04「未来の断片マイノリティ・バド」
減速を終えたカプセルが停留所に到着し、ドアが開こうとした瞬間、席から立ち上がったウプシロンの身体が突然硬直した。
左眼から漏れ出した黄金の光がまるで神経を刺す針ように全身へ痛みを与え、膝が自然と床に沈み込む。胸を突き刺す痛みと共に、冷たい汗が額を伝い落ちた。
視界が反転し、現実の光景が断片となって消えていく。
次に浮かび上がったのは、異常な軌道を描きながら制御不能に陥るカプセル。そして、それが衝突し、連鎖的に再生処理プラントの通路が崩壊する様子だった。
粉塵が立ち込め、絶叫するクルーたちの悲鳴が耳鳴りのように響く。
その中にライアンの声すら混じっている気がした。
全身に響く耐え難い痛みに、ウプシロンは拳を握り締め、かすれた声で名前を呼ぶ。
不意に名前を呼ばれたライアンは、プラントに向かいかけていた足を止めた。振り返ると、普段冷淡で揺るぎないはずのウプシロンが、珍しく怯えたような顔でこちらを見つめている。
「おい、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
彼は一瞬手を伸ばしかけたが、相手がウプシロンだと意識すると、躊躇してその手を引っ込めた。
「少し寒気を感じただけです。お願いがあります……」
彼女のかすれた声と震える仕草に、ライアンの眉間に皺が寄る。
「気分が悪いんだよな? 何なんだよ一体……何があったって言うんだ?」
「正確な時間までは把握できていませんが、たった今カプセルが暴走して脱線する未来を見ました」
その言葉にライアンは目を細め、鼻で笑う。
「未来が見えるっていう例の力か。だが、それを信じろってのは虫が良すぎると思わねえのか?」
ウプシロンは答えず、代わりに手を差し出した。その仕草は普段の彼女らしい自信や傲慢さは微塵もなく、ただ弱々しく震えている。
「別に信じてくれなくても構いません。ただ、これは可能性の一つでしかありません。ですが、この船が無事でいるためには……」
「……俺が協力しなきゃならないってのか?」
ライアンは嘲笑うように鼻をこすり、目を伏せて舌打ちした。
彼女は弱々しく手を差し出し、これから起きるであろう可能性の芽を摘むために協力を求める。
ウプシロンの声はかすれ、普段の冷淡な響きは微塵も残っていない。
「私を助けると思って協力してほしい。いや、この船が、全員が無事でいられるために……」
ライアンはその言葉に目を細め、しばらく黙り込んだ後、溜息をつくように首を振った。
「悪いが断らせてもらう。俺には協力する理由がちっとも見つからねえからな」
淡々と言い放ったその声には、僅かな疲労感と苛立ちが滲んでいた。
ウプシロンは驚きのあまり唇を震わせると、彼をじっと見つめて「どうしてでしょうか?」と問いただす。
彼は短く鼻で笑い、カプセルの冷たい金属壁に背を預けて答えた。
「お前も知ってるだろう、俺らがなんでこんな鉄の箱に閉じ込められてるのかをよ。地球を壊した人類が俺たちを船に詰め込んだのは、未来を託すためじゃねえ。自分たちの汚点を無かったことにするためだ」
その言葉は、ただの愚痴や嘆きではない、深い虚無感が滲んでいた。
「この船で生まれた漂流世代の俺らにとっちゃあ、連中はただの荷物だ。昔の失敗を詰め込んだ、重すぎる負の遺産だよ」
ウプシロンは眉をひそめた。いつもの冷静な表情を取り戻しつつ、問いかけるように口を開く。
「だったら、貴方は未来に何を望んでいるの?」
ライアンは微かに肩をすくめ、天井の照明を仰ぎ見た。
「俺が生きてる間に、この航行が終わるなんて思っちゃいねえよ。それに、無事に続こうがどうなろうが、俺には関係ない。結局のところ、この船にいる限り自由も未来も何ひとつないんだからな」
ウプシロンは静かに彼を見据えたまま、言葉を選ぶように沈黙した。しかし、ライアンが立ち去ろうと踵を返した瞬間、彼女は僅かに口元を歪め、冷徹な微笑みを浮かべる。
「その未来が、貴方にとって無意味だと言い切れますか?」
ウプシロンの声は、静かだがどこか自信に満ちていた。まるで、その言葉の中に全ての答えが含まれているかのように――。
「どういう意味だ?」
ライアンは眉をひそめて振り返るが、その声には明らかに戸惑いと警戒の色が滲んでいた。ウプシロンは少し間を置いてから、冷静な目で彼をじっと見つめ、ゆっくりと口を開く。
「貴方が…ある人物に好意を寄せていることは知っています」
彼は驚いたように顔を上げ、その表情が瞬時に硬直する。そしてすぐにその言葉を呑み込み、反射的に首を横に振った。
「人間モドキのくせに……誰だよ、テメェに告げ口した野郎は!」
咄嗟に出た言葉には、激しい動揺が隠しきれずに漏れていた。彼の手がわずかに震え、言葉を紡ぐたびに、その動揺がひとしきり強まるのが自分でも判るほどに。
ウプシロンはその反応を、まるで試すかのように静かに見つめながら、微笑みを崩さなかった。その微笑みは、どこか冷徹で、遠くから観察しているかのように感じられる。
「どうして……」
ライアンは口を開こうとしたが、言葉が上手く続かない。自分の動揺がすぐにウプシロンに見透かされていることが怖かった。
「あの展望デッキでも申し上げたように、私は人類を新たな故郷へ導く唯一の存在です。未来を知ることは、私の特権だと忘れたのですか?」
彼女の声には、静かでありながら確信に満ちた響きがあった。その声が、まるでライアンの心の奥底にまで届くように響き渡り、胸の中に重くのしかかる。ウプシロンが、彼の最も守りたい秘密にまで踏み込んでいることに、ライアンは逃げ場を感じなかった。
「俺の未来を……?」
ライアンは思わず呟いたが、その声も震えている。彼は必死に視線を逸らし、呼吸を整えようとしたが、彼女の言葉がその度に胸を締めつけるように迫ってきた。
「その未来は貴方のものではない、と言いたいのでしょうか?」
ウプシロンの冷徹な言葉は、彼が今どんなに必死にその未来を握り締めようとしているかを、見透かしているようだった。
「ライアン。私は貴方の未来を知ることができる。それは私が選んだことでも、強制したことでもなく、私だけに与えられた力なんです」
その確信に満ちた言葉は、今度はライアンの背中を冷や汗で覆うほど圧倒的だった。彼の心の中に流れる僅かな反発心や疑念は、ウプシロンの冷静な一撃で簡単に打ち砕かれてしまう。
ライアンは目を閉じ、息を呑んだ。
体が重くなり、まるで彼が少しでも動こうものなら、足元の大地が崩れていくかのような感覚が全身を包み込んでいた。その感覚は彼にとって初めてのもの――。
「何の冗談だよ……」
ライアンは小声で呟いたが、その声には今までにはない不安が混じっていた。言葉にするのが怖い、というような感情が明らかに滲み出ている。
それから、ウプシロンは続けて語る。
「貴方が好意を寄せている彼女は、最近よく菜園の方に顔を出しているそうですね。何か目的があるのでしょうか?」
ライアンはそれを聞いて、目を見開いた。しばらく言葉を失っていたが、やがてその口が開く。
「嘘だろ。まさか、そこまで――」
ウプシロンはさらに一歩踏み込んだ。彼女の冷徹な言葉が、ライアンの心にひび割れるように響く。
「ライアン。貴方の選択次第です。何も行動を起こさなければ、数時間後にカプセルは制御不能に陥り、それが連鎖的に展開して船の破滅へと繋がります。そうなれば、必然的に彼女たちとの未来もまた失われるでしょう」
その声はまるで冷たく振り下ろされる刃のように、ライアンの胸に突き刺さった。
彼女は一瞬の沈黙の後、優しげな口調で付け加える。
「この船に未来がないと感じているなら、その未来を作るのは貴方自身の役目です」
ライアンは苛立ちを隠せない様子で視線を逸らした。しかし、その心の奥底では、ウプシロンの言葉が微かに響き始め、意識の隅で何かが動き出しているのを感じていた。だが、その不安は予想もしなかった方向へと続くのだと、まだライアンは知る由もない。
ウプシロンは、彼の揺れる心を見逃すことなく再び口を開く。その声には、どこかに余裕が感じられた。
「利害が一致したのだから私たちは共に進むべきです、ライアン。お互いに必要とし合っているのですから」
その言葉を聞いたライアンは、無意識に息を呑んだ。彼の心の中では、ウプシロンがまるでチェスの駒のように自分を動かそうとしているのを感じていた。しかし、目の前にいる彼女の冷徹さに対する反発を今は隠しきれない。
「……調子に乗るなよ、人間モドキ」
彼の声には、自分の中で割り切りきれない感情が渦巻いていたが、それを口に出すことで少しだけ楽になったような気がした。
ウプシロンが伸ばした手を、意を決したように握り返す。無理やりにでも協力するしかないという現実が、彼を突き動かしていた。しかし、その握手には強い嫌悪感が付随している。だが、彼女はまるでその感情が予想通りであるかのように、用意周到に微笑んだ。
「理解していただけて嬉しいです。私も貴方の気持ちは分かりますよ。ですが、貴方の協力が必要ですから……」
ウプシロンの冷徹な言葉に、ライアンは深い溜息をついた。自分がこの状況に巻き込まれていることを再確認し、完全に諦めたように肩を
「じゃあ、まずは何から始める? 俺はテメェを再生処理プラントまで送るために、こんなところまで来たんだぞ?」
ライアンが問いかけると、彼女は一瞬の沈黙の後、考える素振りをして静かに答える。
「まずは、お腹を満たしませんか? 貴方も勤務明けでお疲れでしょうから」
彼女の言葉に、ライアンは驚きの表情を浮かべる。
それは再生処理プラントへ向かう道筋が示されたと思った矢先、食事を提案されるとは思いも寄らなかった故の反応。しかし、ウプシロンはそれを無理に笑顔で伝えたわけではなく、あくまで冷静な口調だった。
「食事? 今の状況で?」
「はい。近くに美味しいと評判の食堂があるのをご存知ですか?」
ウプシロンは親しみを込めて微笑み、ライアンに何とも言えぬ安心感を与える。
「無駄に考えすぎても良い結果は得られません。少し休憩をして、再び動き出しましょう」
ライアンは一瞬、迷ったものの、彼女の無理のない言い回しに背中を押されたような気がして、溜息をつきながら頷いた。
「分かったよ。だが、すぐに用事を片付けろよ。時間を無駄にしたくはねえからな」
ウプシロンは微笑みながら、すぐに足を踏み出す。ライアンは後ろからついていくことにした。
通路を歩きながら、ウプシロンはちらりと彼に視線を向ける。
「食堂に向かいます。私たちが必要な栄養を摂取し、再度目標に向かって歩み出す準備を整えましょう」
「なあ、人間モドキ。食事なら道中でCクラスのオッサンがくれた高機能栄養食があるだろ。あれじゃあ足りねえのか?」
ライアンは彼女に対して皮肉を交えながら、植物由来の高機能栄養食をポケットから取り出す。しかし、廊下を歩いていたウプシロンは捨て台詞を残すと、機嫌を損ねて足を速めた。
「ライアン。私が女性を模して造られた
ウプシロンの言葉には、僅かに冷たさを増した鋭さが感じられる。それに気づきながらも、ライアンは顔を背けずに答えた。
「あーっ……そういえば、そんなことも言ってた気がするわ」
彼の声には少し苦笑が含まれたものの、内心では何かを恐れているような気がしていた。ウプシロンの目に宿る鋭さが、だんだんとライアンを追い詰めていくように感じる。だが、その感覚を否定したくて、彼は無理に言葉を振り絞った。
「分かったよ、食堂に行こうぜ」
ウプシロンは少しだけ目を細め、足を速めた。それが、単に機嫌を損ねたのか、それともライアンの心に何かを突きつけたからかは、彼には分からない。
廊下を歩いている途中、彼女はふと立ち止まり、視界が一瞬歪んだ。未来の断片が彼女の左眼に流れ込む。それは、しばらく先の出来事ではなく、今すぐにでも起こり得る小さな変化だった。
無視すれば些細なものだが、ウプシロンの視界からはそれがどれだけ影響を与えるかが予測が立てられる。
ちょうどその時、横を通り過ぎた若いCクラス船員がIDカードを手にしていた。彼女は船員の肩を叩くと静かに口を開く。
「そのカード、裏返したほうがいいわよ」
船員は立ち止まり、怪訝そうにカードを見つめた。
「……は?」
「磁気ストリップが傷んでいるわ。次のチェックポイントで引っかかるかもしれないの」
船員は一瞬戸惑いながらも、指示に従ってカードを裏返して頷く。
「……あ、ありがとう」
ウプシロンがそのまま歩き出し、ライアンが少し呆れたように声を上げる。
「おい、何のつもりだよ?」
「少しの遅れが大きな遅延を生むの。放っておくべきではないわ」
「お前のその『全部見えてる』って態度、鬱陶しいんだよ」
「全部なんて見えないわ」
鼻歌交じりに相好を崩して「ただ、分かるだけなの」と語り、その後も彼女は時折立ち止まると、通りすがりの船員に短い助言を与え続ける。
「その工具、清掃を忘れないで」 「迷ってるのなら、ランチはもう一つのメニューにした方がいいわよ」 「自室に戻る前にシャワー浴びなさい。奥さんが浮気を疑ってるわ」
ライアンはそのたびに苦笑いを浮かべ、彼女の行動がますます予測不可能に見えてきた。しかし、それは彼が未来を知らないから起こる当然の反応。
数時間後、数日後、そして数年後。
次第にライアンは知ることになる。彼女の小さなその助言が可能性の芽を摘んでいることを――。
滅びの種-Doomed Seed- 椎名ユシカ @tunagu_mono
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。滅びの種-Doomed Seed-の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます