10. 魔導書
ところが。彼は古代ファラクラレ語の本はわたしに差し出したが、魔導書なんてものは持ってきていなかった。
わたしは半目になってカレルを見つめてしまう。
「実は、そんなもの持ってないんじゃないの」
彼はぶんぶんと首を横に振った。
「いえいえ、先祖代々伝えられた由緒正しき魔導書が、我が家の地下にたんまりとございます」
「ないならないって、素直に言えばいいのに。実は休みたかっただけでしょう。休暇なんて、嘘をつかなくても好きなだけ取らせてあげるわよ」
「違います! これには深いわけが」
「はいはい」
「本気にしていませんね、本当なんです」
「じゃあその深いわけとやらをどうぞ」
手のひらで指して促すと、彼は苦渋の表情を浮かべ、ぐっと拳を握って声を絞り出した。
「重いんです」
「え? それくらいで」
少し分厚いくらいなら、がんばれば持って来られるのではないだろうか。
やっぱり適当なことを言っているんじゃないの、と責めようと口を開いたところで、彼は続けた。
「粘土板なもので」
「そ、そう」
「まだ紙がなかった時代の魔導書なんですよね」
「……なるほど」
そうきたか。
「粘土板は一枚に書ける情報が少ないので、ひとつの魔法を説明するだけでも何枚も必要なんですよ。簡単なものを持ってこようかと思ったんですが、それでも重かったので断念しました」
「そう」
「羊皮紙に書かれた魔導書もあるんですが、古くて持ち出すのはちょっと……。持ってこようとはしたんです。でも、動かすと破損しそうで怖くて」
「やっぱり胡散臭い……」
「いや本当ですって! たくさんあるんですって!」
あまりに必死に訴えるので、ヤナのほうを振り返ると、彼女は頷いて答える。
「本当ですよ。うちの地下室に、粘土板の魔導書らしきものはあります」
「へえ……」
では嘘をついてはいないということか。
「なんでヤナの言うことは信じるのに、僕の言うことは信じないんですか……」
「胡散臭いから」
「酷い!」
「でもなぜ、家に魔導書なんて置いてあるの」
わたしがヤナのほうを振り返って訊くと、彼女は小首を傾げた。
「さあ。昔からあるので」
「いつから住んでいるの」
そういえば、家が古くて建て直したいという話だった。まさか魔法が実在したという時代……、八百年以上前からある建物なのだろうか。
「祖父母の代には、もう住んでいたのは知っています。でも、父さんも母さんも、どうして魔導書があるのかは知らないようです。というか、本物の魔導書だと思っているのは、兄さんだけですよ」
「そうなんだ」
「本物なのに……」
カレルは不満そうに唇を尖らせたが、ヤナはそれを無視して続けた。
「両親は、元々そこに住んでいた好事家がそういうのを集めていて、たまたまうちの先祖がその家を買い取ったんじゃないかって言ってます」
「なるほど」
その魔導書らしきものを見て育ったカレルが、それらを本物だと信じて興味を持ち、そしていつしか『黒き魔女』の信奉者になったということだろうか。ありえる。
「捨ててもいいんですが、あんなに大量だと捨て場所にも困ります。だから、そのまま置いているんです。地下室だし、邪魔ではないので」
「大量なのね」
「粘土板のものがほとんどですから、場所を取るんですよ」
「捨てるなんてとんでもない。宝の山ですよ」
カレルが口を挟んできたが、わたしたちはそれを無視して話を進めた。
「まあとにかく、本物かどうかは置いておいて、それらしきものは存在しているってことね」
「そうですね。私たちしか知らないから、信じてくれとしか言えませんが」
「ヤナが言うなら信じるわ」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げて、そして顔を上げたときには、頰がわずかに染まっていた。喜んでくれているらしい。よかった。
「でも、私たちしか知らないって、誰にも言ったことはないの?」
「はい、お嬢さまが初めてではないでしょうか。父さんが、あんまり他人に話すな、って言うもので」
「どうしてかしら」
「だって魔導書が家にあるだなんて言ったら、変人だと思われるのがオチじゃないですか」
少なくともカレルは、紛うかたなき変人だと思うけど。
「下手したらご近所から疎外されます。怪しげな魔術に傾倒しているだなんて、忌避されても仕方ないです。我が家は古いし、いかにもって感じですから。兄さんだって外では、ここまで大っぴらに魔法について語りません」
『黒き魔女の魂のカケラ』を持っているらしいわたしは閉じ込められたが、ただ単に魔術に興味を持っているだけでも、そんなことになるのか。
「まあいいです。僕の頭の中には入ってますから、教えることはできます」
わたしたちの横でがっくりとうなだれていた変人は、気を取り直したように身体を起こした。
「まずは今までのように基礎の勉強と、それに加えて古代ファラクラレ語を学んでいきましょう」
「わかったわ」
そうしていつもの勉強が始まった。
でもどうしたわけかわたしは、その魔導書はどんなのだろう、ちょっと見てみたい、とずっと心が躍っていたのだった。
そんなわたしも、きっと変人なのだ、と思うと小さく笑いが漏れた。
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