「俺はあなたを愛していない」から始まる政略結婚

とびらの@アニメ化決定!

第1話

「ティパニエ姫。俺は貴女を愛していない」


 ――――と、呟くように言う婚約者……フラリアの王子殿下。


 来賓用応接室、むやみに大きなテーブルに両肘を付き、彼は嘆息をした。

 淡い桃色をした唇から、音のない息が漏れている。色素の薄い肌の上、さらに明るく銀に輝く髪がふわりと揺れた。島の男には無いカラーリングだなあとぼんやり思いながら、私はカップを手に取った。やはり島では見たことが無い、赤いお茶らしいものを口に含んで、頷く。


「そうですか。まあ、わかりやすく典型的な、政略結婚ですものね」

「……ああ。海を隔てた地からはるばる嫁ぎに来てくれた当日に、こんなことを言うのはなんだが……あなたの顔を見たのも、今が初めてだった」


 彼が話している間に、私はゆっくり、お茶を飲んでいた。やはり初めての風味だったけど、意外と口当たりが良くて、美味しい。お砂糖の甘さとかすかな渋みを堪能しながら、また頷く。


「私もですよ、シャルル様」


 シャルルはまた、音のない嘆息をこぼしていた。


 政略結婚。

 多くの国で、それは馴染み深い制度だった。民間人同士でも、新郎新婦の意志などはそっちのけで、親同士が決めることが多い。私の国、ポルッカ島でもよくある因習だ。

 まして私はポルッカの姫――といっても大国フラリアにとっては村くらいの小さな島の、酋長の娘でしかないが――であるからして、物心ついた頃から、将来の夫は選べないものだと言い聞かされて来た。

 

 シャルル・ドランセ・フラリアとの婚約が決まったのは、初潮が来た年だった。同時に、いくつかの国が長年ポルッカ島の占有権を争っていたなかで、フラリアが勝利したと知った。シャルルはフラリアの第五王子で、次期フラリア王になるのは難しい、だけど放逐するのはもったいない。属国の姫と婚姻させ、縁を作るのにちょうどいい人身御供――そんな立場の男だった。

 そして私もまた、それを断れる身分ではなかった。同じ境遇だと思った。


 だから「愛していない」だなんて、当然のことを言われても傷ついたりなんかしなかった。

 彼だって同じだろう。いやもしかすると彼のほうは、私を恨んでいるかもしれない。政略結婚――フラリアがポルッカ島を獲得などしなければ、彼はもっと他に、いい女(ひと)と結婚できただろうから。


 シャルルは、綺麗な男だった。

 顔立ちは作り物のように端正で、細い顎も鼻筋、きっちり左右対称で瑕疵が無い。どちらかといえば女顔だろう、背丈はあるが中性的な印象がある。髭どころか毛穴も見えないつるりとした肌に、純白の睫毛が紫の瞳を縁取る。

 ……私はつい先日、輿入れのために船に乗って西洋大陸に来たばかりで、西洋人の『普通』がよくわからない。もしもフラリアの男がみなこんなにも綺麗ならば、女はいかほどのものだろうか。

 私は視線を下ろし、自身の膝元を見つめた。典型的な南洋人の私……褐色肌に黒髪黒目、肉付きのいいこの姿は、アメジストを填めた銀細工のようなこの男に、どう映っているのだろう?


「ティパニエ姫……俺は、あなたを愛していない」


 もう一度、同じことを言うシャルル王子。


「ええ、私もです」


 穏やかに笑って返す私。


「お気遣いなく。私の姿は、西洋の方からは幼く見えるそうですが、もう十六の成人(おとな)です。身の程はわきまえております」

「……今までティパニエ姫に送った恋文は、すべて文官が書いたものだった。そんなものがあることすら、つい先ほど、初めて知った」

「察しておりましたわ。だって毎回、筆跡が違うんですもの」


 こちらも、筆記をしたのは私自身だけど、文面は女官が考えてくれたものの丸写しだった。まさしく、お互い様だ。


「……ポルッカ島に、フラリア語が浸透していると知らなかったんだ。なにを書いても通じないだろうと思い込んでいた」

「占拠されてから長いですから。一応、一般公用語は未だにポルク語ですけどもね」

「あなたの名前も、初めて知った」


 さすがに、クスッと笑ってしまう。


「私も。フラリアの第五王子様、とだけ」


 ――そう、私たちは他人様が勝手に用意した舞台と脚本を、雑に演じて見せるだけの夫婦。世継ぎを作る必要すらなく、ただ書類にサインをすればいいだけの関係。分かっている。そんな分かり切ったことを――この人は何度も繰り返す。

 私は眉をひそめた。

 ……このひと……何が言いたいのだろう?


 ポルッカ島には存在しない、深紅のカウチに腰掛けたまま、フラリアの王子はまた大きく嘆息をした。


「俺達は、お互いのことを何も知らない。こんな状態で愛など生まれるわけがない」

「ええ、その通り。ですから――」

「――だから。これから知っていこう。真に愛し合う夫婦となるために」

「えっ?」


 きょとんとした私の前に、シャルルは羊皮紙を一枚、突き出した。

 なんだ、まさかいきなりの離縁届――かと思いきや、紙面は真っ白、何も書かれていない。白紙と、ペンを私に押し付けて、シャルルは真剣な目をして言った。


「まずは名前のつづりを教えてくれ、ティパニエ姫。あともしポルク語でその名が意味するものがあるならばそれも、名づけの由来などあればそれも」

「え……えっと、え?」

「それから、家族と親友の名前を。父君の名は知っているが、母親や兄弟姉妹のことは何も聞かされていない」

「え――あ、はい……えっでも親友ってのは? 要ります?」

「要る。あなたと言う存在を作った大事な要素だ」

「………………はあ」

 

 なにがなんだかわからないまま、ペンを受け取って、書いてみる。

 フラリア語はあまり書きなれてはいないので、あんまり綺麗な字じゃないかもしれないけど……どうせ意味のない情報だし。シャルルもまさか覚えるつもりで書かせているわけじゃあるまいし……。違うわよね?


 困惑しながらも書き上げたものを見て、シャルルは、ふっと笑い声を漏らした。


「おお、ティパニエとは花の名前だったのか!」

「……は、はい。ポルッカ島の国花です」

「そうか、どんな花だろう? 今度図鑑で調べておこう」

「……? ……?? ……???」


 ひたすらに混乱する私の眼前で、シャルル王子は心なしか上機嫌のように見える。

 羊皮紙をぱたぱた仰いで乾かしながら、にこにこと満面の笑みを浮かべていた。

 テーブルに肘を付き、身を屈めるようにして、私を見つめる。宝石のように美しい、紫色の目を細めて。


「これで少しだけ、あなたのことを知れた。良かった」

「……はい?」

「今日はもう休むと良い、ティパニエ姫。あなたの部屋は用意させてある。もちろん、俺の部屋からはずっと離れたところに、鍵のかかる部屋をね」


 おそらくこれは、初夜だの検分だのと言って手を出しはしないから安心しろ、という意味だろう。

 確かに正直、ありがたい。こちらとしても「覚悟」はしてきているものの、「準備」は何もできていなかったから。

 それになにより疲れていた。言語だけは通じるとはいえ、この国(フラリア)は島と違いすぎる。夏なのに冷めて乾いた空気には、何をしたわけでもないのに消耗させられる。

 私はカップに残ったお茶を飲み干して、立ち上がった。


「お気遣いありがとうございます、シャルル様。では、今日の所はこれで失礼いたします」

「うん。おやすみなさい、ティパニエ姫。……これからよろしく」

「……? よ、よろしくお願いします……?」


 なんだかやっぱりどうにもしっくりこないまま、私は来賓応接室を後にした。



 扉を出たところに待機していた侍女に案内されて、客室へ入る。

 ポルッカのものとは似ても似つかないけれど、清潔で快適な部屋で休み、美味しい食事と、湯もいただいた。柔らかなベッドで寝て起きて、やけに冷え込む朝になって、身を起こす。

 どこで待ち構えていたのか、すぐに昨日と同じ侍女がやってきて、私に何か手渡してきた。

 封蝋された白い封筒だった。

 裏には「Charles」とサインが入っている。


 ……これは一体。私は無言で、封を開いてみた。



 ――――――


 親愛なる妻 ティパニエへ

 

 改めて、ご挨拶させていただきます。初めまして、わたくしの名前はシャルル・ドランセ。ここフラリア国を統べる王、カミーユ17世の第五番目の子でございます。

 このたび、ティパニエ嬢と婚姻を結べましたことを幸甚の至りとし、感謝と歓迎の意をお伝えしたく、筆を執らせていただきました。


 ――――――



「…………なんぞ?」


 思わずつぶやいた私に、隣に控えた侍女が、目を閉じて頷いた。


「シャルル様のお気持ちです」

「はあ」


 私は続きを読み進めた。


 _________


 昨日、お話しました通り、わたくし達は出会ったばかりで、お互いのことを何も知りません。

 ゆえに、まずはこのような書面にて、両者、自身のことを伝えつつ相手への問いを投げかけて、親交を深めていきたく存じます。

 自室にて手紙をしたため、一日一便、往復をして。

 そうしてゆっくりと、あなたのことを教えてほしい。わたくしのことも知ってほしい。

 夫婦とは一生を共にするものですから。これからどうぞよろしくお願いいたします。


   あなたを愛するつもりでいる男  シャルル・ドランセ


 ___________



「………………。」


 私はそっと、手紙を封筒にしまった。

 そうして天を仰ぎ、目を閉じて深呼吸。フラリアの、冷たく乾いた空気を胸いっぱいに吸い込んで……。


 心の底から、思うままの言葉を口にした。


「なんぞ?」




 ――こうして、「俺は君を愛していない」宣言から始まった政略的結婚による新婚生活が幕を開ける。

 二人が真に愛し合う夫婦となるまであと二年――小さな恋のようなものが始まるまでは、文通にて親交を深めていくのだった。

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