二億の雑種犬
『さあ、お名残惜しいですが、最後の商品で御座います! 最後を飾るのは此方! 遺伝子操作で生み出された食用人種! 大戦末期に編み出されたという悪魔の技術で量産された食用人種は、いまやロストテクノロジーとなって御座います! しかし、需要があるからこそ供給もあるのが技術であり、商品なのです! 此方は先月大規模捜索により摘発された食料生産工場の、最後の商品で御座います!』
檻に入れられた状態で袖から出てきた商品は、エマより少し背の高い青年だった。散切りの髪に、鋭い目つき。食品として売るためか他の奴隷たちより肉付きが良く、比較的肌つやもいい。だがこの手の商品で喜ばれるのは女か子供である。彼は低めに見ても十代後半か、ギリギリ成人しているかどうかという年の青年で、端的に言って美味しそうには見えない。
『此方の商品、家事雑事は一通り仕込んでおりますので、奴隷としての使用も可能で御座います! 複雑な遺伝子構造をしており、見た目以上に力仕事が得意ですので、予備の躾首輪と薬もおつけした状態でお譲り致します!』
司会の男が躾首輪を見せた瞬間、青年は僅かに怯えた顔をした。
あれは奴隷を躾ける際に使用する、毒針付き首輪だ。死に至らないが一晩中苦しむ毒を主人の気分や躾で注入するというもので、粗相をする度に長く毒で苦しむ羽目になる。ゆえに最初は反抗的な態度を見せていたとしても、じきに全てを諦めるようになってしまう。以前は奴隷調教には鞭や洗脳剤を使用していたが、強すぎる洗脳剤は精神崩壊も招くことから、躾首輪が一般化したのだ。
「ねえ」
「なに?」
「まだ、お金ある?」
「あるよ。あれほしい?」
こくんと頷いたノエに、エマは「いいよ」と言って微笑んだ。
可愛い子のおねだりなら、出来る限り叶えてあげたくなるのが人情というもの。
『八千万! さあ、いらっしゃいませんか!?』
やはり食用としての需要も低ければ、奴隷としても見目がいいわけでもない青年はあまり値が上がらない。ネックレスの半額でコールが止んでしまっている。
エマはスッと札を上げ、口を開いた。
「二億」
ざわっと辺りが響めき、視線が集まる。その視線には商品と司会のものも含まれており、エマは札を掲げたまま首を傾げた。
「司会の方、コールを」
エマが言うと、司会の男はハッとなって『に、二億! 他には!?』とあまりにも動揺を露わにした声をあげ、周りに問いかけた。
だが他の客は顔を見合わせるばかりで、誰も競り合おうとしない。それはそうだ。男の奴隷なら十分の一以下の値段で買える上に、食用人種としても惹かれない。寧ろ何故あんなものに二億も出しているのか不思議なくらいだ、と顔に書かれている。
『C9の方で、二億! ありがとうございます!!』
カンカンカン! と、興奮を露わに木槌が打ち付けられる。
そして首輪に繋がれた鎖を引っ張られる格好で、青年が檻から出される。両手には枷がついており、枷と首輪も鎖で繋がっているせいでつんのめって倒れてしまった。
エマはノエを伴って舞台まで行くと、係員から鎖の端を受け取った。先端は犬用のリードにも似た革製の持ち手がついており、エマは持ち手を握ったままで青年が体を起こすのを待った。
そうしている裏ではエマに付き従っている男たちがアタッシェケースの金を司会に引き渡しており、最後に購入証明書にサインをして契約を終えた。
* * *
オークション会場をあとにして予め取っておいたホテルに戻ったエマは、ベッドに腰掛けて溜息を一つ吐いた。
道中でもエマはノエと青年のための服や小物を買っており、商品だった二人は元の見窄らしい姿が思い出せないほど見違えている。
「はー買った買った。久々に散財すると楽しいね」
「久々だったの? 普段あんまりお買い物しない?」
「しないねえ。旅してるから荷物増やすのもだし、食料品と消耗品くらい」
「そっかあ」
貴族と商品が普通に話している様子を、青年は床に正座した状態で聞いていた。
物凄く居心地が悪いが、かといって口を挟む度胸もない。まるで以前からの友人のような会話をする二人をただ眺めることしか出来ないでいる。
「そういえば、ノエはなんでこれがほしかったの? 他の奴隷は興味なさそうだった気がしたけど」
「んー、わたしが裏に連れてこられたとき、この人だけが気遣ってくれたんだよね。大丈夫、すぐ出られるよって。君は綺麗だからきっといい人のところにいけるって。そのせいで躾首輪使われちゃったのに、ずっとわたしを気にしてたの」
「そうなの?」
ノエの話を受けてエマが青年のほうを向いて訊ねると、青年は怖ず怖ずと頷いた。
下手に希望を持たせるのも残酷ではあるのだが、実際ノエは参加者の中では唯一の当たりと言っても過言ではないエマに買われている。
「あ、そうだ」
じっと置物になっていた青年に、二人の視線が向けられる。瞬間、ビクッと背筋が伸びたのを見て、エマは「まあ落ち着いて」と気のない言葉をかけた。
「取り敢えずその首輪だけど、下手にいじると毒針が出ちゃうからさ、とある場所に知りあいの技術者が住んでるから、其処に行くまで我慢してくれる?」
一瞬、エマがなにを言っているのかわからず、青年は呆けた顔を晒してしまった。だがすぐに『主人の言葉に応答しないとどうなるか』を思い出し、コクコク頷いた。
実際買われた人間の返事は『はい』か『イエス』のどちらかしかないのだ。
「ところできみ、名前はないんだっけ?」
青年が怖々頷くと、エマは「だよねえ」とベッドに身を投げ出した。上半身を枕に預けて僅かに体を起こした格好で横たわり、足先を揺らす。
奴隷も商品も孤児も、値札がつけられた時点でそれまでの人生を人権と共に失う。ノエが異例だっただけで、通常はそれが当たり前だ。そして奴隷として買われたら、気紛れにペットのような名をつけられることはあっても、精々が「おい」「お前」と雑に呼ばれるだけである。
「んじゃあ、グウェナエル。昔、グエンって名前の犬を飼ってたんだけど私が十五のときに老衰で死んじゃって。また飼いたいなって思ってたんだよね」
「……お、れの、名前……?」
恐る恐る、窺うように訊ねた青年――――グエンに、エマは鷹揚に頷いた。
「そだよ。名前ないと不便だしね」
さも当たり前のように人の名前を与えられた。そればかりか、思い出にある愛犬の名前を継がせてくれた。こんなことがあっていいのかと、グエンの瞳が語っている。
「私、別に身分制度に反対するつもりはないし、奴隷解放とかそういう崇高な題目があるわけじゃないんだけど、でもまあ、自分で買った生き物は快適に過ごしてほしい程度の意識はあるわけでね」
そう言ってから、エマは跳ねるように体を起こしてグエンの顎につま先を添えた。されるがままに仰のいたグエンを見つめて微笑み、エマは語る。
「首輪が取れたら、グエンは自由だよ。私の元から去るも良し、変わらず共にいてもいい。但し私から去ったら、次は買ってやれない。路地裏でリンチされてたとしても助ける気はないよ。自由ってのは全てが自己責任なのだからね」
グエンが神妙に頷くのを見て、笑みを深める。
「自由を手にしたらどうしたいか、いまのうちに考えておくといい」
エマの顔をじっと見つめ、それからグエンは、恭しくエマの足首にキスをした。
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