第28話 ヴァルクスの惨状
津波が引いた後、周囲はかつての賑わいを完全に失い、静寂と悲惨さだけが広がっていた。
港町の建物のほとんどは基礎だけを残し、跡形もなく流されていた。
大きな船が港から遥か内陸まで打ち上げられ、その側には倒れた人々が泥と瓦礫に埋もれて横たわっている。
多くの人々がその場で動けずにいた。
かろうじて声を上げて助けを求めている者もいるが、もう助けの手が届かない者も多い。
ヒッキーは瓦礫の山に立ち尽くし、唇を噛みしめる。
「なんということだ……」
普段は冷静なイリス王女も、この光景に打ちのめされていた。
彼女は泥まみれの裾を引きずりながら、辺りを彷徨い始める。
「セリアン様!」
普段は毅然としている彼女の声には、どこかすがるような響きがあった。
周囲の泥と瓦礫をかき分けながら、彼女の瞳には必死さと絶望が入り混じっていた。
ヒッキーはその姿を見かねて声をかける。
「無茶するな、少し落ち着け!」
しかしイリスは振り返らず、さらに泥の中を進みながら叫び続けた。
「セリアン! 答えて、答えてよ!」
その声が届くはずもない静寂の中、イリスはふと立ち止まり、目を伏せた。
その肩が小刻みに震え始める。
ヒッキーとレイラも言葉を失い、ただ遠くから彼女を見守るしかなかった。
遠くには、もう元の姿を留めていない瓦礫だらけの港が見える。
かつてここが活気に満ちた町だったことを想像するのが難しいほどだった。
ヒッキーはそっと拳を握りしめ、誰もがセリアンの犠牲を確信したその時。
かすかに波音に混じって、人の声が聞こえた。
それは泥まみれの海岸線から、徐々に近づいてくるようだった。
「ここだ、ここだーっ!」
泥の中をかき分けて歩いてくるセリアンが見えた。
肩には子供を抱き、泥まみれになった顔には疲労の色が浮かんでいるが、確かに生きていた。
「セリアン様!」
イリスが泣きながら駆け寄る。
セリアンは平然とした顔で言った。
「こんなことでくたばるわけにはいかないだろ」
護衛の1人が驚きの声を上げた。
「でも、泳げないのにどうやって……?」
セリアンは軽く肩をすくめた。
「実は、海に来るときには服の下に浮き輪を仕込んでいるんだ。あわてて膨らませて何とか間に合った。あとは波に任せて浮かんでいただけさ」
一瞬の沈黙の後、レイラが笑いを堪えながら言った。
「まさか……そんな簡単なことで」
ヒッキーも呆れたように苦笑した。
「セリアン、お前って本当に油断ならない奴だな」
セリアンは立ち止まり、皆の目を見ながら静かに言った。
「たとえみっともない手段であっても準備をしておく、それが私のやり方だよ」
イリスは涙を拭い、静かに頷いた。
その横顔には、セリアンへの信頼と尊敬が確かに刻まれていた。
ルナリス村の午後の穏やかな陽射しが窓から差し込む中。
ヒッキーは預かり所の部屋で帳簿を広げて計算をしていた。
その時、ドアをノックする音が響いた。
「はいはい、どうぞ」
ヒッキーが声をかけると、背の高い青年が現れた。
逆光の中、扉を開けた青年の姿を見た瞬間、後ろで手伝いをしていたラフィアは思わず動きを止めた。
「この雰囲気、どこかで……」
じっとその青年を見つめるラフィア。
「いや、違うわ。でも……」
心の奥から何かがこみ上げてくるような不思議な感覚に、ラフィアは息を呑んだ。
ヒッキーが立ち上がり、笑顔で青年を迎える。
「カイラル、久しぶりだな!」
「ヒッキーさん、お久しぶりです!」
カイラルは元気よく頭を下げたが、すぐに背筋を伸ばし、真面目な顔つきになった。
「エレシア海軍兵学校に入学することになりまして。その前に挨拶をしようと思って寄りました」
「おお、立派になったじゃないか!」
ヒッキーが嬉しそうに肩を叩くと、カイラルは照れくさそうに笑った。
その時、ようやくラフィアが立ち上がった。
「ヒッキーさん、この方は……?」
カイラルが声のする方を向き、ラフィアを見て目を丸くした。
「あっ、初めまして。僕、カイラルといいます」
ラフィアは微笑んで会釈を返した。
「初めまして、カイラルさん。私はラフィアと申します」
ヒッキーが横から補足を加える。
「カイラルはアルディナ島の出身なんだ。こいつは島の中でもかなり期待されてる男でさ。ほら、あの聖なる短剣『リフィオン』の儀式で大活躍したやつだよ」
ラフィアは目を見開きながら、カイラルをもう一度じっくり見つめた。
「アルディナ島からですか……」
彼女の中で過去の記憶と現在が繋がり、その胸に何か熱いものがこみ上げてくる。
「カイラルさん、あの島で育った方なんですね!」
ラフィアの言葉に、カイラルは少し照れたように微笑んだ。
「いえ、僕はまだまだですよ。村のみんなやヒッキーさんたちのおかげで、ここまで来られただけですから」
ヒッキーが茶化すように笑いながら言う。
「ラフィア、ずいぶん嬉しそうな顔しているじゃないか」
ラフィアは少し顔を赤らめながら、慌てて答えた。
「そんなこと、ありませんよ」
それでも、彼女の視線はどうしてもカイラルから離れない。
彼の目に浮かぶ軽やかな雰囲気。
しかしその奥に潜む揺るがぬ意志。
それは、かつて彼女がよく知っていたリュクスを思い起こさせる。
「……ラフィアさん?」
カイラルの声で我に返ったラフィアは、少し動揺しながら微笑みを返した。
「ごめんなさい。どこか懐かしい感じがして……気のせいですね」
カイラルは不思議そうに首をかしげた。
「ヒッキーさん、短い滞在になりますが、どうぞよろしくお願いします」
「ああ、ゆっくりしていけよ。後でラフィアも一緒にリュクスの墓参りに行こう」
そう言うヒッキーの横で、ラフィアは心の中で芽生えた不思議な感覚に戸惑いながらも、どこか温かな気持ちになっていた。
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