9. 届かない本
それからも、そんな勉強は続いた。
だいたいは本棚にある本を適当にカレルが選んで、その内容の説明をする、という感じだ。
一度は読んだことがあるはずなのだが、改めて説明されると感心することも多くて、楽しく学んでいる。
「頼んでいた本が届きませんね」
ある日、カレルが不安げにそう零した。
「すぐに来ないことは、今までにもよくあったわよ」
「そうですか……」
「なんでそんなに心配そうな顔してるの」
彼の心許ない声音に、わたしは首を傾げる。
カレルは真剣な眼差しをして答えた。
「心配ですよ。やはり王家に警戒されてしまったのではないかと」
「考えすぎじゃない?」
わたしはその疑念に、なるべく軽い感じに聞こえるように返した。
「わたしの読む本なんかまで、王家がいちいち確認したりしないでしょ」
カレルは先日も、王家の横やりを警戒していた。わたしも、まったく不安がない、と言えば噓になる。
わたしのことを怖がっている人がいるのは、紛れもない事実だから。
だからといって、わざわざ不安になるようなことは考えたくない。
今、せっかく穏やかに生活できているのに。
それに、王家は、わたし自身に危害を加えるはずがないのだから。
『殺してしまえば黒き魔女の魂を解き放ってしまうだろう』
このおとぎ話の通りなら。
カレルは気を取り直したように、パン、と手を叩いた。
「まあ、そうですね。警戒されたときのために、何冊も本の希望を出したんですから」
「そうよ」
「まだまだ勉強することはありますしね」
「そうね」
「本が届くのを楽しみにしていましょう」
「わかったわ」
話がそれ以上広がらないように、とわたしはコクコクと頷き続けた。
カレルもそれを感じ取ったのか、いつものニコニコとした表情に変わっていく。
「本が届いたら、魔法陣なども勉強していきましょう。面白いですよ。僕、得意だし、きっと上手く教えられると思います」
「得意なんだ」
「はい、これ以上はないくらいに勉強してますから」
胸を張ってそう自慢するが、直後にがっくりとうなだれた。
「なのに、まったく魔法が発動しないんですよね……」
「でしょうね」
「だから、自分には魔力がない、と確信しているんです」
「それは、魔力があるとかないとかいう問題じゃなくて、この世に魔法がないという証拠なんじゃないの」
「いいえ! あります!」
魔法も使えないのに、どうして確信を持ったように力説するのだろう。やっぱり彼は変人だ。
「ちなみにヤナは魔法陣は勉強したの?」
近くに控えていたヤナのほうを振り返ってそう尋ねると、彼女は親指と人差し指で小さな隙間を作ってみせる。
「ちょっとだけ」
「魔法は発動した?」
わたしのその質問に、ヤナは何度か目を瞬かせた。
「するわけないです」
「そうよね」
いけない、カレルに毒され始めている。恥ずかしい質問をしてしまった。
しかしカレルは気にならないのか、話に乗ってくる。
「お嬢さまだったらきっと、いつか発動しますよ」
「しないわよ」
「楽しみだなあ! いつかこの目で見られるなんて!」
「だから、しないわよ」
「どんな魔法陣にしましょうか」
「ねえ聞いて」
一人で盛り上がるカレルを眺めながら、ヤナとわたしは、こっそりとため息をついたのだった。
◇
「本が届いていましたよ」
屋敷のほうに行っていたヤナが、両手に本を抱えて塔に入ってくる。
そして一階のテーブルの上に、慎重にそれらを置いた。
「いっぱい頼んでいたんですね。これで全部ですか」
「わたしはわからないわ。カレルが頼んだんだもの」
「兄さん、これで全部?」
食事の準備をしていたカレルがヤナの問いかけに手を止めて、こちらにやってくると、積まれた本に目をやった。
しばらく険しい目つきで確認したあと、ふいに顔を上げる。
「あと一冊」
「え?」
「古代ファラクラレ語の本だけありません」
深刻そうな声で、そうつぶやく。
今まで、どんな本でも支給してくれたのに、古代ファラクラレ語について書いてある本だけは支給されなかった。
どうして。
「手に入らなかったのかしら」
わたしは、一番あり得そうな可能性を口にする。
「いえ……そんなに希少なものではありません。普通にいろんな種類のものが本屋で売っています。研究書の類なので多少値が張りますが、……ほらこの医学書なんて、かなり高価ですけど、ちゃんと支給されました」
彼はそう話したあと、口元を引き結び、眉根を寄せ、顎に手を当てて本の山を見つめていた。
「あの……」
笑みを消し去った彼の顔は、最初の最初に抱いた印象通り、涼やかで……いや、涼やかなんて言葉で表せないほど、冷たかった。
思わず一歩、後ずさる。
今ここにいるのは、本当にカレルなのだろうか。お調子者で、変人で、妹が大好きな彼なのだろうか。
沈黙が落ちる。
わたしもヤナも、なんとなく口を挟めなくて、彼の横顔を眺めるしかできなかった。
けれどしばらくして、彼はようやく口を開いた。
「ふむ、王家の横やりですね」
「そ、そうかしら」
「『黒き魔女』に魔術の知識を手に入れられたら、王家には太刀打ちできませんから。仕方ない、僕が家から持って来ましょう」
「持っているのね」
「もちろん。最初から、頼まずに持ってくればよかったですね」
そう言って、口元に弧を描く。
でも、その笑みは作りもののようで、どこか怖かった。
すると彼は、ポンと手を叩く。
「そうだ。手っ取り早く、魔導書自体も持ってきましょう」
「魔導書って……、ほとんどがでたらめだって言っていたじゃないの」
「うちにあるのは本物です」
「なにを根拠に」
「本物だと思うからです」
それを聞いたヤナが、肩をすくめる。
「兄さん、ちゃんとファラクラレ語を喋ってください。あ、現代語ですよ」
「えっ、ちゃんと喋ってるよ」
「そう思っているのは兄さんだけです」
「辛辣ぅ」
そんな馬鹿なことを言い始めた彼は、いつもの彼に見えた。
「お嬢さま。とりあえず、明日は一日、お休みをいただいていいですか。家に帰って取ってきます」
「まあ……いいけど」
「楽しみにしていてくださいね」
「楽しみなのはカレルだけでしょ」
「お嬢さままで辛辣ぅ」
どこか張り詰めていたような雰囲気が消えて、わたしは安堵の息を吐いた。
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