第一章 伯爵令嬢は婚約します③

 もう少し街で時間をつぶしてからしきもどりたかったが、そうせずに真っぐ帰ったのはフラインと顔を合わせるのを恐れたためだ。

 だというのに──屋敷に戻ったエリネは我が目を疑った。

「ああ。おかえり」

 屋敷に、なぜかフラインがいた。どういうわけか両親とライカに交ざってだんしようしている。

(頭が痛い……どうなっているの……)

 げ切ったとあんしていただけに、どっとつかれが押し寄せてくる。額を押さえてうつむくのはエリネだけで、ライカは笑みをかべている。

「お姉様、おかえりなさい。戻るのを待っていたのよ。フライン様のお話がとてもおもしろいの。お姉様にこんな知り合いの方がいたなんて知らなかったわ」

 知り合いといえばそうだが、街で少し話しただけだ。

 フラインは恐ろしいほどにんでいる。エリネが戻るまでの間に、しっかりと両親やライカの心を掴んだようだ。

「では、僕はエリネと話してくるよ。このまま話していると楽しすぎて、本来の目的を忘れてしまいそうだ」

「あらあら。もっとゆっくりしてくださってもよいのに」

 名残なごりしそうな顔をしながらもフラインは立ち上がり、こちらに近づいてくる。エリネに逃げる場はなく、仕方なくフラインを自室に招くことにした。

「……どうして、ここがわかったの?」

 自室に入り、使用人が茶とを運んできて去った後、エリネはおずおずと聞いた。

 フラインはというと、茶を飲んでゆうぜんとした態度である。彼は「うん?」とのんな声をあげてから答えた。

しとやかに話さないの? 街であった時と口調がちがうけど」

「あなたがしんすぎるからやめた。それで、どうしてここに?」

 令嬢としてる舞いたいところだが、フライン相手だとうそかれてしまいそうでこわくなる。ならばもう、だん通りに話した方が良いだろう。

「君が僕の名前を知っていたのに、僕は君の名前を知らない。これは不公平じゃないか。だからここに来たんだよ。僕、そういうの調べやすい立場にいるから。君も知っているでしょ、ミリタニアじゆつ士団」

 フラインは満面のみを浮かべて、自らのローブについたわしもんしようを指で示す。それはミリタニアが認める魔術士のあかし

 このころから、ミリタニア王はずいぶんとフラインを可愛かわいがっていた。幼少から魔術の才能を発揮したフラインに期待し、魔術士とうに彼専用の研究室を作ったほどである。

(早駆けの魔術で王宮に戻り、私のことを調べたんだろう)

 興味を持ったものにはみような行動力を発揮するのがフラインだと忘れていた。彼ならば、この短時間でエリネを特定したのもうなずける。

かつだった。あの時に、フラインの名前を呼ばなければ、こんなことには)

 こうかいしてもおそい。フラインは楽しげな様子である。まだ帰る気はないだろう。人をからかって遊ぶ時の顔をしている。

「君の妹から聞いたけれど、騎士になりたかったんだって? やっぱり僕の言った通りじゃないか。君は騎士に向いているよ。それで入団試験を受けたの?」

「私は騎士にならない。だから試験を受けるつもりはないよ」

「ふうん。ねえ、それってえんだんが理由?」

 軽い口調で、流れるように問いかけてくる。言い当てられた気まずさに顔をしかめていると、フラインが得意げに続けた。

「君の妹に教えてもらったんだよ。ええと、ゼボルこうしやくとの縁談だっけ」

 いったい、ライカはどこまでを話したのか。フラインの厄介さに気づかず、呑気にあれこれと語ってしまったのかもしれない。

 こうなればかくしておくのは難しい。この男に嘘をついたところで、どうせ見抜かれる。そう考えた結果、エリネは正直に告げた。

「縁談を受けるつもり。だからにならないと決めた」

「……縁談、ね」

 聞こえてきたのは、何やら考えこんでいるフラインの声だ。見れば顎に手を添え、俯き気味である。反応が気になりじっと見つめていると、ウィスタリア色のひとみだけがじろりとこちらを向いた。

「人を助けに飛び出そうとしていた君が縁談? 相手が可哀かわいそうだ」

「あれは違う。フラインの見間違いだから」

「でも、指をぽきぽき鳴らして手首をぐるぐると回して、今にも飛びこもうと準備をしているようだった」

「くっ……て、手首と指の運動をしただけ!」

 そこまで観察されていたとは予想外だ。無理やりでもごまかし続けるしかない。

「私は令嬢として生きる。だから、この縁談は私が受ける」

「騎士ではなく令嬢として生きたいのなら、縁談を受ける必要はないよ。別に君がけつこんしなくともほかの者が結婚するかもしれない」

「私が受ける!」

 ただの話し合いのつもりが、だんだんと口調があらくなっていく。見ればフラインも、ゆうがなくなってきたのか表情から笑みが消えている。

(この縁談は私が受けなければ大変なことになる。だけど、どう話せばフラインに理解してもらえるだろう。過去に戻る前のフラインなら相談できたけれど……目の前にいるフラインは、あのころと違う。知り合ったばかりで、底が知れない)

 未来を知っているがゆえに、エリネはこのせんたくを曲げられない。そしてこの選択に至った理由を明かせない。説明をするのが難しいと歯がみする。

「どうして君が結婚をするの?」

 フラインはなかなか折れず、質問をり返すばかりだ。エリネとしては彼がなつとくする返答を探すのにいそがしく、しかし思いつくものを述べてもフラインは引く気がない。

 ついにエリネのいらちも頂点に達した。

「幸せになりたいから、結婚する!」

 強い口調でエリネは言い放った。

 それがどのようなえいきようあたえたのかは、とつじよとしてちんもくに包まれた空気が物語っていた。フラインはぽかんと口を開けぼうぜんとしている。

(う、嘘ではない。縁談を受けることで家族を守って、私も家族も幸せになるんだから)

 とはいえ、これまで息巻いていたフラインの態度が急変したことで、気まずさが生じていた。よくない発言をしたような心地ここちになる。

「……君が? 幸せ?」

 ようやくフラインが動きだしたと思えば、手で口元をおおい、こちらから顔をそむけて何やらぶつぶつとつぶやいていた。声量がしぼられていたため、すべては聞き取れない。

(嘘は……言っていない……)

 ていせいすべきだろうか。迷っているうちに、フラインがこちらに向き直った。

「なるほど。よくわかった。君は面白いね」

 打って変わって、今度は満面の笑みである。

 そういえば、彼がこのように笑みを浮かべる時、エリネの身に降りかかるのはめんどう事だった──それを思い出すと同時に、フラインが告げる。

「じゃあ僕は、君の結婚を見守ろう」

「は?」

 見守る、とは。予想外の提案である。気のけた声がエリネのくちびるからこぼれた。

「君は面白いからね。もう少し観察しようかなって」

「あ……いえ、それは結構です」

「断るなんて悲しいよ。僕は口が軽いからね、騎士団に入ればだいかつやくしちゃいそうなしんたい能力の高さやせんとうかんのよさについてしやべってしまうかもしれない」

 フラインの笑顔が隠す意図に、エリネも気づいた。さあっと顔が青ざめていく。

「人助けに飛びだそうとしたり、騎士にあこがれたり、けんじゆつけいしゆだったりなんて、ゼボル侯爵家は知っているのかな。とうぶつそうれいじようと知ったら、縁談相手を切りえるかもしれない。例えば君の妹との縁談になるかもね」

 これはおどしだ。近くで観察させてくれなければ、エリネが騎士団向きの身体能力を持っていると周囲に明かすつもりでいるのだ。

「そ、それは困る!」

「じゃあ僕が口外しないためにはどうしたらいいかな?」

「うぐぐ……」

 ゼボル家はエリネをごくつうの令嬢だと思っているに違いないのだ。それが、騎士を目指し、日々訓練に明け暮れる武闘派令嬢と知れば、この縁談はどうなるかわからない。フラインが口外しないよう、要求をむしかない。

(……フラインめ!)

 弱みをにぎられている。くやしさににらんでみるも、彼の余裕はくずれそうになかった。

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死に戻り騎士団長は伯爵令嬢になりたい 松藤かるり/角川ビーンズ文庫 @beans

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