第3話

 さて、これは仲直りしたと考えていいのでしょうかね。

 リッチは安置室で向き合う親子を黙って見守る。


 優斗は十時頃現れた。

 最初は気まずそうに対面していたが、やがて二人同時に頭を下げた。



「勝手に家を出て、ごめん!」

「お金で嫌な思いをさせて、ごめん!」



 英子と優斗は、互いに驚いた表情を向け、それからひとしきり笑った。

 緊張がほぐれたのだろう。そのうちに雑談が始まった。

 最近のニュースやよく行く飲食店、映画など、当たり障りのないやりとりが続く。


 リッチとしては背中がうずうずする内容だ。

 出棺までの時間は限られている。

 あの親子は互いの核心に触れることなく、別れを迎えるのか。

 ちゃんと話すと約束したのに行動に移さないとは、なんてじれったい親子関係なのだろう。


 しびれを切らし、リッチは喪主と故人の間に割り込む。



「コーヒーの差し入れです。英子さんから、優斗さんとよく行っていた喫茶店があると聞き、テイクアウトしてきました」

「あら、サービスが良いわね」

「私の顔を見て、ハロウィンにはまだ早いと怒りながらコーヒーを用意してくれました」

「マスターが元気そうで良かったわ」

「……そういうものか?」



 うーん、思い出のコーヒーを前にしても本音を語らないとは。致し方ない。



「それで、お二人はいつ、きちんと話をするのですか?」

 英子と優斗は不思議そうに顔を見合わせる。

「話してるわよね」

「だな」

「いやいや、そうではなくて。過去の行いの反省、思い出話や感謝の気持ち、そういうのがあるでしょう」



 リッチのサービスを受ける顧客の多くは、昔話に花を咲かせ、目に涙を浮かべながら別れを惜しむケースがほとんどだ。

 二人の会話は日常の延長で、特別感はない。


 英子は小首を傾げ、あっけらかんとして言う。



「そういう湿っぽいのを口にするのは、好きじゃないのよね。過去を振り返っても、過去をとり戻せるわけじゃないし。今を共有するほうが大切よ」

「俺も、母さんがいつも通り元気なら、それでいいよ」

「もう死んでるけどね!」



 英子はばしっと息子の背中を叩き、嬉しそうに優斗が笑う。

 楽しそうな親子を前に、リッチは少し離れた位置で正座をする。

 家族の在り方は三者三様。

 今までの家族がどうかではなく、目の前の親子の気持ちが大切だ。


 ……二人は十分良い時間を過ごしている。失敗しました。ちょっと口を出しすぎたかもしれませんね。



「そうだ、リッチさん、お湯をいただけませんか?」

「お湯ですか?」

「母の髪の毛を洗いたいんです。ごわごわなんで、出棺前に整えたいなと思って」

「ええ、嫌よ! 恥ずかしい!」

「いいだろ、最後なんだし」

「なによ、真面目な顔して。仕方ないわね、特別よ」



 リッチは魔法でお湯の塊を生成し、シャボン玉のようにぷかぷかと浮遊させる。

 英子は髪を湯に浸し、優斗は慣れた手付きでシャンプーを始める。



「頭の傷は触らないようにするからね」

「かわまわないわよ、あと三十分もすれば棺の中なんだし。ああ、いい気持ち」

「上手いだろ。俺、訪問入浴介護の仕事してるんだけどさ、いろんな人に褒められるんだぜ」

「仕事に問題はないってことね。なら、ちゃんと食べてる? 借金はない? 可愛い彼女はいるの?」

「フツーに生活できてるよ。彼女はいないけどさ」



 シャンプーをすすぎ、トリートメントをつけて洗い流す。

 優斗はリッチの魔法を遮り、ドライヤーで髪の毛を丁寧に乾かした。



「はい、出来上がり。俺だってやればできる。だから、心配しなくて大丈夫だよ」



 英子は姿見で自身を確認すると、嬉しそうに微笑んだ。



「分かったわ。元気で長生きしないと許さないからね! このバカ息子!」

「バカバカうるさい母親だな、まったく」



 英子と優斗は同じ表情で笑うと、力強くハイタッチをかわした。

 出棺の時間が迫っている。



「英子さん、そろそろ棺へお願いします」

「分かったわ。火葬後もよろしく頼むわね」

「なにか希望はありますか? 優斗さんの守護霊、あの世でのんびり、異世界転生、そのまま消失、いろいろ選べますが」

「あの世でのんびりするわ。トリプルワーク疲れちゃった。ちょっと休みたいもの」

「かしこまりました」



 英子が棺に体を横たえると、間もなく体は動かなくなった。本来の状態に戻ったのだ。

 優斗の目は赤く充血していたが、笑顔で霊柩車へ棺を見送った。



「リッチさんには大変お世話になりました」

「大したことはしていませんよ。声はかけましたが、最終的にはその人次第ですから」



 握手を求められ、リッチは無骨な手のひらを向ける。人間の手は厚くて温かい。



「優斗さん、人間は死んでからが本番ですよ」

「と、言いますと?」

「亡くなった後、遺された者がどう生きるか、ということですよ。人間は不思議なもので、葬儀から時間が経つにつれて死を実感する方が多いようです。辛くなりましたら、お悩み相談サービスがありますので気軽にどうぞ。まあ優斗さんは心配なさそうですが」

「最後までサービスの案内とか、リッチさんらしいですね。覚えておきます」



 優斗が車の助手席に座り、時計の針が午後二時を示した。

 リッチは力強い声で合図を送る。



「それでは、ご出棺です」

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リッチがいる葬儀屋さん @hosihitotubu

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