第3話 青い目の男

 目を覚ますと、ルミナはベッドに横たわっていた。一瞬ここがどこかわからなくなって慌てて起き上がると、くらっと目眩がして慌てて額を抑える。きちんとルミナにはシーツが駆けられていて、シスターのベールは外されていた。そうだ。ここは修道院の自分の部屋だ。


 ほっとしてもう一度横になると、ルミナは黒い袖から伸びる自分の腕を見つめた。そこにある赤い文字はすっかり元に戻っている。戦場からどうやって自分がここに戻ってきたのか、まったく記憶がない。魔力が底を尽きるまで働き続けて、気絶したのだろうか。ルミナは目を閉じて、小さくため息をつく。


 その時、こんこんとドアを叩く音が聞こえてきた。


「どうぞ」


 がちゃりとドアノブが回り、銀のトレイにパンとスープを乗せたジェシカが立っていた。ゆっくりと身体を起こすと、ジェシカは安心したように頬を緩めた。


「よかった、目を覚ましたのね」

「私、どれくらい寝てたの?」


 ジェシカはベッドに近くにテーブルを引き寄せながら、眉をひそめた。


「まる二日よ。私、すごく心配だったんだから。ルミナってば死んだみたいにぴくりとも動かないんだもん」

「まる二日……」


 ルミナが呆然としていると、ジェシカがふわふわのパンをちぎってルミナの口元に差し出してくる。抵抗することなくぱくりと口に含むと、途端に空腹を感じ始めた。


「ルミナは働きすぎなのよ。魔力が尽きるまで治療し続けて、そんなことを続けてたら今にルミナが看病される側になっちゃうんだから」


 スプーンですくったスープを唇に押し付けられる。おとなしく世話を焼かれていると、ルミナはなんだかくすぐったい気持ちになってきた。


「私がやらなきゃいけないのよ。治癒者ヒーラーは数少ないんだから」


 ぽつりと言うと、ジェシカはため息をつく。


「それはそうだけど」

「ジェシカ、心配ありがと。でも私は大丈夫、もう魔力切れは起こさないから」


 左目でウインクしてみせると、ジェシカはふんと鼻息をついた。


「そんなこと言って。いつかまたこうなる気しかしないわよ」


 魔力切れを起こすと、ほぼ確実にに動けなくなる。魔力には限りがあって、使うほど減っていくものだ。周囲の自然の力や人の気、風や雷に含まれる分子を魔力に変換して力を取り戻していくのだが、それはほんのわずかずつしか貯めることが出来ない。必然的に、魔力の出力の方が大きいため供給が間に合わない。だから、それを調節して使わなければならないのだが。


(未熟者ね)


 ルミナは紅茶のカップを両手でくるんで、ぎゅっと唇を結ぶ。自分がベッドで寝ている間、どれほどの人を治療できただろう。国内に治癒者はルミナのほかにも数人いて、交代で仕事を回している。治癒魔法を持って生まれる確率が低いため、治癒者はいつも人手不足だ。人間の医者ももちろんいるが、即座に傷を癒すことが出来る治癒者の方がやはり需要は高くなる。


(もっと訓練しなくちゃ)


 紅茶を一口飲むと、ルミナは一人でうなずいたのだった。


◇◇◇


「シスター・ルミナ、こんにちは」

「こんにちは、ロビンさん」


 ここは街の施療院。週に一度、出張治癒者としてルミナが出向くもう一つの職場である。院長である矍鑠かくしゃくとした老人ロビンは、ルミナを出迎えてぽんぽんと頭を撫でた。


「今日は修道院でとれた果物をたくさん持ってきたの」

「もちろんだよ。子供たちはきっと大喜びするだろうね」


 ルミナはロビンと連れ立って、院の奥へ進む。進むにつれて、院内は活気を帯びていく。子供の笑い声や泣き声、はしゃぐ声が聞こえてきた。診療所となっている本館から、細い廊下を通してつながるのは小児科病棟である。


 ルミナが腕いっぱいの果物を抱えて廊下を進んでいると、8歳位の男の子が病室から飛び出してきた。


「あ、ルミナお姉ちゃんだ!」


 元気いっぱいの声で叫ぶと、病室から子供たちがわらわらと駆けだしてくる。ルミナのスカートや手を握って、病室に引き入れようとする子供たちをロビンが叱った。


「こら、やめなさい」


 ルミナは笑いながら病室に入り、いつも通りにベッドの端に腰かける。わらわらと集まってくる子どもたちは、ルミナの癒やしである。一見健康そうに見える子どもたちだが、体の中には病魔を飼っている。幼く小さな体をゆっくりと蝕み、やがては死に至らせる病だ。ルミナができるのは、痛みを抑え、進行をできるだけゆっくりにすることだけだ。


 治癒者というのは一見万能に見えるが、実はできないことが多い。一般的な治癒者が癒せるのは目に見える外傷がほとんどだ。卓越した技術を持つ治癒者は内部の傷も癒やすことが可能だそうだが、その技を持つものはゼロに等しい。


 治癒魔法に必要なのは、想像力だ。


 傷ついた筋肉や血管を子細にイメージできなければならない。ただ治癒魔法を持って生まれただけでは大した力は発揮できない。人体について学び、機能を理解することで初めて本来の力が発揮できるのだ。だから、目に見えず、まだ体の内部に関する医療が発達していない今では、子どもたちの病気を癒すことは不可能に近かった。


「今日はみんなに果物を持ってきたのよ」


 ルミナが抱えていたバスケットを開けて子供たちに配っていると、施療院のドアベルが鳴った。


「患者でしょう、診てきますね」


 院長がそう言って立ち上がり、ルミナはその後姿を見送る。気を取り直して子供たちに向き直る。


「じゃ、今日は狼さんと羊さんの絵本を――」


 絵本を広げようとしたときだった。


「ちょっと、なにをするんですか! あんたたち――」


 入口の方から院長の悲鳴が聞こえてきた。ルミナはぱっと絵本を下ろした。不安げにしがみついてきた少女に微笑みかけ、ルミナはそっと立ち上がった。


「大丈夫よ、すぐに戻ってくるから。ここで静かに待っていてね」


 部屋を出ると、ルミナは玄関の方へ走った。


◇◇◇


「ロビンさん!」


 玄関へ飛び出すと、そこに広がっている光景は異様なものだった。ロビンががっしりとした男を両手でつかんで、院内への侵入を阻止しようとしている。掴まれている男は、いざとなればロビンを振り払って中へ入ることなど簡単にできるだろう。


 がっしりとした肩幅に、濃紺の軍服は王国軍の制服である。腰に下げている細身の剣と、胸元に着けられた鷲をかたどった勲章。白いオープンカラーにも小さなバッジが付けられている。よく見ると交差した剣が刻印されている。


 漆黒の髪はきっちりとオールバックに整えられ、堀の深い端正な顔には何の表情も浮かんでいない。ただ立っているだけで人を威圧する男は、うんざりしたように唇の端を曲げた。


 陸軍――男の身なりからすると、それなりの階級を持っているのだろう。


(そんな人がどうしてここに)


 ルミナが眉をひそめると、男がふいにルミナの方に目を向けた。目と目があった瞬間、ルミナはぐっと胸をつかまれたような息苦しさを覚えた。


 男の目は、氷のようだった。深いブルーの瞳は険しく、心臓を射抜かれるような冷徹な眼光を放っている。その冷たい目でルミナを切りつけながら、男は口を開いた。


「シスター・ルミナ・キルシュタインか」


 ロビンを横目で見ると、ロビンも状況がつかめていないようで静かに首を振った。


「……そうですが」


 ルミナがささやくと、男は自分をつかんでいたロビンの腕を振りほどいた。白い手袋をはめた手で、制服の袖ボタンを留めなおす。


「では、我々陸軍特別部隊の名において、シスター・ルミナ。貴方を連行する」


 男の後ろに控えていた憲兵たちが、その言葉を合図に院内に入ってきた。ルミナは落ち着いた声が出るように腹に力を籠める。


「私を連行する?」

「そうだが」


 男は興味のない声で言う。


「私が一体何をしたのか、説明していただけますか? ここは施療院です。街のごろつきじゃあるまいし、お静かにお願いします」


 ルミナは「ごろつき」という言葉を強調して、吐き捨てる。男は深いため息をつき、ゆっくりと口を開いた。


「シスター。あなたは何も知らないらしい」


 わずかな哀れみを含んだ目で、男がため息をつく。


「状況を説明するのは後にさせてもらう」


 ルミナはそれ以上何も言えなかった。憲兵たちに腕を掴まれながら、ルミナはロビンに大丈夫だと唇の動きで伝えることが精いっぱいだった。


「……そんなに強く掴まなくても逃げたりしないわよ」


 両側の憲兵の靴を踏みつけ、ルミナはぎゅっと歯を食いしばった。

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癒しの天使の治癒魔法 唯一の治癒者は大忙し 七沢ななせ @hinako1223

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