逃亡者
そこは緑色の草原ではない
あるいは緑色に見えない
僕には
本当は色鮮やかな山々とせせらぎの聞こえる川が
そこにあるのだろう
でも
僕にはそれを
見ることはできない
少女たちが
目前を横切る
彼女たちは
悩みをその足元に見つめている
僕はそれを
もう
わからないと言うことはできない
そのまま
立ち去る事しかできない
僕に影があるのだろうか?
一人でギターを鳴らしながら
獣のように
じっと聞いている
これはきっと
誰にも聞こえないのだ
歌ですらない
いったい、何を歌えるのだろう
僕は街を忘れ、街は僕を歩かせない
恋人に捨てられたように歩くのだ
寄り添う二人づれは
もう
いないのだ、この目には一人一人としてしか映らない
そこにあるものを
その足元にあるものに気がついたからだ
あの時の約束も
もういいのだ
僕には約束すら思い出にならない
新聞の広告のような記憶が
ただ、頭の中に重ねられているだけだから
ああ、過去が欲しい
僕には
何があったのだろう
その一つ一つを
心の庭で燃やしてしまったようなのだ
灰色の煙も上がらない
赤い炎も見えなかった
どこまで消したら
いなくなれるのだろう
追うものもなく逃げる僕
逃げられた人間は「人間」だ
僕はそれを知っている
街角で別れることも無く
ベッドサイドの電話を切って
眠りにつくだけだ
明日は目が覚めてから
やってくる
長いどこまでも続くような街道を
人並みを泳ぐように
逃げてゆく
ずいぶん
ポケットにガラクタや屑を入れて
とても満足している
これらも
夢の一つで愛もそのような形をしている
恋人よ
言葉は君のため
贈り物も君のため
その行為も君のため
それでいいのだ
質素な恋人よ
僕はいらないだろう?
雪のなかで考えた
いつかまた戻らねばならないのだと
その時
僕は笑いながら
時間を計っていたのだ
ゆっくりと
その花が枯れてもいい季節を
もう枯れている花を見つめながら
目覚ましで這い出して
また逃げる算段をする
空は見ないで
向うに見えるバスを心待ちにしながら
僕の前でそれに乗り込む少女と老人の後姿を見ながら
いつものように
気の利かない無愛想な運転手に
静かに
いつか死ぬ事を教えながら
旅は
あの時始まったのだろう
昔恋した人が去った
3番線のホームから
置き去りにされた僕は
追う事も無く
そこを去り
春の草原を目指したのだ
灰色にしか見えない緑の丘を
肌色の天使は
僕に告げる
名の無い駅のベンチで
廃線になった鉄道のレールの向うから
やってくる夕焼け色の夢を見るようにと
でも
僕は逃げるだろう
その天使がうそつきだと知っているから。
愛のない夜のために 一ノ瀬 薫 @kensuke318
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