第27話 港町ヴァルクス
アストレア王国のサリオス王が控室で深いため息をつきながら呟いた。
「レイラが助かった……よかった、本当に」
ゼリナード王国のアルディス王は穏やかに頷く。
「そうだな。命が助かった。それだけで十分だ」
サリオス王は意外そうな表情を浮かべ、アルディス王に視線を向ける。
「あなたがそう言うとは意外だ。ここ最近、国境を巡る緊張では随分とこちらに厳しい姿勢を示してきたではないか」
アルディス王は少し笑みを浮かべながら応じた。
「サリオス王よ、私はこの数日間、レイラ王女の無事を祈りながら考えていた。命の儚さを目の当たりにして、人間同士で争うことがいかに無駄なものかを改めて感じさせられたのだ」
その言葉にサリオス王は静かに頷き、続けた。
「同感だ。私も祈りの時間を通じて、そんな考えが頭をよぎった。この緊張をここで終わらせることができないものだろうか」
その頃、別室ではヒッキーがレイラの元に駆けつけていた。
ヒッキーの提案を聞いたレイラは、弱った体を起こしながら微笑む。
「ヒッキー、あなたの考え……素敵ね。お父様に伝えてみるわ」
翌週、両国の代表団が中立地帯に集まり、会合が開かれる。
そこに現れたのは、回復したばかりのレイラと、その夫として堂々と同席するヒッキーだった。
緊張感の漂う中、ヒッキーは深呼吸し、静かに口を開いた。
「アストレア王国とゼリナード王国の長年にわたる緊張を緩和するため、私から1つ提案があります」
両国の代表たちが耳を傾ける中、ヒッキーは続けた。
「紛争地域をアストレア王国が公平に二分割し、ゼリナード王国がどちらか好きな方を選ぶという方法です」
会場が一瞬ざわつく。
代表たちは顔を見合わせるが、アストレア王国のサリオス王とゼリナード王国のアルディス王が視線を交わし、やがて深く頷いた。
アルディス王が静かに言葉を紡ぐ。
「よかろう。その方法で決着をつけよう」
サリオス王も続ける。
「我が国の責任で紛争地帯の公平な分割案を提案させてもらう。ゼリナード王国がどちらを取ろうとも文句はいわない」
期せずして両代表の間から拍手が沸き起こる。
こうして、レイラの手術の成功をきっかけに、両国の緊張は歴史的な合意のもと平和裏に解決を迎えた。
回復したレイラは、ヒッキーとともにルナリス村に帰る道中でふと振り返る。
「ヒッキー、あなたの提案が世界を変えたのよ」
ヒッキーは照れくさそうに笑い、前を向いて歩き出した。
「俺が預かるのは荷物だけど、国王は国を預かるのだから大変だな」
レイラはそんなヒッキーの姿を見て、そっと笑みを浮かべた。
彼らの旅路は、新たな希望とともに続いていくのだった。
パルテシア王国の港町ヴァルクス。
ヒッキーとレイラはこの活気ある町に立ち寄り、海辺の市場を歩いていた。
賑やかな声と新鮮な魚介の匂いが混ざり合い、旅の疲れを忘れさせるような光景だった。
「ここ、本当に活気があるわね」
レイラが笑顔で言うと、ヒッキーは市場の喧騒を見渡しながら軽くうなずいた。
「まあ、こういうところなら食べ物には困らなさそうだな」
そんな時、不意に聞き覚えのある声が背後から響いた。
「ヒッキー、レイラ!」
振り返ると、そこにはセリアンとイリス王女、そして二人の護衛が立っていた。
「セリアン! イリス王女!」
ヒッキーは驚きの表情を浮かべた。
イリスが微笑みながら近づいてきた。
「レイラ、すっかり元気になったようね」
レイラはにっこりと笑って答えた。
「イリス王女、あの時は本当にありがとうございました。ロヴァリス先生を派遣していただいたおかげです」
イリスは首を振る。
「お礼を言うならロヴァリス医師にね。私は頼んだだけだから」
イリスは続けた。
「でも、そのロヴァリス先生、帰国してから俄然やる気を出して、しばらくアストリア王国で勉強したいって言い出したのよ」
ヒッキーが興味深そうに言った。
「アストリア王国に? なんだか意外だな」
セリアンが静かに口を開く。
「実は彼、ダリエン医師の手術手技に感銘を受けたらしい。国を越えて学ぼうとする姿勢は素晴らしいと思う」
レイラも同意するように頷く。
「何もかもイリス王女のおかげです。本当にありがとう」
イリスは小さく微笑みながら言った。
「必要なことをしたまでよ。でも、あなたが元気になった姿を見られて、本当に良かったと思っているわ」
ヒッキーは少し首を傾げながらセリアンを見た。
「ところでセリアン、なんでまたイリス王女の視察に同行しているんだ?」
セリアンは少し肩をすくめ、目をそらすようにして言う。
「いや、護衛は多いほうが安心だろ。それだけのことだ」
ヒッキーは眉を上げてにやりとした。
「ふーん。護衛の割にはやけに楽しそうだな。まさか、王女に手を出してないだろうな?」
セリアンは慌てたように咳払いをした。
「馬鹿を言うな! 私はそんな不敬なことを……」
その様子を見ていたイリスが小さく微笑みながら口を挟んだ。
「セリアン様は誠実で優しい人よ。私は信頼しているわ」
セリアンはイリスの言葉に一瞬だけ顔を赤らめたが、すぐに真剣な表情を取り繕う。
「そ、そうだ。信頼だ。それが一番大事だよな」
ヒッキーは目を細めてセリアンをじっと見た。
「そういうことにしておこう」
レイラが苦笑しながら肩をすくめる。
「ヒッキー、そんなに追及しなくてもいいじゃない。ほら、イリス王女もセリアン様も照れてるわよ」
セリアンは咳払いをして話を戻そうとした。
「とにかく、護衛として同行しているだけだ。それ以上でも以下でもない。そうですよね、イリス王女?」
イリスは軽く微笑みながら、冷静な声で答えた。
「護衛というには少し頼りないけれど、少なくとも私のそばにいてくれることは安心感になるわ」
セリアンはその言葉にさらに照れくさそうな顔をしながら言葉を詰まらせる。
ヒッキーとレイラはそんな二人を見て、微笑みを交わした。
和やかな会話が続く中、突然、地面がゆっくりと揺れ始めた。
「何だ?」
セリアンが身構える。
市場の人々も揺れに気づいたが、むしろ面白がっている人もいる。
だが、ヒッキーだけは周囲の空気と異なり、顔色を失った。
「大変だ!」
「どうしたの?」
レイラが問いかける。
「これは……長周期地震動だ。遠くで巨大地震が起きたに違いない!」
地面の揺れが収まった後、ヒッキーは周囲を見回してすぐに異変に気づいた。
「まずい……海の水が引いてる」
嫌な感覚が胸に込み上げてくる中、ヒッキーは全力で叫んだ。
「みんな、山に逃げろ。津波が来るぞ!」
その言葉にセリアンとイリスも驚き、護衛たちに指示を飛ばした。
「すぐに避難を呼びかけるんだ!」
大人たちはその叫びに反応し、子供たちを連れて走り出した。
しかし、一人の子供が海の方に向かって駆けていくのが見えた。
波が引いてむき出しになった海底を面白がっているのだ。
「馬鹿なことするな。戻れ!」
ヒッキーは叫んだが、その子は聞く耳を持たなかった。
「駄目だ……」
ヒッキーが動揺している中、セリアンが口を開いた。
「俺が行く」
セリアンが静かに言った。
「待て、セリアン。無理だ!」
「放っておけるわけがない」
ヒッキーが制止するが、セリアンは振り向かずに子供たちの後を追い始めた。
「彼、泳げないのよ」
イリスが呟く。
「何してんだよ!」
ヒッキーは歯噛みしながらも、セリアンを止める術がなかった。
セリアンは躊躇なく海に向かい、子供を抱きかかえて戻り始めた。
だが、沖の方に巨大な波が盛り上がり、唸りを上げながら迫ってくるのが見えた。
「間に合わないわ!」
イリスが絶叫する。
護衛たちも困惑し、どうすることもできない。
セリアンはとっさに近くの二階建ての廃屋に飛び込むと階段を駆け上った。
だが、その直後、津波が建物を飲み込み、セリアンの姿が完全に見えなくなった。
「セリアン様!」
イリスが泣き崩れるように叫ぶ声が、轟音の中にかき消される。
つづけて津波の巨大な壁が港全体に襲いかかろうとしていた。
波の轟きとともに、建物がきしみ、周囲の人々の悲鳴が響く。
「レイラ、イリス! 高台だ! 早く!」
ヒッキーが叫ぶ。
二人はそれぞれ別の場所で呆然と立ち尽くしていたが、ヒッキーの声で我に返り、走り出す。
「レイラ!」
ヒッキーは振り返り、レイラがつまずいて膝をついているのを見つけた。
「ヒッキー!」
レイラが手を伸ばす。
ヒッキーは駆け寄り、その腕を掴む。
「イリスも急げ!」
イリスも足元が瓦礫に絡まり、動けなくなった。
レイラを引き起こしたヒッキーがイリスの元に駆け寄る。
「大丈夫か!」
ヒッキーは必死に瓦礫を蹴り飛ばし、何とかイリスが動けるようにした。
「行くぞ!」
ヒッキーは二人の手を取ると、高台へ向かう階段を目指した。
「間に合わない!」
レイラが叫ぶ。
すぐ後ろでは津波が瓦礫と船を押し流しながら迫ってきていた。
その時、高台から地元の人々がロープを垂らしているのが見えた。
「こっちだ、急げ!」
ヒッキーは先にイリスをロープへ押しつけ、登らせる。
次にレイラを促し、最後に自分が駆け上がった。
振り返ると、津波が階段を飲み込み、直前までいた場所を完全に押し流していた。
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