第44話 すべて壊れても残るもの

 ワンダーウォーカーを出たリナは早足で歩いた。


(なんなのよあのオカマ。私と同程度の人間はいくらでもいる、美貌を失うと価値が無いですって? 目が腐ってんじゃないのあいつ。私は美人で、たくさんの人に愛されているんだから。エステにもたくさん行って、このさき何年だって美しさをキープして、雑誌のトップを飾れるんだから!)


 スマホを取り出して、今朝SNSに投稿した、最新ネイルの写真への反応を確認する。

 ハートの数は三百。


(前回は投稿して一時間で五百もらえたのに。なによ。ダメダメじゃないあの店。人気サロンだっていうから予約して行ったのに。私のときだけ手抜きしたんじゃないの)


 スマホを握る手に力がこもり、本体がミシリと軋む。

 フォロワーが一万人いるはずなのに、リナのネイルがいいと思った人間はそのうちたった三百人だけ。

 美貌をなくせばなんの価値も無い、店主の言葉がまた頭の中にこだます。


(みんなもっと私を見なさいよ、私は愛されているの、綺麗なの。アリスより、あんな愚図な妹より価値があるの。お父さんとお母さんもいつも言っているもの)


 歩行者信号が青になり、リナは駅へと歩き出す。


(今日は私が出ている雑誌の新刊が出る。駅ナカの本屋に並んでいるところをSNSにアップしてーー)


 スマホに注視していたため、近づく轟音に気づくのが遅れた。


 信号無視のスポーツカーが、横断歩道にいた幾人もの人間を跳ね飛ばした。


 リナが持っていたスマホも衝撃で吹き飛ばされ、意識が途切れた。





 リナが目覚めたのは、ストレッチャーというものの上だった。

 足に力が入らない。顔が痛くて、まぶたを開けるのすらおっくうなほど。


(ここは、病院?)


 まわりにいる救急隊の男性に声をかけられたけれど、うまく聞き取れない。三回目でようやく音として理解できた。


「ーーご自分の名前と年齢言えますか」

「リナ、有沢、リナ。二十四歳」

「有沢さん。血液型は。出血がひどいので輸血が必要かもしれません」

「AB……」


 答えながら、リナは思った。

 リナの父がA型、母がB型。アリスはA型。輸血が必要になっても血を分けてもらえない。

 献血する人がたまたま少なくて血液が足りなくなったら、自分はどうなるんだろう。


 明日は撮影があるのに、入院なんてことになったら仕事に穴を開けてしまう。

 これまで一度だって仕事を休んだことが無いのに。リナがいなかったら、誰かがその仕事をとってしまう。


 手術、縫合、そういう話をしているのが聞こえてまた意識がとおくなった。



 次に目を覚ますと、ベッドの上だった。


「お姉ちゃん!」


 仕事の途中で抜けてきたのか、アオザイを着たアリスがベッドに飛びついてきた。

 あの店主が看板娘だと言ったとおり。アリスにはあの店の服が映えている。


「なんで、あんたが」

「病院から電話があったから。お姉ちゃんのスマホ粉々で使い物にならなくなっててさ、手帳にうちの店の番号、メモしてたんでしょ。お父さんとお母さんにはさっきあたしが連絡しといた。もうすぐ来るよ」


“妹を気遣う優しい姉”を演じるために書いておいたに過ぎない電話番号だ。実家の電話番号なんてわかりきっているから書かなかった。

 だから真っ先にアリスが駆けつける結果になった。


「……明日、仕事。ファッションショーに穴を開けるわけにはいかないわ」

「物理的に無理だと思う。左足の複雑骨折、それから左腕も裂傷がひどかったって。先生が最低でも一ヶ月は入院しないといけないって言っていた」


 モデルとしてさらに名を上げるチャンスなのに、どうして一ヶ月も入院しないといけないのか理解できない。

「鏡はないの? 前髪がかかってうっとうしいの。ピンで留めたいわ」


 アリスはポケットからスマホを取り出すと、インカメラモードにしてリナに向けた。


 顔を覆い隠すように包帯が巻かれていて、包帯の隙間から赤黒くなった肌が見えた。


「これ、誰」

「お姉ちゃんだよ」

「そんなはずない、こんな、こんなの、私じゃない! 私はこんな醜くない!」


 奪い取って投げたスマホが、音を立てて床を滑った。

 アリスがゆっくりとスマホを拾い上げて、画面を確認してポケットにしまう。


「現実を受け止めたくないならそれでもいいけど、初田先生にお礼を言いなよ。輸血用の血液在庫が足りなかったんだ。お姉ちゃんと同じ血液型の人、あたし初田先生しか知らなくて。お願いしたら来てくれたんだ」

「初田って、あの、不細工嫌み男? なんで、あんな男の血なんか入れないでよ!」


 リナが叫ぶと、アリスの後ろからひょっこりと背の高い男が現れた。

 布マスクで口元を隠しているから顔全体は把握できないが、目元はとても整った造形をしている。


「いらないなら返してください。わたしが提供した分の血が失われると死ぬと思いますけど」

「は? 誰よあなた」

 

 見ず知らずの男が、おっとりとした口調でとんでもない発言をした。


「わたしの顔を見たことがあると豪語したくせに、誰とは失礼ですね。わたしは初田初斗。あなたが不細工で嫌みだといった男ですよ」


 ものすごく嫌いな人間に生かされたことを知り、リナは歯を食いしばった。


 怒りにまかせて暴れたい、けれど足はまともに動かせないし、右腕も包帯でぐるぐる巻きになっている。


 モデルの仕事は、どうなる。

 傷痕が残ってしまったらクビ?

 リナよりも後から事務所に入った娘たちに仕事を奪われてしまう。

 それになにより。


(綺麗じゃなくなったら、お母さんはきっと私を捨てる)


 涙がいくすじも流れ、包帯にしみこんでいく。


「……それじゃ、あたしはもう行くよ。あたしにお見舞いされるのなんて、お姉ちゃんの望むところじゃないだろうし」

「なによそれ! 私がいないとなにもできない役立たずなのに、上から目線で物を言わないで!」


 リナ以下だったアリスなんかに気遣われないといけない現状が無性に腹立たしい。


「アリスさんはひとりで歩けますよ。あなたも、この機会に家を出て、自分ひとりで歩いてみてください。あゆむが、「いまのあんたは美貌をなくしたら価値が無くなる」なんて揶揄したそうですけれど、あなた自身がそれ以外を磨こうとしなかっただけで、本当はいくつでも誇れる物を持っているかもしれないでしょう」


 軽く会釈をして、アリスと初田は帰ってしまった。


(薄情者、最低、最悪。なんで帰るのよ。大嫌いよアリスなんて。利用価値の無いアリスなんて、もういらない。どこでだって勝手に生きればいいのよ)


 看護師や医師がかわるがわる入ってきて、二時間ほどで両親もかけつけた。


 美しくなくなったら両親に見放される、リナはずっとそう考えてきたけれど、両親は傷を負ったリナをいたわり、泣いてくれた。


 それだけで、リナは救われた気がした。

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2024年12月29日 19:00
2024年12月30日 19:00
2024年12月31日 19:00

初田ハートクリニックの法度 ちはやれいめい @reimei_chihaya

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