18「訓練生Cクラス船員ルカ・ヴァルディ⑦」
金属製の椅子が床を引きずる耳障りな音を立て、ルカは無理やり座らされた。取り調べ室の空気はひどく冷たい。壁に埋め込まれた監視カメラが無機質な光を放ち、部屋の隅には端末が鎮座している。
目の前のBクラス保安員は、机に肘をつきながら端末を操作し、ルカを見下ろすように細めた目を向けた。
「Cクラス訓練生、ルカ・ヴァルディ」
その声は抑揚がなく、まるで記録を読み上げるだけのようだった。
「事故を防ぐために行動した、とお前は思っているらしいが……」
端末のスクリーンが、ルカの前に向けられる。
そこに映っていたのは、彼が操作したアクセスログの記録だった。
――『UnauthorizedAccessDetected(不正アクセス検出)』
――『手動制御システムの強制オーバーライド』
――『エラー:システム破損の疑い』
「記録は嘘をつかない」
保安員は低く笑った。
「お前が何を考えていたかは問題じゃない。問題は、このログが証拠として残っていることだ」
ルカは奥歯を噛みしめながら、画面を睨みつけた。
データに残った事実は揺るがない。だが――それでも。
「俺は……あれを防ごうとしただけだ」
「防ごうとした結果がこれか?」
保安員の指が画面を滑り、スクロールされたログが次々と表示される。
運行システムへの不正アクセス、強制システム操作、ライフユニットの異常な送信記録――それらはまるで犯罪の証拠のように並んでいた。
「お前がいなければ、そもそも問題は起きなかったんじゃないのか?」
ルカの指先が震える。
ここで何を言っても、相手にとって都合のいい解釈をされるのは間違いない。
そう――最初から、彼は追い詰められる運命だった。
スクロールされるログの中で、1つの記録が保安員の視線を引いた。
彼は指を止め、画面を拡大する。
「ほう……これは面白いな」
ルカは喉の奥がひりつくような感覚に襲われた。
画面には、ルカの個人アカウントからDクラス船員への200LUの送信記録が明確に刻まれていた。
「Cクラス船員が、Dクラス船員にライフユニットを送る、か……」
保安員は鼻を鳴らしながら、静かに言葉を続ける。
「ルカ・ヴァルディ、お前はCクラスとして日々割り当てられるLUがどれだけ貴重か、分かっているんだろうな?」
端末を回し、画面をルカの目の前に突きつける。
彼の現在のLU残量は、既に1000を切っていた。
「Dクラスの連中は、固定されたLU制限の中で生きている。奴らにとってLUは水や空気と同じ、何よりも貴重なものだ」
保安員はルカの顔をじっと見つめ、静かに言葉を重ねる。
「Cクラスの訓練生が、彼らに200LUも渡す理由は何だ?」
ルカは唇を噛み、視線を逸らした。
あの時は、時間がなかった。選択肢もなかった。だが――。
「……交換条件だった」
しばらくの沈黙の後、ルカは絞り出すように答えた。
「カプセルの停車システムにアクセスするためには、Dクラスの作業員の協力が必要だった……だから」
「だから?」
保安員は眉をひそめた。
「200LU払ったのは、お前の命を守るためか? それとも……Dクラスのためか?」
ルカは言葉を詰まらせる。
命を守るため、というのは違う。事故を防ぐため、それが目的だった――。
「違う……俺は……あの事故を……」
「お前の動機が何であれ、結果としてDクラスへの異常なLU送信が発生した。船内規律において、Dクラスへの個人間LUの移動は厳しく管理されている。本来、こういった交渉のためにLUを使うことは禁じられている」
ルカの指が机の上で強く握り込まれる。
確かに、それは知っていた。でも、そうしなければ事故は防げなかった――。
「つまり、お前は規律を破り、私的な理由でLU取引を行ったというわけだ」
保安員は静かに微笑みながら、指を組んだ。
「……ルカ・ヴァルディ――自分の生存権を売買する気分は心地いいか?」
ルカの胸に、強烈な冷たさが広がる。
LUはただの数字じゃない。生きるために必要な、生命の対価だ。
それを、自分は軽々しくやり取りしてしまったのか?
「言っておくが、奴らDクラスはお前に感謝なんてしないぞ」
保安員は淡々とした声で続ける。
「お前の200LUは、彼にとって明日の生存を繋ぐためのものに過ぎない。お前が困窮しようが、彼らはお前を助けない。むしろ、次に会う時は、もっと要求されるかもしれないな?」
ルカは拳を握りしめた。
確かに、それは否定できない。
しかし、だからといって――。
「だから何だって言うんだよ」
ルカは低く呟くように告げる。
「……俺があの時、何もしなければ衝突事故は必ず起きてた。ライフユニットがどうとか、そんなの関係ない。俺は、やるべきことをやっただけだ」
だが、保安員の目は冷めたままだった。
「お前のやるべきこと、か」
彼は鼻で笑い、端末を閉じた。
「処罰は避けられない。だが……」
ルカの視線が、ピクリと動く。
「運が良いな。お前には選択肢がある」
保安員の指が机の上で軽くリズムを刻む。その音が、何故か妙に不気味に感じられた。
「選択肢……?」
「そうだ。お前がどこへ行くかを決めさせてやる」
その言葉に、ルカは思わず息を呑んだ。
保安員は口角をわずかに上げながら、ゆっくりとルカの前に端末を差し出しす。
そこに表示されていたのは、2つの選択肢だった。
保安員の端末に映し出された2つの選択肢を、ルカは食い入るように見つめる。
「……Dクラスの管理区域に送る、か」
保安員は指でその選択肢を軽く叩きながら、嘲るように微笑んだ。
「お前が望むなら、ここでCクラスの肩書を捨てて、Dクラスの管理区域へ送ってやる。まあ……"人間"としての部分は捨てることになるがな」
ルカは眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
保安員は腕を組み、椅子にもたれながらゆっくりと語り始める。
「Dクラス船員がどうやって生きているのか、お前は知らないだろう?」
ルカは黙ったまま、視線をそらした。
――知っているつもりだった。
彼らはCクラスよりも劣悪な環境で働き、最低限のLUしか支給されない。だが――。
「Dクラスに送られるってのはな、この船の"労働力"として再構築されるってことだ」
(再構築――?)
ルカの胸がざわつく。
「数十世代前からDクラス船員は、もはや普通の人間じゃない。連中は
ルカの背筋に冷たいものが走る。
「……つまり、俺はオートノームのように置き換えられるって言いたいのか?」
保安員は静かに頷く。
「Dクラスの連中は、船の維持のために"消耗品"として扱われる。酸素供給が抑えられ、LUの消費も厳しく管理される。だがな――」
彼はニヤリと笑いながら、続ける。
「意識の大部分を外部に保存し、機械の体に置き換えることで、肉体の維持コストが限りなくゼロに近づく。船のリソースを節約しながら、最大効率の労働力を生み出せるってわけだ」
ルカは息を呑んだ。
(Dクラス船員たちの「体」は、人間のものではない――?)
有機合成素体。それはつまり、限りなくアンドロイドに近い存在だ。
彼らは人間として生まれながらも、生存のためにその形を捨てさせられる――?
「……そんなの、生きてるって言えんのかよ」
ルカはかすれた声で呟く。だが、保安員は冷めた目で見下ろすだけだった。
「生きてるかどうかなんて我々には関係ない。生きられるかどうかの話だ」
彼は端末を閉じ、ゆっくりとルカを見つめた。
「Dクラスになれば、お前は二度と"人間"には戻れない。それでも構わないなら、すぐに移送の手配をしてやるが?」
ルカは何も言えず、唇を噛んだ。
Dクラスに降格してしまえば、もう二度と元の生活には戻れない。Cクラスの知人とも会えず、アレックスとも話すことは許されなくなる。
――そして自分の体すら、もう自分のものではなくなる。
ルカの手が、無意識に震えた。
「Dクラス船員になれば、お前は二度と"人間"には戻れないだろう。それでも構わないなら、すぐに移送の手配をしてやるが?」
保安員の冷淡な声が部屋に響くと同時に、ルカの喉がひりつく。
選択肢なんて最初からない――そう思わせるほど、Dクラスへの降格は"生きる"ための道ではなかった。だが、もう1つの選択肢も、それほど甘いものではないはずだ。
「……もう1つの選択肢は?」
乾いた声で問うと、保安員はニヤリと笑い、ゆっくりと端末を操作した。
「賢いな。お前みたいなガキでも、生きるためには"選ばなきゃいけない"ってことぐらいは分かるらしい」
ルカは睨みつけたが、保安員は気にも留めずに言葉を続ける。
「特別任務に就く場合、お前はCクラスの立場を維持できる。ただし……"ある程度のリスク"を覚悟してもらうことになるがな」
ルカの眉が僅かに動いた。
(リスク?)
「内容は単純だ――Dクラス船員の管理区域で、"監視役"をしてもらう」
ルカの心臓が跳ねた。
「監視役だと……?」
「そうだ。Dクラスの連中が規律を乱さないように見張り、作業記録をつける。時には"作業効率を上げる"ための指導をすることもあるだろう」
ルカの奥歯が軋んだ。
「……つまり、Dクラスの奴らを管理する側に回れってことか」
保安員は端末を指で叩きながら、不敵に微笑む。
「お前のようなCクラスの若造にとっては、悪くない話だろう?」
管理する側と管理される側。その差は、ほんの少しの権限とルールだけで決まる。
ルカは無意識に拳を握りしめた。
「……ふざけるな」
だが、保安員は動じない。むしろ、彼の反発を見越していたかのように、端末をルカの目の前に差し出した。
「落ち着け、選択肢は2つじゃなくて3つだ」
保安員がそう言いながら端末を指で弾く。無機質なスクリーンには、それぞれの選択肢が記されていた。
――『1.Dクラス降格』
――『2.Dクラス管理区域の"監視役"』
――『3."特別任務"』
ルカは迷うことなく3つ目の選択肢に目を向ける。保安員は彼の視線を確認すると、少しだけ口元を歪めて答えた。
「……気になるか?」
「……"再生処理プラントへの派遣"って書いてあるが、具体的には何をするんだ?」
ルカは慎重に問いかける。だが、保安員はわざとらしく笑いながら、端末を指で弾いた。
「訂正しよう。再生処理プラントでの作業もあるが、お前に求められるのは、"とある存在"との定期的な接触だ」
ルカの眉がピクリと動いた。
「……"とある存在"だと?」
保安員は少し間を置き、ルカの反応を観察するように目を細める。
「この船には、とある区画に"保護"されている存在がいる。お前の仕事は、それと定期的に接触し、意思疎通を図ることだ」
ルカは違和感を覚えた。
(保護? それとも監禁? とある存在ってなんなんだ?)
疑念を抱きながらも、彼は問いを投げる。
「……お前が言う、それってのは何者なんだ?」
保安員は肩をすくめる。
「俺たちの知る限り、"この航行にとって極めて重要な存在"らしい」
あくまで他人事のような言い方だった。ルカは口を開きかけたが、保安員が先に言葉を続ける。
「詳細を知るには、お前がその役を引き受けるしかない。だが1つ言っておく……これまで、その"存在"と接触した者のほとんどは、精神的に不安定になり、数ヶ月以内に任務を辞退している」
ルカの心臓が高鳴る。
(精神的に不安定?)
「おい、待てよ……それって、そいつが危険だってことか?」
保安員はゆっくりと首を振る。
「いや、それは違う。少なくとも物理的な危険はない……だが、"接触した者のほとんど"が、ある共通の兆候を示す」
「兆候だと?」
「……"現実に対する違和感"を抱き始めるらしい」
ルカは思わず息を飲んだ。
(現実に対する違和感?)
保安員の言葉は、意味の分からないようでいて、不思議と胸に引っかかる。
「その存在と過ごせる時間はごく僅かだが、精神への影響を考慮すれば十分だろう。"何を見て、何を感じるか"は、お前の頭の出来次第だ」
そう言いながら、保安員はルカに端末を突きつけた。
「Cクラス船員ルカ・ヴァルディ、どうする? お前の"選択"を聞かせてくれ」
その瞬間、背後のモニターが唐突に光を放ち、船内放送が流れ出した。
『航行の安定と秩序こそが、我々の未来を保証する』
その声は、あまりにも耳馴染みのあるものだった。
――樹形素体ウプシロン。彼女の冷静で穏やかな声が、モニター越しに響き渡る。
『船内の混乱を防ぐため、全ての行動は慎重に判断すべきです』
ルカは不意に振り返った。モニターの中の彼女は、まるで彼を見据えているかのように微笑んでいた。しかし、それは何年、何十年も前に録画された過去の放送のはず。
だが、ルカの視界の端に、一瞬だけ奇妙なものが映り込んだ。映像が僅かに乱れ、画面の片隅にぼんやりとした文字が走る。
――『未来の選択』
瞬きをした瞬間、それは消えていた。
(今のは何だ? 錯覚か? それとも、何かの暗示か?)
ルカの心臓が高鳴る。モニターのウプシロンは、なおも船内の状況を説明していた。
『全ては航行の安全のため。我々フィトモルフは全ての生物のために最善を尽くしています』
映像のウプシロンがゆっくりと瞬きをする。その直後、またしても一瞬だけ、文字の断片が映り込む。
――『監視』
ルカの背筋に冷たいものが走った。
(いや……今のは……)
再び文字が流れる。
――『適合』
その言葉がルカの脳裏に焼き付いた。
「どうした?」
保安員がルカの挙動に気づき、怪訝そうに眉をひそめて背後のモニターを睨みつける。
ルカは息を呑んだ。モニターに映るウプシロンの微笑みが、どこか作り物めいて見える。
(まさか、誘導されているのか?)
そう考えた瞬間、恐怖と同時に奇妙な納得感が胸の奥に生まれる。
(……これが、俺の選ぶべき道なのか?)
彼は視線を下げた。手元の端末には、3つの選択肢が並べられている。
――『1.Dクラス降格』
――『2.Dクラス管理区域の監視役』
――『3.特別任務』
どれも正解とは思えなかった。だが、この絶望的な状況で、1つだけ確実に言えることがある。
(俺は、まだここで終わるわけにはいかない)
ルカはゆっくりと息を吐き、端末のスクリーンに指を伸ばした。
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