第29話 降って来たニート

 カズキは自室で、相変わらずパソコンの画面を見つめていた。

 時間はすでに深夜を回り、部屋には空気がこもっている。

 山積みの空きカップ麺と散らばった漫画。

 薄暗い蛍光灯の光だけが彼の顔を照らしている。


「……だりぃな。何か面白いことねぇかな」


 そう独り言を呟いた瞬間、部屋の窓ガラスが突如、青白い光で輝いた。


「うわっ。何だ、これ!」


 光が渦を巻くように部屋中を覆い、カズキは椅子ごと吸い込まれる。

 抵抗する暇もなく、彼の視界は一瞬で真っ白に。



 夜更けの静かなルナリス村。

 突如、轟音とともに、広場に異様な物体が出現した。

 小さな建物が、いや、部屋そのものが丸ごと落ちてきたのだ。


 大きく響く音に村人たちは目を丸くする。


「なんだ、あれは……部屋が降ってきたぞ!」

「誰かの家か?」


 中から、埃っぽく咳き込みながらカズキが顔を出す。


「う、うわっ……なんだ、ここ?」


 カズキは目を擦りながら辺りを見回し、次第に異様な光景に気づいて目を丸くする。


「は? 俺の部屋が外に……何で草原にいるんだよ!」



 翌朝、クローネが配達物を抱えながらカズキの部屋へ向かった。 

 クローネ・パクスは村の配達人で、誰の家がどこに建っているのかすべて頭に入っている。


「ここに部屋が来たわけか、昨日までは無かったけど」


 クローネはノック代わりに扉を叩く。


「おーい、中にいるのかい?」


 部屋の中から不機嫌そうな声が返ってくる。


「……誰だよ。今は飯の時間じゃねーぞ」


 クローネは呆れ顔で扉を開けると、部屋の中を覗き込んだ。

 そこには、散らかり放題のゴミと一人うなだれたカズキの姿があった。


「こりゃひどいねぇ。部屋ごとこちらの世界に来たのか」


 クローネは一瞥すると、すぐにヒッキーへと報告に向かう。



 ヒッキーとレイラは、クローネの報告を聞いて、カズキの部屋を訪れることになった。


「……まさか、本当に部屋ごと飛んできたなんてな」

「信じられないけど、ここにある以上は事実ね」


 ヒッキーが部屋のドアをノックすると、中から寝ぼけたカズキの声が聞こえた。


「うるせぇ、勝手に入るな!」


 ヒッキーはため息をついてドアを開ける。

 レイラは興味津々に部屋の中を見回した。


「うわっ、汚い……何だ、このカップ麺の残骸は?」


 ヒッキーは鼻をつまみながら苦笑する。


「お前、ここで何してんだよ。異世界に来たっていうのに、相変わらず引きこもってんのか?」


 カズキは床に座り込み、うなだれたまま小声で答える。


「だって、何が何だか分かんねぇし……俺、別にこんな場所に来たくなかったし」


 レイラが腕を組んで呆れ顔になる。


「少しは状況を理解しなさいよ。ここじゃ誰もあんたの面倒は見てくれないんだから」


 ヒッキーは苦笑しながらカズキを見下ろす。


「食い扶持は自分で稼ぐ。ここじゃ鉄則だぞ」

「働くなんて無理だって。俺、何もできないし……」


 カズキが言い訳を並べるのを聞きながら、ヒッキーは肩をすくめる。


「まったく、昔の俺を見てるみたいだな」


 ヒッキーは言葉を続けた。


「お前がここで腐るのは自由だけど、腹が減ったら、どうするつもりだ?」


 レイラが鋭い一言を放つ。


「あなたが動かなければ、誰も助けてはくれないわよ。ウチで働く?」


 カズキは2人の言葉に何も返せず、ただうつむくしかなかった。



 カズキは預かり所の隅に座り込み、やる気の欠片もない態度でヒッキーに文句をぶつけていた。

 ヒッキーは腕を組みながら溜息をつく。


「ったく、親が悪い、社会が悪いって……そうやって責任を全部押し付けて、何もかも放り投げるのは楽だよな」


 カズキはムッとした表情でヒッキーを睨む。


「何だよ、説教かよ? 偉そうに言ってるけどさ、どうせあんたも似たようなもんだったんだろ?」


 その言葉にヒッキーの眉が一瞬ピクリと動く。確かに痛いところを突かれたのだ。


「……否定はしないさ。俺だってかつては親のせいだ、社会のせいだって文句ばっかり言ってた」


 レイラが少し驚いた顔でヒッキーを見つめる。


「それ、本当なの?」


 ヒッキーは肩をすくめて苦笑した。


「本当さ。俺も何もできない自分を正当化するために、理由を見つけるのに必死だった。でも……」


 彼はカズキを真剣な目で見つめる。


「だから分かるんだよ。その言い訳では何処まで行っても何も変わらないってことが」


 カズキはその言葉に少し動揺したが、すぐにそっぽを向き、つぶやく。


「だから何だってんだよ。分かったところで何も変わらねえよ」


 ヒッキーは小さく息を吐き、椅子にもたれかかる。


「確かに、何かを変えるのは簡単じゃない。でも、ただ座ってるだけじゃ、何も始まらないだろ?」


 レイラが横から口を挟む。


「カズキ、あんたがここに来たのには何か意味があるんじゃない? ただ文句を言い続けるだけじゃ、もったいないわよ」


 カズキはしばらく黙っていたが、やがて小声で答えた。


「……そんなこと言われても、俺には何もできねえよ」


 その言葉を聞いて、ヒッキーは一瞬だけ視線をそらし、かつての自分を思い出すように小さく苦笑する。


「俺もそう思ってた。……いや、正直、今だって何でもできるわけじゃない。だけどな、何もできないままで終わりたくなかった」


 ヒッキーのその言葉に、カズキはほんの少しだけ表情を曇らせたが、結局またそっぽを向いてしまう。


「うるせえな……俺のことなんか、放っといてくれよ」


 その場に漂う微妙な空気。

 ヒッキーは再び苦笑いを浮かべ、レイラにそっと耳打ちする。


「……ったく、やっかいな奴だな。でも、あの頃の俺もこんな感じだったんだよな」


 レイラは小さく頷いて囁く。


「ヒッキー、あんたもだいぶ成長したわね」


 ヒッキーは照れ臭そうに鼻をかきながら、再びカズキに視線を向けた。


「まぁ、焦るな。お前みたいな奴でも、いつか何とかなるさ」


 ヒッキーのその言葉に、カズキは目を細めながら呟いた。


「……そんな保証どこにもねえだろ」

「保証なんてあるわけないだろ。でも、それを作るのは自分だって話だ」


 ヒッキーの言葉に、カズキは何も言い返せず、小さく舌打ちをしただけだった。


「そろそろ、自分で飯くらい何とかしろよ」


 ヒッキーがため息交じりに言うと、カズキは面倒くさそうに眉をしかめた。


「えっ、俺を餓死させる気?」

「いや、お前が餓死する前に俺がストレスで死にそうだよ。」



 それでもカズキは相変わらず部屋に籠り、預かり所に顔を出すこともなくなった。

 しかし数日後、とうとう彼の部屋の食料が尽きる。

 村人に頼んでも「まずは働け」と相手にされず、カズキは途方に暮れていた。


 そんな折、村にサーカス団が訪れる。

 熊のバロンが愛嬌を振りまく中、団員たちは荷物の搬入や準備で忙しそうだった。



 ふと、預かり所を訪れたティナがヒッキーに尋ねた。


「この辺りに、なんだか覇気のない男の子がいるって聞きましたけど、どこかしら?」


 ヒッキーは苦笑しながら答えた。


「それならカズキのことだろう。食料も尽きて、今ごろ自室で拗ねてるはずだ」

「じゃあ、ちょっと引っ張り出してみます」


 ティナはその場を離れると、カズキの部屋の前に立ち、勢いよくノックをした。


「こんなところで腐ってる暇はないわよ!」

「はあ?」


 扉を開けると、目の前に満面の笑みのティナが立っていた。


「サーカス団に来なさい! まずはご飯くらい食べさせてあげるわ」

「いや、そんな……知らない人のところに行くのは……」


 ティナは強引に腕を掴み、言い放った。


「いいから!」


 そのまま引きずられるようにサーカス団のテントに連れ込まれたカズキ。

 そこには料理の香ばしい匂いが漂い、団員たちが食事をしている光景が広がっていた。


「さあ、ここに座って。食べなさい!」


 ティナが促すと、カズキは半ば呆然としながらも、差し出された皿を手に取る。

 焼きたてのパンにたっぷりのスープ。

 久しぶりのちゃんとした食事に、思わず泣きそうになった。


 ゼダールが苦笑しながら言う。


「お前が噂のカズキか。まあ、しばらくはウチで飯くらい食わせてやるよ。ただし……」


 ゼダールの言葉にカズキが顔を上げる。


「俺たちの団では、働かざる者、食うべからずだ」

「えっ……」


 ティナは肩をすくめながら微笑んだ。


「でも安心して。まずは簡単なことからやってもらうから!」


 ゼダールは目を細めて提案した。


「バロンのエサやりなんてどうだ? 簡単で退屈しない仕事だぞ」




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