20


 道端で大きく伸びた向日葵が一本、太陽を向いていた。


 ざらざらとした大きな葉を腕いっぱいに広げて、なにものにも遮られずに夏の日差しを一身に浴びている。ぴんと張った影は街道を横断していて、さっきから子どもたちが笑いながら影をまたいで飛び跳ねていた。一歩飛ぶたびに汗で濡れた髪がひょこひょこと揺れ、山間のファイヤストップに楽し気な声を響かせている。


 昼時を過ぎた頃合いだった。

 幌つきの乗合馬車が近くに止まっていた。

 まだ日は高いが今晩はここで一泊することにしたらしい。乗客たちは凝り固まった背筋を伸ばし、水魔法で薪の水分を抜いたり、土魔法で仮屋を作ったりとこちらもにぎやかだ。

 どうやら御者はテイマーのようで幌を曳いていた馬としきりになにか話していた。


 街道のまぶしさに比べて、一歩奥まったファイヤストップは優しく木漏れ日が差し込んでいる。明るい薄緑の影がちかちかと瞬いて、路肩で動き回る人々を照らしていた。


 ちらりと横目で見ていると、御者のおじさんと目が合ったような気がした。おじさんはおずおずとこちらに向かって一礼し、一言二言、自身の馬に告げてから歩いてきた。


「すみませんね、どうにも騒がしくて」

「ああ、いえ。全然、そういうつもりで見てたわけじゃないんで……単純におじさん、テイマーなのかなって思ってただけで」

「あ、私ですか。お恥ずかしい。実はそうなんです。なーんにもならない魔法ってよく言われますが、こういう職業には向いてるんです。なにせ馬の言うことがわかるし、命令すりゃあ聞いてくれますからね」


 おじさんは薄い頭を掻きながら、バレない程度にこちらを観察するように視線を上下に滑らせた。

 視線が一瞬、胸元で止まる。

 というよりは、胸元に提げた冒険者証に。


「なんとまあ、お嬢さん、銀級冒険者ですか」

 どことなく、おじさんがほっとしたような声を出した。

「まあ、そんなとこです」

「道理でね。こんな辺鄙なファイヤストップにひとりでいらっしゃるもんだから、どうしたのかな、危なくないのかなとは思っていたんですよ。お隣、失礼しても?」

 おじさんは、よいしょと声を上げて片膝立ちで座り込む。

 おじさんの影が苔むした小さな石垣に伸びた。


「本当はもう一個先のファイヤストップまで行くつもりだったんですがね、うちのヨータが、魔物がいるって動かなくなっちまって」

「ヨータ?」

 その声におじさんは、「あいつです」と栗毛の馬を指さした。

 人見知りなのか、ふいっとそっぽを向いて、前足でがりがりと地面を二、三度蹴った。


「ヨータが言うにはね、この辺に魔物がいるって言うんで……しかも様子を見てこいって。ひどい話でしょう? 本当にビビりなんだから。でもヨータの感覚はなかなかバカにできないもんで。お嬢さんは——」

 そう言っておじさんは「ああ、私はバズラって言うんですが」と慌てたように自己紹介を挟んだ。


「ライラです。ライラ・アーモンド」

 そう言って、くすりと笑う。「ご自身より馬のヨータさんの紹介が先に来るなんて、素敵なテイマーさんですね」

 そうだ。シキもそうだった。「こっちがクロで、不死鳥のアカネ。冒険者のライラで……あ、俺はシキです」といつも指さしながら、自分は後回しにした。

 バズラさんはまた恥ずかしそうに笑う。


「それで、ライラさんはこの先で魔物を見たりしました?」

「この先のことはわからないですが……多分、ヨータさんが感じた魔物の気配は私ですよ」

 ぴたりと沈黙が流れた。

 風のない夏の午後に、向日葵の影を飛び跳ねる子どもの笑い声が響く。

 焚き火が爆ぜる音がして、がやがやとした大人たちの世間話が遠く聞こえる。

 バズラさんがぎくりと身を震わせ、少しだけ腰を浮かせたのが見えた。


「そりゃあ、一体どういう……」

「こういうことですよ。ほら」

 そう言って、「ギン」は足元の影を——ぼくが潜んでいる影を指さした。

 ぼくは魔力を込めて、少しだけギンの影を動かしてみせた。

 それから姿が見られない程度に素早く尻尾を外に出して、また引っ込める。


 途端に息が上がった。

 まだまだだ。

 これだけの動きで、まだちょっと疲れてしまう。

 それでもまた影の中に潜めるようになったのは、大きな進歩だ。

 それだけのことがまたできるようになるまでに、春を通り越して夏になってしまったが。


「お嬢さんもテイマーなんですか?」

 安堵したようにバズラさんはほっと息をつく。

「違いますよ。テイム魔法なんて、私は全然。ただ呪われてるようなものです」

 ギンはそう言って、背後に背負った大剣を訳あり顔で触ってみせた。


「この剣に憑りついた魔物みたいなものだと思ってもらえればいいと思います。大丈夫、悪さはしません。私の影に住みつく代わりに、力を分けてくれているんです。ま、わかりやすく言えば魔剣ですね」

 魔剣じゃなくて、魔犬だけどね。

 ギンが依頼達成のたびに「魔犬のおかげでなんとかなりました」と報告するものだから、いつの間にか「魔剣のライラ」になってしまった。


「……はあ、冒険者はいろいろですね」

 そう言いつつ、バズラさんはちょっとだけ大剣から距離を取った。


「ヨータさんには、びっくりさせちゃってごめんなさいって伝えてください。それから今日ここで一泊されるなら、ほかの魔物が襲ってきても私が倒してあげるから安心してって」

 ねえ、倒すのはぼくなんだけど。

 ちょっとムカついたのでギンの足裏を爪で突こうとすると、ギンはまるでわかっていたみたいに足を組み直すようにかわしてみせた。ムカつく。


「そりゃあいい。ヨータに言っときますよ。これでちょっとでも落ち着いて寝てくれるといいんだが。なにせいつも魔物が近いだの、なにかがいる気がするだの、そわそわそわそわ……」

 それからバズラさんは立ち上がって、どこか期待を込めた目でギンを見た。


「ついでにライラさんも馬車に乗っていきます? そりゃあ護衛は雇っているけどね、銀級冒険者が乗ってくれると、ヨータも俺も安心なんですよ……もちろん、お代はいりません」

「ありがとう。でも、遠慮しておきます。急ぐ旅じゃないし、ゆっくり歩きたい気分なんで」

「行く当てのない旅ってわけですか」

「ええ。なんとなく北の方に向かおうと思っているくらいです」

 ギンはそう言って、この先に聳える山々の方をじっと眺めた。



 ぼくらはシキの過去を探して旅をする。

「帝国に行ってみよう」と言ったのはギンだ。


 スペブルク帝国。

 まだ行ったことのない場所で、話の中でしか知らない国。

 どれくらいの気温で、どんな人が住んでいるのか。

 どんな魔物がいて、どういうダンジョンがあって、それから、どんな美味しい食べ物があるのか。

 ぼくはまだなにも知らない。

 知っているのは、シキから断片的に聞いた話だけ。


 そう、シキは時々、帝国のことを話してくれた。

 道はもっと整備されているとか、ファイヤストップももっと短い間隔で置かれているとか。都会だけあって治安はあまり良くないらしくて、アカネは「私が粉砕してあげる」と息巻いていたのを覚えている。


 あれはギンが仲間になる前の話だっけ。それとも後?

 いずれにしても目的地を決めたのはギンなんだから、ギンが仲間になった後でもシキはそういう話をしたことがあったのだろう。


 それくらい、シキは帝国について詳しかった。

 シキは見てきたみたいに、帝国について語った。


「シキは無魔力で家を追い出された後、ひょっとして帝国で暮らしていたんじゃないかな」

 あの廃墟でリハビリをするぼくを見ながら、ギンはそう言った。「だってあいつ、王国内での活動限定の『ローカル』だったし、実際、クロは帝国に行ったことがないんだよな。だとしたらあんな見てきたように帝国のことを話せるのは、クロと会う前に帝国にいたからじゃないか?」


 ギンは泥みたいな味がする干し肉スープを、なぜか美味しそうに啜りながら言った。

「北の方……帝国近くの州でアカネの目撃情報があるらしくってさ。多分アカネも、シキの話を思い出したから帝国の方に向かったんじゃないかな。シキの話はなにかおかしいって」


 多分アカネはなんにも考えてないと思うけど……。

 そう思いながら、ぼくはなにも言わずにスープを舐めた。

 アカネ、帝国の場所なんて知らなそうだし、なんなら「北の方、行ったことないし」くらいの決め方をしている気がする。


 でも、帝国行きを反対する理由はなかった。

 別にほかに当てがあるわけでもないし、向こうでアカネに会えたら嬉しいし。


 そうしてぼくらは旅に出た。

 シキのお墓を作り(作ったのはギンだけど)、新月の夜に咲いた魔力草の花を供えてから森を下り、ギンの影に隠れてテリア村の人々を見回ると、街道を進んだ。


 一度ギンはアーガンノのギルドにも立ち寄って、依頼の進捗報告もしていた。

 なんでも『死亡テイマー管理魔物駆除依頼』らしい。

 シキの死と、ぼくの討伐報告。


 シキの死は冒険者証とシキの魔石によってあっさり受理されたが、ぼくの討伐報告はひと悶着あった。

 なにせぼくの死を証明するものはなにもない(死んでないし)。


 そこでギンはテリア村で出されていた『ゴルビンドの森の魔物調査・討伐依頼』の達成証明書を盾にごり押していた。

「それじゃあ、テリア村のギルドと銀級冒険者が共謀して偽の証明書を作ったってことですね。そりゃあ大変だ! 大不祥事ですね!」

 その一言で陥落した受付嬢は、それでもテリア村の住人やブルットさんに聞き取り調査をしてから、ぼくの死を渋々認めることになった。


「これでクロの駆除依頼なんて二度と出されないな」

 ギンは満足そうに言ったけれど、「使い魔の駆除依頼」なんてそもそも誰も受注しないんじゃないかとぼくは思った。

 

 そうこうしているうちに季節は夏になった。

 北に向かう足取りは軽く、初夏の太陽は影を濃く、深く大地に刻みつけた。

 まっすぐまっすぐぼくらは歩き、帝国との国境を持つ山麓が近づいてきた。


「おーい、クロ!」

 やがて道が二股に分かれると、ギンは影の中に呼びかけるように言った。

「ねえ、どっちから行きたい?」

 まばらな石畳が続く大きい道と、森林沿いの日陰が涼しそうな狭い道だった。


 辺りは静かで、人影もなく、青い空がはるか先まで続いている。

 背中を伸ばそうと影の外に躍り出て、ぶるぶると体を振るわせてから、ぼくは言う。

「どっちでもいいよ」

「ねえ、ほら、どっちがいい?」

 ギンを見る。

「ライラ」の甲冑が反射してまぶしく光る。

 金髪が透き通るように明るく輝く。

 青い目が、楽しそうに、どこか期待に満ちたように笑っている。


 ギンは明るくなった。

 出会った頃に比べると、もっとずっと明るくなった。


「本当にどっちでもいいんだけど」

 そう言いながらぼくは尻尾を動かし、近くにあった枝を拾い上げると、ぽんと空高くに放り投げた。


 風が吹く。

 木立が揺れる。

 ギンがまぶしそうに目を細める。

 視線の先で、枯れ枝はぐるぐる回る。

 まっすぐ、高く高く、ぼくらの未来を指し示すように青空を切り裂いていく。

 前方に見える北の山々からは冬の間に厚く積もっていたはずの雪が消え、代わりに岩壁が白く照らされて光っていた。



「北の方といえば……」

 バズラさんはギンが眺める先に視線を合わせながら、思い出したように口を開いた。

「あっちじゃあ最近、魔物が多く出ているようだからお気をつけて。ここんとこ、ずいぶん治安も悪いみたいで」


「ありがとう。でも私は大丈夫です。『魔剣』がついてますから」

「うん、まあそうでしょう。いらぬ心配でしたね。お嬢さん、お若く見えちまうもんだから、ついつい一般人の感覚で心配しちまう。すみません、なにせこっちは街道にいたって、いつ魔物が襲ってくるんじゃないかと神経を張り巡らせているくらいで」


 その言葉に反応するように、遠くでヨータがぶるぶると声を上げた。

 まともな魔物なら、こんな隠れるところのない「人間の縄張り」みたいなにおいがする街道になんか出てこないと思うけど……。

 それでも、ぼくだってお腹が空いて森を出てしまったことがあるんだから絶対ではないだろう。


「用心するに越したことはないですよ」

 ギンも同意するようにそう頷いた。

「今は依頼者もいない、気楽な旅なのでのほほんとしてますけど、私だって依頼の時には慎重を期してますから。銀級って言ったって別にどんな魔物でも平気なわけじゃないんで。ドラゴンとか出てくるような私だって一目散に逃げます」

「ごもっともだ」


 バズラさんは相好を崩し、それから不意に真面目な顔に戻って「だったらなおのこと、ここより北じゃあお気をつけて」と告げた。


「え、まさかドラゴンでも出たんですか?」

「ドラゴンじゃあないですが、ある意味近い存在と言ってもいいかもしれません。そいつがどうやら悪さをしているみたいで」


「……近い存在?」

 バズラさんは腰をかがめ、誰にも聞こえないくらい小さく、小さく、口を開いた。


「不死鳥ですよ」

 びくりとした。

 ずっと昔から生きてきた伝説の魔物。世界に一羽だけ存在する、炎に身を包んだ不死の鳥。ぼくらの仲間。


「……不死鳥がどうかしたんですか?」

「俺も聞いただけだから確かなことはわからないんですがね……」

 バズラさんはさらに声のトーンを一段落とした。


「なんでも犯罪者どもを手伝って、フドウスギ原生林を焼き払ったとか」


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ここまでお読みいただきありがとうございました!

第一部「使い魔の孤独」はここまでになります(幕間はありますが)。

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なお、第二部「希望を運ぶ鳥」(仮題)は全体の執筆・推敲が終わり次第上げていきますので、しばらくお待ちください。

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【第一部完結】ぼくらのテイムが切れたあと 水谷浩平 @koheipenguin

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