第8話 彼と彼女
◇◆◇
「……んっ」
今までの人生について振り返っていたら、ふと目の前が明るくなった。……違う。今まで目を閉じていたんだ。目の前には、勉強をしている高志君の姿。どうやら私は、勉強しながら居眠りしてしまったらしい。
「……」
高志君は、私のことは微塵も気にせず勉強を続けている。まるで私の存在なんて意識していないように―――というか、実際意識してないのだろう。こんなに近い距離にいるのに、私と彼の距離はとんでもなく遠い。だからこそ、私も居眠りなんてしてしまったのだ。……普段の私は、どんなに眠くても、人前で居眠りなんて絶対にしない。眠りたくても、他人の気配があると眠れないからだ。施設でも同居人がいるせいで自室では眠れないくらいなのだから、高志君の前で居眠りしたという事実は私にとって衝撃的だった。
「……ふぅ」
驚きのあまり、微かに残っていた眠気も消えた。私は中断していた勉強を再開するのだった。
「随分、長いことやってたな……」
朱くなった空を見上げ、高志君がそう言った。今のは私に向けた言葉ではなく、独り言だろう。私の相槌を待たず、彼は先に行ってしまう。……勉強を終えて、私たちは帰宅の途についていた。そういえば、一緒に帰るなんて初めてかもしれない。彼と、というのは当然として、誰かと一緒に帰宅する思い出自体が殆どない。いや、昔、祖母が公園に連れて行ってくれたときに一緒に帰ったか。
「……」
あのときも、今も、一緒に帰っているというよりは、前を歩く相手の後ろをただついていくだけだった。でも、祖母の時と違って、私は別に高志君について行かなくても施設に帰ることは出来る。それなのに一緒にいるというのが、自分でも不思議な感じがした。
「……また、勉強、しよう、ね?」
「それはめんどいな……」
私が呼び掛けると、高志君は振り向きもせずにそう呟いた。心底面倒臭そうに、何なら苛立ちすら込めて。そんな彼の言動に、私はとても安堵した。
「……でも、偽装恋愛、ばれたら、困るし」
彼とは、偽装恋愛だけの関係だ。学校を卒業すれば必要なくなるし、彼とはそれっきりになるだろう。私も、それ以上の関係になりたいとは思わないし、思えない。
「それも困るが……なんでこんな面倒な世の中になってるのやら」
高志君と出会えたのは、形だけとはいえ恋人になれたのは、恋愛学習なんて面倒な制度があったお陰だろう。でも、なければ良かったというのも否定できない。……所詮、私も人嫌いなのは変わらない。高志君といると安心できると言っても、結局は完全に一人でいたほうがいいのは事実なのだから。
「……全く、だね」
でも、折角出来た縁なのだから、在学中くらいは大切にしたいと思った。こんなことを思えるのも、多分人生でこれっきりだろうから。
「……私、こっち、だから」
「そうか」
施設の近くまで来たので、高志君とは帰り道が別れることになった。相変わらず私のことは興味がないらしく、適当に相槌を打って振り向くこともないまま歩いていく高志君。
「……また、ね」
そんな彼に、もう何度目になるか分からない安堵を覚えながら、私は残りの帰路につくのだった。
完
近年導入された恋愛学習の授業が怠いので、隣の席の女子と偽装恋愛します マウンテンゴリラのマオ(MTGのマオ) @maomtg
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