文を綴ろう!

@odobake

皆様方〜ッ!こんばんは

フレンドがなんか書いているので登録してしまった!こんばんは!御兄さんです!

カクヨム云うのはねえ、あの、文字数制限のない病みツイを出来うる場所と聞いたので、そうしていこうかなと思うのですけれども。ええ。


突然で御座いますが皆様、皆様方はどのくらい自己を隠匿しておりますか?御兄さんはこう見えて、一寸たりとも口にできぬ悍ましい過去から、私の心底に渦巻く末恐ろしき悪意から、何から何迄全てを隠しているのですけれども。

と言っても、まあ、人間というのは皆そんなもので、またそれで満点なのかもしれないというのはそうですが…私が苦しむのは其処ではありません。自己を隠していると思っているが故の傲慢さ…?のようなもので、自分が疑問で、仕様が無くなるのです。

他人から評される自分を、何処か否定も肯定も出来ず、然し自分に取り込まれてしまう、身につけてしまう、学習してしまう…それがとても恐ろしくて、そして恨めしくて…。

「深層心理」、と言う言葉を、私は強く敵視しています。敵視です。無視ではありません。自己理解…と言うと何か仰々しいのですが、その際、「本当の私」はどう思っているのだろうとか、そういった、謂わば邪念に惑わされるのは、全て先の四文字の所為です。そんな考えても結論の出ぬものに惑わされては、君もまだまだというのは確かにそうですが、私はこの概念さえ知らず生きられれば、もっと自分を信じて居られました。いや、そもそもこれを私の中に生み出したのは私で…うーむ…

私がこんなになってしまったのは、こんなになれてしまったのは、幼少の、本当に様々な意味で「幼い」私に責任があります。私は出来た子供ではなかったので、幼い頃はそれはもう愚かな過ちを幾度となく繰り返していたのですが…内容は伏せましょう。

その、愚かな過ちの中で、私は、成長や学習が出来ませんでした。それらをしなかった、とも言い換えられると思いますが、兎に角、日々変わらず過ちを繰り返す悪童でありました。

ですから、ほぼ毎日誰かの怒号を聞き、日々を過ごしていました。それは譬えば母親であったり、父親であったり、担任の先生であったりと、実に様々な人間の罵声を聞きました。

そんな毎日を過ごす中で、悪童の私は数多の嘘を付きました。然し、子供の嘘等と言うものは、紙一枚、アルミ箔一枚、それよりも数十倍も薄いもので、恐らく人間の科学力では辿り着けぬ、軽薄の極地に位置するものであって。私の二倍三倍四倍と生きてきた大人達には、目を閉じてでも見透かされる、生温いものでありました。

ですから私はその頃から、軽い自己暗示を自分にかけ始めたのです。言いたくないことは無かったことに、自分の非行は全て忘れ、さすれば、大人も大きく叱ることはないであろうと。

正直、その効果は殆どありませんでしたが、私はそれを何年も続け、「正直に謝るように、誠実に生きる方が何倍もマシである」という事実に気がつく迄、それは終わりませんでした。というか、それに気がついても、もう戻れないところまで来ていたのです。

ですが、そこから他人に苦悶することは減りました。その代わり、自分に強く懊悩することになりました。いくら模範らしくなったとて、それは表面上の話です。内心、私は、愚行がしたくて堪りませんでした。

ですが、こうなってしまった私に、愚行をするという選択肢は中々取り難いものです。というか、愚行をしようとしても、誠実さと名乗るそれが、何時も邪魔をして、私の本心を掻き乱して来るのです。

私は私が分からなくなりました。自分の欲に靄を掛けるようになりました。それらを知ってからと言うもの、終ぞ私は壊れてしまうのではという不安に、杞憂に、惴惴としながら生きる羽目になりました。

人間は様々な動物を家畜化しましたが、その中で、自ら、つまり人類其自身迄もを家畜化したと聞きます。何時か何処かで聞いたネットロアめいた迷信ですが、児童期を脱して暫く経つというのに、私はまだその迷信を捨てきれていません。

怠惰。怠惰です。欲に溺れるのは容易いですが、欲に自ら乗るというのは、とても難しいことのようだと、今も思います。




えーでは!皆様方は良き強欲ライフを。

御兄さんでした。ばいばーい

あ、全部フィクションですよ(嗤)

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