おまけ:いぬのきもち


「そうそう。私の名前を言っていなかったね。私はエマニュエル。親しい連中からはエマって呼ばれてるから、そう呼んでくれ」

「かわいいね。わたしは氷乃愛ひのえなんだけど、もうノエでいいや」

「へえ、あれってそう読むんだ?」

「うん。真っ白な赤ちゃんだったから氷の愛だって。単純だよねえ」

「あ、愛って言葉は知ってるかも。アイ・ヒナタってアイドルがいるでしょ」

「いるいる。確かアルカディアのイメージキャラクターやってる人だよね」

「そう。んで、その人のお兄さんが今度会いに行く技術者だよ。ユイ・ヒナタって、アルカディアの色んな設備を設計した凄い人」

「へえ、世間って狭いねえ」


 エマとノエの、所謂ごく普通の世間話を、グエンだけは頭上に疑問符を山のように浮かべながら聞いている。

 知らない単語の群れが飛び交う中、かろうじて名前だけは何とか理解出来た。

 エマ。それがグエンの主人の名前だ。たぶん。


 グエンは工場で生産され、栄養剤で肥育された。かと思えば、突如乗り込んできた仰々しい装備の軍人たちに他の商品たちが屠殺されていく中、乱暴に袋詰めにされて工場から運び出され、気付けばオークション裏の檻の中にいた。

 目覚めたときには毒針の首輪がついており、オーナーの気分で毒を注入されては、一晩中体の痛みや高熱に襲われた。

 そんな半生だったゆえに、グエンは言葉も殆ど知らなければ世間に至っては微塵も知らない。アイドルという単語がなにを意味するのかも。ノエの名前に使われている言葉の意味も、なにも。


 グエンは運良くエマに買われた。

 エマは長い金髪と翠色の瞳を持った、それは美しい人だ。

 華奢な体つきからは想像もつかないほど力持ちで、大きなバックパックを背負っている。中になにが入っているのかは、グエンにはわからない。ただ、少しだけ食品と薬の匂いがするので、そういったものが詰まっているのだろうと思った。

 ノエは真っ白な長い髪と水色の瞳の、幼い少女――に見える少年――だ。

 オークション帰りに買ったふわふわのワンピースも白一色なので、瞳の水色以外は殆ど色がないといってもいい。愛らしい見目のノエもまた、自分と同じようになにか目的があって製造されたのだろうと思われた。


「気になったんだけど、エマはなんで女の人っぽい格好してるの?」

「私の見た目が元から女性寄りってのもあるんだけど、女一人旅だと思わせると色々便利で油断が誘えるんだよ。でも馬鹿デカいバックパック背負ってるし、普通の女と違うって見ればわかるとは思うんだけどね」

「なるほどねえ。わたしの服が可愛いのもそういう理由?」

「あ、それは単なる趣味。可愛い子には可愛い格好させたくて」

「そっかあ」


 不思議そうに二人を見つめるグエンに気付いたエマが、手招きをした。

 素直に寄っていけば、褒めるように頭や顎を撫でられる。首輪付近に手が伸びても怯えることはない。エマの手はとても優しいから。


「グエンにも色々教えないとだね」

「だねえ。アルカディア目指すなら、恐竜の絵本とか見せる?」

「じゃあ次は、国立図書館がある第0305居住区コロニーを目指そうかな」

「さんせーい」


 ノエがうれしそうに声を上げる。

 相変わらず二人の会話は難しくて殆どわからなかったが、行き先が決まったらしいことだけは何となく理解出来た。


 グエンは、この人たちになら食べられてもいいなと思った。

 食用人種は二種類あって、大量生産品は味も劣るし一度屠殺、乃至は切断されたら二度と命も部位も蘇らない。だが稀に生まれる遺伝子異常の個体は違う。元々不死の研究から枝分かれした食用人種は、数百万分の一程度の確率で超再生個体が出来る。

 グエンはその、超再生能力を持った個体だった。

 頭を潰さない限りは、四肢を落とそうとも心臓を抉り抜こうとも瞬時に肉体を再生することが出来る個体で、大戦末期には突撃兵として利用されていた。しかしいくら再生するとは言っても痛覚はある。無限に続く苦痛に発狂する個体が続出し、不死に夢を見る貴族や富豪も、いざとなれば遺伝子操作を拒んだという。

 何度も手足を切り刻まれた。内臓を持って行かれたこともあった。その度にいっそ死んでしまいたいとさえ思ったけれど。不思議といまは違う。

 もしエマが自分を食べたいと言ったら、肝臓という部位が一番美味しいらしいと、そう教えてあげよう。


 ――――そして、後日本当にそれを実行したグエンを、エマとノエが囲んでお説教する羽目になることなど知る由もなく。

 二人が楽しそうにしているのを見ていると、何となく自分もしあわせな気分になる気がして、グエンは温かい気持ちで未知の会話を聞いていた。



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