第30話 カズキの旅立ち

 カズキはサーカス団のテントに通う日々を送るようになった。

 最初は嫌々ながらも、バロンのエサやりを頼まれ、熊の目の前にエサを投げるような形で距離を保っていた。


 しかし、バロンは意外にもカズキになついた。

 もっさりとした体を揺らしながら、カズキにすり寄ってくるその仕草に、最初は「うわ、こっち来るな!」と逃げ腰だったカズキも、次第に慣れていった。


「おい、バロン。今日はこれだけだぞ」


 そう言いながらエサを差し出すカズキ。

 バロンは満足げにそれを受け取り、くるりと回って見せる。


「なんだよ、その仕草……お前、意外とかわいいとこあるな」


 バロンが甘えるようにゴロンと寝転がると、カズキは苦笑しながらその頭を軽く撫でた。



 毎日のようにサーカス団に顔を出すカズキ。

 その目的はもちろんバロンのエサやりという事になっていたが、実のところ、彼にとっては美味しい食事にありつくための口実でもあった。


 食事をするカズキの横でティナが微笑む。


「バロンに慕われているじゃない。いい仕事っぷりよ」


 カズキはパンをちぎりながら、照れ隠しに言う。


「まあ、あいつがついてくるだけだよ」


 ゼダールは腕を組み、彼を見てにやりと笑った。


「その調子でバロンの世話を続けろよ。もしかしたら、お前もサーカス団員になれるかもしれないな」

「やめてくれよ。飛んだり跳ねたりは苦手なんだから」


 そう言いつつも、カズキはどこかまんざらでもないようだった。



 その日は空がどんよりと曇り、サーカス団のテントも強風で揺れていた。

 カズキはいつものようにバロンのエサをやり、食事を楽しんでいたが、突然の雷鳴が辺りを震わせた。


「おい、外、雷すごくね?」


 カズキは外を覗きながら呟いた。

 ゼダールが落ち着いた声で答える。


「まあ、この辺りじゃよくあることさ。雨宿りしていけ」


 しかし、その雷は村の方角を直撃した。

 村から見える黒い煙に、サーカス団のメンバーがざわめき始める。


「まさか……俺の部屋じゃないよな」


 カズキの胸に嫌な予感が走った。

 彼は雨の中、急いで戻ったが、そこにあったのは燃え落ちた自分の部屋だった。


「うそだろ……俺の部屋、全部燃えたのかよ」


 呆然と立ち尽くすカズキ。

 村人たちが声をかけるが、彼は何も返せない。


 行き場を失ったカズキは、サーカス団のテントに戻るしかなかった。


「まあ、寝る場所くらいは用意してやるさ」


 ゼダールはカズキを受け入れ、簡易的な寝床を用意してくれた。



 しばらくして、サーカス団が次の町へ移動する日が近づいてくる。

 ゼダールがカズキを呼び寄せ、少し笑いながら言った。


「お前、このままここにいるわけにもいかないだろ。俺たちについて来るか?」

「えっ、マジでサーカス団員になるとか?」


 カズキが目を丸くする。


「いや、雑用担当だ。ただし条件がある」


 ゼダールはカズキをじっと見て言った。


「自分の足で歩けるなら、だ」

「歩くって……どれくらい?」


 ゼダールは片手を挙げて答えた。


「お前の元の世界の距離で1日30キロくらいだ。それを5日間続けるぞ」

「30キロ? そんなの無理だろ!」


 カズキは慌てて叫ぶ。

 ティナが横から軽く笑いながら言った。


「ゼダールの条件、結構甘いわよ。他の団員はみんなやってるんだから」

「いやいやいや、俺はそんな体力ないって!」


 カズキは頭を抱えたが、ゼダールは肩をすくめた。


「選ぶのはお前だ。ついて来たいなら歩け。それが嫌なら、ここで自分の力で生きていくしかない」



 翌朝、サーカス団が移動の準備を始める中、カズキはバロンの横で深いため息をついていた。


「……歩けってか。俺にできんのかよ」


 そんな彼にバロンが鼻を押しつけ、まるで背中を押すような仕草を見せる。


「お前まで応援してんのかよ……仕方ねえな」


 カズキはやれやれと立ち上がった。


「ゼダール! 俺、ついてくよ。ただし、途中で倒れたら担いでくれよな!」


 ゼダールは笑いながら言った。


「よし、まずは一歩目だ。それが全ての始まりだぞ」


 こうしてカズキは、自らの足で新たな道を歩むことを決めたのだった。



 ゼダールの言葉で立ち上がったカズキは、荷物を担ぐサーカス団の一行を見つめて深いため息をついた。


「はあ、マジで俺が歩けんのかよ……」


 そんなカズキにゼダールが振り返り、少し真剣な顔で言った。


「明日のことを考えるな。まずは今日のこと、そして目の前の1歩だけを考えろ。それが一番大切だ」


 カズキはその言葉に、少しだけ背中を押されたような気がした。


「……分かったよ。やるしかねえもんな」


 彼が意を決して一歩を踏み出したその時、そばでその様子を見ていたヒッキーが呟いた。


「人生ってのは、自分の足で歩くしかないんだ」


 その言葉に、隣にいたレイラがくすくす笑う。


「何よ、その名言っぽい言い方。ちょっと気取ってるじゃない」


 ヒッキーは苦笑いして頭を掻いた。


「たまには格好つけさせろよ。俺だって何か言いたい時があるんだ」


 レイラはヒッキーの肩を軽く叩いて言った。


「でも、あんたも昔は歩けなかったのでしょ? 大きな声で言える立場じゃないんじゃないの」


 ヒッキーは肩をすくめて答える。


「だから分かるんだよ。歩き出すのにどれだけの勇気がいるかってな」


 その会話を聞きながら、ゼダールは静かに微笑み、カズキを見つめた。


「ほら、行くぞ。お前が歩かないと俺たちのサーカス団も進まないんだからな」


 カズキはバロンの鼻先を軽く押しのけて、少し照れ臭そうに言った。


「仕方ねえな。今日は、目の前の1歩だけを考えて歩くよ」


 そう言って歩き出したカズキの後ろ姿に、ヒッキーはふっと笑みを浮かべた。


「……いいじゃないか。それで十分だ」


 レイラは微笑みながらヒッキーの隣で見送る。

 こうして、カズキは自らの足で歩む旅の第一歩を踏み出した。



 村に静けさが戻り、ヒッキーとレイラは久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。

 預かり所には、相変わらず村人たちの荷物が整然と並び、その看板は、風雨にさらされながらも堂々と掲げられていた。


「ねえ、ヒッキー」

「なんだ?」

「最近、預かる荷物が増えてる気がするわ」


 レイラは棚に収まった品々を眺めながら笑みを浮かべる。


「そうだな。けど、預かる荷物が増えるってのは、それだけ信頼されてるってことだろ」

「信頼ね……」


 ふと思いついたように、ヒッキーが口を開く。


「なあ、レイラ。カズキを元の世界に戻そうと思えば、やっぱりお前なら出来るのか?」


 レイラはしばらく考えるそぶりを見せた後、少し笑って答えた。


「1回だけなら可能よ。でも、カズキをすぐに元の世界に戻してしまうのも面白くないでしょ」

「確かにそうだな」


 ヒッキーは腕を組んで頷く。


「せっかくこっちの世界に来たんだから、すぐに帰すのも勿体ないな」

「少しは成長してからにしましょうね」


 レイラの言葉にヒッキーは苦笑しながら同意した。


 夕焼けが村を包み込む中、ヒッキーは看板を見上げ、少し冗談めかした声で言った。


「カズキってやつ、預かり所には似合わない大きな荷物だけど、俺たちで成長させて、元の世界に返却してやろうぜ」


 その言葉には、ヒッキーの揺るぎない自信と、新たな未来に対する希望が満ちていた。

 レイラはそんなヒッキーを見つめ、小さく頷く。


「きっと、カズキも感謝してくれる日が来るわ」

「そうなるといいがな」


 ヒッキーは夕日を背にしながら、静かに微笑んだ。



(「ヒッキー荷物預かり所」 完)



★ 読者の皆様、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。登場人物たちの頑張りに不覚にも泣いてしまった事もあり、お恥ずかしいかぎりです。第29話でようやく10万字をこえてカクヨムコンテスト長編部門の要件を満たす事ができました。明日からはラブコメなど別のカテゴリーにも挑戦し続けたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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ヒッキー荷物預かり所 ~異世界で花咲くニートのスキル!~ hekisei @hekisei

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