正義からの解放
誠 杏奈
正義からの解放
正解とは築かれた正義のもとに決められている。
そんなことを理解したのは中学一年生の春のことです。春は桜のイメージがありますが、もうすでに散っていて、梅雨にさしかかった時期でした。それはもしかしたら春じゃないかもしれませんが、私はどうしても春だと思いたいのです。
私、
いじめられたといっても、今でも私はそうとは思ってはいません。私の友達がそれはいじめだと言っているので私もそうなんだと勝手に納得した、たったそれだけのことです。いじめじゃないとすればそうですね…………制裁、と言う言葉を私は選ぶと思います。私は中学でしくじった訳です。可憐な女性を装うことができなかったのです。
事の発端はまだ桜が咲いていた日、入学式から一週間ほどが経った時でしょうか。
遅刻をするようになりました。でも一週間は頑張りましたので褒めてもらいたいです。小学校の頃から遅刻の常習犯だったので中学校では気合を入れて登校すると決めていましたが無理でした。
言い訳ではありますが、いろいろ壁があってそれを何度も破らないといけなかったのです。
第一の壁は朝の早起きです。この時点でも頭がさえないし、身体も動けません。何とか洗面所に行って顔を洗いますが、実に不愉快です。
やっとそれを乗り越えると次は朝ごはんです。正確にはその準備なのですが、これも私にとっては大変です。トーストを食べるにしてもレンジでチンをしないといけないし、トーストのお供も必要な訳です。毎日一緒の朝ごはんなんて飽きるので、是が非でも私は変えたいわけです。それが、身体が動きにくいのも相まって、なかなか決められないのです。しかも第一の壁にてこずると決める時間もない訳です。「朝飯前」という言葉を作った人を恨みたい気分でした。
その後は着替えが大きな壁になります。小学校の時が私服で中学は学生服なので、服を選ぶ制約が無くなり一応は楽になりましたが、何度も言っている通り身体が動かなくて無理なんです! おまけに頭も痛い時があるわけで、時間がすごく過ぎてゆきます。出来る事ならパジャマで登校をしたいのですが、それはダメなんでしょうか。
そして最後の壁です。それが私への制裁…………いやいじめの原因を作っていました。
メイクアップです。
当然強制されているわけではないんですが、メイクを覚えなさいと母から言われて渋々始めました。今考えてみれば、母親から言われる人って多くないんじゃないかと思います。母は化粧品の会社に勤めていたということも影響しているのですかね。でも、朝の時間じゃなければずっとやっていたいと思ったので、これはこれでよかったと思います。ただメイクなんて子どもの頃に母の口紅を興味本位で塗っていたぐらいでどうすればいいかわかりませんでした。あの頃の我流のやり方はもしかしたら本来のやるべき手順とは異なっていたかもしれません。
メイクはやらなくてもいいんです。ただ一度やり始めたら最後まで突き通すべきだったのです。それが私にとって正解だったんです。
入学初日は何事もなかったのですが、それでも疲労困憊でした。人と話しかけることが苦手な私は人と目を合わせるだけで緊張してしまい、それを一日中繰り返したので死にかけました。それが毎日続くわけです。明日も学校生活できるか、私が友達になってその子は幸せなのか、今から考えれば杞憂だったのですが、夜も寝たくない気分でした。学校の疲労とそれでもちょっとだけ夜まで起きてしまうこと。その二つが遅刻に繋がったと思います。
初めの遅刻はちゃんとメイクをした状態でした。歩いて登校していますが、その時は走りました。走ってぎりぎり間に合いませんでした。汗をかいてちょっとメイクが崩れそうになりました。教室に入るときに多数飛び交う目線は恐怖ではありましたが、担任の先生が「今日はいいから次は早く来てね」と言って下さり、事なきを得ました。
次の遅刻は初めの遅刻のわずか三日後でした。言い訳の仕様がありません。昨日見た動画が面白くてつい夜更かしをしてしまいました。それでも何とか朝起きてメイクを頑張りました。が、またもやぎりぎり間に合いませんでした。また数多の目線が目に入り、また怖くなりました。先生も流石に眉をひそめて、「もうちょっと早くね」といってくださいました。
「すみません」と私は何とか言いましたが、心の中ではまずいことをしたということでいっぱいになっていて相手への謝罪など考えていませんでした。そもそも会社ならまだしも学校で遅刻しただけで誰に迷惑をかけるのでしょうか。せいぜい出席管理を任されている教員に対しては迷惑をかけるとは思いますが。いろいろ動いて考えたせいで汗が止まらなくなり、メイクもほとんど落ちていたと思います。
このときには桜はとうに散っていました。
そこからは酷いものです。遅刻する恐怖が嫌でそれから一週間は遅刻せずにいました。しかし日を重ねるごとに遅刻になりそうでした。対策の方法は朝の壁を取っ払う事です。それをなぜ早くやらないのか、とどこからともなく声が聞こえそうですが、私はバカなのでそういうことを考えられませんでした。
こうしてまずメイクの時間をなくしました。
今までもなるべく早くメイクをやっていましたが、それも億劫だったので、メイク自体をやらなくなったことは私にとって正解でした。
ただ周りのことを考えると話は変わります。メイクをしている私とそうじゃない私には圧倒的な差がありました。教室内で見られる機会が多くなったと思います。メイクをしない方が良かった…………という話であればよかったのですが…………、事実はそうではありません。
「なんかあいつ、入学したときよりブサイクになってるよな」
名前を覚えていない男子二人組が密かに会話しているのを偶然聞いてしまいました。その時は私のことだとは思いませんでしたが、後から振り返るとおそらく私のことだったのかなと思いました。ただどちらにせよ、陰鬱な気分になるには十分でした。
そんな中、また遅刻してしまいました。今度は盛大にやってしまいました。朝礼どころか授業の一限が始まった時に起きてしまいました。
お母さん! どうして起こしてくれなかったの? と誰もいないリビングで言いましたが、母はきっと起こしてくれています。微かに母が起こしてくれていた記憶がよみがえりました。よみがえった途端、私は母を責めたことを後悔しました。おそらく母は呆れて会社に行ったのだと思います。
うう…………、私はなんてダメな子なんでしょう。
そう思いながら朝ごはんも食べず(と言っても歯磨きはしましたので安心してください)、服を着替えて走って登校しました。
一限は数学でした。「遅れてすみません!」と声を出すことができればよかったかもしれませんが、実際は声が全く響かず、周囲からすれば会釈をしただけの無愛想なものだったと思います。数学の先生は何も言ってくれず、出席の紙に恐らく欠席の印を書き加えて授業を再開しました。周囲の目線は一層、
そんな私ですが、友達になってくださる人もいました。
入学式の時に話しかけて下さり、私のメイクも褒めてくださりました。緊張して話せなくても響子ちゃんは気にせずに私と会話してくださいます。私ごときのために時間をとらせるのは申し訳ないので、響子ちゃんと会わないように休み時間に保健室や図書室に隠れている時もありましたが、響子ちゃんは私を探して一緒に寄り添ってくださいました。
「どうしてそんなことをするんですか?」と聞くと響子ちゃんは「気が合う奴が幸奈しかいないから」と言ってくださいました。
私はそんなに魅力的な人間なんでしょうか。
気が合ったことを強いてあげるとすれば、日曜日の朝にやっている番組の話題でしょうか。「ニチアサ」のことです。
「ニチアサ」は素晴らしいです。戦闘も素晴らしいですし、ストーリーも重厚で、何年たっても見てしまいます。最近はスマートフォンでも見ることが出来て、昔のシリーズも嗜むことが出来ます。そのせいで夜更かしをしてしまうこともありますが、「ニチアサ」を禁止されるぐらいだったら、明日が不幸になっても良いと思えるほどです。もちろんリアルタイム視聴は当然のことで、テレビから十分離れて立ちながら見ます。変身ポーズを真似て、声を出し(恥ずかしいので小声ですが)敵を倒せば心の中でガッツポーズをします。
「ニチアサ」によって正義の心を学びました。正義は必ず勝つ。それを貫く大切さを学びました。綺麗ごとのように見えても、正義の力は強いのです。
小学校の頃から「ニチアサ」を視聴しているのですが、なかなかその話で盛り上がることがありませんでした。もしかしたらホントはみんなもそういう話をしたかったかもしれません。けれど話題は最近流行っている出来事に押し流されて行きました。
響子ちゃんから「ニチアサ」の話題が出たときは目玉が飛び出しそうになりました。まさか中学でその話題になるとは微塵も考えていなかったわけですから当然です。しかも昔のシリーズも網羅していて私よりも知識が豊富でした。響子ちゃんではなく響子先生とお呼びしたいほどです。
ただ、響子ちゃんは「先生って言い方嫌いなんだよね」と言われて断られてしまいました。響子ちゃんとお呼びするのは今でも少し億劫ですが、響子ちゃんが「ちゃん付けならいいよ」と言ってくださり、仕方のないことですがそうさせていただいております。
響子ちゃんと私は普段、「ニチアサ」ごっこをしています。具体的に言えば、変身ポーズやニチアサの感想を言い合うことをしています。校則でダメなことではあるのですが、響子ちゃんがスマホを取り出して登場人物の変身シーンを見ることもあります。私も響子ちゃんも食い入るように見て、周りの目も気にせず魅力を語り合います。何度やっても飽きることはなかったです。
時々、響子ちゃんと正義について語り合わせていただきました。ヒーローは正義の心を抱きながら敵と戦います。「ニチアサ」の作中で正義という単語はあまり出ない訳ですが、登場人物にはそれぞれの正義を持っていると私は考えます。響子ちゃんもそれに同意されていて、じゃあ私たちはその心を持っているのか、たまに考えるようになりました。ただ私たちには答えを出すことはできませんでした。
…………正義
私の行動はそれと相反するものではないのだろうか。遅刻も隠れて動画を見ることも学校の正義に反するのではないか。もしそうなら私は…………
中間テストの数学の時間、ふとそんなことを考えてしまいました。正解が分からず適当に答えていました。たとえ自分の正義を掲げてもそれが他人と違うものであれば、それは不正解として扱われるのではないかと不安を抱えてしまいました。
………何も…………何も分からない。
…………道理が全く分からない。
結局、中間テストは数学で赤点を取ってしまいました。どうやら数学の赤点は私だけだったようです。
私への制裁はほんの少し多くなったような気がします。数学のことで笑われることもあるし、遅刻のことを指摘する人もいるようになりました。そして響子ちゃんと私が密かに動画を見ていたことも先生にばれてしまい、響子ちゃんのスマホを没収していきました。響子ちゃんと私は謝って何とか取り返しはしましたが、「山寺は大丈夫でも、美桜は勉強もしっかりしていれば…………」と聞こえないような声でおっしゃっていました。 私たちに聞こえないように言ったつもりだったかもしれませんが、私は聞いてしまいました。
「こんなの間違ってる」
響子ちゃんは放課後の学校の近くにある公園でハッキリとそうおっしゃいました。私と響子ちゃんは同じクラスだったので私のことをいつも気にかけてくださっていました。スマホを没収されたことで堪忍袋の緒が切れたのでしょうか、「明日、幸奈をいじめてるやつを懲らしめてやる」とおっしゃいました。
「それはやめてください」
私はそう言って止めましたが、響子ちゃんは止まる気配はありませんでした。
「私の正義が許さない。だから幸奈は関係ない」
またハッキリとそう言ってその日は帰宅しました。
響子ちゃんは言った通り行動しました。私に制裁を加える人たちに対して、言い返しました。「お前らはそれを人に言うことができるの?」とか「そうやって人をいじめて楽しいの?」と主張されました。
「みんなそんなのやってるよ、できてない方が悪いじゃん」
………言われてしまいました。私はそれを言われたくない為に響子ちゃんを止めたのです。響子ちゃんも言い返せない様子です。学校の校則は基本的に守れるものです。それは社会としての最低限の正義を持って決められているからだと思います。
だから、私たちの方が不正解なのです。
私たちの正義は多数の人間が成し遂げることができる正義には到底勝てっこない訳です。そんな築き上げた正義に無謀にも響子ちゃんは挑んでしまったのです。
学校のチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきたことで何事もなかったのように席につきました。その授業に私は集中できませんでした。また自分の正義とは何かと物思いにふけてしまいました。
クラスのみんなが部活動をする中、私たちは放課後、いつもどおり学校近くの公園へ行きました。ブランコに座って一緒に会話するのが楽しい訳です。
ただ今日は沈黙が続きました。何を話せばいいのか皆目見当もつかないのです。そもそも響子ちゃんが話を振ってくださるわけで私はただただそれを聞いて答えるだけです。
沈黙が続くごとに心臓が早鐘を打ちます。今日、響子ちゃんは私のために言ってくれたんだ、だから響子ちゃんが元気でないのは私のせいなんだ。
だから……だから…………
「あ、…………あの」
小さな声でしたが、響子ちゃんが振り向いてくださいました。
「わ…………私のお家に…………来ませんか?」
響子ちゃんの顔色が暗い表情から明るい表情へ変わったように見えました。勇気を振り絞ったかいがあったと思いました。
ただ困りました。
何も考えずに言ってしまいましたので、自分の部屋に何か恥ずかしいものがなかったか考えてしまい、不安になってしまいました。沈黙が耐えられなかったから言ったことなのに、響子ちゃんと一緒に私の家に向かう方がかえって緊張してしまいました。
こういう時に思うのです。私ってバカなんだな、と。
こんなことで緊張するぐらいだったら家になんて誘わない方がいいのに、中途半端に響子ちゃんに寄り添って私はもっと苦しむ。響子ちゃんも私ごときの家に行って何になるというんでしょう。響子ちゃんは満面の笑みで私の家に入るのを楽しみにしているようですが、冷静に考えてみると有益になるものなんてないんです。そんなことを考えずに家に誘ったなんてバカも同然じゃないですか。
やっぱりやめにしよう…………と思った矢先、私の家についてしまいました。
もう心臓というか全身が痛いです。手を震わせながら、玄関のドアノブに手をかけました。鍵がかかってあり、お母さんはまだ帰ってきてないことを確認しました。
「ちょっと、家の中を確認してきます」
そう言って私は家の鍵を取り出し、家の二階の奥にある私の部屋へ向かいました。
私の部屋の前に立つと信じられないほど落ち着きました。手の震えもありません。部屋のドアノブに手をかけて扉を開けました。
閉め忘れていた窓のすきまから吹く風によってカーテンがなびいている。そのカーテンによって影が波を打つように動いていた。空はだんだんと赤くなり、部屋に入ってくる光りも温かみがある。
ニチアサの子ども向けの変身グッズが箱の中に収まり、そして壁際には登場人物が描かれたポスターが張り付けてある。キャラクターのぬいぐるみも机の上にある新品のキーホルダーももう使っていない。
…………メイク化粧品も隠す必要はないかも知れない。
そう思いながら私は部屋の奥の壁際に位置しているベッドに座った。
…………これが私なんだ。
「…………お待たせして申し訳ありませんでした。では、中へどうぞ」
私の部屋に人が来る時があるとは夢にも思わなかった。私の部屋を響子ちゃんに見せると、公園の時とも家に来る時の表情とは比べものにならないほど喜んでいた。それを見ると今まで張り詰めていた心が落ち着くようになって、その場で倒れそうになった。
「………ちょっとお茶を準備してきます。すぐ戻ってきます」
倒れそうになったのを誤魔化すために言い訳としてそう言った。お客様にはお茶を出す。それも兼ねている。
一階に戻った私は深いため息をついた。リビングにある椅子に座り、天井を見た。響子ちゃんはどこまで私のことを受け入れてくれるのだろうか。あの私の部屋の内装だけで受け入れてくれるだろうか。私のことをもっと知りたいのだろうか。もしそうなら…………
一抹の不安を抱えながらも二つのコップにお茶を入れ、それを用意したお盆の上に乗せた。そして二階の自分の部屋の扉の前まで持って行った。響子ちゃんは今の私で十分だと思ってると信じて。
また心臓が張り裂けそうになる。大丈夫、響子ちゃんはそんなことしない。そう自分に言い聞かして勇気を振り絞り、部屋のドアノブに手をかけた。
「…………お待たせ、響子ちゃん…………」
もしかしたら響子ちゃんには聞こえなかったかもしれない。目の前の響子ちゃんは私の机の引き出しに隠してあった、本をじっと眺めていた。
コスプレメイクのやり方が書かれた本を。
血の気が引き、持っていたお盆が手の動きに合わせて震えだした。見えないところに隠していたのに見られてしまった。まるで私の考えを覗いているかのような、私の心を見透かすような、そんな感じの制裁だった。
響子ちゃんはやっと私に気づいて、
「ごめん、勝手に見ちゃった」
私は無意識のうちに後ずさりをしてここから離れようとしていた。次に響子ちゃんがいう言葉がどうしても怖くなった。私が響子ちゃんを家に誘ったのがいけなかったのか、私がお茶を用意するために一階に降りたのが間違いだったのか、そもそも響子ちゃんと仲良くなったことが…………
ここで私は踏みとどまった。二つのコップが置いてあるお盆を机の上に置き、響子ちゃんの前に立った。
「幸奈ってコスプレに興味あるの?」
私は首を縦に振った。噓をついても言い訳できないし、それが正解だと思った。ばれてしまったものはもう仕方がないんだと割り切って響子ちゃんをまっすぐな目線で見た。
「幸奈って、やっぱりすごいね」
やっぱり響子ちゃんには毎回驚かされる。笑ったり、怒ったり、貶したりせずにじっと私の方をみて、ありのままの微笑みを見せていた。何を考えているのか、次はどう動くのか、そんなのはもう気にならなかった。
響子ちゃんになら私の全てを見せてもいいのかな。
そんな風に思った。
私の考え、思い、苦しみ、悲しみ、希望、そして正義。私の正義はわからなかったんじゃない、隠してただけだったんだ。今ならそう思えた。
「…………練習中なんですけど………良かったら、メイクを………してあげようか?」
響子ちゃんは「ホントに!」と言って私の手を握った。響子ちゃんの顔がぐっと近づき、目が煌びやかに輝いているのが視界に入った。響子ちゃんの顔ってこんなに綺麗だったんだと今更ながら思った。
私は何かに変身したかった。小学校の時と違う自分になりたかった。
入学式の前にふと本屋に寄るとコスプレのためのメイク技術が載った本が置いてあった。その本をパラパラと読みだすと次第に興味が湧いた。この本を買いたい、だけどお母さんに頼むのが億劫だった。お母さんにコスプレをするんだなと思われたら恥ずかしかったからだと思う。けれど、私は何度もその本屋に立ち寄りメイクの本を立ち読みした。これを家で読みたいと、入学式の後、貯めていたお小遣いを切り崩してその本を買った。
お母さんからメイクをやったらどうかと言われた時は内心嬉しかった。朝にメイクをしてみんなの度肝を抜かしてやると思った。だけど朝にやるもんじゃなかった。学校から帰ったらただひたすらコスプレの研究をした。お金がどのくらい必要なのか、どのキャラクターになりたいのか、どうすればメイクが上達するのか、寝るのを忘れるぐらい考えた。
内心、学校には行きたくなかった。小学校の時のように誰にも受け入れてもらえずに時間だけが過ぎていくのが怖かった。それに私ができないことを他のみんなが平然とやっていることも怖かった。敬意をもって接さないと気が済まなくなった。ただ敬意をもって接すれば接するほどなぜか嫌われることも承知の上でやった。私には尊敬を持つことも許されないのか、懐疑的な気持ちを持ってやった。
響子ちゃんだけは違った。こういう人もいること自体が初めてで響子ちゃんにべったりとついていった。そんな響子ちゃんも私のことを全て知らない。全部知ったらもしかしたら嫌われるかもしれない。けれど、私を見せてみたいという気持ちが日に日に増していった。
「響子ちゃん、できたよ」
響子ちゃんは椅子に座っている。椅子の方向を直角に移動させ、机に向き直した。そして机の上に置いてある手鏡を見た。目を見開きじっと眺めながら、え、とボソッと呟いた。そして私のほうへ顔を向けた。
「別人みたいで、自分じゃないみたい」
カラーコンタクトもつけていないのに響子ちゃんの目は色づいて見えた気がした。「これはプロ顔負けだって」とさらに私を鼓舞してくれた。
「そう言ってもらえて嬉しいけど、学校に支障が出てるからもうやめようかな………」
「なんで? あんな奴らのことなんか気にしちゃダメだって」
「けど、学校に行かないと将来が…………」
響子ちゃんは歯ぎしりしていた。色づいていた目はどんよりと暗さを帯びていた。そう思ったのも束の間、もう一度私の方を向いた。
「私はお利口な奴らが嫌いなんだよね。先生の顔色ばっかり伺って、優等生ぶって何が正義かどうかなんて考える気も微塵もないあいつらに、幸奈が潰されるのなんかまっぴらごめん。私は何も持っていないけど、幸奈はすごいもの持ってる。羨ましいし、応援もしたい。協力できることがあったら、協力もしたい。他人の正義なんて適当にあしらって、自分の正義をもっと大切にして欲しいんだよね。利口に生きるよりももっと破天荒にね」
正解とは築かれた正義のもとに成り立っている。
それが揺らぐことはありませんでした。ただ、自分の正義を貫いて無理矢理、正解にしてやろうという意思を持つようになりました。響子ちゃんには感謝してもしきれません。ただ根本的な問題が解決したかと言うと全くしていません。相変わらず遅刻癖は治らないし、制裁も時々あります。けれど、あの日以来、人を見る目が変わったと思います。本当に自分のためを持って接してくださる人もいるんだと最近になって実感しましたし、案外私のことなんて気にしていない人もいるようでした。必ずしも正義は一つじゃない。厳しい正義もあればふわふわした正義もあって、みんながみんな同じ正義のもと動いているわけではなかったと気づいたのです。そう思うとそもそも正義とか制裁とかも何だかバカみたいに思えてきました。
私は正義から解放された訳です。
あの日から私の中学校生活が始まったように思います。桜もないし、雨がたくさん降る。他の人からすればいい気分じゃないかもしれませんが、私にとっては気分が晴れやかになりました。
そしてもうすぐ夏休みが始まります。私の中学校では夏休みの宿題があるらしいです。だけど私には響子ちゃんという頼れる仲間がいます。響子ちゃん自身は『何も持っていない』とおっしゃいましたが、そんなことはありません。学力で言えば、クラスはおろか学年でもトップの成績です。やっぱり響子ちゃんには毎回驚かされます。
「何とかなる」という無責任な言葉を使いたくはないですが、本当に何とかなりそうです。
早く宿題を終わらせて、初めてのコスプレをする。誰かと一緒ならそんなことも簡単な気がします。
正義からの解放 誠 杏奈 @makoto-anna
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