつが荷物を置き去りにした犯人だろう」
「……配達員の服装はしているが、恐らくこれは変装だ。それにここでカメラに映ったのはわざとだな。目立ちすぎるし、監視カメラに映ることなく、あそこに荷物を置くことだってできたはず。ブラフと考えていい」
宮川は監視カメラの映像を眺めて率直な感想を述べつつ、梱包を丁寧に解いている大江に視線を向けた。
大江もついに手首とご対面しているようで、表情は変えないながら、一定の怪訝さを表出している。
内容を確認すると、「手首については時間がかかる」と断言して、手首を検査への手続きを承諾した。
そのうえで大江はというと、梱包物を一つ一つ分解して、丁寧に保存用の袋に詰めていく。大江の得意分野は、梱包物に付着していると思しき様々な痕跡をたどることだ。
手首についてよりもむしろ、梱包されている段ボールの方に目が行っているようである。
「段ボールは恐らく特殊なものじゃない。一般的なメーカーを利用しているな。大きさを整えるためにカッターナイフで調整もしているし、几帳面な犯人だ」
「中の透明なケースは?」
指摘したのは段ボールの中に、手首が入っていた透明なのケースである。
宮川はその手のものには詳しくなく、そもそも何に使うものかすら分らなかったが、大江はこれに見覚えがあるようで、「あぁ」と切り返す。
「フィギュアとかのコレクターアイテムを保存するものだ。これもどこでも売っているようなもので逆算は無理できんだろう。問題は、コレクターアイテムと同じような扱いをして、手首を送りつけたってことだ」
「手首って時点で、いたずらの線も薄いし、リアルな手首の模型ってわけでもない。とにかく手首の持ち主が何者かを調べてほしい。といっても、警視庁のデーターベースにヒットしない限り、特定は困難だろうがな」
「そこは天に祈りでも捧げてろ。俺は早速この段ボールから拾える痕跡を拾っておく。お前はお前でやることがあるんだろう?」
「あぁ、俺はこの配達の人でも当たるよ。まぁ、ブラフであることは目に見えているがね」
宮川は大江の話にそんな返しをしながら、コンピューターに保存されている監視カメラの映像をいくつか早回しで確認する。
宮川の一向に動く気配が見られない投資に対して、呆れて大江は「とっとといけ」と急かすが、宮川はけろりと笑う。
「手数が足りないんだ。ある程度目星をつけてから、この人を見つけたい」
「半ばお前の趣味みたいなもんにいつまで付き合わせれば気が済むんだよ。俺は俺の仕事がある。終わったらとっとと帰りな」
大江がぶっきらぼうにそう続け、梱包物を持ってそそくさと出ていってしまうと、扉の奥から手首について怒号を飛ばしている。
いち早く行動してくれていることに感謝しながら、宮川は目的としている映像を一通り眺め終える。
宮川は監視カメラの映像で、段ボールを届けた配達員の向かった方角を確認した。
いくつもの等速映像と再生時間から、対象の微妙な歩行速度を計算する。やや速歩き、身長は速度に対して小さく、歩き方が一定なことから普段からこの歩調の人間。
モノクロの映像からこれらの情報を推測する程度は、熟達の刑事である宮川にとって容易なものである。
特に最近の監視カメラはモノクロとはいえ、かなりの画素数で録画が可能となっている。
ある程度滑らかで人間的な動作を映すくことができるし、当たりをつけるのは昔ほど難しいことではない。
そんな宮川が映像を止めたのは、配達員が周囲を確認して荷物を置いたところである。
歩調に変化が生じた、そんな感覚が宮川に思考をくすぐった。
映像の配達員はそのまま、警視庁の正面エントランスからまっすぐの方向へ向かって歩き出す。
その時間と現在の時刻から逆算し、宮川はおおよその場所を推察する。
荷物が置かれたのは今から三時間も前のことである。シンプルな都内とはいえ、この歩行速度で歩かれれば、どこに向かったのかは見当もつかない。
宮川がもっと監視カメラなどのデバイスに精通していれば、詳細な分析が可能かもしれないが、自身にそんな技量を持ち合わせていないことは明白だ。
そんな宮川にできることは既になく、「お邪魔しました」と鑑識を飛び出してエントランスへ向かう。
宮川はエントランスにて、梱包物を発見したとされる道長へ声を掛ける。「仕事中、申し訳ないですね」と宮川は外向けの表情を繕い、道長へその時の詳細について尋ねる。
「あの荷物が置かれる前と後、たまたまエントランス外に出る用事があったんです。なんでも配達員の服装をした人がウロウロしているって報告があったもので」
道長の言葉に、宮川は不意にあの映像を逡巡した。
映像からは挙動不審さまではわからなかったが、荷物を置く直前の配達員の動きは、歩調を微かに変化させたように見えた。
監視カメラの時点で感じる違和感を、婦警が感じないわけがなく、怪訝に思ってあの荷物を発見したのだろう。
「それで、いち早くあれを見つけてくれたって言うわけなんですね?」
「結果としてそうなりますが、あまりに怪しい風貌だったから、私も警戒していたんですよ。不審な行動があればと思って、身構えていたんですから」
「……その男、どんな風貌でした? 服装のほうじゃなくて、顔とか、髪型とか」
「よく覚えてますよ。なんとなく不潔な雰囲気がありました。髪の毛とか特に、何日も洗ってないような感じでして」
「その男がどこにいったかとかまではわかりませんよね?」
「ごめんなさい、そこまではわからなくて、手のことで頭がいっぱいになってしまって……」
婦警が申し訳無さそうに頭を下げるが、宮川は「大丈夫ですよ」と笑顔で諭す。
最初から期待できないことに対して、多く言及するほど無駄な時間がないと理解しているからこその態度だった。
宮川は道長ら婦警に背を向けてすぐに歩き始める。
そそくさと正面エントランスから出ていけば、監視カメラで配達員の男が向かった方向へと歩き出した。
特に当てがあったわけではなかったが、しばらくその方向へと進み、周囲を見て回る。
こういう場合、存外犯人がたどった道筋を歩いていると引っ掛かりが多いことを、宮川は体感的に理解していた。
しばらく歩みを続けると、コンビニエンスストアが見えてきた。道路側に面した入口と、まっすぐ道路を視認することができるレジ配置。宮川は引き込まれるようにコンビニへと立ち寄った。
もし仮に、犯人がここを通っていれば、店員は微かな違和感を持つかもしれない。
この周りには配達員も多い。微妙な違和感は目につきやすいという経験則から、宮川はコンビニに目をつけたのだ。
活発な声で「いらっしゃいませ」と続けた店員へ警察手帳を提示した。
「つかぬことお伺いしますが、二時間ほど前に、配達員の服装をした不審な男を見かけませんでしたか?」
店員は警察手帳にも怪訝さを見せるが、その問いかけを聞いてより訝しさを強める。
それは宮川に対してというよりも、過去の出来事を思い起こすような態度であった。
店員は少し不安ながら、どこか興奮を抑えるような声音で続ける。
「何時くらいだったかな……結構前に、トイレに入ってすぐに出てきましたよ。最初は何も持ってなかったはずなんですが、今度はボストンバックを持って出てきました。変な人だったので、よく覚えてます。何なんですか? 事件とか?」
店員は怪訝さに対する答えが欲しいような調子でそう続ける。
興奮は既に止まることを知らない調子だが、宮川は道長の時と同じように外向けの表情で、「情報の提供いただきありがとうございます」と多くは語らずに頭を下げた。
宮川はこの時点で、謎の「配達員の男」にある程度の当たりをつけていた。
配達員の男が手首を警視庁に置いたのは事実だろうが、それを仕向けたのはまた別の人物。
大方、手首を置こうとした黒幕は、適当なホームレスを金で雇い、配達員の服装で警視庁に荷物を置かせた、というところだろう。
雇われた男は、近場のコンビニまでは普通の格好をしながら、ボストンバックへ例の荷物と配達員の衣装を入れておき、このコンビニで着替えをして荷物を置く。
目的が終われば、再度ここまで戻ってきて、その逆を辿るだけである。
問題は、そんなことを如何にもホームレスという風貌の人間がすれば、嫌でも目に付くということ。
仮に犯人がホームレスの服装をしたとすれば、むしろ不審な印象を与えてしまう可能性が高い。
同時に、最も警視庁から近いはずのコンビニエンスストアを中継地底に選んだのも、どこか素人くさいやり方である。
総じてあの手首の梱包から感じられる計画性から乖離する印象を受ける。その時点で、宮川は「配達員の男」が「手首の梱包をした者」ではないことを直感した。
むしろ、事件で追うべきである手首を梱包した黒幕は、実行犯を意図的に目に付く行動を取らせて、あえて捕まるように仕向けているようにすら思える。
だからこそ目立つうえ、その日暮らしゆえ人間関係から辿ることも難しいホームレスを使ったのだ。
宮川はそこまで判断して、この事件になにか嫌なものを感じ始めていた。
意図不明の手首と知能犯的な印象、狡猾なやり口。
宮川は、当初思っていた以上に、あの手首は大きな事件につながるのではないかという「予感」を気取る。
その「予感」がどうなるか、宮川は配達員の男を確保した時点で理解させられる事となった。
次の更新予定
空の毀匣(きばこ)に注ぐもの 古井雅 @pikuminn3
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