面喰い

缶津メメ

面喰い

斧坂ジュエル(仮名)はいわゆるメンクイである。

彼女の隣にいる男たちは総じて顔が良い―――――いわゆる、イケメンと呼ばれる類の人々であった。斧坂ジュエルもまた可愛らしい顔立ちをしているため、ふたりが連れ立って歩けば通行人の目を惹いた。甘いマスクの男と、愛らしいスイーツの擬人化のような女。そんなフィクションじみた美男美女カップルは、見た者に羨望の溜息を吐かせ、時に嫉妬のまなざしを向けられながら存在していたのである。

しかし、ただひとつ。この甘々カップルに―――――いや、斧坂ジュエルには欠点があった。

ジュエルには、男をとっかえひっかえする性質があるのである。

なにしろ、斧坂ジュエルは見かけるたびに男が変わる。男が愛想を尽かしているのか、ジュエルが男をポイ捨てしているのかは周囲の人間は知る由も無かったが、だいたいの人間は「ジュエルの方が男を放り出したのだろう」と思っていた。

そんなわけで、斧坂ジュエルは顔の良い尻軽女として周囲に認知されていたのである。


さて、ここに山村(仮名)という男がいた。

山村はゆるいパーマのかかった、茶色くやわらかい髪を持つ男であった。すでに聡明な読者諸君は察しているだろうが、山村もまた砂糖菓子の如く甘いマスクを持つイケメンであった。

そんな山村が、事もあろうに斧坂ジュエルに出会ってしまった。

出会いの場は、駅前にあるチェーン居酒屋の奥座敷で行われていた学生同士の合同コンパである。男五人・女五人の合コンは、なんと参加者全員が顔しか見ていなかったため――――――山村と斧坂ジュエルがワンツー抜けするのは自明の理であったと言えよう。お互いに「今日の当たりはこいつだ」と結論づけ、早々にパーティーを抜け出してしまったのだ。


「ね。あたしの家、ここから近いんだ」

オリオンきらめく寒空の下、ふたりの男女は身を寄せ合って歩を進めている。

「ジュエルちゃんはいつもこうやって男と仲良くなってるの?なんか嫉妬しちゃうな」

「んーん。そんなコトない。普段はここまで積極的じゃないの。山村くんはね、ひと目見た瞬間からビリビリ来ちゃったのよ」

「へえ。ジュエルちゃんってメンクイなんだ」

「違うよ。ただの、ひと目惚れ」

腕にすり寄る可愛い子猫のつむじを見ながら、山村は内心ほくそ笑んでいた。

山村は己の顔の良さに自信があったから、今日もまた己という華につられてやってきた蝶がいるな、くらいの感覚があったのである。だが、その蝶がそこらで見かけるモンシロチョウではなく、美しいと評される蝶ことモルフォチョウレベルだったのだから驚きだ。

とろりと溶けそうな、大きな垂れ目に白い肌。寒いのか、鼻や耳が真っ赤になっているのがまた可愛らしい。美しいかたちをしたくちびるに、ミニスカートの下で黒いタイツに覆われている太腿。そそる反面寒くはないんだろうか、とふと思ってしまう。上半身はコートにふわもこニットときちんと着込んでいるので、なんだか寒さ対策としてはアンバランスだ。ただ、山村も(そして斧坂ジュエルも)寒さ対策なんて二の次である。斧坂ジュエルはこの格好を好んでしているのだろうし、山村はこういう系統のコーディネートが好きだった。

その上、腕には服越しでもわかる大きく柔らかい胸が当たっている。山村は、斧坂ジュエルの「すべて」にこっそりと唾を飲む。

「確実に斧坂ジュエルは『あたり』である」。

とどめにこのガードのゆるさ、間違いなくゆるふわビッチの類だろう。これはもう数か月に一度の逸材だ。これで相性もよければ、個人的には今後とも贔屓にしていきたい……山村はそのマスクに反し、下衆い感情で胸がいっぱいになる。そうして期待に心臓を弾ませながら斧坂ジュエルの自宅へと向かったのであった。



「そのへん、てきとーに座ってて」

斧坂ジュエルの自宅はまさに女の子の一人暮らしといった様相であった。ミニ観葉植物、ゆるい猫型の加湿器、ぬいぐるみ、ふわふわのラグマットが敷かれたリビング。こじんまりとしたテーブルに、ゆったりできるソファ。なんだか甘くていい匂いも―――――……

「(…………?いや、これは………)」

甘い匂いの、その先に。どうしようもない不快感が在る。山村は、なんだか嗅いだことの匂いだぞ、と思った。どこで?……家?いや、違うな。もっとこう……

考えを巡らせてみるが、どうにも思い出せない。というより、かわいい部屋とかわいい女を前にすると全く浮かんでこない。ひとりでそわそわしていると、ふいに斧坂ジュエルの顔が近づいた。

「わ、」

思わず驚きで声が震える。斧坂ジュエルはそんな山村の姿を見て、悪戯っぽく微笑んだ。

「どした?もしかして緊張してる?」

「そ、そんなことは―――――……」

「んふ。いーんだよ、知らんヒトの家だしね」

「はあ…………」

「それにびくびくしてる山村くん、かわいい」

ワイン色に彩られた爪が視界の端で揺れる。それを目で追ってみれば、ほっそりとした指が頬に触れた。そうして、すぐに離れる。

ただ掠めただけの、その数秒間に―――――――山村は、激しく動揺した。どきどきと、まるで恋を覚えたての学生のように心を震わせた。同時に、ひどく興奮した。匂いのことなんか、どうでもよくなっていた。

「待ってて。なんか温かいもん淹れてあげるから」

「あ――――――ありがとう。…………じゃあ、その間にトイレ借りてもいいかな?」

「いいよー。廊下出て突き当りね」

斧坂ジュエルはキッチンスペースに行き、ケトルに水を注いだ。その後ろ姿を見ながらソファから立ち上がり、リビングの戸に手を掛ける。

「ああ、それと。気になっても他のお部屋、入っちゃダメだからね」

「なにそれ。そんなの当たり前じゃん」

山村は笑いながら戸を開け、冷え切った廊下へと出る。


その様子を、斧坂ジュエルはじっ  と見つめていた。



「(入っちゃダメ、とは言われたが…………)」

しかし、そう言われるとつい気にしてしまうのが人のサガである。案の定、山村もまたそういう性質であった。しかもトイレに行くまでの部屋のドアは、ご丁寧に全部閉めてあるのだから余計気になってしまう。

それになんといっても臭いだ。さっきはついつい忘れてしまったが、一歩リビングを出た瞬間から―――――……もっと言えば、廊下を歩けば歩くほど臭いが増した。

山村は頭の中で必死に考える。甘くて濃くて、嫌な臭い。

出すものを出してしまえばその疑問もすっかり流れていき、純然たる欲望のみが残るかと思いきや―――――……全くもって、そんな気配はない。むしろ、家のどこにいても付きまとう臭いの不快感とその正体を知りたい気持ちの方がじわじわと上回っていく。

山村はトイレを出てから足音と立てないようそろそろと歩き、鼻の感覚に集中する。数歩歩いた所で、特に臭いがきつい箇所があることに気づいた。

ふと見れば、臭いの先はぴっちりと閉まった扉。

耳をすませる。がちゃ、がちゃ、とリビングから食器の音がする。お茶の準備ついでに片付けでもしているのかもしれない。

「じゃあ、今なら」と山村は思った。

大丈夫だ、バレてしまっても幸い自分は男で、あんなひ弱そうな女は肩を一押しすれば勝手に尻もちでもなんでもつくだろう。なんならそこで事に及んでもいい。

山村はそう自分に言い聞かせながら、ドアノブに手を掛けた。音が鳴らないよう、ゆっくりゆっくりと扉を開いていく。心臓が悲鳴を上げていることを無視しながら、そうっと中を覗いた。

「――――――――――――――――…………あし?」

ドアを開ければ開けるほど、部屋にあるものの全貌が見えてくる。白すぎる足。臭いもまた強くなる。茶色い染み。

半分開けた所で、ようやく山村は―――――……部屋の中に、男性の死体が転がっていることに気づいた。

「――――――――――うわあっ!?」

思わず腰が抜ける。どすんとその場に尻もちをつく。

はあ、はあ、と荒い呼吸。じんわりとてのひらに感じる汗。どんどんと心臓を無遠慮に叩かれる不快さ。内蔵がひっくりかえるような気持ち悪さ。背中に流れる冷たい汗。

山村は恐る恐る、死体に近づく。

そうして、もう一度悲鳴をあげた。

男の死体が、奥にまだふたつあったから。そして―――――――――


死体の顔の皮が、全て剥ぎ取られていたからだ。


山村は四つん這いになって、わあわあと泣き声だか鳴き声だかわからにものをあげようとした所で。ふいに、口にあたたかな感触を覚えた。

口を、塞がれている。誰に?そんなの、決まってる。

―――――――あの女に、だ。

「夜なんだから、大声出しちゃダメ。」

斧坂ジュエルは山村の口を掌で塞ぎながら、先ほどと変わらない、甘く穏やかな声で続ける。

「いけないんだあ……女の子との約束、破るなんて……」

なにか言い訳はある?そう言いながら、斧坂ジュエルは掌を軽く離す。解放された口は、必死で言葉を叫んだ。

「ご―――――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………!あの、この事は黙ってます、黙ってますから――――――……もごっ」

「だから、声が大きいっての」

斧坂ジュエルは再度山村の口を塞ぎながら、ひとつ溜息をついた。

「――――――あたしね?ホントに山村くんにひと目惚れしたんだよ?」

「………?」

「だって、カッコいいし、話面白いし、清潔感あるし。でも、中身がなあ。部屋勝手に覗くとかサイテーだし……まあ、いっか。お持ち帰りなんてこんなもんだ」

どういう意味だ、と聞こうとして。

山村は、喉の奥で唸った。頬に鋭い痛みを、いやな熱を感じる。

横目で恐る恐る見る。ワインレッドの爪が、自分の頬に深々と突き刺さっていた。

「っ?っふ、ぐ、ぐ、んぐ、う゛、う゛、う゛―――――――――!!!!」

爪は容赦なく肉に食い込み、そのままがりがり、べりべりと顔の皮を剥いでいく。

「あは、泣いてる。やっぱ山村くんかわいー」

元カノが好きだと言っていた唇が無遠慮に爪で裂かれる。きれいな瞳だといわれた目玉に、爪の先が掠める。ぐじゅりと音が遠くで聞こえる。あつい。痛い。苦しい。つらい。こわい。痛い。痛い。痛い。痛い。痛いよ、痛いよ、痛いよ、痛い!

どこもかしこも滅茶苦茶にされるような、強すぎる刺激に。山村は斧坂ジュエルの腕の中で、すっかり意識を無くした。

「お、綺麗に剥がせた。じゃあ、いただきまーす」

斧坂ジュエルは真っ赤に汚れた手で、皮の端を食み、その歯でぶちぶちと食い千切り、咀嚼する。やがてごくんと呑み込んで、誰もいなくなった部屋で呟いた。


「………中身なんてね。どうでもいいの。だってあたし、面喰いだもん」




「三体って言いましたよね。困るんですよ、うちだって色々準備とかして来るんだから」

「あはは、ごめんごめん」

「それに、こっちのふたりはちょっと腐ってるじゃないですか。こんな状態になるまで放置するなって、いつも言ってますよね?回収しづらいんですよ、こっちだって」

「そんなに怒らないでよお。今度ビール奢るから!」

「…………それで?どうしていきなり一体、死体が増えたんですか?」

「んーとね……合コンで、タイプの男のコがいたの。かわいいなー、カッコいいなー、と思って………つい、ね?つまみ食いしちゃったっていうか……回収業者さんだって、深夜にラーメンとか食べちゃうでしょ?そんな感じ!」

「…………………合コンといい。あなた……化け物のくせに、随分人間みたいなことをしてるんですね。相変わらず」

「?あたし、人間だよ?」

「あん?」

「中身なんて、どうでもいいじゃん。外側が人間なら、あたしは人間。フツーの女のコ!だからあなたも、そう思って接して欲しいなあ」


「……………………………面の皮の厚い女。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

面喰い 缶津メメ @mikandume3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画