8. 魔法の勉強
善は急げとばかりに、カレルはいそいそとわたしを連れて一階に下りる。
「あら、どうしました。なにかご要りようでしょうか?」
わたしたちに、一階の掃除をしていたヤナがそう声をかけてくる。
「うん、そうだね。長丁場になるだろうから、お嬢さまに紅茶を」
「長丁場なの……?」
不安になることを言わないで欲しい。
彼は時間がもったいないとでも思っているのか、すぐに壁に並んだ本の背表紙を吟味し始めた。
「魔導書の類がないのは初日に確認したんですけど、まずは語学からでしょうか」
「そんな確認してたんだ……」
そういえば、初めてこの塔にやってきたとき、本棚を眺めていたっけ。まさか魔導書を探しているとは思わなかった。
というか、魔導書なんてこんなところにあるわけない。
「魔導書って存在するの?」
「しますよ。怪しげなものから、信憑性の高いものまで。まあほとんどでたらめなものだとは思いますけどね、一部の好事家が集めたりしています」
その一部に、きっとカレルも含まれているのだろう。世の中、変人はカレルだけではないということか。
カレルは本棚の端から目を動かしながら、話し続ける。
「ちなみに魔術では、現代語は使いません。だって現代では魔術は発展していない。開発も当然されていない。だから当時の言語でしか存在しない」
そして、ハッハッハ、とやけくそのように笑う。
その様子を見ていたヤナが、腰に手を当て、はあ、とため息をついた。
「まさか兄さん、本気でお嬢さまに魔術を勉強させようとしているんですか」
彼女は呆れ声でそんなことを言う。
その様子を見るに、ヤナは本当に、魔法を信じていないらしい。
わたしはこめかみに指を当てて返事をする。
「本気……みたいよ」
「僕はいつでも本気です」
キリッとした締りのある声でカレルが応じる。
いや、そんなことに本気を出されても。
少ししてから、カレルは顎に手を当て眉根を寄せる。
「うーん、古代ファラクラレ語について書いてある本は、見つからないですねえ」
「そりゃあ、わたしが読むための本しかないから」
「なるほど」
わたしの返答に、カレルは納得したようで、うんうん、と頷く。
その様子を眺めていたヤナが、心配そうにわたしに声をかけてきた。
「お嬢さま、やめておいたほうがいいんじゃないですか。兄さんは結構しつこいですよ」
「それは知ってる」
「辛辣ぅ」
そう返して小さく笑うが、視線は本棚のほうに向いたままだった。
ヤナは困ったように眉尻を下げて、話を続ける。
「私も兄さんに魔術の勉強をしようって何回か誘われて、ちょっとだけかじったことがあるんですけど、そりゃあもう熱心で厳しくて」
「想像できるわ……」
そうして魔法についての耐性がついた、ということだろう。
「私は兄さんの気が済むのなら、って思ったんですけど、母さんが『妹を変な趣味に巻き込むのはやめなさい』って激怒してから、それっきり」
「あのときの母さんは、本気で怖かった。あれを見たら、魔女なんて怖くないって皆思うでしょうね」
苦笑交じりでカレルが補足する。
つまり母親は、常識人らしい。
カレルはそれからも本棚の隅から隅まで探していたが、しばらくしてから、うーん、と腕を組んで唸る。
「ここの本は、頼んだら支給されるんですよね」
「そうよ。読み終わったら入れ替えるの。『こんな感じのが欲しい』って伝えれば、適当に選んで持ってきてくれる」
「じゃあ頼んでおきましょうか。でも、古代ファラクラレ語の本だけだと違和感すごいから、もしかしたら『黒き魔女』の復活準備を懸念されるかもしれません。そうなると面倒です。一緒に、勉強になりそうなものを片っ端から頼みましょう。それで紛れると思います」
「そこまで念を入れるの?」
「王家が警戒しているとしたら、ヘイグ公爵家もなんらかの警告を受けているでしょうし」
「そうかしら……」
今はヘイグ公爵家の皆はわたしを怖がっているが、王家はそもそも、『念のため』という認識だったはずだ。
今は王家も怖がり始めているのだろうか。確かに、絶対にないとは言い切れない。
「まあいいわ。そうしたいのなら、どうぞ」
わたしは手のひらを差し出して、了承する。
ここまで来たら、もう好きなようにすればいい。
「よし、では本が来るまで、まずは植物学でもやりましょうか。図鑑がありますし」
「それが魔術の勉強?」
「もちろん。さっきも言いましたが、森羅万象、すべてに通じなければなりませんから」
「ふうん」
カレルは本棚から何冊か抜き取ると、ドサリと中央に置いてあるテーブルの上に乗せた。
「植物から薬を作ったり、あるいは毒を作ったりして生計を立てていた魔女もいたそうですし」
「毒……」
物騒な単語に、わたしは少し身を引く。
けれどカレルはなんでもないことのように、軽い口調で続けた。
「薬も毒も、同じようなものですよ。使い方次第でどちらにも変わりうるんですから」
「そういうもの?」
「それを知るためにも、勉強です。あっ、お嬢さま、たとえば」
カレルは開いた本をわたしの前に差し出して、そこに差し込まれた絵を指差す。尖った楕円の葉と、黒い実が描かれていた。
「これはベラドンナという植物でして、痛み止めにもなるのですが、毒にもなるんです。あと、葉の汁を点眼すれば、瞳孔が開いて美しく見えるというので、貴婦人たちが使用したりしています」
「へえ」
「お嬢さまは今のままでも十分に美しいので、もし手に入っても使わないでくださいね。毒性が強い植物なので、危ないです」
ふいにそんなことを言われて、顔に熱が集まる。
「……変なお世辞はけっこうよ」
「お世辞じゃないですよ」
サラリと返されたので、これ以上反論するのもおかしいかと、わたしは口を噤む。
わたしはいつの間にか椅子に腰掛け、カレルの話に耳を傾けていた。
ヤナがさりげなくお茶や筆記具を用意してくれて、わたしは快適な勉強の時間を過ごした。
気が付いたときには、蝋燭も灯されていた。いつの間に夕刻になったのだろう。
「あまり根を詰めてもいけません。今日はこれくらいにしましょうか」
カレルがパタンと本を閉じ、本棚に戻そうと机上の本をまとめて抱える。
わたしはその横顔におずおずと声をかけた。
「あの……カレル」
「なんでしょう」
小首を傾げて次の言葉を待つ彼に、小声で伝える。
「勉強……面白いわ」
「でしょう?」
カレルは満足そうに、口の端を上げた。
独学では覚えられなかったことも、こうして丁寧に言い聞かせられると、色鮮やかな知識として頭の中に残った。
この勉強が、この先の人生のためになるものなのかもわからないし、そもそも魔術に本当に役に立つのかは謎だ。
でも、新しい知識は、楽しい。
ならば魔術云々はともかくとしても、勉強を続けてもいいかしら、とわたしはそのとき思ったのだった。
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