第13話 アロワナなワタシ

カノジョと一緒に住むようになって、色んなコトがあった。その一つ一つは鮮明に覚えている。

 ただ、いつも不思議なのがカレとカノジョの存在が時折どこか遠くに消えていく感覚があるコトだった。

 気がつくとワタシは気絶していて、気がつくとダレもいなくなっていたりして、この前会社の後輩に聞いた話によると、ワタシは時折意識が飛び、気絶し、その前後のコトは一切記憶にないらしかった。

 ワタシの記憶は途絶え、途絶えて、気がつけば、毛布にくるまり、気がつけば、救急車で運ばれ、気がつけば、カレがいて、気がつけば、ダレもいなくなっていて、そんなふうにしてワタシの日常は常に不安定だった。

 カレとキスしたあの日もそうだった。カレの感覚だけが強く纏い、その感覚だけで満たされていた。

 ワタシは会社でもちっとも食事をしないらしく、その細くしなやかなカラダつきから想像するには大きな闇を抱えていると。会社も2ヶ月に一回はちょっとした休暇をもらっていたらしかった。

「休暇?2ヶ月に1回?」

信じられない。バリバリ働いていたはずなのに。

「おかしい。」

どこかズレている。ワタシの記憶と会社の人たち、周り人たちとの話に大きな食い違いがあった。

 会社には一度、半年ほどの休暇願いを出していて、その後他の部署に行くという話が出たコトもあったらしいが、その時のワタシはわめき、もがき、苦しみ、ただただこのまま今の部署で勤務したい旨を必死に、カラダじゅうで訴えて、なんとか話はおさまったとか。

 腑に落ちない数々の話たち。カノジョの存在?カレの存在?ワタシ思考は、混乱していた。    

時々、どこかにワープするような感覚があるが、それが何か関係しているのかもしれない。カノジョもカレもダレもいなくて、そこには、ワタシ独りだけがいた。本当はいつも1人きりだったのかもしれないと、時々そんな感覚が襲ってきた。

 「ああっ。」

まただった。息苦しくなってきた。呼吸は次第に早くなり、脈は大きく波打っていた。頭の中がグワングワンしてきた。

 始まったのか。また奴らがやってきたのか。酸素が薄くなる感覚にとらわれ、こめかみに痺れが走り、鼓動は早く、そしてだんだんゆっくりになり、ワタシはまた闇に消えていった。

 どこか息苦しくて、金魚鉢の金魚が酸素がなくて、最期はプカプカ水面の酸素を求めていくみたいに。

 閉塞感、空腹感、虚無感、脱力感、絶望感が時折大きな波となって襲った。

 どこまでいけば、この関係は変わるのか。どこまでいけば、この思いは、思い出になるのか。

 どこまでいけば、どこまでいけば、頭の中で、混乱が始まっていた。

 あの朝がやってくる。否応なしにやってくる。

「助けて。」

「早くっ。」

逃げ出して。

「ああっ。」


 それは、カノジョ独特の朝だった。

 そして、ワタシ特有の朝でもあった。

目覚めてから、数分、いや数十分は経ったであろう。軽い吐き気と眩暈、ぼんやりした後味だけがスーッと通り過ぎていった。

 そうは言っても、今朝もいつも通り何も変わらず慌ただしく始まった朝なのだから、キチンとしなくてはならなかった。

 朝食は、食べる。コトになっていた。

卵とベーコン、硬めのパン、コーンスープも欠かさなかった。毎日のお決まりごと。

サラダは?勿論、たっぷり作られていた。レタス、きゅうり、ズッキーニ、プチトマト、ディルにサーモン。オリーブオイルと、塩胡椒。しっかりとした、きっちりとした食事だった。

 朝食の前には、生アーモンド、生ピスタチオ、ローストヘーゼルナッツ。これらを入れたフルーツジュースをいただいた。バナナ、豆乳、キウイ、りんご、ニンジン、きなこ、黒胡麻も入っていたかな。

 これだけ用意するのに、いったいどれだけの時間と労力を費やすのか。午前中は、これだけできでば充分だった。ほんとうにぐったりだ。これだけで、終わってしまう。こんなに沢山のあらゆる手を施した支度を終えて、ようやくカノジョ、ワタシは、キチンとした朝を迎える準備ができるのだった。

 これくらいしない限り、キチンとした朝にはならなくて、1日を始められない。

少しでも、1つでも何かがズレてしまえば、イライラに似たモヤモヤが頭と足先を支配して、ムズムズして座っていられない。ジッとしていられなくなってしまうのだった。少なくともカノジョは。

 今日一日のカノジョとワタシに、新しいシアワセが訪れること。

 それが朝の始まりであり、朝の終わり、でもあった。

 あったかい風が窓からふわっと入りこみ、心地よい空気感が辺り一面にやわらかく漂い、ザワザワした私たちの朝をかき消してくれた。

 ミキサーやジューサーやフライパンやトースター。ありとあらゆる機材が楽器と化して音を織りなして、賑やかな、豪勢な朝を迎えていた。ワタシは落ち着きたかった。

 食事だって、ほんとうは、ひとつもいらなかった。食べたくなかったのだ。食事にとりわけ拘りのあるワタシが朝からこんなにいただけるはずもない。無理やり準備して、無理やり食べたふりをした。ふりをし続けていた。食べた食事は全て吐いてしまっていた。カラダが受けつけない。ココロが受けつけない。ただ、それだけのシンプルなコトだった。殆ど無理やり食べるコトになっていた。  仕方なかった。ただ、どうしようもなくカラダもココロも、カノジョの食事を拒んでいた。

 それは初めからだった。一緒に住み始めたその頃からちっとも変わっていない。ただ、カノジョにはバレていないはず。上手くやってこれたはずだった。

 栄養たっぷり、サイズたっぷりのジュースだって、本当は、はほしくなかった。ただ、ほんの僅かなアーモンドやピスタチオといったナッツさえあれば、それだけで充分、過不足なく、満足だったのに、カノジョがそれを許してはくれなかった。決まりごとの多い朝に、キレイに整った食卓は、一見すると、非常に健やかで、素晴らしかったし、それは、もはやある意味においては紛れもない事実だった。否定はしない。

 ただ、ワタシにそぐわないだけだった。緩やかな時間と気だるい朝。

低血圧、低血糖、低体温、低心拍、低感情。

ワタシは低い数値を保ち、低い数域で水面を薄く泳いでいたのだ。

 広い部屋に置かれた、部屋のわりに小さい水槽に放たれたアロワナのように、毎日を、そこで、脈々と、いつまでも、だた、そうして、果てしなく、行ったり来たり、1日中、一生、そうして暮らしていく。

 そんなワタシに必要なのは、水槽の一歩外側に出ることだった。

「ねぇ、聞いて。」

お願い。

「ねぇ。聞いて。」

ねぇ。ねぇ。

聞いて。聞いて。。

「ねぇ、お願い。」

もう、ワタシを、自由にして。

ソコで息絶えたっていいんだから、

ねぇ、お願い。

水槽の一歩外側に、ワタシをその向こう側に行かせて。

ワタシの声だけが、部屋中に響き渡っていた。気がつけば、誰もいなかった。

誰もいない部屋でひとり。途方に暮れるワタシだけが、いつもとかわらず、ただそこにいた。


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