第2話 手ごわい修道院長

「こっちよ」


 ジェシカは廊下の隅にバケツを置くと、ルミナを導いた。礼拝堂の奥にある目立たない扉を開けると、そこには長い廊下が続いていた。よく磨かれた石の床は、ジェシカとルミナの足音をよく反響させる。長い廊下を抜けて、二人はいくつもの部屋が両側に並んだ新しい廊下に出る。そこには古いカーペットが敷かれていて、小さな窓から細く明かりが差し込んでいた。


「ここが院長様のお部屋。多分起きていらっしゃるから、たくさんお話すると良いわ」

「ありがとうジェシカ」

「じゃあ私は掃除に戻るわね」


 廊下の突き当りの部屋にルミナを連れて行くと、ジェシカは小さく手を降って去っていった。


(いよいよね)


 一度だけ深呼吸すると、ルミナは手袋をはめた手を持ち上げて、木の扉をノックした。どうぞ、と厳格な声がくぐもって返ってきて、ルミナは扉を押し開ける。


 部屋の中は整然としていて、紙とインクの香りが漂っていた。深緑の絨毯が床を覆い、背の高い書架とどっしりとしたマボガニーの机が窓際に置かれていた。そのさらに奥にある椅子に座り、ルミナを見つめていたのが修道院長その人だった。


「おはようございます」


 修道院長は白いヴェールに包まれた頭を小さくかしげて、ルミナにあいさつした。ルミナはトランクを床に下ろすと、スカートの裾を持ち上げて正式な礼を返す。


「朝早くから申し訳ありません。私はルミナと申します。修道院長様に折り入ってお話があり、参りました」


 すらすらと口から流れ出る言葉に、自分でも驚く。やはりどこまでも御三家で育った影響は抜けないのだろう。修道院長は黒いベルスリーブから腕を出し、机の前に置かれた椅子に腰かけるように促した。ルミナが座ったのを確認して、修道院長はおもむろに口を開いた。


「若い娘さん方がここへ来る理由は大体決まっているものです」


 修道院長は60歳後半といったところだろうか。髪の白さや顔に刻まれた皺からそう判断したのだが、耳に心地よい低い声や明るい灰色の瞳は若々しさを感じさせる。


「失恋の痛みや近しい人との離別から、神に身も心も捧げようと決意したのでしょう?」


 ルミナはぱちくりと目をしばたたかせたが、とりあえず頷くことにする。自分の境遇や身分を明かしたら、なんだか面倒なことになりそうだ。


「はい。数日前に恋人を亡くしてしまいまして、修道女になろうと決めました」

「そうですか」


 院長はうなずいたが、その目はルミナを油断なく見つめていた。なんとなく気づまりになって目をそらすと、彼女は小さく薄い唇を曲げた。決して嫌らしい笑いではなかったが、罪悪感を感じさせる笑いではあった。


「ルミナさん。本当のことを話してください。私はそれ以上は詮索しませんから。ここに置く以上、真実を知っておく必要があります」


 ルミナはきゅっと唇を結び、どこまで白状するべきかを考えた。フランクリンのことは言ってもよいとして、自分の家のことや能力のことまで言うべきだろうか。


「わ、私は、婚約者から逃げてきたんです」


 院長は特に何の反応も示さず聞いている。ルミナにはそれがありがたかった。きっと、今までルミナと同じように修道院に駆け込んできた、何人もの少女の話を聞いてきたのだろう。


「親の言う通りの人生を送りたくないんです。私の家は――厳格で。私に近づいてくる人間は大体が私の能力狙いで、誰も私自身を見ていない。もう俗な人間たちの間で生きるのは疲れたんです。だから、ここで世のために奉仕したいんです」


 だいぶ美化した言葉を並べ立てたが、院長は黙って頷いただけだった。


「わかりました。あなたの気持ちはよくわかりますよ」


 ルミナが次の言葉を探していると、院長は目を閉じた。しばらく沈黙が続き、院長はいきなり目を開けた。


「――キルシュタイン家の方でしたか。どおりで仕草が洗練されているわけね」


 ルミナは急に口が乾いていくのを感じた。手のひらがさっと汗で濡れる。


「ど、どうしてそれを」

「私も多少魔力があるのですよ。一般的には、読心と呼ばれるものですが」


 ルミナはそれを聞いて卒倒しそうになる。院長はずっとルミナの心を見抜いていたのだ。院長はそんなルミナを楽しそうに眺めていたが、引き出しを開けて一本の鍵を取り出した。


「あなたの部屋の鍵よ」

「あの、私、ここに置いていただいていいのですか?」


 ルミナがおずおずと言うと、院長はうなずいた。


「エウレカ様に仕える者として、困っている人を見捨てることはなりません」


 信心深さが伝わってくる言葉だった。


「それで、ルミナさんはどんな能力をお持ちなのかしら。まさか御三家の御息女だとは私も驚きですよ」

「……治癒魔法を」


 小さな声で言うと、院長は明るい笑みを浮かべて手を打ち合わせた。


「あら、治癒者ヒーラーなのね! これは大助かりだわ、修道院には怪我人や病人も運ばれてくるの。あなたがいればどれだけの人が助かることか」


 ルミナは頬が引き攣るのを感じた。院長が期待するほどの力が自分にあるとは思えない。怪我や病気を治すなんて。せいぜい切り傷を治したり誤って罠にかかった飼い犬の手当てをしたことくらいしかない。そんなルミナの気持ちを察したのか、院長は優しく微笑んだ。


「大丈夫よ、ここにも一人治癒者がいるの。彼女にいろいろと訓練してもらうといいわ」


 ルミナはもう、頷くしかなかった。

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