社内恋愛

クロノヒョウ

第1話





 空を眺めていた。

 大きな星が一つ、チカチカと瞬いている。

 ひどく静かな夜だった。

 時折雲の隙間から月が顔を出す。

 その月の輝きがあまりにも綺麗で、私はその雲が流れるのをしばらくの間眺めていた。

 ベランダから部屋に戻ると現実に引き戻された。

 さっきまでいた彼との思い出がよみがえる。

 別れが近いのはなんとなく感じていた。

 毎日のようにこの部屋に来てくれていた彼が、たまにしか来なくなったのは三ヶ月前から。

 新年度になり部所が変わると会社で彼と顔を合わせることがなくなった。

 新入社員もたくさん入ってきて、お互いに新人教育で忙しくなったというのはただの言い訳。

 私は知っていた。

 彼が新入社員の女と付き合っているらしい、という噂があった。

 社内恋愛はまずいだろうと言って私との関係を必死で隠していたのに、どうやらその新入社員の女とは堂々といちゃついているらしい。

 バカな男だ。

 私にバレないとでも思っていたのだろうか。

 今日も平気な顔をしてここに来た。

 お酒と適当なつまみを買ってきたと言って、彼はいつもと同じ笑顔でいつもの席に座った。

 私も彼の正面に座り乾杯した。

 そして彼はいなくなった。

 彼のすぐ後ろに置いてある大きな観葉植物。

 私の目の前で彼はその観葉植物にのみ込まれた。

 一瞬のことだった。

 太い幹がぱっくりと半分に裂けたかと思うと伸びてきた枝が彼の体を持ち上げた。

 そしてそのまま、彼をまるごと幹の中に押し込んだのだ。

 幹は閉じ、何事もなかったかのようにただそこにいる。

 テーブルを見ると煙草の箱とライターが目に入った。

 彼が吸っていた煙草だ。

 私はそれを持って再びベランダへと出た。

 箱から煙草を一本取り出しライターで火をつけた。

 彼の匂いだ。

 懐かしさと少しの罪悪感と何か不思議な感覚を覚えながら空を見上げた。

 さっきよりも雲が厚くなっていた。

 もう月が見えることはなかった。

 なぜか心がひんやりとしていた。

 私は煙草の火を消して部屋に戻り、窓を閉めた。

 もうこのマンションとはさよならだ。

 次の職場と住む場所は星の上司が手配してくれているそうだ。

 さっき、星の瞬き通信がそう言っていた。

 恋愛の研究をしに観葉植物に扮した地球人サンプル回収装置と共に地球に来た。

 いったい私は何人の地球人をこうやって星に送ればいいのだろうか。

 私の担当である「社内恋愛」の研究はまだ始まったばかりだ。

 前に「遠距離恋愛」の担当員が苦しくてつらかったと言っていたのを思い出す。

 その感情が少しだけわかるような気がした。

 私は持っていた彼の匂いのする煙草の箱をごみ箱に投げ捨てた。

 もう月が見えないのと同じように、もう彼のことも頭の中から消し去って忘れよう。

 私は、私の中にある彼に関するデータを全て消去した。

 彼のファイルをおさめていた心がからっぽになった。

 真っ暗で何もない私の心。

 それはまるで分厚い雲に覆われた、月も何も見えないこの静かな空のようだと思った。



            完





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社内恋愛 クロノヒョウ @kurono-hyo

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