12. 魔法陣
わたしを一階のテーブルを前に座らせると、カレルは両腕を広げて声を上げた。
「ではお待ちかね! 魔法陣の勉強をしていきましょう!」
「別に待ってないけど」
「辛辣ぅ」
わたしの気のない返事に、カレルはやけっぱちになったのか、ハッハッハ、と笑った。
「とりあえず、簡単なものを描きますね。それでなんとなくの感覚を摑んでいただければ」
「そんなのでいいの?」
「最初ですから。見てもらえれば、どうして古代ファラクラレ語が必要なのかとか、そういうことがわかってくると思います」
「ふうん」
「では」
カレルは紙を一枚取り出すと、それにインクをつけた羽ペンで二重丸を描く。
「たいていの魔法陣は、まずはこの円です」
「へえ」
彼は器具もなにも使わず、見たところ、とても美しい大きさの違う正円を二重に描いてみせた。
「僕の家にある魔導書の魔法陣は、ほとんどがこれが元になっています」
それからその円の中に、五本の線で表された星型を一筆書きで付け加える。
「この星を、五芒星と呼びます」
「五芒星……」
そして彼は身体を起こすと、わたしのほうにペンの持ち手の方を向け、差し出してきた。
「では、まずはここまで。お嬢さまもどうぞ」
「これだけ?」
「はい」
頷いて返されたので、わたしはペンを取り、見よう見まねで円を描く。
その横で、カレルは説明を続けた。
「魔法陣は、円で描かれるものがほとんどです。円とは理。循環。宇宙。魔法を扱うには、円と球が基本だと思っていただければ。もちろん変則的なものもありますが、基本は円と球です。これを元に、イメージしていくのです」
「ううん……」
ところが、わたしが描いた円は、とても歪な形になってしまった。カレルのものとは、比べるべくもない。
あまりの不格好さに、羞恥心が湧いてでてくる。
わたしはペンを置くと、手のひらでテーブルを叩いた。
「もう! 横でごちゃごちゃ言うから!」
「それはすみません、お嬢さま」
わたしの八つ当たりに、カレルは笑みで応える。
「では黙っておきますね」
「う……」
静かに集中すれば、綺麗な円が描けるかと言われると、描けないのだろう。黙られると、言い訳を失ってしまう。
「い、いいわよ、喋っても」
「そうですか」
そしてカレルは、またペンを持つと、サラッと円を描いた。当然、今回も美しい形をしている。
「……案外、描けないものなのね」
「こういうのは、慣れですよ」
柔らかな声音で、そう言い聞かせてくる。
描き慣れているから綺麗に描ける、ということらしい。彼は本当に魔法陣の勉強をしてきたのだ、と実感する。
「僕も最初は酷いものでした」
それならば、わたしもいつかは美しい正円が描けるようになるのだろうか。
頰杖をついて、綺麗な円と歪な円を交互に眺めてため息をつく。
「円って難しい……」
「器具を使いますか? コンパスを持ってきましょう」
なんだ、それでもいいのか、と少しばかりホッとするが、その提案にわたしは首を横に振った。
「いい。なんだか悔しいから」
「そうですか」
わたしの返答に、カレルは目を細めた。
とにかくとりあえずは練習だと、大きな円から小さな円まで、紙にたくさんの円を描いた。何度も描くうち、次第にまともになっていったが、それでもカレルほどには描くことはできなかった。
「魔法陣は円が基本なのよね?」
「そうですね」
「描かせないようにしているとしか思えないわ」
唇を尖らせてそう抗議すると、彼は苦笑交じりに答えた。
「それは魔法陣を開発した人が、世界を円と捉えたからですね。そのせいです」
そんな昔の人を責めても仕方ない、ということだ。
カレルはさらに付け加える。
「あと単純に、円だと隅々まで力が行き渡ります」
「そういうもの?」
「中心からの距離が等しいと均等に届きます。力に強弱が出ないように」
「わかるような、わからないような……」
わたしが首を捻っていると、カレルは少しの間考え込んで、そして手を打った。
「たとえば、掃除をすると、角だけ埃が残ったりするでしょう」
「知らないけど」
「角は面倒なんですよね。丸い部屋のほうが綺麗に埃が取れます。この塔は丸いので、やりやすいです」
「そう……」
「それと同じです」
同じかしら? よくわからない喩えを出されてしまった。
難しい顔をしていたのだろうか、カレルは机上の紙やペンを片付け始める。
「焦ることはありません。お嬢さまには楽しく勉強してもらいたいです」
「楽しく……ないことはないけど」
そもそも、綺麗に円が描けるようになって、魔法陣を自由自在に描いたとしても、魔法が発動するとは限らないのだ。いや、発動するはずがないのだ。
それを一生懸命学んだところで、いったいなんになるというのだろう。
無駄だとわかっているはずが、どうしてわたしはカレルに付き合って、こんなことをしているのだろう。
そうは思うのに、わたしはカレルからペンと紙を奪い取り、また円を描き始めてしまったのだった。
◇
それからの日々でも、魔法陣の勉強は続いた。
どちらかというと通常の座学を中心としていて、合間に気分転換のように魔法陣を描く。
たぶんそれは、わたしが嫌にならないように、とカレルが配慮した結果の進行なのだろう。
「この二重丸の隙間とか、魔法陣の中の空白に、古代ファラクラレ語で指示を書いていきます」
「だから、古代ファラクラレ語が必要ってことなのね」
「ちなみに、書いたあとに違う言葉で打ち消すこともできます」
「じゃあ書かなければいいじゃない」
「完全に打ち消すわけではなく、一部を残したりとか、そんな感じです。魔法陣の中にまた小さい魔法陣を書いて複合させたりもします。そのあたりの釣り合いとか均衡は、個人の裁量でもありますね。自由なんです。だから、お嬢さまの好きに書いていいですよ」
「好きに……と言われると、思いつかないわね……」
カレルが持ってきた、古代ファラクラレ語について書いてある本をパラパラと捲るが、なにをどう組み合わせればいいのか、さっぱりだ。むしろ、見本を出してもらって、それをなぞりたい。
「お嬢さまのやりたいこと、でいいんですよ」
「やりたいこと……」
まるで思い浮かばない。この塔の中でできることなど、知れているのだから。
ヤナはその勉強とも呼べない勉強を、なにも言わずに眺めている。
わたしはある日、彼女に問いかけてみた。
「馬鹿なことをしていると思う?」
するとヤナは斜め上を見て、うーんと唸ったあと、口を開いた。
「本当に魔法が使えるようになったら面白いな、とは思っています」
その言い方からして、馬鹿なことをしているな、とは思っているのかもしれない。
わたしが傷つかないように、言葉を選んだのだろう。
「そうね、そうなったら面白いかもね」
フッと笑って返事をすると、彼女も小さく笑った。
「魔法が使えるようになったときのために、お嬢さまには、火魔法を覚えていただきたいです」
「火? どうして」
彼女は調理場をチラッと振り返ったあと、口元に笑みを浮かべた。
「火起こしを魔法でパパッとしてもらえると、大変便利です」
「そうよね、できるといいわね」
そうだ。おとぎ話のせいで、魔法とは怖いものだと皆が思っているが、本来なら便利なものだと憧れてもいいはず。
『お嬢さまのやりたいこと、でいいんですよ』
カレルはきっと、魔法が使えることに憧れているんだろう。だから、こんなことが言えたのだ。
わたしのやりたいこと。
この塔を出ること……とかだろうか。
「わたしは、空が飛べるといいかしら」
「気持ちよさそうですね」
「風魔法を使うといけるかもしれません」
そこでカレルが口を挟んできた。
「風魔法?」
「はい、火の属性は正三角形で表します。風はその三角形の真ん中あたりに直線を引いて上下に分けます。これを魔法陣の中に取り込みます」
「正三角形……また難しそうな……」
わたしのしかめっ面を見たのか、カレルは苦笑交じりに返してくる。
「大丈夫ですよ、円より簡単に書けます。ただ、飛ぶのなら、かなりの大きさの魔法陣が必要になるでしょうね」
「大きくないといけないの?」
「人が飛べるほどの魔術となると、書き込む情報が多くなります。服……程度だとちょっと難しいかな。大きな布にでも描いて、その上に乗るなら、飛べるかも」
カレルは腕を組んで思案している。どこか楽しそうだった。
「それから、魔法陣は、巨大なほうがいろんな情報を盛り込めるので、それだけ強力にはなりますが、扱うためには比例して大量の魔力が必要になるのも、難しいところです」
「じゃあ結局のところ、無理なのね」
「お嬢さまなら、きっといつか、空を飛ぶこともできますよ」
「はいはい」
わたしたちが今している会話は、荒唐無稽な夢に過ぎない。
それなのに、具体的なやり方を目の前に提示されると、もしかしたら、と思ってしまう。
そしていつかその夢を叶えるためにがんばらないと、だなんておかしなことを考えてしまう。
変なこと、おかしなこと、と思いながらもこんな勉強をしているのは、やっぱり楽しいからなのだろう。
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公爵令嬢のわたしは、世界を滅ぼせる魔女らしい 新道 梨果子 @rika99
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