7. ゲーム
それからは、特になにごともなく日々は過ぎていった。
そんなある日、二階の部屋で、ソファにお腹を下にして寝そべって本を読んでいたわたしに、カレルは声をかけてきた。
「お嬢さま、けっこう体力がついてきたのではないですか」
「まあ……そうね」
わたしは本に視線を落としたまま、そう答える。
一人では味気ないからかずっと食も細かったが、ここのところカレルの励ましもあり、出されたものは食べられるようになった。
結果、割と肉付きもよくなってきている。
「そろそろ魔法も使えるようになったんじゃないかと思います」
「あのねえ」
わたしはソファから起き上がって座ると、本を閉じてテーブルの上に置いた。
「前から言っているでしょう。わたし、魔法なんて使えないのよ」
胸に手を当てて、そう主張してみる。でもカレルは案の定、納得したような素振りは見せない。
「わたし、というか、使える人なんてこの世にいないでしょう」
わたしの呆れ声に、しかしカレルは食い下がってきた。
「八百年前はいました。今は絶対にいないだなんて、どうして言えるでしょうか」
「そんなの、おとぎ話でしょ。八百年前だって、本当にいたのかどうか怪しいわ」
「そんなことはありません。魔法はこの世にあるんです」
「はいはい」
相手にしないわたしに痺れを切らした様子の彼は、ポンと手を叩いた。
「じゃあ、勉強してみましょうよ」
「え。まさか、魔法の?」
「そうです」
またおかしなことを、と言い返そうとしたが、いつになく真剣な眼差しを向けられて、わたしはつい目を逸らしてしまう。
……なんだろう、いつもと雰囲気が違う。ちょっと怖気づいてしまうほどだ。魔法に掛ける情熱が、そんな表情を生み出してしまうのだろうか。そこまで熱意を向けられても。
引いているわたしの様子には構わず、カレルは勢い込んで続けた。
「勉強しても魔法が使えなかったら、お嬢さまの言うとおり、魔法はこの世にないって認めてもいいです」
その提案に、わたしは驚いて顔を上げた。
そこは絶対に曲げないと思っていたのに。
わたしをじっと見つめるカレルに向けて、片方の口の端を上げてみせる。
「へえ、それ、いいわね」
なぜだか少し、ワクワクしてしまっていた。ある意味これは、ゲームなのではないだろうか。
長らく、誰かとゲームなんてしていない。
子どもの頃に、追いかけっこやかくれんぼ、簡単なカードゲームをしていたことを思い出した。
案外楽しそうじゃない、と思ったところで、ふと、不安が胸によぎる。
でも、もし魔力が発現しなかったら、カレルもヤナもいなくなるのだろうか。
だってカレルは、『黒き魔女の魂のカケラ』を持つわたしの信奉者なのだ。わたしが魔法を使わないとなったら、ここにいる意味がなくなる。
そしてカレルがいなくなれば、いくらお給金がいいとはいえ、ヤナも去っていくかもしれない。
またあの、しんとした、薄暗い塔に戻ってしまうのだ。
それは嫌だな、と胸の中にモヤモヤしたものが湧いてくる。
……いや、わたしのこの考えはおかしい。『もし』だなんて、なぜ思ってしまったのだろう。万が一にも、魔力が発現することはありえないのに。結果はわかりきっているはずだ。
となると、あっさり提案を受け入れるのには抵抗を感じてしまう。
「や、やっぱり、やらない」
「え、どうしてですか? 今、乗り気だったじゃないですか」
「だって、そんな無駄なことするの、馬鹿らしいし」
「無駄かどうかはやってみないと」
やっぱり食い下がってくる。
「勉強したら魔法が使えるようになるっていうの? じゃあカレルがやれば?」
「僕だって使えるものなら使いたいですが、なんせ魔力がないので」
そう言って、両の手のひらを天に向けて、肩をすくめてみせる。
「わたしだって、ないわよ」
「だから、それを証明するために、勉強しましょう」
「勉強、ねえ。面倒そうだわ」
「面倒でも、魔法を扱うには勉強が必要です。魔術だけでなく、歴史や語学、生物学なんかも必要になります。森羅万象、すべてに通じなければなりませんから。お嬢さまは、残念ながら独学でしか勉強をしてきていないご様子。魔術に限らず、他のことも学べますから、身になりますよ」
「うーん……」
わたしには八歳までは家庭教師がついていた。もちろん子どもだったから、そんなに難しいことを学んでいたわけではない。
そしてそのあと塔に住むようになってからは、本でしか物事を学んでいない。
確かに外にいる人たちに比べると、いろんなことを知らないのかもしれない。
腕を組んで、唸りながら悩んでいると、カレルは一転、軽い声を出した。
「まあまあ、僕に付き合ってくださいよ。お願いします、お嬢さま」
彼はニコニコと笑みを浮かべ、両手を合わせてお願いしてくる。
そのいつもの表情に、ちょっとだけ、ホッとした。
だからつい、こう答えてしまったのだ。
「……どうせ暇だし……まあ、いいけど……」
するとカレルは、パッと表情を輝かせる。
「よかったです! がんばりましょうね、ツェツィーリエお嬢さま!」
その無邪気な笑顔を見ながらわたしは、早まったかもしれない、と一抹の不安を覚えたのだった。
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