第21話 勇者、姫巫女、猪三傑

 華津かつへ着いた二日後の朝。

 対価たいかのちに、という約束で補給ほきゅうを受けた上で、高楼こうろう――『とう』のある島を目指して華津をった。

 裴泉はいぜんからは、各ふねへ乗り込む水先案内みずさきあんない計三名に加え、周華しゅうか蓬莱ほうらい双方そうほうの言葉をえられる者――通事つうじけている。通事のためしは昨日さくじつんでおり、頼れることはわかっていた。――仮令たとえ年端としはかぬ少年であっても、だ。

 先日裴泉の屋敷やしきで見かけた、あの少年である。たぬき族らしい容姿ようしだが、よわい十一ということもあり、琥珀こはくより五寸(約九センチメートル)ほど小さい。名を、裴通はいつうである。

 数年間那耶なや弁津べんしんとのりを見聞みききし続け裴泉による指導しどうも受けて来たが、初めて重大な仕事を任されるに当たり、幼子おさなごとしてではない正式な名を――それも周華風の名を――ということになったらしい。

 しかし名とは関係無く、いた素直すなお聡明そうめいな裴通は、玉英ぎょくえい一行いっこうの誰にも可愛がられた。



『塔』のある竜津島りゅうづしま、その表口おもてぐちに当たる竜津までは、十四日半を要した。

 華津の東、最初の補給地ほきゅうちとした赤津あかつまで三日半。補給と荒天回避こうてんかいひに二日半掛けたのち進発。大きな島同士――らしい――の間を抜けて南東、また別の大きな島――らしい――にある宇和津うわつまで四日。宇和津ここでも赤津と同様どうよう二日過ごし、宇和津から南方へ伸びた半島を回り込むようにして竜津へ至るまでには――海流かいりゅうに乗れたため相当にはやかったが――二日半。計十四日半である。


 竜津到着とうちゃく直前、昼前のこと。

「『竜津』は、元は『竜頭りゅうづ』だったそうです」

 先頭を行く舟の舳先へさき(舟の前寄り。)に立った裴通が――雲儼うんげんがいつでも抱えられるように大きな手をえてそなえている――子供特有とくゆうの高い声で語った。

「その由来ゆらいとなっているのが、あのみさきです」

 裴通が右手で前を指しつつ振り返った。小さく細い指の先――おおむね進行方向、北にあるはずの竜津をかくすように西から伸びた岬。高さ四丈(約七・二メートル)ほど先端部せんたんぶは、確かに竜と見紛みまがうような白い巨岩きょがんからっていた。



 竜津島はより大きな島にほぼかこわれている内海ないかいの島だとうが、その竜津島の中でも岬によって一段いちだん波濤はとうからまもられている、絶好ぜっこうしんが竜津である。

 裴泉の話の通り、竜津へ来ることで『姫巫女ひめみこ様』のいかりを買うことは無いらしく、無事に辿たどくことが出来た。

 竜津の小さな邑――『ムラ』のたぬき族達が『塔』への訪問者ほうもんしゃむかえるのはらしく、けても殊更ことさらおびえられたり敵対てきたいされたりすることはなかった。

「ただ、我々がここでごすだけでも『ムラ』には負担が掛かりますので――」

と裴通を通して要求ようきゅうされたのは、『ムラ』の者達と協力きょうりょくしてはたらくことだった。


 玉英、琥珀、子祐しゆう、雲儼、れい、の五名がったのは魚獲さかなとりである。

わらわ達のせいで『ムラ』の者達をえさせるわけにはいかんからのう」

「たくさん獲るぞ!」

 琥珀も玲も随分ずいぶんだ。

「獲り過ぎぬようにな」

 たしなめこそしたが、『ムラ』から程近ほどちかい川はそこまで見通せる非常に美しいもので、水や魚とたわむれたい気持ちがあったのは玉英も同じだった。――まるところみなで楽しみながら魚を獲った。


 さいわい、夕刻ゆうこくまでには一尺(約十八センチメートル)前後の魚が十分じゅうぶんれ、同行どうこうした『ムラ』の者達のすすめにしたがい、その場で調理することとした。

 小刀でこそぐようにうろこを取り、胸から腹に掛けて軽くしごくようにふんを押し出す。適宜てきぎあらった上で塩をまぶし、子祐が手早てばやく作った竹串たけぐしつ――くちからえらへ通し、鰓の近くからむようにして背骨をからめつつの方へ出す。からやや離した位置に置き、こしえて焼く。

 四半刻(約三十分)ほど掛かるとのことで、焼いている間にの者達を呼び集め、皆で共に食した。

「ふむ……この独特の風味ふうみ……気に入ったのじゃ!」

「ああ、滋味深じみぶかい、良い味だ」

「玲も好きだぞ! ご馳走ちそうだ!!」

 川の流れにもとおるようなあじわいを、腹の部分のほのかなにがみが際立きわだたせている。

 幼い裴通には少々苦過ぎるようだったが、「裴泉様の教えですから」と食べ切っていた。



『ムラ』から西北西へ川沿かわぞいにやまのぼり、三日目の朝。

 舟のばんに残った田額でんがく以下の兵達と琳琳りんりん、そして舟に関わる者達をのぞいた一行は、『塔』の手前てまえ最後のさかえようとしていた。

 森の中にあって坂の上はひらけているらしく、前方ぜんぽう右、坂の向こうには山頂さんちょうわずかにを出しているが、その左、正面しょうめんには、山頂それよりはるかに高くそび円柱状えんちゅうじょうの白い『塔』が随分ずいぶん前から見えていた。

 直径ちょっけい六丈(約十・八メートル)、高さ二十丈(約三十六メートル)はある、しんがたほどに巨大な高楼こうろうが、緻密ちみつげられ、みがげられた石肌いしはだ陽光ようこうかえしつつ、玉英睥睨へいげいしている。

 明らかに蓬莱の建築様式ようしきではなく、周華のものともことなる。

 もしこの『塔』が周華の西で発見されたのであれば、石造いしづくりがさかんだという【ての国】からながいた者達でも居たのか……と思うところだが、ここは蓬莱である。しかも『塔』がとうてられたのだとすれば多大な労力を必要としたはずであり、門番もんばん以外の者達もうわさになっていて然るべきだった。畢竟ひっきょう――

「母上のような者が住んでおるんじゃろうか」

琥珀が見上げながらつぶやいた通り、『神』ないし『神のごとき者』が関わっている、と考える方が自然だった。



 坂を登り切り、『塔』まであと五丈(約九メートル)というところで、門扉もんぴの前およそ一丈(約一・八メートル)の位置に男が姿すがたあらわした。

 姿を現した、とはの意味である。遠目とおめには誰も居ないように見えていた場所に、いつの間にかのだ。――益々ますます何らかの『力』によるもの、と思えた。

 玉英があと数歩の距離へいたると、警告けいこくの低い声がひびいた。

「止まれ」

承知しょうちしました」

 玉英がすぐさまおうじ、右隣みぎどなりの琥珀、左やや後ろの裴通と子祐、あとに続く他の者達も当然したがった。

 警告を聞いた瞬間にべく口を開き、しかし玉英の返答によりことに気付いた裴通が首をかしげている。――玉英には周華の言葉に聞こえているが、裴通には蓬莱の言葉に聞こえている。そういうことなのだろう。これも『力』のうちか。

何用なにようだ、魔族まぞく

 敵愾心てきがいしんも無く、ただ必要だから、といった様子でけてきた男は、子祐よりも一寸(約一・八センチメートル)ばかり大きい無角むかく鬼族……に見える。としは玉英より一つ二つ上か。――定命じょうみょうものであれば、だが。

 ほぼ全身をおおう赤いかわらしきころもが目立つものの、胡服こふくに近い独特なよそおいと共に垣間見かいまみえるまった肉体、すきの無い姿すがたからは、突出とっしゅつした才とたゆまぬ鍛錬たんれんとを感じる。

 玉英は、

――とは鬼族のことだろうか?

という疑問は一旦いったんき、

「私は玉英。この蓬莱の西、周華の王女です。ここには、あなたのおちからをおいただくべくまいりました」

真っ直ぐ男の目を見て言った。

 乱雑らんざつに切ってそのまま伸ばしたような、やや長めの灰色の髪の下から、青味掛あおみがかったやはり灰色はいいろひとみが玉英を見つめ返している。

 続けろ、の意だと受け取った。

「八年前、我が父母ふぼを含む数多あまたの者達が叛逆者はんぎゃくしゃに殺され、国をうばわれました。簒奪者さんだつしゃ専横せんおうきわめ、天下万民てんかばんみんが苦しんでおります。……国を取り戻すため――」

と言い掛けて、玉英の瞳の奥にくら紅蓮ぐれんの炎が渦巻うずまいた。

「――いえ、父母のかたきを、私をまもって死んだ者達の仇をつため、どうか、「わかった」お力を……っ!?」

「……お貸し、下さるのですか?」

 玉英が目を見開いて問うと、

「そう言っている」

男はひいでたまゆでもがえんじ、

「国がどう、と言われても俺の知ったことではないが、仇を討つためであれば――」

一瞬いっしゅん自身の胸元むなもとへ視線を落としてから、

「――嗚呼ああ、良いだろう」

あらためて承諾しょうだくし、かすかに口角こうかくを上げた。

「ありがとうございます!」

 玉英の満面まんめんみに、

「気にするな。所詮しょせん暇潰ひまつぶしだ」

自嘲じちょうするようにはなで笑う男。

 玉英は男の瞳に言葉と裏腹うらはらの僅かな――かくれていない――熱を感じたが、別のことを問うた。

「それでも、ありがとうございます。……ところで、何とお呼びすればよろしいでしょう?」

袁泥えんでいとでも呼べ。それと、そうかしこまって話すな。俺はこの『塔』の門番に過ぎない」

 裴泉の手の者が伝えたのと同じ言葉だ。

「わかりました、袁泥殿。しかし、だとすれば、この美しい『塔』から離れてしまっても大丈夫だいじょうぶなのですか?」

 袁泥の目の前――『塔』から二丈(約三・六メートル)に満たない距離では、『塔』の表面は、京洛けいらくで最も精緻せいちみがかれたぎょくよりもなめらかに見えた。如何いかなる『力』によるものか、と思わずにいられない。『塔』の――おそらく――全体がそうなのだ。

 代わりの門番が居なければ、いずれ略奪りゃくだつうことは想像にかたくなかった。

「美しい、か。――そう評してもらえるのは、嬉しい」

 袁泥は再び胸元に目をり、先程さきほどまでとはまるでちがやわらかい――どこかせつなげな笑みを浮かべたが、数瞬すうしゅんって顔を上げると、

「問題無い。どこへなりと連れて行け」

表情を消し、ぶっきらぼうに答えた。

「はい。よろしくお願いします」

 玉英は笑顔で応え、頭を下げる。

「嗚呼、しっかり護ってやるよ」

 袁泥が口の中で「今度こそ」と付け足したのを、琥珀の耳だけがとらえていた。



 下山げざんには二日掛かった。

 初日の昼過ぎにふと振り返って見れば『塔』が消えていたのにはみなおどろいたが、袁泥によれば「そういうもの」らしい。袁泥はそれ以上話さなかったため、玉英もいてめはしなかった。――いずれ『神』にるいする者の影響であれば、言いがたいこともある。


 竜津を離れていた四日間、残った者達の働きは十分じゅうぶんなものだったようだ。

 気前良きまえよく受けられた補給と海流のおかげで再度さいど舟旅ふなたび円滑えんかつに進み、六日目の昼前には竜津の北東方向にある難波津なにわづ到着とうちゃく

 難波津ここからは陸路となるため、竜津のさいとほぼ同様、舟の番に田額等を残し――今回、琳琳のみは玉英等に同行した――東へ発った。

 北に川を見ながら山を登り、その川が北寄りに曲がった四日目からは北東へ。くだりが多くなった七日目の夜、雨呼あまよびの姫巫女ひめみこが居るとされる八松やまつへ辿り着いた。



「華津より栄えておるようじゃのう」

 最後の坂を下る途中とちゅう見えた限りでも、要所ようしょの明かりと建物は倍近くあったのだ。

 東側の海――津付近の舟は華津と比べれば少なかったが、『クニ』全体へ幾重いくえにもめぐらされたほりには北西から流れ込んだ川の水が通っており、朔原さくげんのようにとまではいかぬにせよ、一部は小舟で移動出来るようになっていた。


 玉英等がとびらの無いもんへ近付くと、門のおく中途ちゅうとがった通路――防衛ぼうえいのための仕組しくみだろう――のかげから、玉英より一尺(約十八センチメートル)は小さい、つぶらな黒い瞳の女が現れた。

 肩程かたほどまで伸ばしたうす褐色かっしょくの髪に一部白が混ざっており、髪と同じ色の楕円だえんに近い形の耳が特徴的とくちょうてきだった。鹿しか族だ。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ。姫巫女様がお待ちです」

……とは、裴通が言い換えているのだが、やわららかい声ではあった。

 くだんの姫巫女の側仕そばづかえだろうか。蓬莱でこれまで見てきた大半の者達と比べ、いくらかかった着物をまとっている。――しゅに染めたあさである。

 裴泉はむらさきめたきぬを身に着けていた――絹は那耶なやとの交易で得たもので、紫は華津南方なんぽうの海のかいから得た染料せんりょうによる、という話は聞いた――が、他の者達の着物はやはり麻だった。華津から八松に至るまで、麻が主であることは変わらないのだろう。

案内あない、感謝する」

 玉英は女に言い、左の裴通に目で合図あいずを送った。



 玉英は、裴泉のところにあった巨大な建物を更に数段大きくしたような、三十六本の柱に支えられた建物へまねかれた。――『カミ』が在所ざいしょとするに相応ふさわしい、非常に立派な建物である。

 柱の一本一本が直径五尺(約九十センチメートル)はあり、支えとして、水平の柱が縦横異なる高さで各々の柱をつらぬいている。全体の高さは『塔』と比べればほぼなかば――十丈半(約十八・九メートル)というところだが、三丈(約五・四メートル)の高さにあるゆか幅はおよそ九丈(約十六・二メートル)とより大きい。

 その上へ、下からじゅん板壁いたかべ板葺いたぶきの屋根やね、板壁と草葺くさぶきの屋根、と二階がやや小さくなるようにつらなっており、屋根は四方しほうから中央上部へ集まる形で傾斜けいしゃして、風を受け流す構造になっている。


 各壁面の窓から差し込む月明つきあかりと数本の松明たいまつ――松のえだそのままではなくあぶらの多い部分を切り出してたばねたもの――で照らされた一階の部屋、その東りへ出る階段を玉英と琥珀がのぼった途端とたん

「よく来てくれたね」

玉英から見て左前方――部屋の奥、一段高くなった部分へ両手を突いて座りあしを前へ投げ出している、齢十三ほどの少女に、見た目通りに幼く、しかし見た目に反して深くひびく声で歓迎かんげいされた。――どうやらまたしても裴通のはここまでのようだ。

 背丈は琥珀より三寸(約五・四センチメートル)近く大きいだろうか。あざやかな紫の絹しにもわかるほど華奢きゃしゃである。ひたすら伸ばしたような明るい紫の髪が床へ広がっているものの一切いっさい気にする様子ようすは無く、ただただ底知そこしれぬ紫根しこんの瞳で玉英を、琥珀を、そしてまた玉英を見つめた。

「そんなところで止まっていないで、もっと近くへおいでよ」

 玉英と琥珀は言われるがまま少女から一丈(約一・八メートル)ほどの位置――むしろが並んでかれた場所へ進み、子祐と裴通も後ろへ続いた。

「どうぞ、座って」

 やはりみな言われるが儘、そろって胡坐あぐらをかいた。

 少女は一旦いったん視線を左へ――玉英等から見れば右へ向け、

あけ、ご苦労だったね」

と階段付近、壁際かべぎわひかえていた案内の女性――朱を微笑ほほえみと共にねぎらった。

 下がって良い、という含意がんいを読み取ったのだろう、朱は少女へうやうやしく一礼いちれいし、階下かいかへ去った。

 少女は視線を戻し、八つ数える程のときを掛けて四名それぞれの目を見た後、

「さて……君達は、いくさをしに来た、ってわけじゃないよね?」

首を傾げ、無邪気むじゃきな笑みを見せた。



「私は、玉英と申します」

 玉英が背筋せすじを伸ばして言うと、

「琥珀じゃ」

琥珀もすぐに続けた。――子祐と裴通は立場上、口を出さない。特に裴通は、今回言い換える必要が無いと知って拍子抜ひょうしぬけするやら安心するやら少女の美貌びぼう見惚みとれるやらでいそがしい。

「うんうん、ゆかりゆかりだよ、よろしくね玉英、琥珀。それで、どんなよう?」

 少女――紫がまた笑顔を見せる。

「はい。紫様に願いたてまつりたき」

「あ、ちょっと玉英」

「はい」

「様、はやめて欲しいな。あと奉るとかさ、別に紫は『カミ』様じゃないからね」

「……違うのですか?」

「です、もやめてよ」

と、紫は息を大きく吸い込んで、

「紫は紫。明後日には雨が降るな~みたいなことを予見よけん出来るだよ」

「ですが……」

 紫が玉英をわざとらしくにらむ。

「いえ、いや、でも、それは十分じゅうぶんな『力』……じゃないか?」

「ううん、こんなの、みんなが何日かしのべるようにするのことだよ。わかっていればえられる、ってやつ」

 紫は眉尻を下げて笑い、

「大体ね、紫は一番強く感じるから『姫巫女』なんて言われてるで、『巫女』はたくさん居るんだよ。さっきのあけだってそう。だから、しゅの着物」

 ここへ来るまでに見掛けた他の民は――夜のことゆえさほど多くはなかったが――特に染めていない麻の着物だった。染めた着物は『巫女』としての身分を表すのだ、とすれば納得なっとくである。

「その、耳飾みみかざりや首飾くびかざりも?」

 あけもいくらかは身に着けていたが、それとは比べ物にならない量と色彩しきさいの飾りが、紫の耳と細い首の周りにはあった。――これも、他の民は着けていなかったものだ。

「そうだよ~。重くてしょうがないけどね?」

 愉快ゆかいそうに笑う紫。

 玉英と琥珀も一頻ひとしきり共に笑ってから、琥珀がたずねた。

「『巫女』の名は後から決めるものなのかや?」

「お、するどいね。『巫女』のに生まれるのは大抵女で――だから『巫女』ってうんだけど――齢十にもなると体質はわかるから、選ばれたら、付ける」

「元の名もあるんじゃろ?」

「うん。でも、家族以外は呼ばなくなるね」

「『巫女様』じゃから?」

「そういうこと」

「ふむ……」

『琥珀様』として親しまれ、可愛がられてはいても、対等な者は居ない。――玉英と出逢であうまでそうしたさみしさをかかえていた琥珀にとっては、我が身のことのようで。

 ましてや『姫巫女』として『巫女』の中ですらまつげられている紫は、なおこと……そう思うと、言わずにはいられなかった。

「紫、わらわ達と、友達になるのじゃ!」

「えー、ありがと!」

「何やら軽いのじゃ!?」

「そんなことないってば~。嬉しいよ。それとも、琥珀が紫と一緒に居てくれるってことだった?」

 微笑みの中、紫の瞳が怪しく光る。

「そういうわけには……いかんのじゃが……」

 勢いをがれた琥珀。

「なら玉英が?」

 紫の視線が動く。

「それもダメなのじゃ! 玉英は妾の番になるのじゃ!!」

 勢いだけは取り戻した。

「じゃあ、友達で居てくれる。それでいいよ」

「うむ、それなら、無論じゃ! のう?」

 左の玉英に笑い掛ける琥珀。

勿論もちろん! よろしく、紫」

 玉英の答えは決まっていた。

 仮令たとえ紫がうそいていたとしても、言うことは同じだった。

 紫がにしておきたいのであれば、今はだまされておいてやりたかった。

 友達として。



 蓬莱と故郷――周華との違いなど、しばしの取留無とりとめな歓談かんだんのち

「ところで、結局聞いてなかったけど、どんな用で来てくれたの?」

紫が切り出した。本題ほんだいである。

「二つ、いや、三つある」

 玉英は表情をめて言った。

 なお、周華の王女である、ということは流れの中で話してある。紫は「ふーん、そうなんだ。改めて、遥遥はるばる良く来てくれたね」と笑っていた。

「一つ目は、交易の許可。紫の『クニ』や西の王――裴泉の『クニ』と……どちらにも属していないところがあるなら、その『クニ』ないし『ムラ』とも」

「いいよ。元々もともと紫の許可なんて要らないけどね」

 紫は屈託無くったくなく笑う。品目ひんもくについてきもしなかった。あとで良いということだと判断し、続ける。

「ありがとう。二つ目は、同盟どうめい締結ていけつ。と言っても、お互いに敵対せず、お互いの敵ともむすばない、というのが主眼しゅがんだが……」

「それもいいよ。当然だよね!」

――琥珀がいなかったらどうなっていたのだ?

と瞬間考えたが、それよりも確認すべきことがあった。

「先程も名を出した、裴泉については――」

「気にしなくて良いよ。『おび』はもらってあるからね」

と紫は身に纏う絹をつまんで見せる。

「そうか……わかった。では、三つ目……と言っても、可能なら、だが……」

「うんうん、何でも言ってよ!」

 玉英も笑顔を返し、しかし眉尻を下げて、遠慮えんりょがちに言った。

「遅くとも二年後、私達は強大な敵との決戦にいどむこととなる。そのさい力を借りられる、突出とっしゅつした戦士のてがあれば教えてくれないか? 竜津の『勇者』程でなくても良いのだが」

 袁泥ほどの者はそうそう居ないだろう。

「うーんと、報酬ほうしゅうは出せるのかな? あ、これは紫にとかじゃなくて、その、戦士達に、なんだけど」

 紫にしては歯切はぎれが悪かった。

「出せる、つもりでいる。周華の全土ぜんど寄越よこせ、と言われても困るが……」

 当面の糧食りょうしょく武具ぶぐ手配てはいもとより、こうげれば何処いずこかの地にほうずることも考えていた。――実際には、王となった兄玉牙ぎょくがに頼む、ということになるだろうが。

「そっか、それなら大丈夫。新天地しんてんちが欲しいって連中れんちゅうだからね。いのしし族と、仲良くやれそう?」

 猪突猛進ちょとつもうしんという言葉があるように、直情径行ちょくじょうけいこうそのもの……かと思いきや、実は警戒心けいかいしんが強く、優秀なしょう、あるいは護衛ごえいとなり得る種族である。

 森での狩猟採集しゅりょうさいしゅうを主として周華各地にも暮らしているが、十分じゅうぶん成熟せいじゅくした男性は伴侶はんりょを求めて単独で旅に出ると云うから、を欲するのは理解出来た。

「会ってみなければわからないが、そうしたいとは思う」

良かった」

 紫が満面の笑みを見せた……かと思えば、表情が微かにかげり、

「ただ、迎えに行って貰わないといけないんだけど……」

「どこへ?」

房葉ぼうよう。――東のて、に近いところだよ」



「用意なら任せておいて!」と言われていたため、翌日は八松内をいくらか見てまわった後、先の建物の階――北側にしか窓が無い――へ玉英と琥珀招かれ、紫と話して過ごした。

 更に翌日、先導せんどうを含めて十四そうの小舟で出立。半島やの間を抜けて東南東の伊津いづまで五日、三日で北東の浦津うらづ、半日でそのまた北東の房葉ぼうよう……天候てんこうに恵まれ、補給を含めておよそ十日半の旅になった。


 房葉へ上陸したのは、昼過ぎである。

 着岸ちゃくがん前から波音なみおとす程にさわがしかったため、先導が居るとは言え、見知らぬ来訪者らいほうしゃへの警戒か……と身構みがまえたが、そうではなかった。

 八松の者達を番に残し、浜辺から小さな坂を上がってみれば、強烈きょうれつ日射ひざしの中、ほぼ裸の男達が、互いの身体を激しくぶつけ合い、なぐり合い、り合っていたのだ。

 いくさでないことは、たたかう二名の周囲ではやてている者達の存在が示していた。――全ての男達が日に焼けた褐色かっしょくはださらしており、かくしているのはこしから下の一部だけである。

練武れんぶかや?」

 玉英の右、首を傾げる琥珀に、反対側――左の裴通が見上げつつ答える。

「『すま』です。あらそう、という意味で、力比ちからくらべ……つまり比武ひぶですね」

「ふむ、それでここまでやるのかや?」

 全力の立ち合い、と言った方が良いくらいには双方そうほうちからもっているようだが――

「鹿族もおこないますが、猪族のものは特に猛烈もうれつで、死者が出ることもあるそうです。大抵、女性を取り合う場合だとか」

「ならば当然じゃな。のぞつがいを得るために命をける、本懐ほんかいじゃろう」

 かえうなずく琥珀。――常に、そのつもりで玉英と共にるのだ。

「そう……ですね」

 幼い裴通はそこまで思い切れないのか、困ったように笑った。


 話している間に『すまひ』は決着し、両者がみなに肩や背をたたかれ、たたえられていた。――その音も随分と大きく、激しかった。

 勝者だけでなく敗者も称えるのは、生き残ったことに対してか、はたまた先の雰囲気ふんいきからして一種の祭りのようなものゆえなのか。

 思案する玉英に、から出て来た若者が声を掛けた。一部げた黒褐色こっかっしょくの短髪は、猪族特有のものだ。瞳も同色である。

「あんたら、どこのもんだ」

と、今回は、裴通がをすることとなった。っている。

「私は玉英。八松の紫に紹介されて来た」

 周華から、などと言っても通じるとは限らない。事実そうであるように、紫の名を出すのが無難ぶなんだった。

「紫? 紫っていやぁ……ムラサキだから……姫巫女様じゃねぇか!? 舐めてんのかてめぇぶっ殺すぞ!!」

 裴通が驚きつつも迫真はくしん演技えんぎで伝えようとしているが、剣幕けんまくだけならば若者自身からも読み取れる。

 どうやら紫は相当にしたわれているらしい。

「紫がそう呼べと言ったのだ、仕方あるまい。我等われらは紫の友となった」

と琥珀の肩を抱き、左手では他の者達に「待て」と合図を送っている。

「友ってこたぁ……ダチ……だと……いや……ですか」

 急にほこおさめる若者。くちは悪いが、案外あんがい素直すなおたちらしい。あるいは若さか。――玉英より一つ二つ下に見える。

「で……何の用で?」

 渋渋しぶしぶ、という顔。

「この地では力をるい切れない若者が居る、と聞いて来た。その力を、私に貸して貰いたいのだ。……そなたも、どうだ?」

 若者は背丈こそ子祐より二寸近く小さい――茗節めいせつと同程度だが、身体の厚さはいずれよりも数段上で、膂力りょりょくに優れているのは見て取れた。その上、玉英等に気付いて最初に声を掛けて来た度胸どきょうもある。

 ただ、出来れば一度試して――

「はっ、姫巫女様のダチだとしても関係ねぇ! 俺を従えようってんなら、俺を倒してみな!!」

おきたかった。わたりに舟、だ。……やや無鉄砲ではあるが、これも警戒心の現れ、と言えなくもない。一般に、より強き者に従わねば、ほろびるのだ。

「剣で良いか?」

 どうせなら、自ら確かめようと思った。

「あん? 剣……?」

 若者は玉英の腰に目を遣り、

「俺はそんな大層たいそうな剣持ってねぇし、そもそもあんたじゃ小さ過ぎんだろ。俺の相手すんなら……後ろの兄ちゃん、あんたでどうだ」

「……自分か?」

 玉英のすぐ後ろに居た、梁水りょうすいである。梁水の方が一寸(約一・八センチメートル)上回る程度で、体格はほぼ同等。『すまひ』であれば、良い相手になりそうだった。

「よろしいですか? 玉英様」

「ああ、頼む」

 玉英は振り向いて頷く。

「ハッ。……いだ方が良いか?」

「どっちでもいいけどよ、脱いだ方がつええと思うぞ?」

「わかった。いい奴だな、お前」

「んなこと言っても手加減しねぇぞ」

「当然だ」

 梁水は話しながら腰の剣といくつかの道具袋を置き、着物と靴を脱いで、犢鼻褌とくびこん(ふんどし。)だけの姿となった。

「向こうがいたみてぇだ。あっちでやろうぜ」

「ああ」

 若者に誘われて、先程まで『すまひ』の行われていたひらけた場所へ移る。――梁水の荷は文孝ぶんこうと成長いちじるしい猫族の季涼きりょうが手分けして持った。

 周囲に居た者達は若者と玉英等の様子を見守っていたが、どうやらそうだ、とまた騒ぎ出した。

「決まり事は?」

降参こうさんするか、死んだら負けだ」

「死ぬなよ」

「あんたこそな!」

と言うが早いか、若者が突進。

 梁水はこうから受け止めた。

 足はいくらかすべったが、体勢を崩しはしない。むしろ、若者の両肩をつかみ、押さえ込んでいる。

 敗勢はいぜいさとった若者がどうにか逆転しようと試みるが、ちから出処でどころたる肩を押さえられてしまってはどうしようもない。二十数える程はねばったが、次第しだいに体勢を崩し、降参した。

 若者は座り込んで深く息を吐き、問うた。

「あんた、強えな……俺は真庭まにわらい。あんたは?」

 梁水は手を伸ばし、若者――雷を助け起こす。

「梁水。……他の者達は、もっと強いぞ」

「嘘だろそりゃ」

「本当だ」

 一部は嘘、もとい言葉足らずで、一部は本当だった。

 玉英と出逢ってからの二年半、梁水とて可能な限り鍛錬し、また御伴おともとして玉英の近くで戦を経験して来たのだ。

 剣や槍、弓の腕となると他の熟練者達に及ぶべくもないが、こと単純な膂力と『受け』――止めるにせよ、流すにせよ――に限って言えば、ごく一部の例外以外には負けない水準にたっしていた。――水とのかされているのだ。

「梁水、あんたが従う相手なら、ええと……」

「玉英様だ」

「ぎょくえいさま? なら、俺は従う」

 気持ちの良いかただった。

「しかし、梁水なら兄貴にも勝てるかもしれねぇな。俺とそこまで変わらねぇし」

「誰が変わらねぇって?」

 他所者よそものでも『すまひ』に参加したら関係無いのか、周囲の者達がやはり称えに来る中、雷と良く似た若者が、雷の背を叩きつつくちはさんだ。

「兄貴!」

「お前が負けたからって俺も負けるってか? あん?」

「多分負けるって!」

「こんにゃろ~うりうり」

 さして背の変わらない雷の頭をまわす『兄貴』。

「やめろって!」

 じゃれ合いを眺めつつ玉牙のことを思い出し、玉英は笑みをこぼした。



 結局、雷の兄――じんも梁水との『すまひ』に挑み、最初の当たり方の段階で別の形を作ろうとしたものの大差無い負け方をして、

「負けちまったぜ!」

「だから言っただろ!」

じゃれ合いが続いたところへ、また別の男がやって来た。

「雷も迅も負けたんなら、俺の出番ってことになるな」

「「広常こうじょう殿」」

 迅と雷の兄弟が揃って声を上げた。

 としは文孝程度――二十五といったところか。外見の特徴は迅や雷とほぼ同じだが、一層いっそう身体が大きい。十一尺二寸(約二百一・六センチメートル)に近い上、分厚ぶあついのだ。

 広常は迅、雷へ左の口角だけを上げて見せたのち、梁水へ向き直り、

「どうだい?」

 受けて動かした梁水の視線に玉英が頷いて返し、

「ああ」

三戦目が決まった。


 広常殿と呼ばれるだけあって、広常は強かった。

 重心を低くたもち、大地のを活かそうとする梁水。

 そのを途切れさせようと大きな身体で意外な程に素速く動く広常。

 三十をえる攻防のすえ、互いに互いの腕を掴み合う形で膠着こうちゃくした。

 体格で優る広常にとって本来勝勢しょうぜいのはずだが、梁水は大地へ根を張ったように動かなかった。

 かと言って梁水から攻め切ることも出来ず、互いに決定機けっていきを得られぬまま百を数え――

め」

 玉英が声を掛けた。ここまで拮抗きっこうした状態から無理に動かそうとすれば、予期せぬ事故が起こりかねない。それは本意ほんいでは無かった。

 梁水と広常は視線を交錯こうさくさせたまま頷き、同時に離れる。

 示し合わせたかのように溜息ためいきき、

「本当に強いな、あんた」

「お前もな」

「広常」

「梁水だ」

 双方、既に名を聞いてはいたが改めて名乗り、微笑んで、抱擁ほうようを交わし称え合った。

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