黒い布が降るとき
加加阿 葵
黒い布が降るとき
スポットライトの明かりが消えて久しい。
薄暗い劇場。明かりのつかないスポットライトの代わりに朽ちた天井から差す一筋の光の中、男はゆっくりと帽子を手に取り、埃をはらった。
ひび割れた革靴を鳴らし、ほつれたタキシードをぴしっと正し、男はステージの中央に立った。幻想的な姿勢で観客席に振り返る。
古びたステッキに体重を乗せ、帽子に手をかけ、円を描くように帽子をとりながら深々と頭を下げる。
「さて、みなさん!」
高らかな声が劇場全体に響き渡る。
「本日は特別なショーをご用意しました! お楽しみいただけること間違いなしです」
男はそう言い放ち帽子をかぶりなおすと、ステッキをくるっと回して見せ、動き出した。
満員の観客席。子供から老人まで熱狂する笑顔。鳴りやまない歓声。
「今日も最高だったよ」
その言葉を思い出すたびに、男は長いテーブルの向かいに座っている自分の存在意義と対峙した。
男は笑顔を浮かべながらトランプを取り出した。指先で器用に操り、雑音の混じる音楽と共に赤と黒のカードが宙を舞う。
それらを全てキャッチすると、上からトランプの束をパラパラと落しながら「ストップと言ってください!」と観客席に呼びかける。
それに静寂が応えた。
音楽にザザっと雑音が入ると、男は手を止め、止まったところのカードを観客席に見せるように、ステージから下り観客席を一周した。
「それではこのカードがいったい何なのか当てて見せましょう!」
男はシャッフルすらも1つのパフォーマンスかのように軽快なステップで踊りだす。
「じゃあカードの発表はショーの最後に! 興奮しすぎてカードが何だったのか忘れちゃだめですよ!」
音楽の曲調が変わった。
時代が変わった先に、人々は劇場を去った。
かつてこの劇場は街の中心だった。
煌びやかなネオンサイン、熱気に包まれたロビー。
それも遠い昔の話。1つの時代が死んで、VRやAIの進歩によって「自分だけの特別」を楽しめるようになった。
劇場に行く手間や費用は不要となり、生身の俳優の存在感は薄れていった。
文化を享受するためには一定の知識や教養が必要な世界だった。
日々低下していく知能レベルに合わせたコンテンツが流行りだし、増え続けた結果、文化の質は下がり続けた。
何者でもない芸人気取りの一般人に、数字に取り憑かれたインフルエンサー。小さい教祖になりたがるスキルもないくせに承認欲求だけが肥大化した化物たちが生まれては死んでいった。
男は舞台を降りなかった。維持費が払えなくなり、劇場が廃れた。
仲間が辞めた。 観客が消えた。
それでもそこにステージがあったから男は立ち続けた。
男にとって「生きる」という事はステージに立つという事だったから。
動くたびに軋むステージの上、男はショーを続けた。
帽子から花を取り出し、ステッキを回し、気軽に踊る。その動きには静止もあり、苦虫を嚙み潰したような表情もあったが、情熱だけは変わらなかった。
またしても、曲調が変わり、男は観客席に降り立つ。
劇場の年齢は100歳を優に超える。まるで先輩のような立ち振る舞いで劇場は男を包む。劇場に舞い込む隙間風は先輩風と言ったところだろうか。
誰もいない赤いシートが埃をかぶり、椅子の金属部分が顔を見せている。
「さあ、そろそろ最後の演目です!」
男はステッキで帽子を回し、薄くなった頭を撫でつけながら音楽に乗り、軽快にステップを踏む。
観客席の出入り口から外に出た男は、劇場の入り口。薄汚れ、外の景色を見るのも叶わないガラス製のドアに貼られた張り紙に目を向ける。
商業施設建設のため、この建物は解体されます。
工事開始日は――
寂しそうに微笑んだ男は小走りでステージの上に戻った。
彼はステージに立ち、最後のショーを始めた。
すべての動きに情熱を込め、かつてのように笑顔でパフォーマンスを披露した。
帽子から飛び出す造花、宙を舞うトランプ、軽快なステップ――どれも完璧だった。
全盛の彼を知る人が見ても、最高の演技だったと答えるだろう。
「本日はどうもありがとうございました!」
男は深々と頭を下げた。客席は相変わらず空っぽだったが、男にはそれが見えなかった。
彼の瞳にはかつての熱気と観客の声援が映っていた。
男は帽子の中に手を突っ込み、黒い大きな布を取り出した。
それはかつて何度もショーで使用し、ほつれやシミが目立ち、時代を感じさせた。
男は布を両手で広げ、満面の笑みを見せ一礼する。
その行動にはこれが最後だという覚悟が滲んでいた。
男は布を力強く真上に投げた。
黒い布は月明りを遮るようにゆっくりと舞った。
布が床に触れると、空気が凍り付いたかのような静寂に包まれる。
落ちた布は当たり前のように静止していて、その中に微かな膨らみすらなかった。
観客席には誰もいない。ただ、朽ちた劇場の静寂だけが、彼の最後の演技を讃えているようだった。
月明かりが布を淡く照らし、それがまるで一枚の幕のように感じられた――最後に降りる幕だった。
数週間後、1人の解体作業員がステージで寝そべっている布をめくってみると。
トランプのカードが1枚。モノクロのピエロのカードが落ちていた。
「ねえ、これがあれば何でもできるんだよ! だから買ってよ!」
跡地に建った施設のショーウィンドウの前で母の手を引く子供が最新のデバイスをねだっている。
そこに劇場があったことを知る人など、もう誰もいなかった。
黒い布が降るとき 加加阿 葵 @cacao_KK
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます