零の狼~新撰組恋奇譚~

龍威ユウ

第1話

 京の都には凄腕の剣客たちがいるらしい。


 この話を聞いた鷲塚京次郎さしづかきょうじろうはすぐさま故郷を飛び出した。


 幼いころからずっと剣と共にあった。すでにその腕前は藩内においてもはや、右に出る者は一人としていなくなってしまった。それが京次郎をひどく退屈させた。誰よりももっと強くなりたい。そのためにはやはり、自分よりも遥かにずっと強い者と闘わなければならない。たまたま舞い込んできた新撰組なる存在は、退屈極まりない京次郎にとっては正に最高の餌だった。


 花の都と言われるだけあって、町の雰囲気は雅だった。


 喧騒はなく、穏やかな時間が静かに流れている。



「ここが噂に聞く花の都……京か。確かに、なかなかいい街並みじゃないか」



 京次郎はもそりと呟いた。


 京次郎は農家の生まれである。武士の家系でないものが、いくら武士の真似事をしたところで所詮は農民にすぎない。


 そうしたしがらみが、心底気に入らなかった。同じ人間なのに何故こうも階級などというものがあるのか。


 証明してやればいい。農民でも武士よりもずっと強い者がいることを世に知らしめてやればいい。


 さすればこのようなくだらない階級の価値も路傍の石に等しくもなろう。京次郎はそう信じて疑わなかった。


 だからこそ、新撰組への興味が強くあったのかもしれない。



「新撰組は剣の腕と度胸さえあれば誰でも入れるって話だったな。今入隊しているやつらも大半も武士じゃないって聞いてる。俺みたいな奴にはもってこいじゃないか」



 京次郎はにしゃりと笑った。


 新撰組屯所に着くやいなや、怒声にも似たけたたましい声が聞こえてきた。


 幾度となく金打音が鳴り響く。どうやら中で激しく斬り合っているらしい。



「――、失礼。ここは新撰組屯所ですが、何用でしょうか?」



 門の手前、二人の若い隊士がいた。


 まだ入隊仕立てなのか。彼らからは血の香りはほとんどしなかった。


 あどけなさがどこか残る顔立ちも然り。京次郎は静かに口火を切った。



「この新撰組に入隊させてほしい。身分問わず剣の腕と度胸さえあれば入れると聞いたんだが……」


「えぇ、もちろんです。たった今その入隊試験を行っております。中へ入って右に進めば道場がありますので、そちらへ」


「わかった」



 新撰組に所属する隊士は二百名を軽く超える。


 その二百名以上が等しく剣の腕が立つ。これほどおもしろい環境はまずないといっても過言ではないだろう。


 全員と死合ってみるというのも一興だ。京次郎はそんなことを、ふと思った。


 道場の前では多くの隊士たちの姿があった。しんとした異様な静寂は、当事者でないのに妙な緊張感を与える。


 どうやらここにきて正解だったようだ。自然と口角がくっと釣りあがるのを抑えられなかった。


 皆に見守られる中、二人の男がいた。


 片や若々しい女子のような少年だった。色白の肌に栗色の長髪を後ろに束ね、剣を握るその腕はとても細い。


 誰かが、あのような細腕で満足に剣を振れるものなのか、とこう口にした。


 言い分については京次郎も理解を示していた。剣を振るう以前に華奢な体躯では戦闘に不向きなのは言うまでもない。


 片や対峙しているのは元からいる隊士である。少年とは違って鍛え抜かれた筋肉がとてもよく目立つ。


 身長さについても隊士のほうがずっと大きかった。



「やぁぁぁぁぁぁっ!」



 少年が先に動いた。


 彼が地をとんっ、と蹴るとたちまち両者の距離は縮まった。


 少年の間合いだ。手にした太刀がくんと跳ね上がった。銀色の残光を引いた白刃は天を差す。


 わっと赤々とした血が舞った。あっという間に周囲は濃厚な鉄の香りに包まれた。


 絞めた家畜のような声と共にのたうち回る隊士に、一人の男が静かに手を挙げた。


 顔が厚い男だ。鍛え抜かれた肉体は鎧のようにとても分厚い。体格に恵まれ更にはその身より発する気は他隊士とは一線を画す。


 彼が、何者であるかを京次郎はもちろん知らない。だが、おそろしいぐらいに強い。


 それこそここにいる全員が束になったとしても勝てない。そうはっきりと結論を出してしまえるほどに。


 男が手を挙げた途端、辺りは再びしんと静まり返った。


 少年にばっさりと腕を斬られたあの隊士でさえも、口を堅く閉ざしてしまう――とはいえ、隊士の顔色ははっきりと言って最悪の一言に尽きた。血の気がどんどん失せていった顔はひどく青白く、今にも倒れてしまいそうな雰囲気をひしひしとかもし出す足など、生まれたての小鹿野ようである。


 早く医者に罹るべきではないか? 京次郎はすこぶる本気でそう思った。



「それまで。ここでは身分ではなく実力がなによりも求められる。よって合格だ」


「ありがとうございました」



 球を転がしたようなその声は、正しく玲瓏の二字が相応しい。


 あのような女のような男が世の中にいるのか。京次郎はしばし少年の後姿をジッと見つめていた。


 何者であるかはさておき。紛れもない強者を目前にしたことで、京次郎の心はいつになく高揚していた。


 まずはあの少年と剣を交えてみるのもいいかもしれない。



「――、よし。ここは一つ、私が試験役を務めてみようか」



 男が一歩前に出た。


 たったそれだけのことに周囲からはどよめきの声があがった。


 明らかに男の登場について激しく狼狽しているのは火を見るよりも明らかである。



「おい近藤さん、アンタが出る必要はないだろう」



 一人の男がいった。ただならぬ気を纏う男だ。整った顔立ちをしているのに、その顔は常に険しい。


 鬼の如き雰囲気をひしひしと放つ男にたしなめられた、近藤……そう呼ばれた男はにかりと笑った。



「まぁまぁトシ、たまには俺自らがこうしてやるのも一興だろう」


「アンタが出ると怪我人どころか死人が出るかもしれないんだよ」



 からからと笑う近藤に、トシ……そう呼ばれた男は深い溜息を吐いた。


 二人はどうやら親しい関係であるらしい。まるで兄弟のようだ。同時に京次郎は近藤の前へと歩み出た。


 隊士たちのざわつきがさっきよりも強くなった。これは入隊するために必要な試験である。


 試験を受けるのだから、腰の太刀を抜いていたとしてもなんらおかしくはない。京次郎は口を開いた。



「次は俺がやりたいんだが……」


「ほぉ。いい目をしている。さっきの者といい今回は期待できそうな者が多いと思わないか? トシ」


「……お前。先に言っておくが、ウチがどこか理解してはいるんだな?」



 鬼がぎろりと睨んだ。これが普通なのだとしたら、隊士たちはさぞ肝をいつもヒヤヒヤとさせているに違いあるまい。


 京次郎はふっと口角を緩めた。



「もちろんだ。俺は、強くなりたいために新撰組にきたんだよ」


「強くなりたい、か。では問おう。貴様のいう強さとはなんだ?」


「そんなの決まってるだろ?」



 京次郎は切先を近藤へと向けた。



「身分だなんだのと、人をそんなちんけなものだけで偉そうにする奴らを見下してやるために俺は誰よりも強くなりたいんだよ」



 近藤がほんの一瞬だけ目を丸くした。


 隣にいた鬼も同様の反応を示している。


 程なくして近藤がにかっと笑った。



「その意気やよし。ならば思う存分、貴様の武を振るうがいい。この近藤勇こんどういさみが見定めてやるとしよう」


「近藤勇? それって確か……新撰組の局長なのかアンタ!?」


「む? そうだぞ」



 今更気付いたのか、などという声が次々と上がった。


 何故他の隊士たちがこうも狼狽していたのか、ようやく合点がいった。


 局長自らが相手をするのだから、彼らが驚くのは致し方がない。


 これは、願ってもいない展開だ。京次郎は不敵な笑みをふっと浮かべた。


 自然と太刀を握る手にも力が籠める。目前にいるのは新撰組最強と謳われた男だ。


 一介の隊士ですらない者がいきなり手合わせできるなど、滅多にないといっても過言ではない。


 その最強がすぐ目の前にいるのが嬉しくて仕方がなかった。



「いきなり局長とやれるなんて光栄だな……全力でいかせてもらうぜ?」


「むろんだ。手を抜けば貴様が死ぬことになるぞ」


「ならよかった。全力出して殺してしまったら……まぁ迷わず成仏してくれや」


「ふっ……名を聞いておこうか。貴様、名はなんと言う?」


「京次郎。鷲塚京次郎わしづかきょうじろうだ」


「京次郎?」



 近藤勇がはて、と小首をひねった。


 他の隊士たちも同様に不可思議そうな顔を浮かべている。


 なにかがおかしい。特に変な発言はしていないはずなのだが。京次郎も遅れてはて、と小首をひねった。



「その、確かにウチは身分などは問わず誰でも入れるが……女人ではないのか?」


「…………」



 またか。遠路はるばる京の都についてもまた、そのことで揶揄されるのか。


 京次郎は拳を戦慄かせた。どこへいってもこの見た目には心底苦労させられる。



「俺はれっきとした男だよこの馬鹿!」



 怒りを露わに京次郎は地を蹴り上げた。

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