07「自律型素体オートノーム」


 霧が立ち込めた通路に、ウプシロンとライアンの足音が静かに響く。再生処理プラントへの道は、いつもより異様な湿気と酸の匂いで満ちていた。


「ここが問題の現場ね。湿度が上がっているのは危険信号よ」


 ウプシロンの声には軽やかさがありつつも、状況を慎重に見極める冷静さが混ざっていた。


「ここは船内で最も清潔であるべき施設なのに、この異臭は異常だわ」


 霞がかった廊下を進むと、巨大なプラントの扉が姿を現した。錆びた縁とわずかに開いた隙間から漏れ出す異臭は、事態の深刻さを物語っている。

 扉をくぐると、焦った様子の職員二人が乱れた制服姿で迎えた。一人は若いCクラス船員、もう一人は中年のBクラス船員だ。


「ウプシロン様、ライアンさん、来てくださりありがとうございます!」


 Cクラス船員の青年が深々と頭を下げた。


「どんな状況?」

「蒸留装置が異常な圧力を記録していて、配管が破裂寸前です。このままだと汚染水が回路に逆流する恐れがあります」

「そんなに悪くなっちゃったのね」


 ウプシロンは心配そうに眉をひそめる。


 職員たちの案内で制御室に向かうと、薄暗い空間にエラー表示の点滅するホログラムが浮かんでいた。

 その奥には、ウプシロンとよく似た植物と機械が融合した生命体――後継型樹形素体フィトモルフが静かに立っている。


 フィトモルフの滑らかなデザインは、ウプシロンよりも洗練され、鮮やかな緑色の光を放つラインが植物の生命力を象徴している。しかし、その視線はモニターと装置の間を行き来し、問題解決に手間取っている様子だった。


「こんにちは、ウプシロン。状況が手に負えなくて困っている」


 フィトモルフの声は女性的でありながらも機械的で、冷ややかな響きがあった。


「ヴァイオレット。あなたでも解決できないなんて、相当な事態ね」


 ウプシロンは小首をかしげ、静かに微笑む。


「心配しないで。私が必ず原因を見つける」


 その時、別の職員が慌ただしく制御室に駆け込んできた。


「汚染水の拡散がさらに広がっています! 自律型素体オートノームを投入しましたが、間に合うかどうか……」


 作業エリアの映像がホログラムに映し出された。蒸気が立ち込める中で、防護服もつけずに作業を進めるオートノーム。その動作は正確だが、明らかに酷使されていて心許ない。


「彼らの頑張りがなければ、もっと酷い状況だったでしょうね」

「だが、あのアンドロイドにばかり頼るのも限界がある。何とかしないとマズイな」


 ウプシロンが画面を見つめて静かに告げると、近くにいたライアンが答えた。事態が深刻なことを感じ取ったのか、彼の表情には余裕が感じられない。

 彼女は制御室を後にし、フィトモルフと共に問題の発生源と思われる作業エリアへ向かった。ウプシロンの視界には、左眼を通じて現場の詳細データが次々と流れ込む。


「湿気が異常に濃い……汚染水の流れがどこかで詰まっている可能性が高いわね」


 フィトモルフの触手が空中に浮かび、周囲のセンサー情報を集めながら答える。


「この近くのタンクエリアから、かなり高濃度の化学物質が検出されている。それに、不自然な損傷もいくつか……誰かが故意に破壊した可能性がある」

「破壊行為? それは本当なの?」


 ウプシロンの声に緊張が混じる。フィトモルフが体内デバイスから提示したホログラムには、タンク周辺に散乱する金属片、不自然な形で破損したパイプラインが映し出されていた。

 それらはあまりにも人為的に見える。


「まだ確証はない。でも、事故とは考えにくい。誰かが作業中にミスをしたのか、それとも……」


 そこへ、ライアンが険しい表情で追いついてきた。


「状況が悪化しているぞ。汚染水が別の循環ラインにも影響を与え始めてる。誰がこんなことをやったのか、早く突き止めないと」

「急がないとプラント全体が使い物にならなくなるわね。現場を直接見てみましょう」


 ウプシロンがタンクエリアへの扉を開けると、蒸気と異臭が一層強く漂ってきた。その空間の奥には、動かなくなったオートノームが1体倒れている。


 オートノームの機体は酷く損傷しており、黒く焼け焦げた跡が見える。

 機体の胸部には、何かを内部から破壊しようとしたような痕が残されていた。


「ウプシロン。これ……オートノームが自分で爆発したみたいに見えませんか?」


 フィトモルフが眉をひそめた表情で近づく。


「自壊するなんて聞いたことないぞ。誰かが遠隔操作で暴走させたのか?」


 ライアンが疑惑を口にすると、ウプシロンは倒れたオートノームに触れ、そのボディのわずかな熱を感じ取った。


「暴走の痕跡は見当たらないけれど、内部に妙なデータが残っているわ」


 ウプシロンの声が低くなる。倒れたオートノームの近くには、本来ならば機体内部に埋め込まれているはずのデータチップが破損した状態で捨てられている。それは通常のAIプロトコルではない、異質な構造を持つデータだった。


「これ……誰かが意図的に仕組んだ可能性が高いわね」


 微かに眉をひそめてウプシロンが呟く。彼女の指先がデータチップの外殻に触れると、熱を失った金属の冷たさが皮膚を通じて伝わった。


「これがここにある理由……そして、このオートノームがここで倒れている理由は、誰かが仕組んだことなのかもしれません」


 その言葉には確信よりも疑念が混じっていたが、隣に立つライアンはそれを聞いて息を呑んだ。


「つまり……人為的な破壊工作の可能性があるってことか⁉︎」


 ウプシロンは答えず、タンクの奥へ視線を向けた。漂う蒸気の中に見え隠れする影が、事態の核心に触れるのを躊躇しているようにも見える。


「この先に真実があるはず。でも、今は分からないことが多すぎる」


 蒸気の向こうから、再生処理プラントの機械音が不規則に響く。フィトモルフがその場を離れるよう促し、ウプシロンは一度現場を後にした。

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