第一章 伯爵令嬢は婚約します②

 翌日。エリネの姿は街にあった。

 というのもライカが原因である。姉の夢を応援したいとやつになっているのか、顔を合わせれば『お姉様、騎士になりましょう』『今日は団員募集日ですよ』とさわがしい。それならば、街にけて入団試験を受けたふりをし、『不合格だった』とうそをつくのが良いと考えたのだ。

(試験を受けるつもりはないけど、様子ぐらいは見に行こう)

 のぞく程度なら問題ないと考えて広場に向かう。

 国内で最も栄え、多くの品々が行きうと言われている城下町だが、今日は特に人が多く集まっている。というのも一年に一度の、ミリタニア騎士団員の募集日だからだ。

 ミリタニア騎士団に入れる者は剣の腕で決まり、選考に身分はえいきようしない。入団試験日にはいくつかの戦を行い、ゆうしゆうな成績を収めた者たちが選ばれる。そのため、この時期になると各地から騎士を目指してやってきた者が集まる。街はにぎわっていた。

 エリネは広場に近づく。広場中央は模擬戦場が用意され、左右のテントには受付を済ませた入団希望者らがめている。受付にもずらりと人が並んでいる。名前やねんれいなどを告げた後、くじを引いて模擬戦相手を決めるのだ。

 城下町の人々も、年に一度の入団試験をこうれい行事として楽しんでいる。模擬戦場をながめながら、やいやいと騒いでいた。

 その光景はなつかしい感情を呼び起こす。自然と、エリネの表情もゆるんでいた。

(私の時は異例だったと、言われていたね)

 エリネが騎士を目指すきっかけとなったのは、妹のライカだった。

 ライカは内向的なために意見を言うのが苦手である。そのため同年代の子どもからからかわれていた。どろをかけられ、意地悪を言われ、そのたびにライカは泣いていた。

 可愛かわいい妹が泣いている姿をだまって見ているなどできるわけがない。ライカがいじめられるたび、エリネは駆け出していった。

 ライカをからかいげる者がいれば、エリネは走って追いかける。追いつけないことがあれば、そのくやしさをもとに追いつける体力が得られるまで走りこみをした。

 棒でライカを叩く者がいれば、同じく棒を手に取ってライカを守る。うまく戦えないと思えば、父にたのんで庭に木人形を用意してもらってけいはげんだ。対人戦が足りないと感じれば、元だった叔父おじに稽古をつけてもらった。

 相手の子らもをつけてくると、大人数でエリネを囲んだり、木に登って逃げたりといった手段に出たが、エリネはそのたびに彼らに勝つ方法を考えた。大人数でもひるまぬ強さや、高低差をこくふくするための策を編みだし、いじめっ子を追い返していた。

 気づけば、体力もけんけんじゆつも敵なしのパワータイプに仕上がっていた。訓練はいつの間にかしゆとなり、時間があればひたすら体力作りや剣術稽古に打ち込む。そのうちにライカを守るだけでなく、国を守りたいと騎士になる夢をいだくようになった。

(そんな私が、初めて人前で戦ったのは、団員募集日だった)

 試験日、エリネが広場に立つと周囲がざわめいたのを覚えている。それまでミリタニアに女性騎士はなく、入団試験を受ける女性もいなかった。そんな中でエリネがエントリーしたのだから、みなおどろくのも当然である。

 多くの人に見守られながら剣をにぎる。これまでは家で稽古をするばかりだったので、きんちようはもちろんのこと、自分の力がどこまで通用するのか不安もあった。エリネにこうの視線が集い、『手加減してやれよ』『おじようちゃんは帰りな』といった野次が聞こえてくる。

 だが、模擬戦が始まり、エリネが動くと空気は一変した。

 いちげきで相手をたおしたのだ。目に見えぬ速さだったと語られている。

 その後に続く試合でもエリネは勝利し続け、ついには全勝の成績で入団資格を得ている。

(でも、今回は入団しない)

 模擬戦が始まったのか、広場からかんせいがあがった。模擬戦用の木刀を持った男たちが戦っているのを見届けた後、エリネは歩きだした。

 ライカには、試験を受けたがだったと報告するつもりでいる。となれば、もう少し時間をつぶさなければならない。エリネは街の散策を続ける。

 騎士団員となってから、街の見回りは多々あった。見回りは良いもので、書面の報告には書き切れない細かな情報も伝わってくる。文字に残せないような細かな問題や実際の空気感を、直接確かめられるのだ。

 そのころと同じように、街を歩きながら細部までするどく観察する。はたには、良いし物を着ていることかられいじようとして見られるだろう。しかし眼光は鋭い。

 広場からはなれ、宿や酒場といった店が建ち並ぶ裏通りに入る。さすがにこの格好では酒場に入れない。遠目に覗いていると、灰色のローブを着た者が数名、店の中で騒いでいた。

てん。そっか、過去にもどっているから天魔座もあるのか)

 灰色のローブには、黒の二重星と三日月のマークが入っている。それを着るのは天魔座の魔術士だ。

 けん派と魔派のばつ争いは激しく、中でも剣派に対して過度な敵対意識を持っているのが天魔座だった。剣はだいおくれであると語り、魔術こそが国を救うを信条にかかげている。ミリタニア王が剣派であることから、現国王をはいするべきと天魔座は主張していた。

 騎士団は剣派のため、騎士の多くは天魔座をふくむ魔派を快く思っていない。しかし、エリネは皆のように魔派をきらっていなかった。今も、その考えは変わらない。

(あの頃は、フラインがいたから)

 魔派にけんかんを抱かずにいたのは、フライン・レイドルスターのおかげだ。

(私が十八歳になったのだから、フラインも十八歳。今頃はどうしているんだろう)

 フラインは幼い頃に魔術の才能をいだされ、たいの天才魔術士として王宮にむかえられていた。規定の年齢に満たずとも特例として魔術士団に入っている。

 二人が出会ったのは、エリネが騎士団に入団した後であるから、今頃は王宮で魔術研究に励んでいるのかもしれない。

(私が騎士団に入らないのだから、会うことはきっと──)

 ないのだろう。そう考えしようした時である。

 路地より、がたがたと物音が聞こえた。けんそうまぎれていたがその音にかんがあった。

 騎士団長として『騎士たる者、五感すべてをませよ』と部下に説いてきた身である。この違和感を確かめなければならない。エリネは険しい顔つきで、路地に近づく。

 かべに張り付き、気づかれぬようにそっと路地を覗きこんだ。

(天魔座の者が、若いむすめうでを引っ張っている。連れ去ろうとしている?)

 見えたのはローブを着た者たちが若い娘を連れて行く場面だった。先ほど聞いた物音は、ていこうした娘が助けを求めるかのように木箱をたたいたのだ。しかし、今は腕を押さえつけられ、別の者に口もふさがれている。

(天魔座のひとさらいがこのころからあったとは。とにかくあの子を助けよう!)

 あの娘を助けなければ。帯刀していないのがしまれるが、天魔座の者は三名である。剣はなくても助けられる。それどころかあつとうする自信さえあった。

 エリネは手首をぐるぐると回して準備を整える。いざ路地に飛びこもうとし──。

「君。一人では無理だよ?」

 いざとつげき、といった寸前に、後ろから声がかかった。

 みのある声だ。り返ったエリネは、驚きのあまり目を大きく見開いていた。

 そこにいたのは、先ほどまで思いかべていたものの、ここで会うとは思ってもいなかった人物だ。

 白銀やサファイアブルーのかざりがついた白のローブ。何よりも目立つのはもんしようだ。サファイアブルー地に刻まれた白銀のわし。この紋章を身につけるのは王が認めた魔術士のみ。

「フライン……?」

 日向ひなたに立つ彼は、けるようなぎんぱつをし、それは光を浴びてきらきらとかがやく。おくにある姿より若く、しかし整った顔立ちは健在だ。じゆつのうの高さを示すウィスタリア色のひとみが、しっかりとこちらをえていた。

 彼こそ、前の人生にてエリネと共に国を背負った男。フライン・レイドルスターである。今は王宮にいるはずの彼が、どうして街にいるのか。

 しかし、フラインは首をかしげていた。いつもみを絶やさない男であるが、今日も笑みを絶やさず、しかしあやしげに首を傾げてぶつぶつつぶやいている。

「どうして僕の名前を? 君と会うのは初めてだけど」

 その反応を見たしゆんかん、エリネは自らの失敗に気づいた。

(そうだった。まだフラインと知り合っていない。名前を知っているなんて怪しまれる)

 エリネは平静をよそおいつつも、心の中ではおおあわてであった。何とかして、この場を取りつくろわなくては。しかし良い案は出てこない。

 じっと黙っているうちにフラインが顔をあげた。そして路地の向こうを見やる。

「まあいいか……それで、君はあの場に飛びこもうとしていたよね?」

「私が──」

 返事をしかけて、言葉を飲みこむ。『飛びこんであの娘を助けるつもりだった』と話す予定だったが、このしやべり方ではまるで騎士のようだ。今のエリネははくしやくれいじようである。

(伯爵令嬢として生きるのだから、相応に振るわないと!)

 すっと短く息を吸いこみ、これまでに見てきた令嬢の振る舞いを思い出す。ライカや王宮で観察してきた娘たちのようになるのだ。自分には似合わないとあきれつつも、この道を行くと決めたのだから、やるしかない。

「路地の方が良くないふんだったので、助けを呼びにいこうと思っていました」

「助けを? 助けを求めるのに、路地に飛びこみそうになっていたけど」

 フラインはいぶかしんでいるが、今さら引き返せない。エリネはしんけんうなずく。

 正直なところ、この程度の人数であれば圧倒できる。何せこちらは、女でありながらも団員たちを打ちのめし、負け知らずの元騎士団長だ。『パワー騎士』『脳筋騎士』と何度言われたか。十八歳に戻ったため筋力の変動はあるが、体が動かしやすい。せんとうの知識やかんもある。この程度の数なら素手でも容易に倒せるだろう。

 しかし、いつぱん的な令嬢はそんなことをしない。今はフラインがいるため、令嬢らしく振る舞わなければならない。となれば、助けを呼びにいくのが得策だ。

 酒場近くへ視線を動かすと、ぐうぜんにも見知った顔がいた。

(ジェフリーだ。あいつにならたくせる!)

 そこにいたのはかつて副騎士団長であったジェフリーだ。彼はエリネと同じ時期に入団している。入団試験希望者に支給される胸当てと木刀を持っているが、広場から離れてここにいる様子から初戦を終えてきゆうけいしにきたのだろう。

 エリネは躊躇ためらいなく、ジェフリーのもとに寄っていく。

「そこの方、お待ちください!」

 エリネが声をかけるとジェフリーは足を止めた。

を目指す方とお見受けします。どうか、助けていただけないでしょうか。若い方が、怪しげな方々に連れて行かれるのを見たのです」

 そう告げて路地を指で示す。

 すでに娘は路地の向こうに連れて行かれようとしていた。

「っ──ご報告、感謝します!」

 返答もそこそこにけ出すジェフリーの姿を見て、エリネはこの判断がちがっていないと確信した。ジェフリーは正義感に厚く、騎士団に入る前の現在でもじゆうぶんな実力がある。彼に任せれば路地での出来事も解決するだろう。エリネはほっと息をつく。

「……ふうん」

 聞こえてきたのは意味深なフラインの声だった。彼の視線は路地に消えていったジェフリーではなく、エリネに向けられている。

(まだフラインが残っていた……)

 このフラインという男はやつかいである。美しい容姿をしているが、その腹は真っ黒だとエリネはよく知っている。微笑ほほえみを絶やさずにいるが、その瞳はこちらの心をかすようにするどく、その口から出るのは意味深なものや人を揶揄からかうものばかり。人を食った言動ばかりするので、彼の対応にりよすることがあった。しんらいはしているのだが、本心がつかみにくい。

 そのフラインがこちらに近寄ってくる。あごに手をえながら、エリネから視線はがさない。こちらを観察しているのだ。

「さっきは飛びこんでいきそうだったのに、あんな風に助けを求めるなんて」

「きっと見間違い……ですわ」

 ほほ、と苦し紛れに笑ってみせる。しかしフラインにはひびかぬようで彼はきよめるなり、じいとエリネをのぞきこんだ。

だれよりも早く危機を察する力は簡単に得られるものじゃない。さっきの彼もいい動きをしていたけれど、案外君も騎士に向いているかもね?」

じようだんはおやめください」

「うーん。ここにいるのが惜しまれる。今すぐ広場に行って入団試験を受けてきたら? 君ならかつやくできそう」

 軽口なのか、それとも本気なのか。フラインという男は顔から感情がわかりにくい。しかし本気で言っているのなら、フラインには先見の明があると言えよう。

(実際、騎士になっていたからな……活躍もしていたし)

 ただのれいじようにしか見えないだろうエリネからそれをぎ取るとは、おそろしい観察眼だ。しかしたたえるよりも、今はこの場をだつしなければ。

「急いでいるので、失礼いたします」

 下手に反論すればぼろが出る。ならば最善の策はとうそうだ。この厄介な男からはなれるのが一番である。エリネはフラインに背を向け、足早に去っていった。

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