第5話

***


 幸せになれ。

 誰かにそう言われたような気がした。あれは、夢だったのだろうか? 

 目を覚ますと、私は神社の本殿の前で、横になっていた。


「あれ……私、どうしてこんなところに」


 前後の記憶がとても曖昧で、ふわふわしている。

 そうだ、私。元彼を振って、やけくそで京都の安井金比羅宮に来たんだっけ。だとしたらここが神社の境内? でもどうして神社で寝そべってたんだっけ……。

 分からないことだらけで、だんだん頭が痛くなってきた。時刻は午前零時二分。こんな時間にこんなところで、私は何をして——。

 スマホで時間を眺めていたとき、ピコン、というメッセージアプリの通知音が鳴った。


「なに?」


 こんな夜中に誰だろう、と思いながらアプリを開いてみると、名前に記載のない、アイコンも初期設定のままのアカウントから、何件も通知が届いていた。さすがに怖くて「ひっ」と小さく悲鳴を上げるも、なんだかんだで中身が気になってしまい、トーク画面を開いた。


「え——」


 そこに並んでいた動画を見て、私は絶句する。

 知らない男の子が、病院のベッドのようなところに座って、話している。そんな動画か何件もあり、喉がひゅっと鳴った。


「誰だろう……なんだか、懐かしい……」


 知らない人からの動画であるはずなのに、不思議と嫌な気にならない。私は動画を順番にタップして再生する。


『えーっと、こほん。初めて動画を撮っています。これで見えるかな? 月凪、久しぶり。二十歳の御崎陽向です。二年前にあれだけひどい振り方をしてのうのうと動画を送ってくるなんて、最低だって思うでしょ? でもさ、これでも人生の終わりに近づいてるから、ちょっとだけ喋らせてよ』


 御崎陽向と名乗るその男の子の柔らかいけれど逞しい声が、私の胸にすっと入り込む。あれ、なんだろう……どうしてこんなに、胸が苦しいの?


『月凪、ニ年前、君のことを突然振って本当にごめん。理由はこの通り、俺が病気になってしまったからだった。でも本当の理由は怖くて言えなかった。最低だよな。どうか許してほしい』


『俺は月凪のこと、今でも好きだ。なんて、今更何って怒るだろうね。月凪は今、誰を好きでいる? もう新しい恋人はできた? もしそうだとしても、君の幸せだけを願ってる』


『……嘘。本当はすっげー悔しい。月凪のこと、一番好きなのは俺なのにって。でも、これだけは覚えてて。俺は月凪に心から幸せになってほしいって想う。だからどうか前を向いて、生きろ』


 動画はそれで締めくられていた。

 陽向……陽向。


「陽向っ」


 分からない。彼が誰なのか、分からないのに、こんなにも苦しくて、切ない。胸が締め付けられて、息が苦しい。好きだ。心が叫んでいる。


「忘れない……きっとあなたのこと、忘れてないよ」


 夏の夜空を仰ぎながら、私は強く、強く想い続ける。

誰かを忘れなくないという気持ちが天に昇って、たった一人の大切な人のところに届くように。目を閉じて、瞼の裏に浮かぶ星たちを心に思い描く。


——知ってたか? ここは縁結びの神社でもあるんだぞ。


 不意に聞こえた声も、目を閉じた私の胸に落ちて、消えた。

 私はきっと、死ぬまで一生この夜の奇跡を忘れないだろう。

 大切な人を想う気持ちが、いつまでも消えない限り。




【終わり】

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忘れたいひと 葉方萌生 @moeri_185515

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