11. 来客

 ある日、一階のテーブルでカレルと生物について勉強していると、コンコンコンコン、とドアノッカーの音が響いた。


 わたしたちは思わず顔を見合わせてしまう。

 こんなことは、初めてだ。


「……来客、ですよね」

「そうね。誰……かしら」


 わたしがこの塔に来たばかりの頃には、何回か鳴らされていたと思う。

 お父さまもお母さまも、入るときにはドアノッカーを鳴らしていた。


 もしかして、とドクンと心臓が脈打った。

 いや、期待してはいけない。あるはずがない。何度も裏切られて、そして諦めたのだ。

 もう希望なんて枯れ果てたと思っていたのに、まだそんな想いが自分の中に残っていたことに自分で驚く。


 カレルが玄関に向かい、そして中から声をかけた。


「はい、どちらさまでしょう」

「失礼。私は、王家に仕えるチェンバレン伯爵家の者です。ツェツィーリエ・ヘイグさまにお目通りを願いたい」


 外から男性の声がする。二十歳前後と思われる、若い声だ。


「王家……」


 カレルがぽつりとつぶやいて、さらに外に向かって問いかけた。


「ご用向きは、王家よりの使い、ということでよろしいでしょうか」

「そうなります。いやなに、そんな仰々しいことではありません。ただ単に、ご挨拶をと。お時間は取らせません」


 カレルがこちらを振り向く。だからわたしは小さく頷いた。

 気は進まないが、断る理由がない。


 それを受けて、ヤナはすばやくテーブルの上の教材を片付けて、調理場に入っていく。

 カレルが開いた扉から入ってきた男性は、二人の従者を従えて、わたしに向かって腰を折った。


「お初にお目にかかります、ツェツィーリエ嬢。私はチェンバレン伯爵家が次男、ダニエルと申します」


 栗色の短髪と同じ色の瞳の男性だ。スラリとしていて礼儀正しく足を揃えて立っている。

 細い目がわたしを見つめていて、薄い唇には笑みを浮かべていた。


「突然の訪問に快く応えていただき、感謝申し上げます」

「そう」

「それにしても、このように美しくも愛らしいお嬢さまとは思っておりませんでした。これは、ぜひ親睦を深めさせていただきたく思います」


 彼は軽い口調でそう続けた。胡散臭さがカレルを上回っている気がする。


 その背後で、カレルは扉を閉めると、こちらに歩み寄ってきて、さりげなくわたしの後ろに控えた。

 一応、こういった来客に備えて二階の部屋はあるはずだが、通すつもりはないらしい。わたしも特に必要性を感じなかったので、口添えはしなかった。


「なんのご用かしら」


 言いながら、テーブルを挟んだところにある椅子を、開いた手で勧める。彼は、ペコリと頭を下げると腰掛けた。従者二人は彼を守るように、背後に立って控えている。

 ダニエルはゆっくりと口を開いて、説明を始めた。


「実は、王家の使いというより、完全に私個人のことなのですが」

「個人?」

「はい。このたび、運よく王太子殿下のお側に仕えることになりまして。社交の場でお会いできる方には挨拶も済ませたのですが、ツェツィーリエ嬢だけにはどうしても会えず」

「でしょうね」


 だってわたしは、この塔から出られないのだ。そんなところで会えるわけがない。


「ですので、お邪魔かとは思ったのですが、このように会いに来てしまいました。ああ、王家の許可も、そしてヘイグ公爵家の許可も得ております」

「聞いていないけど」

「先ほど公爵家に寄ってきたところですからね。これも私個人の都合なのですが、急に時間が空いたので、これ幸いとやってきてしまったのです」


 わたしのほうは、暇を持て余しているのだから、別にいつでも構わないといえば構わない。


「今まで、わたしに挨拶に来た方なんていなかったわ」

「単純に、私の主義なのです。貴族の方すべての顔と名前を一致させたいのです。王太子殿下の側に侍るならば、最低でもこれくらいは必要かと」


 すべてというからには、当主やその夫人だけではなく、その兄弟や子息や令嬢に至るまで、ということなのだろう。どれくらいの人数になるのか、見当もつかない。


「私はしがない伯爵家の次男ですから。王族に仕えるからには、少しの手抜かりもなくやらなければ、生き残れないと思っているのですよ」


 哀れを誘うような声で、そんなことを話す。

 そこでヤナが調理場から出てきて、彼とわたしの前に、それぞれ紅茶の入ったカップを置いた。


「やあ、これはありがとう」


 にっこりと笑うと、ヤナに向かってそう礼を述べた。


「どうぞ」


 そう声をかけると、彼はカップに手を添え、持ち上げる。


「では遠慮なく」


 そして躊躇なく、口を付けた。

 わたしはそれを見て、小さく息を吐く。


 なにか感じたのか、ダニエルは小首を傾げた。


「なにか?」

「あなたは、わたしを怖がらないのね」

「ツェツィーリエ嬢を? なぜ?」

「なぜって……わたしが『黒き魔女の魂のカケラ』を持つ者だからよ。怖がらない人なんて、いやしないわ」


 正確に言えば、わたしの側に控えているカレルやヤナは例外だ。でもそんなことは明かす必要もないだろう。

 すると彼はこう返してきた。


「愚かな人たちがいるものですね。本気でそんなおとぎ話を信じているなんて」


 そう言って、ふるふると首を何度も横に振る。


 イラついた。

 元はといえば、王家の命令でこんなことになっているのに。

 その愚かなことをしているのは誰だ。


「王家はそのおとぎ話を信じて、わたしをここに閉じ込めたわ」

「ええ、当然、愚かなことと思います」


 意外なことにダニエルは、そうサラリと返してきた。


「ファラクラレの頂点に立つ方々が、困ったものです」


 そしてこれみよがしにため息をついた。


「大丈夫なの、そんなことを言って」


 控えている二人の従者に視線を移す。彼らは表情を変えないまま、立っていた。


「そんなことを口にできるから、私は王太子殿下に重宝されているのです」


 そうしれっと言うと、片方の口の端を上げる。

 なるほど、歯に衣着せぬ物言いが評価されているということか。それを許している王太子も、苦言に耳を傾ける聡明さを持ち合わせているのかもしれない。


 それならば、いつか王太子が王座に就くとき、わたしはここを出ることができるようになるのだろうか。

 いや。そんな期待はそれこそ、愚かだ。


「お時間は取らせません、というお約束でしたから、名残惜しくはありますが、今日はこのへんでお暇します」


 ガタ、と椅子を引いてダニエルは立ち上がる。

 ほとんどなにも話していないが、わたしは特に引き留めなかった。


「ではツェツィーリエ嬢、またお会いできるのを楽しみにしております」


 そう言いながら、彼はわたしのいるほうにゆったりと歩み寄り、そして突然に跪いた。


「えっ」


 それからすばやくわたしの手を取り、その手の甲に唇を寄せる。


「なっ」


 背後でカレルの短い声がした。


「またいずれ」


 笑みを浮かべた彼を見て、わたしは肩を落として答える。


「そのとき、まだ怖がっていなかったらね」

「ではまた会えますね。よかった」


 そんなことを言いながら、彼は背中を向けた。

 ヤナが玄関のほうに向かい、彼らのために扉を開く。


「そういえば」


 しかしダニエルはヤナの前で足を止め、彼女に向かって問いかけた。


「ここは、警備の者はいないのですか? 塔を守る者がいてもいいと思うのですが」

「いません。私たちだけです」

「へえ……」


 ダニエルはなぜかしばらく目を伏せてなにかを思案していた。

 なんだろう。誰も来やしないのだから、警備など必要ないと思うのだが。


「なにか?」

「いえ、お気になさらず」


 ひらひらと手を振ると、彼は玄関の外に出て、こちらに向かって一礼して去っていく。


 ヤナが扉を閉めると同時に、カレルがわたしにひそひそと話しかけてきた。


「これは、王家の横やりというものでは」

「そうかもね」


 わたしだって、ダニエルの言い分をなにもかも信じるほど、お人好しではない。彼がわたしを警戒して様子を見にきたとしても、なんら不思議ではないのだ。


 仮にダニエルが魔法を信じていないとしても、王太子やその周辺は危険視している可能性はある。その命を受けてやってきたのかもしれない。

 先触れもなしに訪問したのは、なにか怪しげな動きをしているのではないかと、抜き打ちで調査したかったのかもしれない。


 むしろ、個人的に挨拶したかった、という理由のほうが無理があるように感じられる。


「あいつ、ムカつきます」


 なにやら憤慨した様子で、カレルが言った。


「仮にも伯爵家のご子息よ、陰口はやめておいたら?」

「あいつもなんでも口にするんでしょう? 責められる筋合いはありません」

「まあ、そうね。でも本人の前ではやめてよ。波風は立てたくないわ」

「大変不本意ですが、承知いたしました」


 そんな返事をして、カレルは頭を下げる。


「なにがそんなに気に入らなかったの」

「……お嬢さまに触れたので」

「え? そんなこと?」

「そんなことではありませんよ」


 そしてわずかに唇を尖らせる。

 いつものようにそこから軽口になるかと思ったが、彼はそのまま口を噤んだ。

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