神樹幻惑 6

ステラはシンジュにナイフの先を向ける。

この森に骨を埋める気は無い。

ステラの様子から何かを感じとったか。

シンジュは先程までの慈悲深い目をゆっくりと閉じた。

ステラが1歩踏み込んだその時。空気が変わる。

シンジュは何かを小さくつぶやくと、その姿はみるみる化わっていった。

緑の波うった髪はうねるように伸び、

耳元から鹿のような長い角を2本覗かせている。

先程閉じた目が開かれる。

薄暗い部屋に現れたそれは、黒い眼球にうぐいす色の瞳、獣のような

細い瞳孔をステラに向けている。

人ではない。化物であった。

非現実的な出来事であったがステラはそれに驚くことなく切りかかる。

臆することなく踏み込んだその足にめいっぱいの力を込めて突進した。

切りかかる。

しかしその刃は怪物を赤く染めることはなく、代わりにその口に咥えられていた。

ひじから下。ステラの潰されちぎれた利き腕とともに。


倒れ込んだステラにシンジュはもう興味を示していなかった。

耳元の角が静かに消える。

「畝る神樹」

こんな神々しい名前をしていながらその容姿は怪物そのものである。

実際迷い込んだ少年の腕を頑丈な臼歯ですりつぶしたのだから。

口元についた血を軽く拭う。

この島。いやこの島々にはいくらか同じような怪物が存在する。

正確には怪物のような力を宿した人間。なのかもしれないし。

実際に怪物を取り込んだ人間なのかもしれない。

細かいことはわからない。

ただ名前を聞き、呼ぶ。そして怪物になる。

実際にはまだ気づいていないだけでもっと多く怪物はいるのかもしれない。

誰もが怪物になる可能性を秘めている。

そしてなれば必ず後悔するだろう。そう思う。


食いちぎった戦利品を機械にかざす。

これも違うようだ。

先ほどの妙な名前の子供。ハルマキも翠ではないようだった。

同室で倒れ込む2人の子供が少しばかり気にかかる。

子供。

やはりそれが良くないのだ。腐っても「母親」である。

いや今回の場合子供を中心に考えるなら、母親であったが適切だ。

ここにいる「母親」は行方知らずの子供を泣く泣くあきらめた。

しかし「少年」は行方知らずの姉を探し続ける決意を示した。

この差に気づいたシンジュはステラを見逃すことはできなかった。

もしここでステラを見逃して、姉を見つけてしまえば、

シンジュ自身の選択は間違いであったと。そう感じざる得ないからだ。

かつて。

まだ頬に星がなかった日。

初めて家族を得た日。

そして別れた日。

この島で「守護者」に選ばれたあの日。

何を考えていただろう。何を感じてあの選択をしたのだろう。

それを考えるにはこの歌が確実にノイズであった。

しかしこれをノイズであるとはわかっていても止めようとは思えない。

この歌があるから、家族の夢を見続けられるのだと。

そんな気がしてしょうがない。

この美しい歌を奏でる機械を守り続けなければ。

そういえば初めはこの歌のことをよく思っていなかったような気がする。

その理由はもはや思い出すことはできないし、する必要もないだろう。

ただシンジュは今の日常が幸せであった。

そしてその日常のためにはこの機械の力が必要である。

だから守るのだ。

ほかがどうなろうと知ったことではない。


シンジュはしばらく機械をぼーっと眺めていた。

そしてつぶやく。


「もう一回力をかして。畝る神樹。」


シンジュの容姿は再び化物へと変貌を遂げた。

その背後で、「少年」がゆらりとその身を起こした。

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黒の怪物 てす @tess

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