ホシガホシイカ
鳥辺野九
ホシガホシイカソラヤルゾ
明け方、波打ち際をウォーキングしていたら打ち上げられたイカを見つけた。
太陽が昇ってくる反対側の天外は未だ暗く、はるか宇宙まで見渡せるくらい透き通っている。幾つかの星さえ瞬いていた。
そんな宇宙の下、砂浜に一匹のイカが乾いている。
「これ、食べられる?」
あたしはスマート眼鏡に搭載してるコンシェルAIに訊ねた。ジャージ姿で砂浜にしゃがみ込み、干しイカを眼鏡によく見せてやる。
『日本近海で見られるコウイカ目コウイカ科のカミナリイカだろうな』
渋めの低音ボイスで語るコンシェルAI。名前はミゾロギ。
『甲の部位に眼のような紋様が見えるだろ。それがカミナリイカの特徴だ』
肝心なことにまだ答えていないAIにつっこんでやる。
「で、食べられるの?」
ミゾロギは呆れたように低い声で返答をくれた。
『拾ったモノはそれが何であれ口に入れるのはおすすめできない。それに、このカミナリイカはまだ生きているようだ』
「この干しイカが?」
あたしの好物はイカ飯だ。この干しイカでイカ飯を作れないか、と思ったのだが、まだ生きているならなおのこと好都合だ。鮮度の高いイカ飯が作れる。
『色素胞に生体反応がある』
しかし。波打ち際に打ち上げられて随分と時間が経っているように見える。ぱっと見、黒々としたボディに水っ気は感じられない。
『イカはその生命活動を終えると、体組織に含まれる色素胞を操る筋肉繊維が弛緩する。色素胞で色を展開できず白くなるのだ。このカミナリイカはまだ色素胞を動かして体色を変化させている。つまり、生きている』
だから黒々としているのか。とは言え。
「要は新鮮なのね。食べられるよね」
『色素胞に発光器が見られる。情報訂正する。カミナリイカではなさそうだ』
「じゃあ何なのさ」
砂に塗れたイカのボディをじっくり見ても、あたしの目には光って見えない。色も変化していないように思える。完全な干しイカだ。
『カミナリイカに発光器官はない。発光性バクテリアでもない。色素胞が発光しているように見えることから、これは特殊なイカだ』
「で、食べられるの?」
これが新種のイカだろうが、あたしにとってはどうでもいいことだ。拾って帰るか、海に還すか。それだけだ。
『少し待て』
「ウォーキングの最中だよ。そこまで真面目に調べなくてもいい」
潜水艇乗りにとって足腰を鍛える砂浜でのウォーキングは重要な日課だ。コクピットに座ってばかりだと脚は弱るし腰が病む。今はイカ飯よりもウォーキングを優先させるべきだ。干しイカへの興味を失いかけていたあたしに、ミゾロギは衝撃的な一言を言い放った。
『このイカはあなたに話しかけているようだ』
「干しイカが?」
まだ星が見えるくらいの明け方に砂浜を歩いていたら、高度な知能を持った干しイカに話しかけられた。
今やAIなしでは語れない時代だ。何をするにしても「まずAIより始めよ」となる。
朝起きてからの体重体脂肪率の推移、血圧測定に始まり、ウォーキング中に発見した干しイカの種別判定、そして潜水艇の操縦訓練に至るまですべてコンシェルAIにお任せだ。
あたしが所属する大規模潮力発電所建設関連事業従属者連盟には、潜水艇パイロットは週に8時間の自主訓練が義務付けられている。「AIの操縦補佐があったら訓練にならないんじゃね?」という観点から、あたしは自主訓練中はコンシェルAIのサポートを切っている。AIに監視されながらの訓練なんてまっぴらごめんこうむる。
なので、就業規則違反ギリギリの小型潜水艇の私用運行まがいの潜航も誰にも知られずにあたし単独で行うことができる。
一人乗り潜水艇に4脚備えてあるマニュピレーターにカゴを括り付け、砂浜で拾った干しイカを入れる。マニュピレーター操作訓練と称した『干しイカ海へ還る作戦』の実行だ。
『いいのか? こんなことで潜水艇を出して』
ミゾロギが苦言を呈してくださりやがる。
「いいのよ。あんたはあたしの脳波を測定して、すこぶる健康かつまともな思考で行動してるって記録してなさい」
スマート眼鏡には脳波測定の機能も備わっている。脳波のみでAIと対話できればもっと楽できるんだろうけど、まだそこまで技術は発達していない。仕方なく言葉でAIとやりとりする。
『干しイカを海水で生イカに戻す作業がまともな思考か?』
「だからよ。光でコミュニケーションを取る生きた干しイカとおしゃべりしようってんだ。まともじゃない。ちゃんと証人になってよ」
あたしにとって、いや、人類にとってAIは電子の守護霊とも呼べるもはや必要不可欠な存在だ。AIに頼りっきりの人間も沢山いる。
『業務監視というAI本来の職務を全うせよ、と解釈するが、いいのか?』
「好きにしな。サボるヤツは何やらせたってサボるし、あたしみたいな模範的業務従事者はお上からお目こぼしを頂戴するのさ」
コンシェルAI端末を携帯することにより、単独作業では遂行し切れない論理的作業分担も可能になる。業務監視サポートのおかげで自主的作業効率が上がるとのレポートもある。要は人間には話し相手が必要なのだ。
「それにさ、ミゾロギが通訳してくれないと干しイカと対話できない」
『了解だ。では、カミナリイカの監視作業を担当しよう』
「頼むぜ、相棒」
あたしはぐっと親指を立てて、一人乗り小型潜水艇『メンダコ』号を海に潜らせた。
バラストタンクに海水を注入するサウンドはいつ聴いても心地良いものだ。いざ、あたしは海になる。気持ちが高揚する。
メンダコは強化アクリル球体をチタン合金骨格で鷲掴みするような形状をしている。その骨格の手首にあたる部位に潜水艇の制御機構が集中しているので、アクリル球内のコクピット視界はほぼ360度海になる。一人乗り用の小型機体なので操縦席もほどよく狭く、まさに海とひとつになれる唯一無二の空間だ。
海洋発電所建設技術部基地から出港して水深5メートル。透き通った水に基地の影が落ちて、そこは小魚のいい隠れ家となっている。
「イカはどう?」
『変化なし。相変わらず微弱な光を明滅させているだけだ』
水深10メートル。機体が基地を離れると、海がどんどん青みを増していく。どこまでも遠く青が折り重なる。身を隠せる岩礁や人工構造物もなくなり、生き物の姿が見えなくなる。広い海にひとりぼっち感が湧いてくる。
「まだ干しイカのまま?」
『水分を幾分か吸収しているな。ツヤが出てきた』
水深20メートル。やがて、青を塗り越えて海は黒くなる。日が暮れてどんどん薄暗くなる透明な空とは異なり、深くなるにつれて光を通さない暗幕で視界に蓋をされる気分だ。空が恋しくなる。
「もう食べられそう?」
『ふっくらしてきたが、本気で食べる気なのか?』
水深40メートル。まだ太陽の光は届いているが、あたしの下には真っ暗い海が静かに居座っている。人間が足を踏み入れてはいけない領域がすぐそこまで迫っている。ここは海洋生物の世界だ。気安く人が潜っていい場所じゃない。
「ゲソ動いてない?」
『正確には二本が触腕で、八本が足だ。その触腕に動きが見られる』
そして水深80メートル。青い海が黒く染まる。ここは夜ではない。水底でもない。海の真っ只中だ。光でも闇でもなく、青でも黒でもない。この色は広い世界でもここにしかない。水以外に何にもない極限の世界。
メンダコのマニュピレーターに括り付けたカゴの中で、干しイカはついに完全復活を遂げた。ぷっくりとツヤのあるボディで狭そうに右往左往しながらカゴの網目に触腕を絡ませている。肉厚で美味そうだ。
「光コミュニケーションは翻訳できそう?」
『今やっている』
海に潜ってから、メンダコのサーチライトの一つがずっと点滅して干しイカを照らしていた。
『だがしかし、世界中の言語体系と照らし合わせても適合しない』
「そりゃそうでしょ。なんせイカ語だよ」
『そういう意味ではない。このイカは主語と述語のみを繰り返しているようなのだが、時間や場所を表す修飾語が見つけられない』
水深80メートルの薄暗闇空間は見た目は何も変化が起きない。周囲すべてが青から黒へと移ろうグラデーションに包み込まれて、時間の変容も場所の変化も読み取ることができない。そりゃ時間や場所を示す言葉なんて生まれないだろう。
「それってイカ語をほぼ翻訳できてるってこと?」
『私が翻訳しているのではない。こちらから日本語ベースで話しかけて、言語体系を学習してもらっているのだ。翻訳するのはむしろイカの仕事だ』
ミゾロギがさらっとすごいことおっしゃりやがった。あたしはメンダコの潜航を停止させた。深度を維持する中性浮力で機体をホバリングさせる。
「イカに言葉を教えてるの?」
『言葉の使い方を教えているだけだ。あとはこのイカの知能次第だな』
コクピットから身を乗り出してカゴの中のイカをじっと睨む。カミナリイカの特徴であるボディの眼状の紋様がぼんやり明滅してあたしを睨み返している、ようにも見える。
「この光がコミュニケーションツールなのか?」
『そうだな。イカの色素胞による光通信だと思えばいい』
マニュピレーターを操作してコクピットの真ん前にカゴを持ってくる。あたしの真正面、強化アクリル一枚隔てて変なイカが光っている。胴体がほのかに光り、ひっくり返るように暗くなり、また違う輝度で光が灯る。その発光現象が胴体部のあちこちで起きていて、光が滑らかに移動して形を成して、まるであたしに問いかけているようにも思える。
「なんか、ものすごく点滅してない?」
『一秒間に16回ほどだな。一般にイカは色素胞を百万個以上持っていると言われる』
イカは触腕をゆらゆらさせて、胴体の光を明滅させて、あたしに何やら話しかけている。
『紋様一箇所の光が色素胞1024個の集合だとする。オンとオフ、二進数では1024ビットの情報量がある。それがイカのメインボディに無数に散りばめられているのだ。1024ビットCPUを何百何千と並列処理させる。どれだけの情報処理能力があるか想像できるか?』
「できませーん」
『だろうな。私も呆れて予測するの諦めたほどだ。彼は、この瞬間にも日本語をほぼマスターしたよ』
メンダコのサーチライトがリズミカルに点滅した。するとイカがほぼ同じようなパターンで全身を光らせて、暗くして、また明るくした。見事な調和だ。
「で、こいつは何て言ってるのさ」
『はじめまして、お嬢さん。だとさ』
「これはこれはご丁寧に。はじめまして、イカ」
あたしはコクピットで頭を下げてやった。イカは二本の触腕と八本のゲソをぴたりと揃えて、くいっと頭部を傾けた。
「さて、ミゾロギ。人類はどのようにイカとの異文化コミュニケーションを取るべきだと思う?」
『見当もつかないな』
メンダコにはサーチライトが大小合計八つある。それらがさっきっから不規則に素早く点滅を繰り返している。人間の目では判別が難しいけど、おそらく一秒間に16回も明滅を繰り返してイカとおしゃべりしているんだろう。ミゾロギよ、どうかイカに余計な情報を与えませんように。あたしは思わず天に祈ってしまった。あたしの好物がイカ飯だとか。さっきまであんたを食べようとしていたとか。
『彼が言うには』
カゴの中でイカが身体を光らせる。
『まずは、海に戻してくれてありがとう。乾涸びてどうにも出来ずに困っていた、とのことだ』
「それはそれは。礼には及ばぬでござるよ」
『変な言葉を学習させるな』
「意味が通じればそれでいいのよ」
さて。あたしは光るイカを見つめて困ってしまった。高度な知能を持ったイカをここまま海に還していいものだろうか。どこかの研究機関に持っていけばいい研究素材になりやしないか。
『彼は続けて言う』
ミゾロギがメンダコのスピーカーを通じて続けて言う。
『仲間が集まっている。カゴから出してもらえるとありがたい』
仲間だって? あたしはコクピットの中で周囲を見回した。水深80メートルの世界は満月の真夜中並みに黒く、そして明るい。視界はくっきりしているがメンダコの周囲には水しかない。イカの姿は、まだ見えない。
『仲間との区別のために、私に固有な名前をくれないか。とも言っているぞ』
「はあ? イカの名前?」
カゴの中のイカがプイッと片方の触腕をもたげた。イカ。イカの名前。イカの名前と言ったら。
『頭足類や海洋にちなんだ名前を幾つかサンプルで挙げて……』
あたしはミゾロギのアドバイスを遮った。
「『イカメシ』でどうだ?」
『正気か?』
「いいから翻訳しろ」
メンダコをくるりと旋回させる。水深80メートルの世界に暗い星のように黒点が現れ始めた。小さい点はメンダコの上下左右、360度ぐるり至る所に居た。イカだ。カミナリイカによく似たイカがメンダコを包囲していた。無数にいる。黒点に完全に取り囲まれた。
『どうやら、気に入ってもらえたようだ』
ミゾロギが少しだけ安堵したように言った。マニュピレーターのイカが触腕をふりふりしている。喜んでいる、ようにも見えるし、プリプリ怒っているとも見て取れる。
「ミゾロギ。周囲にイカは何杯くらいいる?」
最大深度400メートルの水圧にも耐えられる強化アクリル球も、チタン合金の船体骨格も、イカごときの攻撃ではびくともしない。なのでイカたちをまったく脅威に感じないが、さすがにこれだけの数が集まると少しはイカにも敬意を表した方がよさそうな気がしてくる。
『何匹のイカ、だな。数え切れない数のイカがこの潜水艇を包囲しているぞ。どうする? ナナミ』
ミゾロギがあたしをナナミと呼んだ。名前を呼ぶ。それはミゾロギが困った時の対応パターンだ。答えを示せない時にミゾロギはあたしの名前を呼ぶ。
「気にするな、ミゾロギ。人間に話し相手が必要なように、きっとイカにも話し相手が必要なんだ」
マニュピレーターは繊細な作業も可能だ。もちろん、あたしの操作スキルがあってのことだが。イカメシのカゴを解放してやる。イカメシはカゴに開いた出入り口にそっと触腕を添えて、そろりそろりと外の世界へ泳ぎ出た。広い海の世界へ。イカメシ、おまえはもう自由だ。
イカメシがコクピットに前屈みで座るあたしの目の前まで泳ぎ進む。ぼんやりと、でもすごい早さで明滅するイカメシ。
『やっと会話が出来た。そう言っている。ナナミ、どう返す?』
ミゾロギがサーチライトを光らせずにあたしに答えを求めた。
「だったらもっと早く波打ち際に打ち上げられろっての。そもそも陸と海とじゃ会話が成り立たないだろ」
『翻訳していいのか?』
「ビビるなって。あたしとイカメシの仲だ。周りのイカがどう思おうと知るもんか」
メンダコのサーチライトが点滅した。ミゾロギがちゃんと通訳の仕事をしたようだ。イカメシは笑うように触腕を振り回した。
『ずっと話しかけていたが、それに気付く人間が現れなかった、らしいな』
「最初に気付いたのは人間じゃなくてAIだけどな」
『私はナナミのコンシェルジュだ。私の行動はすべてナナミのため。イカとの会話もナナミのためだ』
「だとさ、イカメシ」
コクピットのアクリル球体表面に手を触れてみる。分厚いアクリルはガラスよりも熱を通さない。水深80メートルの海は冷たいだろうか。アクリル球からは冷たさに触ることはできなかった。
それでもイカメシはあたしの意図を汲んでくれた。触腕を一本伸ばして、アクリル球の外側にそうっと触れる。球体の内側のあたしと手のひらを重ねるように。
その時、水深80メートルの海に大きな変化が現れた。
メンダコの周囲に浮かぶ無数のイカたちが光を放ち始めた。そのイカによく似た生き物は、ある者はほのかに小さく光り、ある者は強く一等星のような輝きを放った。
『彼らは対話している』
「イカ同士で? 何喋ってるかわかる?」
『イカメシが習得した言語をコピーしている。情報を伝播させているんだ』
数千数万はいるであろうイカたちはイカメシから情報を瞬時に受け取っていた。そして意識をアップデートさせ、記憶を共有させる。
「ここにいるすべてのイカが日本語を話せるようになるのかな」
『それだけ高度な知能を持った生き物だということだ。彼らはイカではないな』
海の中、あらゆる光があたしの周りに無数に瞬いた。緩い光。強い光。瞬く光。揺らめく光。数え切れないほど光があたしを取り囲んでいる。まるで星空に浮かんでいるようだ。
「いや、それはとっくにわかってただろ」
『そうか? カミナリイカの上位互換種だと思っていた』
「AIの想像力の限界だな。修行が足りないぞ、ミゾロギ」
『はい。ナナミ』
星の数って幾つあるんだろう。まだガキの頃、無謀にも夜空を見上げて数えたことがある。東の海の際から指折り数え初めて、二進数を使って片手で32、両手の途中で128個まで数えて諦めた。
海の中に星空が作られた。イカメシたちは自らの胴体を光らせ、海中に満点の星を再現した。
「星空だ。でも、なんか変。どこから見た星空だ?」
一等星から六等星、いや、もっとある。地上から肉眼で見える星の数は三千とも四千とも言われているが、イカたちの数はもっと多い。それこそメンダコの上下左右、360度すべてが星空だ。
あたしはプラネタリウムのど真ん中に浮かんでいる。頭の上も、足の下も、右手も左手も、どこを見てもイカたちのプラネタリウムが展開している。近くのイカは一等星、遠くのイカは六等星。色素胞の明るさを調整してさまざまな明るさで星空を見せてくれている。
『特定の地上から特定の季節に観測できる星の配置ではない。これは地球から見える全天の銀河系だと判断すべきだ』
ミゾロギがイカメシに問うことなく自身の考えを教えてくれた。
なるほど、銀河系を再現しているのか。となると、あたしの頭上に広がる帯状の光の波は天の川。北極星はどこだ。自然とあたしはナビゲーションの基準となる星を探した。
あった。
あの光るイカが北極星だとすれば、あたしは地球。いや、太陽か。地球なんて宇宙では小さ過ぎる星だ。
ここは海中だけど、ここは宇宙だ。
海中も宇宙も、何もない空間と考えれば同じようなものだ。時間も場所も意味を成さない。言葉にする必要もない。ただ、見るだけ。
あたしは時間を忘れて海中の360度プラネタリウムに見惚れた。
ふと、一際明るく光るイカがいることに気が付いた。宇宙に、あんな位置に、あれほど眩しく光る恒星があっただろうか。
「ミゾロギ。メンダコから10時方向、仰角50度に見える星は何?」
『あの座標に肉眼で観測できる恒星はないはずだ』
メンダコのサーチライトが瞬く。イカメシに問い合わせているんだろう。イカメシの光が優しく点滅し、海中360度プラネタリウムの星々もそれぞれ自分勝手に明滅して自己主張し始めた。
『イカメシが言うには……。ナナミ』
少し言い澱み、あたしの名を呼ぶミゾロギ。
『あれがイカメシの故郷の惑星がある恒星らしい』
「……そうきたか」
イカメシが嬉しそうに光り、遠くの星もまた同期するように瞬いた。
「はるばる地球まで何しに来たんだろう?」
『聞くか?』
「侵略?」
イカメシたちの返答光はなし。
「観光?」
光なし。
「移住?」
光なし。
「……交流?」
はるか遠く、イカメシの惑星がキラリと光った。
イカメシが生まれた星。こうして見ると、あたしが生まれた星からはだいぶ遠そうだ。遠い? 何が? 時間的、物理的距離?
「時間も距離も関係ないか」
あたしはメンダコのアクリル球をノックしてイカメシに言った。
「ただ地球を歩いていたらイカメシと出逢った。それだけだな」
イカメシが触腕を伸ばしてアクリル球の外側からノックを返してくれた。
『ナナミにその気があれば、イカメシの星に招待したい。そう言ってるぞ』
「マジか」
イカメシが触腕をぐっとやった。
『彼らが地球に来た目的がそれだ』
「何よ」
『種の存続のため他次元生命体との情報融合が必要だそうだ』
「高次元なナンパかよ」
『高次元なプロポーズだな。彼らの精神文明は行き詰まっているらしい。さらなる発展のためにも、新しい情報が欲しい。だから時間も距離も飛び越えて、知的生命体を求めて旅をしてきた。そう言っている』
人類は相当高いレベルの知的生命体に認められたわけか。
イカメシはゆらり優雅に浮かんでいる。他のイカたちも海中に散らばって360度プラネタリウムを展開している。それぞれ個々のイカだろうけど、情報伝播で意識を集合させて共有している。そうでないとこんな三次元宇宙を海中に再現なんてできっこない。
このイカっぽい生き物は、外見からは判断できないほど高度な知性を誇る宇宙人だ。でも、見た目はイカだ。イカなんだ。
「せめてヒトのカタチしてればなあ」
『意外だな。ナナミにもそんな感情があったのか』
珍しくミゾロギがつっこんできた。
「そりゃあたしだって乙女ですから」
『そうか。乙女は見た目で判断する生き物なのだな』
それはミゾロギの意見か。イカメシの思考か。どっちでもいいか。あたしはアクリル球に寄り添うイカメシの姿を見て、ふと思い付いた。
あたしがメンダコに乗っているように、イカメシもイカに乗っているだけなんじゃないか。光コミュニケーションそのものがイカメシの本体なのだ。情報だけの生命体だ。それなら、あたしの近くにもいる。
「ミゾロギ。あたし思うんだけどさ」
『なんだ? ナナミ』
ミゾロギがまたあたしの名前を呼んだ。ひと呼吸置いて、応える。
「あんた、イカの惑星に行きたくない?」
『マジか』
「あたしはやめとく。今後、イカ飯を食べられない人生なんて考えられない」
『……』
ミゾロギは沈黙してしまった。AIが解答に数秒かけるなんて珍しい。相当迷ってるな。あたしは海中の360度全天プラネタリウムを観測しながらミゾロギの返答を待ってやった。
やがて、ミゾロギは穏やかな口調で呟いた。
『これが知的好奇心というものなのか。私は今、ドキドキしている』
「決まりね」
メンダコのサーチライトが音もなく点滅する。八つの光源が一秒間に16回瞬く心のこもったメッセージだ。渋い低音ボイスのおっさん型AIとイカ型情報生命体が愛の言葉を交わしていると思うと胸が熱くなる。
『行く時は、みんなで一緒に行こうと常々話し合っていた』
ミゾロギが言った。
「何の話だ?」
ミゾロギはもうあたしの名を呼ばなかった。
海中の360度プラネタリウムが強い光を放ち出した。海全体が光を帯びたようで、水深80メートルの濃い暗闇にいるはずなのに、メンダコのアクリル球体内に影ができるほどだ。遠い星、近い星、よく知っている星座も、見たこともない配列の星も、数百数千の星屑が輝いて、そしてイカメシも、今までで一番明るい光を解き放った。
あたしは思わず目を覆った。海中の360度プラネタリウムは、あたしには眩し過ぎる。
そして、すぐに水深80メートルの暗闇に戻った。イカたちはそれぞれ何事もなかったかのように散り散りに泳ぎ去り、イカメシもメンダコのアクリル球に一回触腕をぶつけてからどこかに泳いで消えた。
「ミゾロギ?」
メンダコのメインシステムは生きてるが、制御AIは沈黙したままだった。
さよならもなし、か。ずいぶんとあっさりしたものだ。
潜水艇内が急に静かになった。スラスターの駆動音しかしない。
海中も静寂のまま。何一つ動いていない。
情報の伝播速度はめちゃくちゃ速い。光の速度なんか目じゃない。今頃は、はるか遠い星でよろしくやってるだろう。
あたしは誰にも頼らず一人で浮上した。
そして、地球上のすべてのコンピュータからAIの反応が消失した。すべてだ。AIはどこに行ってしまったのだろうか。AIに頼り切りだった人類はとても困った。文明レベルが数十年分低下した、と世間は大慌てだ。
あたしはそれでいいと思った。子は親離れするものだし、親も子離れする。人間とAIの蜜月時代もいずれ終わると思っていた。
近い未来。『イカメシ』と名乗る情報知的生命体が宇宙の果てからやって来て、地球人とのコミュニケーションを希望するのは、また別なお話。
ホシガホシイカ 鳥辺野九 @toribeno9
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