星棺に眠る

浅里絋太

本編

 東京駅の八重洲南口改札を抜けて、新幹線のホームへ向かう。

 それにしても、すごい人混みだ。

 スーツ姿の会社員。若者や年寄り。リュックを背負った子供と両親。

 レスレクトたちは思い思いのやり方で、楽園をすごしている。

 それにしても、都会は見飽きた感じがする。次は、もっと自然のあるところへいこう。

 ぼくはどこにでもゆける。メルアード・マグナが許してくれる限り。



 窓から外を見ると、赤茶けた大地にこびりつく、いくばくかの草木があった。

 家のまえには畑があるが、まだゴシャは芽吹かない。主食となるゴシャだけでも自分たちで賄えれば、生活がすこしは楽になるだろう。ゴシャとは、惑星エンリルでも育てられるよう改良したジャガイモ種の野菜だ。黒い表皮の中には、黄色く堅い実が詰まっている。

 ぼくと姉さんが住むこの地域は、特に赤砂嵐が激しい。

 都市へいくにもボロボロのエア・ヴィークルで赤砂嵐を避けていかねばならないし、畑が荒れてゴシャも育たない。

 程度の差こそあれ、赤砂嵐はこの惑星エンリルを飛び回り、生命や文明を蹂躙してきた。ぼくたちフーゴの歴史は、赤砂嵐との戦いの歴史と呼べるだろう。

「コウ。聞える? この風の音が……。今日は荒れてるわね」

 振り向くと、ユイナ姉さんがいた。

 車椅子に乗って、白く柔らかそうなパジャマをまとっている。

「赤砂嵐は……たしか、北部の危険度は2だったわね。それにしても、風が強いわ」

 そう言って、姉さんは窓に顔を向け、ゆっくりと、首を左右に動かす。

 八年まえの事故で失った視力の代わりに、姉さんは耳で世界を見るのだ。

 姉さんは車椅子を手動モードで動かし、横にやってくると、ぼくを見あげて言った。

「ねえ、ゴシャは育ってるの?」

 色素の薄い、茶色の瞳がぼうと輝いている。

 天井の照明を浴びて、赤味を帯びた髪に光輪が浮かぶ。その甘い香りに言った。

「まだだね。あと一月はかかるかなぁ。もっとも、クソ嵐が畑をひっくり返さなけりゃ、の話だけどね」

 赤砂嵐は希望を燃やし、さらってゆく。熱砂が吹き荒れると、すべてのものは損傷し、台無しになる。だからぼくらの家は、強度に優れたグラムニウムという材質でできていた。ドーム型の棲家に身を潜め、赤砂嵐へ立ち向かっていた。

「そう……畑がゴシャの葉で、いっぱいになったらいいのにね」


 夜になると、赤砂嵐がきた。風はガタガタと乱暴に外壁をたたいてきた。

 姉さんは震える手で、薄茶色の膝掛けの端を掴む。ぼくはソファに座って言った。

「大丈夫さ。これくらいで、吹き飛びやしないって」

 リビングの大型モニターを監視カメラにつなげると、赤砂嵐の映像が流れてきた。

 吹きすさぶ風音にまぎれ、砂がマイクに当たる鋭い音も聞こえる。姉さんは目を閉じ、眉間に細かな皺を寄せた。


 翌日はエア・ヴィークルで都市へいった。仕事だ。姉さんのことも心配だが、働かなければやっていけない。介助ロボットが買えればいいが、その金額もばかにならない。


 勤務先の工場では、金属製のパイプを造っている。なにに使われるのかわからないが……。

 飛行機や宇宙船の部品か、建材か、なんだっていい。心を鈍感にしておけば、すぐに仕事は終わる。作業用ロボットの監視。仕事はそれだけだ。

 夕方になると仕事が終わった。

 手と顔を洗い、日当をハンディ・ターミナルにチャージしてもらい、駐車場へ向かった。


 暗くなったスピードウェイを家に向かう道すがら、ふと思いつく。

 そうだ、今夜は森へいこう。

 どこか、日本の、小島がいい。

 いや、島でなくてもいいけど、とにかく心が落ち着く景色を観たい。


 家に着くとリビングへいった。

 すると、姉さんが車椅子に座り、ハンディ・ターミナルを口元に当てていた。

 ピンク色の丸みを帯びたそれへ、なにかを録音しているみたいだった。

「おつかれさま、帰ったのね」

 そう言って、姉さんはハンディ・ターミナルを膝に置いて、笑顔を浮かべた。

「ただいま、姉さん。……なにかやってたの? 邪魔しちゃったね」

 姉さんは首を振る。

「いえ、今日の日記を、吹き込んでただけよ」


 ともかく、ぼくは今夜の旅のことを考え、そわそわとしていた。

 どこにいこうか。服装はなにをセットしようか。

 ねえ、と、姉さんは言う。

「来週、お墓にいかない? ほら……父さんの、命日」

「考えとくよ」

 と言って、ぼくはリビングをあとにした。


 ぼくらの家は半球状の構造になっており、リビングを中心として、バウムクーヘンの切片のような部屋が円形に並んでいる。

 ぼくはリビングの北側にある自室でハンディ・ターミナルを起動し、メガネ型のデバイス――グラス・ビューを装着する。

 行き先は地球だ。

 いや、正確には、地球の内部にある、巨大なシステム群への旅だ。

 地球が滅びる直前、先祖たちはふたつの道を選んだ。

 過酷な生活を覚悟して開拓中の惑星へ移住した人々が、ぼくたちフーゴ移民の祖先だ。

 そして、そうではない人々……レスレクト再誕者

 ぼくは今夜も、レスレクトが暮らす、リアース仮想地球へゆく。ぼくの意識は沈んでゆく。


 外に出ると、森が広がっていた。日本の屋久島だ。

 右腕には青く光る、薄い金属製のリストバンドがあった。レスレクトではない、一時的な訪問者であるという目印だ。


 人影が近づいてきた。

 朝靄に白む森の中からやってくるのは、二〇歳手前くらいの、同年代の女の子だった。

 その視線は、どうやらぼくの右腕に注がれていた。

「あなた、フーゴね」

 念のため、彼女の右腕を見たのだが、青いリストバンドはなかった。

「まあね」

「ここにはよくくるの?」

「いいや、はじめてだけど……」

 巻き毛がちな栗色のショートヘアを揺すって、彼女は笑った。大きな瞳が木漏れ日に濡れた。

「よかったら、案内しよっか?」

 彼女は森の中を、サンダルみたいな、おもちゃみたいな履き物で、すいすいと歩いてゆく。

 

 ふいにあたりがひらけた。白い丸石が無数に敷かれた、広い河原に出たのだ。

 ちいさな石がほとんどだったが、中には、角張った大きな石もある。

 樹木や土の香りの中に、水や苔のにおいが混じっている。丸石や水流は陽光に輝いて、目をきつく刺してきた。そのとき、彼女は振り向いた。

「ねえ、あたしを殴って」

 ぼくは笑いながら、なぜ、と尋ねた。彼女は真剣な表情で、なおも言った。

「あたしを、殴って欲しいの」

「どういうことだよ」

「フーゴの人に殴られたら、リアルかなって」

「バカを言うなよ。そんな乱暴なことは、できないよ。捕まっちまうし」

「そう。だったらあたしは……」

 すると、彼女は腰を屈めて、拳の倍ほどはある、大きな石を右手に持ちあげた。

 立ちあがったかと思うと、今度はそれを自身の眼前に持ってきた。

「やめろよ!」

 しかし、彼女は石を握り込み、反動をつけて自身の顔に打ち付けた。

 鈍い音がして、血がしたたり落ちる。

 彼女は欠けた前歯を隠すこともなく口を半開きにした。

「ひとつ聞いていい? ねえ、あなたって、なんていう名前なの?」

「きみは、狂ってるよ」

「あたしは、ミラ」

「すぐに、その石を捨てて、家に戻るんだ。すぐに」

「いやよ」

「どうして?」

「あたしを殴ってよ。こんな、まがい物の痛みなんかじゃなくって」

 彼女――ミラは泣いていた。

 どうしてリアースにきてまで、こんな厄介な思いをしなければならないのだろう。

「十分、痛そうだよ」

「違うの! これは、本当の痛みなんかじゃない!」

「いいや。ここでの感覚は、現実と同じように、リアルだと思うよ」

 ぼくはリストバンドを顔のまえに持ってきて、リターン、とつぶやいた。

 すると、リストバンドがうっすらと、光を放ちはじめた。

「悪いけど付き合っていられない。――それと、ぼくの名は、コウだよ。もう、会うかはわからないけど」

「コウ、次にきたときは、あたしを検索して。あたしの名前は、ミラ……」



 二一八四年のことだ。

 かつて、地球に氷河期がやってくることを予測した人類は、大きな選択にせまられた。

 まず、肉体を重んじる二億人の人々は、開拓中の惑星エンリルにやってきた。

 そして、それ以外の人々は、地球に残った。

 地球はやがて凍りついたのだが、その地中には、巨大なネットワーク・システムがあった。

 残った人類はネットワーク・システムに、それぞれの人格を再現した。

 六二億人からなる人類は、フーゴとなった二億人をのぞき、すべてがデジタルデータになったのだ。

 そんな彼らは、フーゴたちからレスレクトと呼ばれるようになった。

 その仮想的に再現されたバーチャル空間は、リアースと呼ばれた。



 ミラと出会ってから二日後、再びリアースへいった。

 昼間に仕事をしているときも、エア・ヴィークルで移動しているときも、ミラのことが気になっていた。

 自分の顔を石で殴りつけたあのマゾ娘が、意識の陰から顔を出し、じっと見つめてくるのだ。

「なにを考えてるの?」

 右に座るミラがつぶやいた。

 自傷行為の怪我は癒えていた。リアースでの怪我や欠損は、いつでも修復できるのだ。

 Tシャツに押さえつけられた胸が窮屈そうだ。デニムパンツはまっすぐ脚を覆い、足の先にはサンダルがぶら下がっていた。

「いや、なにも、考えてはいないよ」

 そう答えてから、ぼくは窓に広がる夜景へ視線を移す。高層階のホテルのラウンジからは、香港の夜景が一望できる。窓から冷気が沁みてくる。

 窓に面したテーブルにぼくらはついていた。今にも結露しそうな冷たい窓の向こうに、ビルの光が立ち並んでいる。まるで、その灯りが消える日のことなど、考えてもいない様子で。

「きれいね」とミラ。

「ミラ、もしぼくが……」

「なにか言った?」

「もしぼくが、こっちの住人に――つまり、レスレクトになったら、一緒にいてくれるかい?」

 すると、ミラは目を広げて、唇を震わせて怒った。

「馬鹿なことを。せっかく授かった肉体を、捨てるっていうの?」

「いや、仮の話だよ、ごめん」

 ミラは鋭く睨んできた。大きくため息をついてから、ホントに馬鹿、と吐き捨てた。

 そして低くやさしい声で言った。

「許されたかったら、もっと、こっちへきて。……目をつむって。ね?」


 香港での夜以来、毎日リアースへいった。

 そんなある朝、仕事へ向かおうとすると、姉さんに呼びとめられた。

「待って、コウ」

 車椅子に乗った姉さんはゆっくりと近づいてくると、手探りでぼくの手をとった。

「どうしたの? 最近は、夜、遅くまで起きているみたいね」

「え? なんでもないよ、別に」

 取り澄まして笑顔で答えた。姉さんの手を解いて家を出た。

 ゴシャの畑は荒れきっていたが、手入れをする気分にもならなかった。


 ぼくは自室でマインド・スキャン・システムのプラグを右手に持ち、こめかみに接続し、システムを起動した。

『スキャンが完了しました。人格のデジタル化を続行しますか?』

 それは違法な、人格スキャン用のシステムだ。これを実行すれば、ぼくはリアースの住人になれるというわけだ。


 ぼんやりとその画面を見つめているとき、家がガタガタと軋みはじめた。それと同時に、姉さんがリビングでちいさな叫び声をあげた。

 リビングにいくと、姉さんはモニターに映った屋外の映像を観ていた。

 赤砂嵐だ。いつになく吹き荒れている。ハンディ・ターミナルを見ると、このあたりの危険度は、3ということになっていた。姉さんは震える声でつぶやいた。

「きたわね」

 やはり、赤砂嵐を怖がっている。

「大丈夫だよ。心配しないで。この家は、こないだ補強したし。古くたって、グラムニウム製だから」

「わたしは、今も幸せよ。いつか、刻まれる日まではね」

「え、なんだって?」

 姉さんは真剣な表情をしていた。

「いつか、わたしは……いえ、コウも、刻まれるでしょう。あの、アルミニウムのプレートに」

 ――アルミニウムのプレート。

 父さんと母さんの墓は、家から北に一キロほどの、丘にあった。

 荒涼とした丘にそびえる、ちいさなアルミニウムのプレートが墓碑である。

「生きてきた証しが、あそこに刻まれる名前だけだなんて、寂しいでしょう? だから、わたしは声を刻んでいるの。それが機械でも、紙でも、なんでもいいの。ただ、とにかくそうすれば気が済むのよ。日々の記録を刻みたいだけなの。……丘へゆくまでに、わたしという証しを」



 遥か昔の話。その日は、家族で都市に買い物へ行くことになっていた。しかし、出発の寸前になって、父さんは言った。

「昨日、車のハッチの調子がおかしかったんだよ。今日はやめておこう」

 ぼくは泣き喚いた。

「約束だったのに。――パパ、いつも約束やぶるんだから!」

 父さんは困った表情でしばらく黙ってから、

「よし。念のため、もう一度ハッチを見てこよう。昨日は、偶然だっただけかも知れないからな……」

 結局のところ、ぼくらは都市へゆくことになった。エア・ヴィークルのまえの席には父さんと母さん。後ろには、姉さんとぼくが座っていた。

 はじめはハッチを閉じていたが、車内がどうにもむさ苦しく感じて、開けてもらっていた。

 そのとき、車載スピーカーからアラームが聞こえた。

「警告します。赤砂嵐が発生しています。ハッチを閉め、停車してください」

 それを聞いて、父さんは運転席左側のパネルを操作したのだが、ハッチは閉まらなかった。

 エア・ヴィークルを路肩に寄せ、停車し、父さんは外へ飛び出た。

 ボンネットの裏に収納されているハッチを引き出そうとするのだが、うまくいかなかった。

 赤砂嵐は轟音を響かせながら、みるみると近づいてきた。


 嵐が去ったあと、ぼくに覆い被さっていた父さんからは、血がしたたってきていた。背中から胸にかけて、細い建設用の鉄筋が突き刺さっていた。

 父さんは助からなかった。母さんと姉さんは吹き飛ばされたらしく、二人とも離れたところで気絶していた。

 姉さんはこのとき、両目と右脚に取り返しのつかない怪我を負った。

 母さんも怪我と火傷がひどかったが、なんとか復帰し、子供たちをあと四年間育てることができた。

 医療やテクノロジーが発達しても、やはり生身には限界がある。



 ある休日の午後、ミラと逢うことになっていた。午後はずっと、リアースに入り浸るつもりだった。

「もうそろそろ、いかない?」

 と姉さんが言ったのは、昼食のあとのことだ。

「え、今日はなにかあったっけ」

 姉さんはアップルティーのカップをテーブルへ慎重に置くと、当然のように言った。

「ええ。このあいだ、話したと思うけど。父さんの、命日だから……」

「ごめん、姉さん。今日、予定を入れちまってね。いや、本当にごめんよ」

 姉さんの白くなだらかな眉間に、皺が寄るのは珍しいことだ。細い眉を歪ませて。

 姉さんはたぶん、怒っていた。

「そう……。また、リアースにいくのね」

「うん。くだらないことだと思うだろうけど、ぼくはぼくで、やりたいことがあるんだよ」

「……でもね、コウ」

 そこで、椅子を乱暴に引いて立ちあがった。

「墓参りなんて、どうしてもいきたければ、自分でいけばいい」

 そう言って、ぼくは自室へ向かった。


 その後、ミラへ逢いにいった。夜になって、ホテルの部屋で体を重ねているときも、どこかミラはぼうっとして、遠くを見ているみたいだった。

 ミラの冷たい体は、芯に熱を秘めていた。

 その熱は生を求めていた。そして、ぼくはレスレクトになりたかった。

 赤砂嵐と労働によって、希望は乾いて死んだ。

 姉さんも、こちらにくれば光を手に入れるだろう。


 やがて、リアースの夕日が出るころ、帰ることにした。

 青いリストバンドを持ちあげ、つぶやく。「リターン」

「またくるよ。それまで、さようなら」

 ミラに口づけをした。

 視界が暗くなっていき、耳鳴りが大きくなっていく。


 気がつくと自室にいた。

 赤砂嵐がきているらしく、激しい風音がする。家が軋む。

 姉さんはきっと、リビングでおびえているだろう。

 ぼくはふと、昼時のことについて謝ろうと、立ちあがった。

 ――しかし、リビングにはいなかった。

 ディスプレイを屋外カメラに切り替える。

 赤い砂の粒子が激しく飛び交い、轟音が響いている。ときおり、大きな金属片なども見える。心なしか、家の中が暑くなってくる。

 赤砂嵐の中心温度は八〇度に達することもある。

 十分ほど経っても、姉さんはリビングに戻ってこなかった。

 トイレを見ても、キッチンを見ても、姉さんの部屋を見ても、どこにもいない。

 背中や脇から冷たい汗が出てくる。動悸が激しくなる。

 たしかに昼食の席で言った。

『墓参りなんて、どうしてもいきたければ、自分でいけばいい』


 厚手の黒いコートを着込み、顔に濡れたバスタオルを巻き付け、外へ出た。

 とたんに飛礫が体じゅうにおそってくる。畑の土はえぐられ、石やごみが散乱している。

 いや、そんなことを気にしている場合ではない。

 態勢を低くして、北へ向かう。大声で姉さんを呼ぶが、風音にかき消される。

 それでも、熱い空気に喉を焼かれながら、姉さんを呼んだ。

 大小様々なものが風に乗って飛び交い、体にもぶつかってくる。

 早く見つけなければ。


 北に向かって歩いていくと、倒れた車椅子が見つかった。

 地面を蹴って、赤く霞んだ嵐の中を突き進む。

 姉さんが倒れていた。こめかみから、真っ赤な血が流れ、髪を浸し、地面を染めている。

 血はとまりそうにない。半死半生のまま、姉さんは赤砂嵐に焼かれ続けたのか。

 ぼくは自分の顔に巻き付けていたタオルを取り払い、姉さんの傷口に当てる。


 ハンディ・ターミナルを取り出し、緊急ダイヤルをコールした。

 風はいつの間にか弱まりつつあった。早く失せてしまえ。赤砂嵐め。

 途方もなく長い時間、姉さんを呼び続けた。

 喉がからからになって、なんどもむせ返った。

 姉さん! 姉さん! どうして!

 姉さんまで死んでしまったら、どうすればいいのかわからないよ!

 ――そのとき、遠くから風を切る音がした。

 振り向くと、白い軽飛行機が近づいていた。レスキュー隊がやっときたのだ。


 ゴンドラが地面に着くと、白衣を着た二人の救急隊員が降りてきた。

「ご家族ですね? 搬送するので、病院へいきましょう!」



 手術室の扉がひらくと、姉さんは運搬用ベッドで運び出されてきた。

 姉さんの裸体は、白濁色に透き通った包帯で覆われていた。ジェル質の包帯を透かして、変色した肌が見える。髪も干からび、縮みあがっている。

 喉には人工呼吸器の管が取り付けられ、体じゅうにコードが貼られていた。

 看護師の青年は言った。名札には、アレイスタと書かれていた。

「お支払いは、できるんでしょうね」

「これでも、都市で職を持っているんだ。だから、保険で払えるさ。くだらないことはいいから、姉さんを頼むよ!」

 すると、アレイスタは無表情でうなずいてから、なにかを言いたげに口元を動かした。しかし、結局そのまま部屋を出ていった。


 慌ただしい夜が終わった。

 アレイスタは、姉さんの喉元から、人工呼吸器の管を外した。

 男が姉さんに近づくのは、なんだか気持ちが悪い感じがする。

 アレイスタは頬を引きつらせながら、続けて、姉さんの体についた邪魔なものを取り払っていく。

 医療機器から延びたコードを。体に巻かれたジェル状の包帯を。血が沁みた頭の傷口のガーゼを。

 姉さんが死んだのは、朝方のことだった。

 崖を滑り落ちるように、心拍数が低下した。


 ぼくは自室で、マインド・スキャン・システムの画面を見つめていた。

 もはや、フーゴとして惑星エンリルで生きる意味がない。


『スキャンが完了しました。人格のデジタル化を続行しますか?』



 そのとき、あたりに、間延びした音が響く。

 ぼくは舌打ちし、しばらく考えたのち、こめかみに押し付けた端子を机に置いて、立ちあがった。

 玄関扉のまえで、モニターを見ると、そこにはアレイスタがいた。


 玄関を開けてやると、アレイスタはピンク色のハンディ・ターミナルを差し出してきた。

「ご迷惑でしたでしょうか。実は、あなたに渡さなければいけないものを、持ってきました。……これは、お姉様の服のポケットに入っていた、ターミナルです……」

「は、はあ」

「あと、これは本当に不躾なお願いなのですが、どうか、お墓に花を添えることを、許して頂けませんか。実は、私は……」

 その後、アレイスタは、深い礼をして去った。



『姉さん、なにやってたんだい?』

『大したことじゃないの。ただ、日記を吹き込んでいただけ。ホント、それだけ……』



 ぼくはミラの家のまえにいた。

 ミラの住居はいくつかあるが、その中でもよく滞在する、屋久島の民家へやってきたのだ。雨がずっと降っている。夕暮れが西の空から広がってくる。

 もう一度、玄関をたたいた。ガラスの引き戸の向こうで、足音がした。

 と、磨りガラスの向こうにミラらしき人影が見えた。

「今日は、お別れを言いにきたんだ。永遠に、というわけじゃない。……しばらく、ひとりで考えたいんだ」

 そう言って背中を向けた。雨の中を歩きながら、左腕を持ちあげ、腕輪に口を寄せた。リターン。

 つぶやいたとき、背後に気配があった。ミラが雨の中を駆けてきた。

「さようなら。姉さん」

 ミラは首を傾けて、不思議そうな表情をした。


 それからの日々において、ぼくは前にも増して真剣にゴシャを育てはじめた。赤砂嵐のせいで二度、ゴシャは全滅した。

 翌年、ついにゴシャの実を収穫できるようになった。

 ある日、一番大きなゴシャの実を手に、丘へいった。

 丸々と栄養を吸った、薄茶色の表皮に包まれた実には、過去のすべてが詰まっているようだった。

 墓碑の丘からでも見えるほど、畑のゴシャの葉は青々としていた。

 ピンク色のハンディ・ターミナルとゴシャを墓碑のまえに置いて、家へと帰った。




 *


 あー ああ テスト テスト

 ママが新しいハンディ・ターミナルを買ってくれました

 ピンク色のだって言ったけれど わたしにはわからない

 でも きっと きれいな色なんだろうね

 音声で日記をつけることにしました 続くといいけど


 *


 何人か看護師さんがいるけど ひとり すてきな人がいる

 暖かくて 若い声 名前は……アレイスタ

 きっと視えるようになるよ なんてあなたは言うけど 叶いっこない夢

 食事のあと 唇についたソースを拭いてくれる 手がつるつるしてる

 石鹸のにおいがする あなたが 目になってくれれば生きていける

 ねえアレイスタ


 *


 パパが夢に出てきた 車をずっと修理してるの

 夢の中では パパは生きてる 不思議ね

 コウは病院に 花を摘んできてくれた コウはもうじき一五歳


 *


 退院して家に帰った

 ママが倒れた 一年まえの事故の 後遺症

 コウはずっと眠れないみたい わたしも


 *


 久しぶりね

 一年 日記を忘れてた そんな気力もなかった

 ママが亡くなって 半年 アレイスタが心の支えになってくれる

 コウは痩せたみたい  たぶん わたしも

 家のまえの畑は 赤砂嵐のせいで荒れきってる


 *


 都市でのデートのときにいた あの女

 アレイスタは駆け寄っていったけれど  ねえ だれなの?

 あなたは同僚だって言うけれど 隠しごとはやめて


 *


 アレイスタは相変わらず 誘ってくれる

 コウが働いてくれているのに 本当に悪いことをしているみたいで ごめんね

 都市を車で走るとき 彼は町並みを説明してくれる

 それがおもしろくて!


 *


 アレイスタは結婚した

 死ね


 *


 わたし ときどき リアースにいくようになった

 かつてママは禁止したけど 構わない


 *


 どれほどリアースを旅しても むなしい

 だから わたしは創ることにした 本当のわたしを

 そう 本当のわたしはレスレクト

 天使は楽園で 幸せに暮らす 目には光を 生活に愛を

 フーゴのわたしは 仮の姿 だから わたしは わたしを造らなくては

 リアースで暮らす ほんとうのわたしを


 *


 コピーするだけならかんたん だけど 手を加えるのはむずかしいみたい

 それでも ついに人格プログラミングが終わった

 その子は 自分が生粋のレスレクトだと思っている

 元気で健康な女の子

 あの子はその両目で 美しい風景を観て廻るの

 子供のころ コウと一緒に旅したみたいに

 世界の自然や森を  山を  観て! 観て!

 あなたこそ 本当のわたしね

 自由で若くって 夢の楽園を渡る天使!


 *


 せっかく創ったのに あの子はふさぎこんでいる

 本当の命がほしい  どうしてあたしはフーゴにならず リアースに残ったの?

 なんて  バカね あなたはまだ 二年ばかりしか生きていないのに

 リアースにいるのが いやだなんて


 *


 あの子には だれか 想い人ができたみたい

 相手はいったいだれ?


 *


 なぜかあの子は コウの名前を出した

 どうして?  どうしてミラが、コウのことを知っているの? やめて!

 ……わかったわ  森ね  森がふたりを結びつけてしまった

 いやだ  こんなこと わたしが すべていけなかった

 消えてしまいたい


 *


 コウ 聞こえる?

 届いてくれたらいいのに もしも この声が届いているのなら

 日記を聞いたってことね  つくづく バカな姉ね……

 しかし すごい音ね 赤砂嵐が

 そう わたしはこれから 望んで嵐の中へゆく

 フーゴがかつてそうしたように 望んで嵐へ向かう

 あなたの重荷がひとつ なくなるでしょう

 もっと早くに こうすべきだったんだろうね

 あなたは嵐に負けないで  どうか 生きて

 そして  お願い ゴシャを育てて ちっぽけでもいい わたしたちの果実を

 あの丘で ずっと待っているから

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