第22話 再来

 房葉ぼうよう広常こうじょうじんらいの三名――ごうして猪三傑ちょさんけつを加え、玉英ぎょくえい一行いっこう帰路きろいた。

 素朴そぼく送別そうべつうたげ――海の魚が美味びみだった――の翌日、房葉を出発。浦津うらづでの補給ほきゅうは不要だった分、十日目の昼に八松やまつへ到着。ゆかりへの報告、今後についての打ち合わせ、「また遊びに」来る約束をわしてこちらでも宴……と三日過ごし、難波津なにわづへ移動。田額でんがくと合流後、竜津りゅうづのある南西ではなく西の内海ないかいを行き、邑久津おくつ伊豫津いよつ赤津あかつ波津はつ(赤津の西、華津の北東。)等を経由して華津かつ裴泉はいぜんむかえられたのは、難波津をはっして二十六日目の昼だった。


裴通はいつう、お前は殿下でんかに付いて行け。……お許し頂ければ、だが」

 裴泉の大きな建物――紫のものを見た後ではやや小さく感じるが、それでも大きいことに変わりはない――にて例のごとく少数で話し合い、けてきたころ、裴泉がめいじた。

「はい」

 素直すなおおうじた裴通は、裴泉の右隣みぎどなりに座っている。――玉英に聞かせるためだろう、いずれも周華しゅうかの言葉だ。

「私達はおおいに助かるが、良いのか?」

 裴通は利発りはつな少年である。通事つうじとしては勿論もちろん、蓬莱に関する知識も、よわいを考えればおどろくべき程だ。

 裴泉にとっては重要だろう。何しろ裴通は、玉英はもとより紫との面識めんしきもこの旅でており、北の周華しゅうか、東の八松にはさまれたこの『クニ』を発展させようと思えば適材てきざいそのもの。手元てもとに置いておきたいはずだ。

「そりゃあいつかはもらいてぇが、今は、学ばせてぇ、ってとこだ」

 左のほほを上げる裴泉。

 裴通が玉英かたわらで得られるものを重視する、ということだ。うつわを育てたい、と言い換えても良い。裴泉が玉英等をいるのであれば、納得なっとく出来る判断だった。――玉英等には裴通をせきが生じる。

「そうか、わかった。感謝する」

「なら、その分はいろを付けてくれよ」

 交易で、ということだ。

「裴通の働き次第、としておこうか」

「ありがてぇ。そういうことだ、裴通、しっかりやれよ」

「はい!」

 幼い裴通は新たな責務に背筋せすじばしているが、玉英や裴泉にとってはあくまでも名目めいもくである。

 十年後、二十年後を見据みすえての、その一貫いっかんだった。


 三日後に華津をち、一支いき津島つしまを経て十四日目の夜には那耶なやへ戻った。

 那耶のおさ金台きんだいと――実質的には金台の部下と――交易について話し、各所を視察しさつして五日。那耶を出て、西の弁津べんしんへ馬をった。十六日目の昼に着き、こちらでは七日をついやしたのち馬津ばしんへ。

 馬津は、北西へ突き出た百漁ひゃくりょう半島の東側のに当たる、麗海れいかいに面し漁業ぎょぎょうさかんな小都市である。――「ちょうど今がしゅん」だという異様いように長い魚をじんらいの兄弟が好んだため、四日の間にみな三度みたびしょくした。

 馬津を出たあとは南西へ馬で三日半、百漁である。百漁ひゃくりょうには五日半滞在たいざいし、遼南りょうなん半島や青東せいとう半島、燕薊えんけいとの交易がより円滑えんかつに進むよう話し合った。那耶や弁津、蓬莱からの荷はこの地を通るのだ。



 百漁半島を含む広義こうぎでの麗羅れいら半島視察を終え、玉英ぎょくえい一行いっこう青東せいとう半島北岸、青水せいすいの東側ないし南側にある青陰せいいんへ立ち寄った。

 年明けまでには一月半ひとつきはん近くあるが、やけに冷え込んでいる。

 到着したのが夕刻ゆうこくだったこともあり、青陰をまかせている趙敞ちょうしょう出迎でむかえを受けて早々に内城ないじょうへ向かい、休んだ。


 翌朝、執務室しつむしつずは趙敞の話をくことにした。

 趙敞は表向き「万事ばんじ無難ぶなんなだけの老将」と見せておいてがある……という老獪ろうかいな男だったが、その降伏こうふくれるさいに玉英がして以来、精勤せいきんしていた。

 挨拶あいさつ程程ほどほどに、本題へ入らせる。

「昨夜も申し上げました通り、『三つ子半島』全体といたしましては、大きな問題は起きておりません。……わしのところへ入っている報告では、に御座ございますが」

 だからこそ、一旦いったんは休むことにしたのだ。

 玉英がうなずくと、つくえはさんで玉英と琥珀の反対側、椅子いすへ座った――玉英が座らせた――趙敞が続ける。

「青東半島といたしましては、塩の流通りゅうつう、鉄製農具の普及ふきゅう屯田とんでん拡充かくじゅう、交易の促進そくしん……いずれも順調に御座います。特に農事のうじの成果は、まだ十全じゅうぜんとは申せませんが、数年後には少なくとも三倍以上の収穫しゅうかくを見込んでおります」


 屯田とは、駐しつつ畑をたがやす意であり、民を兵とすることで起こる作物さくもつ等の生産せいさん減退げんたい兵糧ひょうろう消費の増大、並びにへの兵糧運搬うんぱん負担ふたん緩和かんわする方策ほうさくである。

 鎮戎公ちんじゅうこうと呼ばれるの……じゅう(犬族。)と争っていた頃の雲理うんりが発案し、対熊族においても用いられた一方、青東半島から京洛けいらくいたるまでの地域でも定着ていちゃくした。――南の傳水でんすいさかいとして竜爪りゅうそう族領域と接しているためだ。

 玉英はこの屯田と他の施策しさくを合わせることで、いま上供じょうきょう上納じょうのう。)せざるを得ない重税じゅうぜいをどうにかしのごうとして来た。――不用意ふよういに上供を止めれば、『三つ子半島』情勢の露見ろけんふせぎようもなくなるのだ。

 しかしながら、趙敞もべた通り増産ぞうさんにはときようすため、いまだ鎮戎公領域からのに頼るところが大きいのはいたかた無いことだった。


「想定通りか」

「ハッ。少々上回ってはおりますが、おおむね」

 趙敞が頭を下げる。

「良くやってくれた。引き続き頼む」

「ハッ! 有難ありがたき幸せ!」

 更に深く頭を下げた趙敞を見て、玉英は頷き、

「うむ。では次、竜爪族領域……兄上については?」

 光扇こうせん相毅しょうきのところへ上がってくる上越じょうえつ一家いっかによるものとは別に、青東半島でも調査は進めさせていた。

 無論むろん青陰からでは距離があるものの、例えば青東半島南端部にあるむら小墨しょうぼくにとっては、竜爪族のみやこ――龍邪りゅうやは傳水の対岸に当たる。民の往来おうらいなのだ。一定以上になり過ぎなければ、もぐませること自体は難しくなかった。なお、小墨はもとより竜爪族監視地点であるため、狼煙のろし早馬はやうまの用意があり、相当な規模をほこる。追加の監視要員や屯田兵を受け容れる余地よちがあった。

 趙敞は一度上げた頭を再び下げて答えた。

「ハッ。まことに申し訳御座いませんが、王太子おうたいし殿下に関しましては一向いっこう消息しょうそくつかめておりません。しかし、関係も真偽しんぎも不明……というただきでは御座いますが、注意をはらうべき、としるされた報告は麩椀ふわんから上がっております」

 麩椀は青山の戦いで青東連合軍の指揮をった将である。青東半島中央にあり十三万の民を抱える半島内の第三都市、青東の長でもある。青山の戦いののち「青東半島全体を任せる」という話を断って青東の長でり続けることを選んだ、おだやかながら確固かっこたる信念を持つ男だ。

 とは言え、各都市や邑とのつながりはがたく、はしてもらっていた。青東半島のまつりごとの長は趙敞、二番手が麩椀、といった具合である。

「内容は?」

「ハッ。例の『教え』――龍天教りゅうてんきょうが勢いを増しておるとのこと」


 龍天教。りゅう族こそが天下をべるべきだ、とする思想であり、当然ながら叛乱の要因よういんとして記録されている。

 族ではなく、族である。竜爪族の先祖返せんぞがえりによって数百年に一度生まれるかどうかの『神の如き者』だ。

 族はその名の通り強靭きょうじんこの上無いつめを手足に備えているものの、二本の足でける点は鬼族と変わらず、背丈せたけも三寸(約五・四センチメートル)ばかり劣る。

 対して族は、四丈(約七・二メートル)にもおよ長大ちょうだいな身体でかすかにちゅうに浮き、一振ひとふりで百名近くをはらうとう。

 存在としてのの差は明らかであり、、竜爪族のおさとしてあがめられ、育てられる。――不思議ふしぎと、龍族が並び立った例は無い。


「今すぐ、という話ではないようだな」

 危急ききゅうであれば、この話が先に出てくるはずである。関係も真偽も不明、という前置きもあった。

御意ぎょいに御座います。現状もっとも考えるのは、王太子殿下を御旗みはたに京洛を奪還後だっかんごおそれながら、両殿下を……」

 言いよどむ趙敞。

はいす、ということか」

 暗殺である。

「ハッ」

 顔を伏せる趙敞。

 正統せいとう王家の声望せいぼうを利用し、麒角きかくから玉座ぎょくざを取り戻した後、そのこうを言い立てて竜爪族に有利な状況を作り上げ……簒奪さんだつ

――話だ。

 少なくとも、竜爪族単独で麒角へ反旗はんきひるがえすよりは、はるかにが良い。

「仮にそうした狙いがあるとして、当代とうだい龍鱗りゅうりん公――劫廣ごうこうの意志だと思うか?」

 よわい二百十五、現在確認されている唯一の龍族である。前回の竜爪族叛乱は、劫廣が生まれる前のことだ。――かつて王城へ届いた竜爪族からの報告が、だが。

怨恨えんこんいだいた者達が、当初とうしょひそかに育てていたとすれば、十分じゅうぶんにあり得ることととぞんじます」

 くだんの竜爪族からの報告は、端的たんてきに言えば「赤子あかごが誕生した」だったが、最初の数十年は存在が隠されていた、と見ることも出来た。――龍族の記録は非常に少ないため個個ここの違いがあったところで不審ふしんとまでは言いがたく、龍族の寿命じゅみょうが極めて長いことも相俟あいまって、数十年程度の差はあとになれば誤魔化ごまかせてしまうのだ。

 知らせを受けた周華の王――玉英の先祖からすれば詮議せんぎも視野にあったはずだが、そうはしなかった。叛乱鎮圧ちんあつから数十年という段階で竜爪族を、あるいは殊更ことさら刺激しげきすれば、今度こそ竜爪族をほろぼすことになりかねない、と判断したらしい。

 幾度いくたびもの叛乱をてもなお竜爪族の滅亡めつぼうを避けて来たのは、一つには、鬼族のたる麒麟きりんと竜爪族の祖たる青龍せいりゅうが――もとい五神ごしんの全てが――盟友めいゆうであった、と伝わっていること、もう一つには、青龍のつかさど何某なにがしかの均衡きんこうくずれる危惧きぐ否定ひていないことにる。――幾百年いくひゃくねんも雨が降り続き、天下の全てが水におおわれる……といった|ことすら起きかねないのだ。

 そうした事情を逆手さかてに取り、またも竜爪族が――劫廣が叛心はんしんを抱いているとして、流浪るろう玉牙ぎょくがを殺したところで意味は無い。仮定かていの中の話ではあるが、やはりかくされている、と見るべきだった。

「ふむ。……最大限に警戒しつつ、調査を継続。短慮たんりょつつしめ、と伝えよ」

「ハッ!」

 備えるべきことは、多い。

「そなたも、適宜てきぎ休め」

「ハッ! 有難き御言葉おことば老骨ろうこつりまして御座います!」

 くだった当初と比べ、力強い声。

 趙敞の下げた頭に、黒いものが増している気がした。



 その後、茗節めいせつ相毅しょうきまじえて麗羅半島から蓬莱に掛けての分析ぶんせき、今後の交易やいくさについての詳細しょうさいな打ち合わせを行い、一旦いったん休憩きゅうけい、としたのは夕刻ゆうこく手前てまえのことだった。

「裴通の様子を見に行かぬかや?」

 そう誘われて、玉英は琥珀、子祐しゆうと共に内城を出た。

 蓬莱からやって来た者達のうち、裴通は言葉こそ遜色無そんしょくなく話せるが、幼い子供。猪三傑は身体こそ鬼族に匹敵ひってきするが、言葉はほとんどわからない。袁泥はいずれも問題無いが、青陰を訪れるのは他の者達と同様にである。

 見聞けんぶんひろめるという名目めいもくで、五名そろって梁水りょうすいと共にしんへ向かったことはわかっていた。


 青陰北側から北西側――青水河口部かこうぶの津は各地との交易をになうにる巨大なもので、出入りする舟を数えているだけで日が暮れそうな程である。

 事実、それに近いことをしていたのかもしれない。玉英が津へ着いた際、裴通は色付いろづき始めた陽光に小さな背をらされながら、十丈(約十八メートル)近く前方ぜんぽう、舟の荷下におろしを静かに見つめていた。――裴通と一緒に居たはずの体躯たいくめぐまれた五名は、まさしくその荷下ろしを手伝っている。梁水は玉英の御伴おともとしてかおくのだ。

「何が見える、裴通」

 背後まで近付いてから声を掛けると、

「殿下! 琥珀様に、子祐殿も!」

振り向いた裴通が丁寧ていねい一礼いちれいした。

 蓬莱に居た頃と異なり、十分じゅうぶんに着込んでいる。那耶で受け取ったものだ。

「あの舟の荷……あれは、那耶からのものですよね?」

 小さな左手の指す先へ改めて目をれば、確かに那耶から――百漁経由で――送られて来たものだった。

「ようわかったのう」

 琥珀が顔をほころばせて裴通の頭をまわす。

「あの箱には見覚みおぼえがありましたので」

 基礎を固めた荷下ろし場へ積み上げられた箱は、三辺さんぺんが二尺(約三十六センチメートル)、一尺(約十八センチメートル)、五寸(約九センチメートル)という横長の平たいもの。鉄が入っているのだ。鬼族といえども、箱を大きくし過ぎればあつかにくくなる。特に舟では、荷の重さの均衡きんこうたもつ必要があった。

「そうして学べるものを学ぶと良い」

 見えるもの全てが……いな、見えぬものとて学びになり得るのだ。

 玉英が微笑ほほえみ掛けると、

「はい!」

裴通は、琥珀に撫でられ続けながら、満面の笑みでこたえた。


 しばらく続けた後、琥珀は裴通の手を引いて荷下ろし場へけて行った。

 玉英の背丈より余程よほど高く、所狭ところせましと積み上げられているのは、鉄の入った箱ばかりではない。

 他の荷の中身は何か、何処いずこから来たものか――といったことを当てられるや否や、という遊びを琥珀が裴通に仕掛しかけたのだ。

 交易関係の地名は教えてあるが、裴通にとっては行ったことのない場所が殆どである。本当にただのだった。

 琥珀は見た目こそ幼い頃とさほど変わらないが、実のところ面倒見めんどうみが良く、故郷の邑では郭玄かくげんのことをなにくれと可愛がっていた。邑を出た頃の郭玄と裴通を重ねている部分もあるのかもしれない。

 と、琥珀達が五丈(約九メートル)ほど離れたところで、琥珀達の付近の荷山にやまが複数、突如とつじょとして崩れ――

「子祐っ!」

咄嗟とっさに呼んだのは、も信頼する相手。無論、既に駆け出していた。

 多くの荷にもれ視界から消える直前、琥珀が裴通をかばい、そこへ子祐が疾風しっぷうの如く飛び込んで行ったが――

――間に合ったはずだ。

――琥珀の『力』もこの地では……。

――間に合っていてくれ。

――裴通は……。

――間に合っただろう?

――子祐。

 いのりと共に錯綜さくそうする思考をおさけ、数歩遅れて駆けていた玉英の首筋くびすじ

「――ッ!」

 きたえ上げた剣同士どうしがぶつかり合う、深いところからしびれるような感触かんしょく

 背後に気配を感じたら、急所を守りつつ、可能な限り一撃入れながら距離を取ること。

 西王母の教えが無ければ、あるいはそれを守れていなければ、死んでいた。

 いきおいのままなおり、愛用の剣をにぎめる。

「おやおや、随分ずいぶんと成長されたな、

 命をろうとしておきながら、飄飄ひょうひょうとした声。

 忘れもしない、子祐にまもられびた旅。鬱蒼うっそうとした森。十尺(約百八十センチメートル)を超える尋常じんじょうならざる長尺刀ちょうじゃくとう

 凶刃きょうじんの再来だった。

「ど、ッ!」

 どこから入り込んだ、などと問い掛けるひまは与えられなかった。

 夕日を半ば背にして、遠い間合いから剣閃けんせん幾筋いくすじきらめく。

 如何なる術理じゅつりか、左からせまさきを打ち払った瞬間には、右へおそている。

――はやい。

――否、疾い上に洗練せんれんされているのだ。

 全身の連動があまりにも流麗りゅうれいで、攻撃から攻撃へと移る『起こり』を見出みいだせない。

 結果的に、一つの動作で幾度いくども攻撃されていると錯覚さっかくする。

 とは言え、幼かった頃とは違う。見える。いる。

 ゆえにこそ、鮮明せんめいに感じ取る。

 一閃いっせん一閃が濃密のうみつまとう、死の気配を。


 五つ数える程の間に十五ごうは凌いだ。

 猛攻もうこうぐようにみ、玉英は視線をらさぬまま荒く息をいて、

「どこから入り込んだ、強き

おぼえておいでか。これは光栄至極こうえいしごく

 問いには答えず、悠悠ゆうゆう一礼する男。息をみだしてさえいない。

 見た目には四十まであと三、四年というところだが、強さにかげりは無い……どころか、みがきが掛かっているようですらある。

「そなたには、私につかえて貰ッ! うのっ! だからなっ!」

 たわむれのような剣閃を三度みたびふせいだ。

「ならば、死んでくれるなよ、

 口角を上げる男。

――よく言う。

 言葉にはせず、玉英も口角を上げて見せた。

 だが、こうして玉英へ数呼吸を与えたのは、確かに――

折角せっかく待ったのだ。もっとたのしませてくれ」

死舞しぶへのいざないのようだった。


 直後、再開された男の攻撃は徐徐じょじょに疾さを増し、玉英は一合ごとに『』の境地きょうちからがされていく。

――まだがあるのか……!

 長尺刀がう。

 右へ左へ、右へ左へ上へ下へ、右へ左へ右へ下へ上へ。

 左へ右へ、左へ右へ下へ上へ、なかへ上へ下へ左へ中へ左へ右へ。

 韻律いんりつの如き攻防が、終わりをむかえようとしていた。あと数合で、

――死ぬ。

 はっきりとわかった。『理』の境地からは既に遠い。

 対して男は、こちらの実力をはかり、愉しみながら、ついには

 男のひとみ諦念ていねんを視た刹那せつな、踏み込まれてはならない一歩を踏み込まれ――

御免ごめん

 声が耳に残る中、異様いよう緩慢かんまんな剣閃がせまり――――――

――――

――

覚悟したそれは、おとずれなかった。

「無事か、玉英」

 袁泥が、剣を構えてそこに居た。


 男は目を見開き、一歩退いて笑った。

「クックッ、奇遇きぐうよなぁ、二刀にとうとは」

 袁泥の右手には長尺刀に匹敵ひってきする漆黒しっこくの大剣。左手には、夕日を向こうにしてかげりながらもなお白い、七尺(約百二十六センチメートル)ばかりの長剣があった。

「……」

「おや、彼奴かやつとは正反対のようにござるな」

 両のまゆを上げ、再び笑う男。

「……」

 挑発ちょうはつするようなその笑みから視線を外さず、頭だけで僅かに振り返る袁泥。

 問い掛けに応えていなかった、と気付く。

「っはい、無事です。ありがとうございます袁泥殿」

「気にするな」

 素気無すげない返事だが、その赤いかわを纏った背中は、命を預けるに足る雄大ゆうだいさに満ちている。

「クックックッ、良き武士もののふと見た!」

 男は心底しんそこ愉快ゆかいそうに笑い、一息ひといきに踏み込んだ。

 澹澹たんたんと応じる袁泥。

 眼前がんぜんで数段の攻防が繰り広げられ、玉英は己の未熟と幸運をめた。



 袁泥の動きは、対面する男の流麗な動きとはなるものだった。

 ある状況における、おそらくは最適な動き……それが突如とつじょまた別の最適な動きへと移っている。『起こり』は明白めいはくだが、何をもっすると決めているのか玉英には読み取れず、ただ、男の動きに対応し切っていることだけがわかった。


 五十合は重ねただろうか。

「はっはっはっ、これは、お強い」

 男が大きく退ずさって笑った。

「……」

 袁泥は玉英の前から離れない。

 充溢じゅういつは玉英にも感じられた。

「さて、正味しょうみ決着けっちゃくまで続けたいのだが……」

 男は数多あまたの小さなやいばを玉英へ弓なりに投げて寄越よこし――

「さらばだ好敵手こうてきしゅ

袁泥がそれたたとした頃には、十丈(約十八メートル)も離れていた。

「ありがとうございます、袁泥殿。おかげさまで助かりました」 

「無事ならそれで良い」

 袁泥は油断ゆだん無く男の消えた方向を見据みすえている。

「玉英! 大丈夫かや」

 背後からの声。

「琥珀!」

 って来た琥珀を抱き止める。

「ああ、大丈夫だ。琥珀も――」

「妾は大丈夫じゃが――」

「良かった」

「すまぬ、玉英――」「裴通も無事か」

 姿を確認し、息をく。玉英等に背を向け、地に座り込んでこそいるが怪我けがは無さそ――

「子祐?」

 裴通の向こう側、地に寝かされている、鬼族女性としては極めて恵まれた身体。

「子祐!」

 後頭部こうとうぶ不意打ふいうちをらい、中身が全て吹き飛んでしまったかのようだった。

 琥珀から離れ、足をもつれさせながらも裴通の右側――子祐の頭の横へ辿たどき、両膝りょうひざいた。

「子祐……」

「デンカ、――――、――――、――――!」

 子祐へと伸ばした手を、いつの間にか右へ来ていた迅に止められる。――デンカ、というのは迅が覚えた数少ない周華の言葉だった。あとは、わからない。

「殿下、お手を触れぬようお願い申し上げます。頭を打っており、動かさぬことが肝要かんように御座います……と」

 正面で片膝を突いた梁水が――蓬莱の言葉をいくらか覚えている――迅の意を伝える。『すまひ』では稀に起こる事故だ、とも。

「わかった。……良くぞ止めてくれた。……どうすれば良い?」

 ふるえを隠し切れぬ声で問うた。

 自力では何もかばなかった。子祐が倒れるなどと、考えたことも無かったのだ。

 九つ違う。玉英が物心付ものごころついた頃にはかたわらに居り、常に助けてくれていた。当初は子祐とて子供だったが、玉英にとっては大きく強き者であり、のちには【麒麟の双角そうかく】とまで称された。そしてからは命を丸ごと預けて――今に至るのだ。

 玉英の生は、子祐と共にあった。子祐の居ない状況など、あり得ぬことで――

「デンカ、ヨベ」

 梁水の横――玉英から見れば向かって左側へ座り込んだ広常が言った。

「デンカ、ヨベ。シユウ、ヨベ。テ――――――」

「手なら……手を触ると良い、とのこと」

「わかった」

 子祐の左手を両手で握り、

「子祐……子祐、すまぬ、無理をさせた」

 一切の猶予ゆうよが無い中、琥珀達を庇うために荷箱の落下を敢えて受けたのだろう。荷箱を壊したところで、中身がそそいではむしろ危険だったかもしれず、その上、数が多過ぎた。

「子祐、目覚めよ子祐! まだ我等われらの旅は終わっておらぬ!」

 手に一層いっそう力をめる。

「子祐、子祐! 私が死ぬまでつかえると言ったであろう!」

 玉英のれた瞳が、背後の夕日が映り込んだように輝き――

貴様きさまに死を許してはおらんぞ! 子祐!」

「ッ――」

 子祐の目元が微かに動いた。

「子祐!」

「――ぁ、でん、か……」

「子祐! 大丈夫か、動くな、しばらく横になっていろ!」

「……はい、殿下」

 微笑む子祐に、玉英も微笑み返す。

「幼い頃のようだな」

 最初は、今のように「はい」と返事をしていた。

「軍……「答えずとも良い。いや、今は休んでおけ。命令だ」

 最大限、命じた。

 まぶたの動きだけで子祐が応え、長く、長く、主従は見つめ合った。

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鬼種百合譚~周華国戦記~ 源なゆた @minamotonayuta

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