額に十字架

深海くじら🐋『駅ヰタ』カクコン参戦中💕

神の鉄槌

 子どもの頃から喧嘩だけは強かった。

 徒党を組むほどの面倒見は無く、弱者をいじめるほど卑屈でもなかった。体格はさして目立たず人並だが、藪やら崖やらよその屋根やらを駆け回っていた所為か、骨も身体も丈夫だった。独自の物差しで物事を断じ、それに仇するものは二つ三つ年上でも分け隔て無く飛びかかっていったものだ。

 口は立つほうではない。むしろ口論は苦手だった。だから殴った、手を出した。今思えば、とにかく単細胞で向こうっ気が強かったのだ。

 喧嘩で勝つのは気持ちいい。俺の正義が奴の悪を叩き潰す。そんな身勝手な気骨で餓鬼時代の俺は駆動していた。


 当時流行っていたマンガの中で、公道レースを扱っているモノがあった。撃墜王を気取る主人公は、タイマンでの草レースに勝つ度に自分の愛車のボンネットに☆を描き込む。だから俺も、喧嘩に勝つ度になにか印をつけておきたいと考えた。

 最初は自分の腕にマジックで×を書いた。でも三つ目で止めた。ひとつには、数が残せないこと。油性で書いても、風呂に入れば早々に消えてしまう。しかしもうひとつの理由はもっと切実だった。×は負けた者の印なのだ。×を増やすのは負けを重ねるのとイコールだ、と。そんなとき旧い映画を観た。

 たまたま風邪をひいて学校を休んだ午後、熱が引いて暇になった俺は、家人不在のリビングでソファに寝転んでテレビを見ながらうとうとしていた。ふと目を覚ますと、画面の中で黒づくめのマスク男がフェンシングみたいな剣で敵と戦っていた。勝負に勝った彼は、曲芸のように剣先を動かして敵の上着を切り裂いた。敗者の胸がアップになる。そこにははっきり×と印された血のにじむ傷跡があったのだ。

 次の日から俺は、再び油性マジックを持ち歩くようになった。書き込む先は俺じゃない。×は負けた奴にこそ書き込むものなのだ。敗者の証明として。


 何回か喧嘩を重ねるうちに俺のルーティンは確立されていった。書き込む場所は誰もがすぐ見える額の真ん中で、書き込むものも×ではなくて十字架に。

 なにかのマンガで神の鉄槌という言葉を覚えた俺は、喧嘩に勝つ度にその言葉を唱えながら、大の字に倒れた相手の額に太い十字架を書き込むのだった。


 高校卒業と同時に都会に出た俺は、よくある軟派な大学生にモデルチェンジした。殴り合いの喧嘩なんてダサいことは、もうやらない。そんなことよりもサークルの仲間とツルんで女の子の尻を追っかけるほうがよほど意味がある。何十人ものガキ共の額に印した十字架ともおさらばだ。



「部長、やっぱあんた酷いひとだよ」

 駅裏の屋台で一緒に飲んでいた年若い部下が突然激昂してきた。なんでそうなったのかさっぱりわからない。今夜の話題のどの部分がここまで部下を怒らせたのか。マンガの話か? 映画のくだりか? それとも女の子にかまけたとこなのか?

 部下の手に襟首を掴まれて店の外まで引き摺り出された俺は、とにかく面食らっていた。だいたいにして、こいつは自分の立場をわかっているのだろうか。酔った上の狼藉とは言え、目上の上司にこんなことをしてただで済むと思っているのか?

「いいや。酷いなんてもんじゃない。そもそも、あんたのやってきたことは最低もいいとこだ」

 植え込みの隙間に押し倒された。こいつ、ひょろひょろのくせにこんなに力があったのか。それとも、俺が弱くなったのか?

「おいこら、よく聞け」

 俺の上に馬乗りになった部下がつばを飛ばしながら見下ろしている。

「先週僕は実家に帰った。なんてことはない、単なる里帰りのはずだった」

 さっきまでの勢いが嘘のように、部下は静かに語り出した。でも俺は身動きがとれない。腹の上に腰を落したこいつの膝が、俺の両腕を押さえ込んでいるから。

「親父に請われるままにいろいろと話した、独り暮らしのことも、彼女のことも、仕事のことも。その話をしてるうちにあんたの名前が出た。そしたら変わったんだよ親父の顔色が。一気にね」

 頭の中で社員名簿を繰った。こいつの個人情報。出身は・・・・・・。

「あんた、中学のとき自分のことを十字架王って呼ばせてたんだってな。親父が涙をにじませて語ってたよ。あんたの隣に座ってた子が床に落した消しゴムを、あんたよりも先に拾ったってだけで殴られたって」

 記憶が蘇った。お気に入りだった女の子。念願の隣の席になれて有頂天になっていた。この子が困ってるときは俺が全部助けてやるって。

「それだけじゃない。あんたはマジック取り出して、俺の親父の額に十字架を書いたんだ。神の鉄槌って言いながら」

 俺の顎を片手で万力のように押さえた部下は、反対の手でポケットから黒マジックを取り出すと、キャップを口にくわえて外した。

 近づいてくるマジックの先を上目遣いで追う。先端が視界の上部から消え、部下の視点がそこに集中している。額をなぞる圧迫に意識を奪われながら、俺は思った。


 なるほど。あいつらからは、俺はこんなふうに見えていたのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

額に十字架 深海くじら🐋『駅ヰタ』カクコン参戦中💕 @bathyscaphe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ