王子、魔女、悪魔

第2話 魔女アンナ

　ロランは自室に閉じこもり、この世界に没頭していた。生き残ることが最優先で、その思いが彼に時を越えて来た経緯を忘れさせていた。情報を早く把握し、リスクを減らさなければならなかった。彼の心は常に高揚感と不安が渦巻いており、未知の世界での生存戦略を常に模索していた。

　彼は王子の記憶を探ったが、何も見つかりませんでした。貴族の知識も、政治情勢も、隣国との外交もなく、ヨーロッパの歴史と一致する都市名や大きな出来事もありません。王子は、王位とは無縁のようだ。おそらく、ハイタの王もそのことを理解しており、だからこそ彼をこの辺境に追いやったのだろう。ロランは自嘲的微笑を浮かべる。彼は王族として生まれながらも、王位から遠ざけられていた。その事実に、彼の自尊心は傷つき、孤独感に打ち震えていた。

　ロランは苦笑し、兄弟姉妹たちの姿が頭をよぎった。十数年の付き合いが、結局これらの言葉で要約されるだけだ。彼らの勢力や有能な部下、得意な事務について、彼は何も知らない。彼の心は、家族との関係の浅さを嘆き、彼らとの疎外感に耐えながらも、自らの力で立ち直す決意を固めていた。

　辺境町に来てから3ヶ月しか経っていないが、ここでの貴族たちは彼に対する軽蔑を隠さない。幸い、王都を離れる際、ウェンブトン三世は大臣の2人を協力させるために派遣してくれた。そうでなければ、彼は本当に何もわからずにいた。ロランは彼らの冷たい態度に心を痛め、しかし、彼はその痛みを克服し、自らの力を証明するため、冷静に行動を起こすことを誓った。

　翌朝早く、メイドのティルはロランに、大臣補佐官が会いたがっていることを繰り返し伝えました。もう逃げられないようです。彼は記憶の中の習慣に従い、メイドの尻を軽く叩いて、バロフに待ち合わせを伝えるよう頼みました。ティルの温もりは彼の心にわずかな安堵を与え、彼はこれから起こることへの不安を噛みしめながら、冷静さを装う必要を感じていた。

「殿下、昨日なぜ絞首刑を命じなかったのですか？」

　バロフはロランに会うなり、急に尋ねました。ロランはその言葉を聞いて、心の中で罪悪感と葛藤を感じながらも、彼は自らの決断を正当化し、冷静さを装う必要を感じた。

「一日早くでも遅れても、何の問題がありますか？」

　ロランは手を叩き、侍従に朝食を持ってくるよう指示しました。

「座って、ゆっくり話しましょう。」

　彼は首席騎士が直面して質疑するのを好み、大臣補佐官がより控えめに話す傾向があることを理解していました。とにかく、二人とも王の名の下で、自分たちの忠誠心がまだ信頼されていることを知っていました。

「一日遅れると、他の魔女を引き寄せるかもしれませんよ、王子殿下！」

　バロフは焦って言いました。ロランはその焦りが、彼自身の内心の不安を反映しているのではないかと思え、彼は冷静さを装いながらも、実際には心の中で何らかの葛藤を抱えていた。

「どうしてあなたまでそのことを言うのですか？」

　ロランは眉をひそめました。バロフは困惑した表情を浮かべました。

「どの噂ですか？」

「邪悪な魔女や、悪魔の使者などです。」

　ロランは軽く言いました。

「教会の宣伝ではないですか？彼らがここに手を出さないようにするためには、逆に行動するべきだと思います。」

　バロフはしばらく呆然としていました。

「しかし…しかし魔女は確かに…」

「確かに邪悪だと？」

　ロランは反問しました。大臣補佐官は一瞬沈黙し、慎重に言葉を選びました。

「殿下、そのような問題は後回しにしても構わないのではありませんか？教会が好まないことは承知していますが、その種の対抗は、逆効果にしかならないと思います。」

　ロランはその言葉を聞いて、心の中で教会の権力に対する不信感と反骨精神を噛みしめながら、冷静さを装う必要を感じた。

「これは何ですか？」

　ロランの声は低いです。

「私はそれが魔女が作った邪悪なものだと思いましたが、実際にはもっと深刻なことです。」

バロフは額を拭きました。

「上の模様は..聖山と魔眼の印、これは魔女会の紋章です。」

ロランはコインの不規則な表面を撫で、陶器で焼成されたのではないかと推測しました。コインの中心には「山」のようなデザインが刻まれており、3つの三角形が並んでおり、中央には目があります。彼は「聖山と魔眼の印」と「魔女会」という2つの言葉を思い出しましたが、いかなる情報も見つけられませんでした。どうやら王子は神秘学においては全く経験がないみたいだ。ロランは少し考え込みましたが、その点について深く追求することはしませんでした。彼は、根深い考え方を一朝一夕で変えることはできないと理解していました。彼の心は、神秘学に対する無知さと、それに伴う不安と好奇心に揺れていた。

　その時、朝食が並べられました。ロランは大臣補佐官に牛乳を一杯注ぎ、前に押し出しました。「まだ食事を取っていないでしょう？食べながら話しましょう。」メイドによると、バロフは夜明け前に宮廷の外で待機していたため、まだ食事をしていないはずです。バロフはコップを受け取ったものの、飲むことなく焦りながら言いました。

「殿下、問題が発生しました。3日前に衛兵が報告したのですが、西の森で魔女が露営していた可能性のあるキャンプが見つかりました。」

彼はポケットからコインを取り出し、ロランの前に置きました。それは一般的な貨幣ではありませんでした。少なくともロランの記憶には、このような貨幣はなかったのです。それは金属製ではなく、まるで異質な物のようでした。ロランがコインを手に取ると、驚くべきことに、それが熱いことに気づきました。それは確かに大臣補佐官の体温とは異なり、少なくとも40度以上の熱さで、ほんの一瞬、彼は暖かさを感じました。その熱さは、彼の心に不安と驚きを与え、彼はその感覚を隠しながらも、冷静さを装う必要を感じた。

「古書には、魔女は聖山に行き、そこで真の安息を得る唯一の場所があると記されています。そこには魔力の反発もなく、制御不能な欲望に悩まされることもない。間違いなく、その本に記されている聖山は、邪悪な発祥地であり、地獄への入口です。」

バロフは続けました。

「魔女会は聖山とどう関係があるのですか？」

ロランの声は平静を保っていましたが、指でテーブルを軽くたたき、内心の不安を隠しきれませんでした。バロフは顔をしかめました。

「以前、魔女たちは逃れたり、隠れたりしていましたが、何年も前から共助会が現れてから状況が変わりました。それはすべての魔女を集めて、一緒に聖なる山を探し求めることを望んでいるのです。そのために、共助会は他の人を魔女に変えることを積極的に行っています。ブルーウォーターハーバーでは1年前、赤ちゃんの女の子たちが一斉に行方不明になる事件がありましたが、噂によればそれが彼女たちの仕業だと言われています。」

ロランは最後のフライドエッグを飲み込み、ナプキンで口を拭きました。

「そんなに話してみれば、あなたがまだ生きているというニュースを聞いて、魔女会が彼女を救いに来るのを心配しているのですか？」

「その通りです、殿下。」

バロフは足を踏み鳴らしました。

「彼女らは行動が急速で、おそらく道を急いでいます。その魔女が死んでいたならともかく、しかし今彼女はまだ生きています！あの狂った連中は赤ちゃんを盗むことさえ考えており、すでに堕ちたパートナーを放ってはおけないでしょう。」

ロランは少し混乱していました。どこかがおかしいと感じるのです。なぜ、大臣補佐官や首席騎士が魔女について話すと、まるで大敵がいるかのように感じるのでしょうか？あの絞首刑が宣告された女性は魔女だったのでしょうか？風が吹けば倒れそうなほど痩せていて、もし彼女が恐ろしい力を持っているなら、なぜあそこで人々に切り裂かれることになるのでしょうか？

「彼女はどうやって捕まったのですか？」

ロランの声は低くなり、冷たさを含んでいました。

「北の鉱山が崩れた時、彼女は命を逃れるために自分の身元がばれました、怒った村民に捕まったと聞いています。」

バロフの声には、わずかな震えが混じっていました。ロランは考え込んでいました。ああ、その件には印象が残っています。それは、彼が時を越えてきた日、ちょうど1日前の出来事でした。

「どのように暴露されたのですか？」

ロランは眉をひそめ、深く詮索するように問いかけました。

「それは...私もあまり詳しくは知りません。」

大臣補佐官は首を振りながら言いました。

「その時は非常に混乱していて、誰かが彼女が魔法を使うのを見ていたと聞いています。」

ロランは眉をひそめました。

「それで、ちゃんと調べていないのですか？」

「殿下、鉱山の生産再開が最優先事項です。」

大臣補佐官は抗議するように言いました。

「どんな魔法を使ったのですか？」

ロランは興味津々で尋ねました。

「まるで溶けたかのように、頭と半身が床に広がり、燃え尽きた黒いキャンドルのようでした。」

バロフは嫌悪の表情を浮かべました。ロランは手に持っていた銀のフォークをいじりながら、しばらく考え込んでいました。歴史上、魔女狩りの犠牲者はほとんどが無実で、教会と無知な民衆に憤りを晴らすための道具として扱われてきたことを思い出します。その魔女は、どのようにしてそんな力を得たのでしょう？もし彼女が錬金術に頼っているのなら、それはこの領土で希少な錬金術師の証拠です。そうでなければ…。ロランはそこで決心しました。

「彼女に会いに連れて行ってください。」

ロランの声は確固たる。パロフは慌てて立ち上がる。

「ちょっと...ちょっと、殿下、魔女に会いに行かれるんですか？」

「そうです、これは命令です。」

ロランは大臣補佐官に笑って振り返る。ドアのそばに来たとき、彼は突然止まりました。

「そうだ、ずっと聞きたいことがありました、なぜ絞首刑なのですか？」

「何？」

パロフの声は少し震えています。

「なぜ絞首刑なのですか？魔女は火刑柱に縛り付けられて焼かれるべきではありませんか？」

ロランの声は平静です。

「そうですか？でも彼女は火を恐れませんよ。」

辺境町にはただ一つの地下牢があります。瘠薄な土地では多くの囚人を養うことができません、ほとんどの犯罪者はここに入る間もなく裁判に直面します。王子を地下牢に案内する人々にはパロフ以外にも首席騎士、刑務所長、牢屋の長と二人の衛兵がいます。地下牢は四階建てで、壁は硬い花崗岩で造られています。ロランは初めてこのような場所に足を踏み入れ、階下へと下がるにつれて通路が狭くなり、牢房の数も次第に減っていくことに気付きました。この粗末な工事では、当然のように排水設備が整っていません。床は湿気を帯び、濁った汚水が一段一段の階段を伝って染み出していきます。魔女は地下牢の最下部に閉じ込められており、階を一つ下がるたびに、空気の中に生臭さが増していきました。

「殿下、それはあまりにも危険です。彼女が神の罰の鎖に囚われていても、安全とは限りません。」

そう言ったのはカート・ラニス、首席騎士でした。彼は王子が魔女を訪れる予定を聞くとすぐに諌めに来て、途中で休むことなく引き止めました。

「邪悪に立ち向かうことを恐れたら、どうしてその邪悪に打ち勝つ勇気が湧いてくるのでしょうか？私はあなたがそれを理解していると思っていました。」

ロランの声には皮肉がこもっています。

「邪悪と戦うには、自分の力を見極めて行動しなければなりません。無謀さは勇敢ではありません。」

カート・ラニスの声は確固としていました。

「つまり、自分が弱い敵には正義を貫き、強い敵には目もくれないというわけですか？」

ロランの声には、さらに皮肉が込められています。「いえ、殿下、私の言いたかったのは..」

カート・ラニスは説明しようとしましたが、ロランは彼に機会を与えませんでした。

「以前は魔女が脱獄することを恐れ、今は少女に会うことを恐れている。私の首席騎士は本当にユニークですね。」

ロランの声には、一筋の茶番が含まれていました。騎士はたくさん話をするが、論争には向いていません、ロランという口撃ちの達人に出会い、自然と招架の余地がありません。

その隙をついて、一行はすでに地下牢の底部に到着しました。ここは上の階よりずっと面積が小さく、合計で2つの牢屋しかありません。

牢屋の長が壁のトーチを燃やし、暗闇が去り、ロランは隅にしゃがんだ魔女を見ました。今はもう遅秋で、地下牢の温度は低くて自分の息が白く見えるほどです。彼はファーコートを着て、中にシルクの生地を重ねていますから、自然と寒くは感じません。しかし、相手は一枚の薄い服しか着ていなくて、体を完全に包むことはできません、外に露出している腕と足の指はすでに凍てついて血の気がありません。突然明るくなった火の光に彼女は頭をそらして、目を閉じました。しかしすぐに、彼女は目を開けてこちらをじっと見ています。

それは淡い青色の目で、嵐の来る前の湖のように平静です。彼女の顔には恐れは見えず、怒りや憎しみも見えません。ロランには何か錯覚があるかのように感じました。目の前にいるのは、弱々しい少女ではなく、まるで炎を飲み込む影のような存在でした。

一瞬、彼は壁の火の光がわずかに暗くなったような気がしました。彼女は壁に寄りかかりながら、ゆっくりと立ち上がった。その動きは、倒れそうになるほど遅く、まるで力が抜けているかのようだった。しかし、最終的に彼女は完全に立ち上がり、光が差し込む隅の方へと、よろめきながら歩き始めた。その単純な動作が、周囲の人々を驚かせ、誰もが一歩下がって息を呑んだ。しかし、騎士だけは一人、ロランの前に立ちはだかった。

「あなたの名前は？」

ロランは騎士の肩を軽く叩き、緊張しすぎる必要はないことを示した。

「アンナ。」

彼女は静かに答えた。その声は冷静で、まるで何の変哲もない事実を語っているかのようだった。しかし、ロランはその冷静さの裏側に隠された強い意志を感じ取ることができました。