壊れた世界の住人 ⑸
12月1日㈰
今日は凜の誕生日だ。体を借りている分として少しくらい祝ってあげようかと思い、誕生日会をすることした。
何もない部屋のなか私は座っていた。もともとは私の部屋だった場所。
インターホンが鳴った。
重い足を持ち上げて玄関へ向かった。玄関のドアを開けると平田夫妻が立っていた。
「和田さんが暴走しました。弘志さんが墨田家に乗り込みました」
目の前の壊れた老人形はロボットのように淡々とした口調で言った。
理沙は右足を大きくあげて足裏で押すように昌二を蹴り飛ばした。昌二は恵子は巻き込むようにして後ろに倒れた。
理沙は倒れた平田夫妻をひと睨みして、興味を失ったかのように視線を前に向け走り出した。
壊れたおもちゃを信頼しすぎていた自分への苛立ちから、舌打ちをする。
和田春樹は未だに従順になっていなかった。10月頃に弘志に助けを求めようとしていたことを聞き、再び妻の美希を監禁し痛めつけた。それを春樹に見せることで心を折ろうとしている最中だった。今回も春樹は美希の代わりに自分が痛めつけられる側になろうとしなかった。だから今回も私と絶対的に敵対するようなことはしないと油断していた。
空は晴れている。今日も壊れた世界を照らしている。
柳岡家に着いた。
理沙はそれぞれの家に隠しカメラ、盗聴器を仕掛けていた。そのため、今日の朝早くに弘志が外に出たことを知っていた。そして千代子が家の中にいることも。だから、しばらくは千代子が弘志を殺せないと考え、何もない部屋で休んでいた。
平田夫妻もそのカメラと盗聴器を使うことができる。普段のやっかいごとは二人に任せていた。
「千代子殿!」
理沙は露光家に入った瞬間に大声を出した。この話し方でいつも脅しているため、この口調=恐怖だとみんなの脳に刻み込まれている。もちろん理沙も理解しているから、この緊急事態でも話し方を変えない。
千代子は右手一本で千尋を抱え、何度も転びそうになりながらバタバタと階段を降りてきた。絶対に千尋は誰にも渡さないと言わんばかりに腕には力が入っていた。母親の鑑のようだった。
一方で目は細く鋭く、囚人のなかにいても違和感がない。
「弘志殿が墨田家に侵入したそうでありんす。誰かが弘志殿を殺してしまうかもしれないでありんす。今回は千尋殿の自殺をなしにしてあげるでありんす」
もともと千尋は自殺するような命令をされていない。
妥協策だった。子供を守ることよりも『裏切り』をした弘志を殺すことを選択するのが見たかった。普通の人はそんなことしない。でも壊れている、ぶっ壊れている千代子ならそれを行う。それを楽しみにしていた。それなのに……。
理沙は前歯が折れてしまいそうなくらい強く歯ぎしりする。心臓のあたりもギリギリと痛む。
千代子の顔つきは変わった。全てから解放されたように目はパッと見開き、頬は上気し、表情筋が緩みとろけていた。ずっと目に力を入れていたせいかまぶたの上に皺ができ、口の端は不自然に下がっている。
千代子は千尋を抱えたまま走り出した。
理沙はすぐに千代子の右腕を掴み、止まらせた。
「待つでありんす。妾も行くでありんす」
はしゃぐ子供が大人に怒られたような不満のある顔をした。理沙は気にすることなく千代子の前を歩く。千代子も千尋を降ろして後ろをついていく。
墨田家の前につき、玄関のチャイムをならす。だが、誰も開けてくれない。
隣の割れたドアから入り、階段を上っていく。3人は転がっている壊れたものたちには一切興味を示すことは無かった。
2階に上がるとちょうど平田夫妻が弘志を殺すところだった。
「待つでありんす」
平田夫妻は機械のようにぴたりと止まった。
後ろにいた千代子が前に出て行く。
弘志の心臓に包丁を突き刺した。
弘志は死んだ。
この世界からまたぶっ壊れた人形が消えた。
まったく満たされなかった。これではただの殺人でしかない。
このときを待ち望んでいた。4ヶ月近く計画してきた。
壊れたおもちゃでも遊び方次第で面白くできる。
なんだこれは?
私の努力は?
「時間を返せ!」
キャラになりきることを忘れ、ただただ叫んだ。心の中にたまった不快感を吐き出すように。少しでもこころを軽くするために。
まったく心は軽くならない。ずっしりとした重みを感じる。
中途半端だ。
やっと盛り上がってきたタイミングで遊びを親に止められた感情に似ているのだろうか。私にはそんな記憶がないから分からない。弘志が倒れた後ろのドアの隙間から両親と目が合う。さらに心は重くなる。
行き場をなくした感情が体の中をのたうち回る。
この壊れた世界で私は自由に踊ると決めたのに。これでは踊らされたも同然。
もうダメだ。こいつらとは楽しく踊れない。一端リセットしよう。もう一度初めからやり直そう。ここは壊れた世界。何度だってやり直せばよい。ガラクタはそこら中に転がっているのだから。
「平田さん。全員ここに集めてくれるでありんすか」
「「はい」」
誤作動を起こすことなく動き出す。
両親が死んでいる部屋に近所の全員が集まった。
悪を許容する墨田光都。最愛の妻を助けようとしない佐藤忠文。最愛の妻の代わりに犠牲になろうとしない和田春樹。3人は頭を抑え縮こまっている。
心が壊れてお酒を飲み続けた佐藤忠文の妻。体も心も壊れた和田美希。2人はただ突っ立っている。何の感情も読み取れない。体だけがある無である。
私に騙され、神だと信仰する平田夫妻。腰を低くして、私に向かって手を合わせている。千尋もほとんど同じだ。
愛していたはずの夫を殺した、異常な殺意を持った千代子。
そして3本の包丁が床に置いてある。平田夫妻に持ってきて貰った。
「みんな殿、自殺するでありんす」
「話が違うじゃない! 千尋の自殺は無しって」
「妾は自由にするでありんす」
心臓が大きく跳ねた。何かの警鐘を鳴らしているのか、または感情が昂ぶっているのかは分からない。
千代子は千尋を抱きかかえた。
「まずは、妾の計画を壊した墨田殿でありんす」
「やっと死ねる。死ねる。死ねる」
自分で包丁を拾い、静かに心臓に差し込んでいった。
墨田光都は、腐り切った死体と同じ空間に長い間いて、精神が限界に来ていた。早くこの状態から解放されたくてしょうがなかった。たとえ、それが死だとしても。
「死ねる。死ねる。し、ね、る。し……ねる。………………」
「僕も死にます」
佐藤忠文はそれだけ言って、もう一本の包丁を心臓に勢いよくさして死んだ。人間味を感じない、機械のような最期だった。
忠文は妻と両親が壊れたこともどうでも良かった。これ以上悪くなければ十分だった。忠文にとっての平穏は現状維持だった。
平穏が崩れた今、忠文は和田美希のように苦しめられる最悪を回避することが大切だった。それが死だった。
「ぼ、くは嫌だ」
和田春樹は立ち上がった。
「春樹殿。最後まで妻のことを見て見ぬ振りするんでありんすね」
春樹は一瞬止まったが、すぐに反転して逃げようとした。
「昌二殿」
昌二は春樹の胸を刺した。
春樹は悶え苦しんだ。昌二は転がった春樹に何度も包丁を刺し込んだ。まるで不死身の化け物を相手にしているのかというほど何度も何度も刺した。
「それじゃあ、そこで立っている2人も殺しちゃってくれるでありんすか」
忠文の妻と美希は抵抗することなく平田夫妻に刺された。刺されても何の感情も見えない。
「それじゃあ、そいつも殺してくれるでありんすか。それが終わったら自殺するでありんす」
千尋は自ら平田夫妻の方に近づこうとするが、千代子が必死に止めている。千代子は右腕で千尋を抱きしめ、左手に持っている包丁を平田夫妻に構えた。弘志を殺した包丁だ。
子供だけは守るという意思が態度からも心からも伝わってきた。
平田夫妻はゆっくりとした動きで襲いかかる。そのおかげか千代子は大分不利な状況だが、耐えている。
理沙は残り一本の包丁を掴んだ。自分で殺すのも悪くないかもしれないと思った。
包丁を回転させながら上に投げる。キャッチする。
自分にも恐怖という感情が無くなっていることを改めて認識する。私はやっぱりぶっ壊れている。
もう一度真上に包丁を投げる。
落下地点に右手を出す。掴もうとした途端、左手が右手の上に乗っかった。左手が包丁をキャッチする。
何が起こったか分からず目を丸くする。自分は何をしている? 何を考えている?
自問自答する。自分の心の中に目を向ける。飛行機の中でしたように。
『お姉ちゃん』
理沙は右手で口をとっさに抑えた。口は開いても、動いてもいなかった。さらに体の左半身がまったく動かせない。
理沙はこの体になって自分の心の中を覗くのは初めてだった。今まで多くの人の感情を見てきた。でも自分の感情は行動によって確かめてきた。さっきの包丁を投げてキャッチするのもそうだ。自分に恐怖の感情がないかなど自分の心の中を見ればすぐに分かる。
『お姉ちゃんだよね。私は凜。お姉ちゃんの心の中を見たの……過去も全て……』
脳内に直接響いてくる。体の中に居る人が話しかけている。
妹の凛だ。
左目から涙が出てくる。自分の過去に対して悲しいという感情はとっくになくなっているはずだ。これは私の涙ではない。
『お姉ちゃんに私の全てをあげる。私はもう十分愛された。満足した。いつも守ってくれてありがとう。一緒にいれて嬉しかった』
違う。私は凛を守っていたのではない。凛が泣けば、両親が自分に罪をなすりつけてくる。だから守っていただけ。自分ができる限り平穏に暮らせるために。
私は凜の体を乗っ取ろうとしているだけ。自分の欲を満たすために。一緒に居たわけではない。
何が起きているか分からない。目の前では千代子の胸に包丁がスローモーションで刺さる。
『違うよ。お姉ちゃんは私を守ってくれていた。確かに自分を守るための行為でもあったかもしれない、でも私を守っていた事実は変わらない。それにこの体にお姉ちゃんが入ってからも私のことを守ろうとしてくれた。私が純粋のままでいられるようにと。私の名前が出るたびに、自分がやっていることが妹の私に悪影響を与えていないかと不安になっていた。お姉ちゃんは、そんなことないと言うかもしれないけど、無意識にやってた。だって私はそれを見ていたから。両親を殺すときも私のために殺すべきではないと考え、一度立ち止まってくれた。あんなにお姉ちゃんが憎んでいた両親を殺すことをためらってくれただけでお姉ちゃんが私のことを考えてくれてるのだと伝わった』
違う。
凛の名前が出ても私は何も思ってない。
違う。
立ち止まったのは心臓が突然振動したからである。たまたま、体が硬直しただけだ。ただの偶然にすぎない。
『殺した後も両親を亡くした私を心配させないように配慮した手紙を残した。私の心を守るために。それに両親の死体を捨てられなかったのも、私への罪悪感から』
違う。
凛の行動を制限するために手紙は書いただけ。
違う。
死んだ両親を見るのが楽しかったから。他人に恐怖を植え付けるのに便利だったから。
『お姉ちゃんはずっと心の中で苦しんでいた。自分の行為がこの体に居る凜、私に悪影響を与えないかずっと心配していた。無意識のうちに私のことを考えていた。でも、それを認識したら今までの自分を再び否定することになる。だから気持ちを押し殺していた』
右目からも涙が溢れる。
『お姉ちゃんは初めは自分だけが壊れているのだと思っていた。そして次に人間は全員が壊れていると理解した。だから他人をどうしても良いと思えた。でも本当は分かってたんでしょ。私や千尋のような子供は決して壊れていない。お姉ちゃんも昔はそうだった。人間は初めから壊れているわけではない』
心の芯から温まっている。この感覚はいつ以来だろう。生まれたとき以来かもしれない。誰かが自分を見てくれている感覚。一人ではないのだと安心するような感覚。
でもこの暖まっている体は……。
『だからお姉ちゃんは私を無意識のうちに守ろうとした』
平田夫妻は首を搔っ切って自殺した。千尋も平田夫妻が使った包丁を手に持ち、首に当てていた。
自分の左手に持たれた包丁は自分側に向いた。
「千尋殿、全て忘れるでありんす」
理沙は叫んでいた。千尋は握っていた包丁をその場に落として、倒れた。
『お姉ちゃんのやりたいことは私を純粋のままにしておくこと。決して壊れないように守ること。でも、私はそれには応えられない。この黒く染まった心を全て引き受けなければいけないから。今まで守ってもらった分を返さないといけないから』
凜の言葉は熱を帯びていた。恥ずかしがり屋で弱々しい妹ではなかった。
左手にある包丁が向かってくる。このままいけば、この身体は私のものになると直感した。それもこの憎しみなどの記憶もなくして。純粋な子供になれる。
心臓に向かって動く左手を右手で右にずらした。包丁は右胸あたりに浅く突き刺さった。まったく内部に届いていない。本来は包丁を止めることができた。この体は右利きなのだから、左手の力に負けるはずがない。それに包丁の勢いはとても弱く肌を少し削る程度のものだったのだから。
この一撃で自分という存在が死ぬことを理解していた。この体に残っている私の意識が消えることが分かっていた。
それなのに包丁を止めなかった。むしろみずから自分の死を選んだ。
『なんで!』
そんな叫び声が聞こえた気がした。
私の最後の言葉と行動は何だったんだ?
意識は遠のいていく。凜の心からはすでに乖離しているのだろう。さっきまで聞こえていた声が聞こえない。
この世界は壊れている。私を含めて全ての人間が壊れている。
だから私は自由にやろうと思った。壊れたもの
私を殺した両親を殺した。私を受け入れなかった世界の住人を弄んだ。
凜の言葉では私の考えが変わることはあり得ない。私の人生を否定できるはずがない。ぶっ壊れた人間は治らない。壊れた人間は壊れていない人間を壊せるが、逆は不可能である。
まだまだ遊び足りない。踊り足りない。
それなのになぜ?
壊れたもの
壊れた世界。さようなら。
****
翌日弘志が交番に出勤してこないことで鼓芽が異変を感じた。そして弘志の家に向かった。
昨日の夜は近年では珍しく雪が膝下くらいまで積もった。
弘志が住んでいる6件がまとまった一角は真っ白な雪で覆われていた。足跡もない汚れていない状態で。
この悲惨な事件現場が発見された。腐った死体、死んでから一日も経っていない大量の死体。
小さな少女二人だけが一命を取り留めた。一人は膝をついた状態で制止し、黒のバラが咲いているような、黒のドレスで踊っているような形で発見された。もう一人は白のワンピースに大量の血を付けた状態で倒れていた。
その子供達の周りには大量の折り紙の鶴が散らばっていた。千羽くらいいるだろう。悲惨な現場とは裏腹に、病気からの回復を願うための千羽鶴のようだと鼓芽は感じた。
その後、大量の大人の足跡が付けられ、綺麗な真っ白な雪のキャンバスは汚されていった。
一方で子供達の頭の中は真っ白だった。
二人は記憶喪失で何も覚えていなかった。まるで真っ白な雪。新品のキャンバスボード。何にも汚されていない。
ただ純粋な子供だった。
ーーーあとがきーーー
完結!!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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壊れた世界で踊りましょう ~引っ越しから人生が狂いだす~ ゼータ @zetaranobe
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